第二章16 『それぞれの光』
「久方ぶりの再開だねえ」
カティアの釘に走る動脈のような刻印が、その胸の鼓動に合わせて、ドクドクと脈打つ。
「今日この時を、恋する乙女のように待ち侘びたものさ」
「……道理デ、鉄臭いわけダ」
持ち手が急激に冷たくなったのを感じ、カティアはすぐさま釘を引き抜いた。
氷爪がその残像を掻き切る。
「どうしたァ、ははッ! 動きが鈍いじゃないか!」
カティアは足裏に血刃を形成し、アイススケートの要領で氷を滑る。
仕込みは終わった。
全身の毛をブワリと逆立たせ、人差し指を、その先端にある爪を、蒼龍に向け伸ばす。
「血よ」
彼女の爪がクイと上に向き、蒼龍の体内から針のような血晶が噴き出した。
血飛沫が散り、空中で凍結して雹になる。
「グ……⁉︎」
蒼龍は目を皿にして動揺