第二章17 『ありのまま』
「死にかけが食べるには硬すぎると思いまして。代わりに咀嚼してあげたんです」
そう言って、キエリは片手いっぱいに盛られた洞窟キノコを見せる。
「あ、ああ……口移しね?」
「その通り。キスではなく口移しです」
二度目。キエリは無駄に念押しした。
「お前、なんでここに……」
「……反応が薄い」
「え?」
「別に。なんでもありません」
「カティアが連れてきたんだよ。でも、どうすればいいかわからなかったから、とりあえずケイトたちに預けて……」
「そんなことはどうでもいい。些事です」
リーフェンの説明を遮り、キエリは二人の横を素通りする。
「だいたいの事情は子供たちから聞いて、他は盗み聞きしました」
絹のような黒髪をなびかせて、くるりと振り返る。
琥珀の眼光。赤熱した角が暗闇でほのかに輝いていた。その薄明かりに照らされた表情は、少し不機嫌そうに見えた。
「ありがとう」
しかし、彼女の口から出たのは意外なセリフだった。
「紅晶石を、探してくれたんですよね。私のために」
「キエリ……」
「獣人に追われているのを見た時は『もうダメだ』と思いました。でも二人は、決して諦めなかった。こんな場所まで辿り着いてくれた」
「……」
「紅晶石はもう、目と鼻の先です……それを強く感じます」
背中を刺す、芯のある熱気。紅龍王様の熱だ。
これをずっと求めていた。涙が出るほど懐かしい。彼らがいなければ、決してここに来ることはできなかった。
「……」
キエリは自分の胸を抱く。この上なく満たされた心。その喜びを、感謝を、伝えたい。今すぐにでも。
だが、彼女は「ありがとう」と口にする以上の方法を知らなかった。
だからぎこちなく笑ってみたり、髪をいじったり、ぽかんとする二人を交互に見つめたりした。そして自分の不器用さを再認識する。人との関わりを避けてきた龍にとって、想いを伝えることは実に難しい。
「私は、あなた達を利用するつもりでした」
想いが無理なら、事実を伝えよう。
そんな少し空回った考えで、キエリは唐突な告白を始めた。
「それが紅龍王様を救う一番の方法だと……クロタコに聞かされたからです」
「クロタコが……?」
「彼女たちは未来を知っています。あのメス犬を信じるのは不服でしたが、他に方法がなかったので、仕方なく」
気温がドッと下がった。おそらく、蒼龍がこちらに気づいたのだろう。
時間がない。キエリは語調を速める。
「ナカムラ。あなたは特別な転生者です」
「……魔王、か?」
俯いたまま、彼は力無い声でそう返す。
キエリは末恐ろしいものを感じた。彼が得た情報は決して多くないはず。なのに、まさかそこまで核心に迫った推理に行きつくとは。
やはり彼は普通ではない。選ばれるべくして選ばれた。それが今は、少し心強くも思える。
「違います。魔王は死にました。初代も、二代目も」
「二代目……?」
「しかし、あなたには素質があります。魔王の器となる、素質が」
隠し事はしたくない。しかし、彼に全てを知られるわけにはいかない。
そんな葛藤に揉まれたキエリは、出せる情報を選別するので必死だった。リーフェンの疑問に答える余裕はない。
「蒼龍、自由国。いずれは聖教会もあなたを狙うでしょう。
でも、私は……決めあぐねています。あなたをどうすればいいのか。どうしたいのか、わからない」
自分が、わからない。
しかし紅龍王様は言っていた。「誰かを大切にすれば、誰かの大切になることができる」と。
その意味を今、ようやく理解することができた。
彼らが自分を助けてくれたように、自分も彼らの助けでありたいと、強く願っている。
「眼前には煌々とした使命がある。足元にはそこへと続く道がある。それでも、なぜか進むなと引き止める心がある」
彼に、歪んでほしくない。
それが、それだけが、キエリの事実。ありのままの心。
「ashe heh ett」
突風のような冷気が三人を襲う。
「長い前戯であっタ」
「く、そ……ッ!」
跪くカティアを素通りし、一点にこちらを見据える、蒼龍。
「クク! クハハハハッ! そこに居たカ、紅豚ァ――ッ!」
かの大技、di dusに平常時で匹敵するほどの氷点下。キエリが熱で防御しなければ、数秒足らずで全員が死亡していた。
そんな支配的な力が、一歩、一歩とこちらに近づく。
「あなたは、空っぽの器などではない」
キエリは振り返りすらしなかった。
その琥珀の視線は、変わらずナカムラへと注がれていた。
「誰よりも命を大切にする、心優しい……大切な仲間」
「……」
「他の何かになる必要はありません。人はあなたの値札を愛するのではなく、あなたの『ありのまま』を愛している。
あなた自身が思うよりもずっと深く、強く、愛している」
リーフェンが立ち上がり、大きく頷いた。
自分らしく、自由に生きるのがエルフのあり方だ。キエリの言葉は、間違いなくそんな彼から影響を受けたものだった。
そうやって互いに影響し合う時点で、やはり自分たちは仲間なのだろう。言語化こそできなかったものの、リーフェンはそんな考えをぼんやりと抱き、キエリの隣に立つ。
「立ちなさい、ナカムラ」
「俺は……」
「ナカムラはナカムラだよ。保護者でも、魔王でもない!」
――キィン!
剣戟の音。背中から襲いかかった釘を、蒼龍の氷の鎧が防いだ。
「あんたはお呼びじゃないんだよ、クソトカゲ。引っこんでな!」
「それは其方のことダ」
目の前で戦闘が始まる。カティアが限界なのは明らかだ。先ほどの勢いはとうに無く、劣勢に立たされていた。
「あなたならきっと、策があるはず!」
キエリは呆然とするナカムラの肩に掴み掛かった。
蒸気の白煙が昇る。熱気が肌を焼く。
「私に力を貸してください!」
紅龍として、蒼龍の死を望んだのではない。
仲間を助けたい。今は一匹の龍として、クィリェリとして、使命を忘れて仲間のために立ち上がると決めた。
「生き延びよう。僕たちで戦って、勝って、証明しよう」
「私たちには力がある。そうでしょう!」
「力……」
俺の能力は、再生。生き延びる力。
俺一人ではパッとしない。でも、リーフェンの魔法と、キエリの火力があれば……。
キエリの喝を受けて、ナカムラの脳は高速回転した。
自分一人ではなく、全員で事態を解決する方法。ブーカやローラー達と戦った時はそれができた。
だからきっと、今回もやれる。
「策は、ある……!」
ナカムラの言葉に、キエリとリーフェンは期待を膨らませた。
しかし、まだだ。
蒼龍を突破して紅晶石に辿り着く策は思いついた。でも、肝心の場所がわからない。
ナカムラはキエリを見る。彼女もそれがどこにあるのかまでは知らないようだ。リーフェンも同じだった。
悔しげに首を振る二人。その奥ではカティアが死闘を繰り広げている。体毛の隙間から見える彼女の肌は、過剰に血を失ったせいで青紫色になっていた。
「あ、あの!」
「……?」
焦る三人に、息を潜めていた彼らが声をあげた。
「この子たちなら、見つけられると、思います」
そう言いながら、ケイトは足元を指差す。そこには戦々恐々と蒼龍を見つめるケイブボアー。
「ボアーちゃんは熱に敏感だし、洞窟のことも詳しいよ……!」
両手をぐっと握るキティ。「お母さんを助けて」と目で訴える。
「ガッ――!」
そんな二人の前に、吹き飛ばされたカティアが転がった。「ひっ」と悲鳴が上がる。
二人が恐れたのは蒼龍なのか、あるいは別人のような母の姿なのか。
「どうりで匂いが薄いわけダ。哀れな紅龍。よもやその程度の熱しか出せぬ程、弱っていたとハ」
「ナカムラ……!」
「わかってる」
やるしかねえ。
ナカムラはキエリの隣に立つ。燃え上がる炎とまではいかないが、それでも暖まるには十分な熱気。寒さで停滞した血液が勢いよく循環し、キエリが、キエリ達がくれた栄養が、浸透していった。
「俺を、信じてくれるか?」
「答えるまでもなく」
「もちろん!」
ならば俺も信じてみよう。二人の信じるを模倣してみよう。それが、模倣じゃなくなる時まで。
そうすればきっと、俺は空っぽの自分から脱け出せる。
「よし……やろう」
作戦を簡潔に伝え終えたナカムラは、キエリの手を握った。無意識だった。
それに気付いたリーフェンがナカムラの手を握り、輪を作る。
「絶対生き延びるぞー!」
「えい」
「……えい」
「おー!」
三人で腕を振り上げる。
とりあえず乗ってみたナカムラだったが、迫る冷気と、それに匹敵するほど冷めたカティアの視線を前に、やらなきゃよかったと後悔した。




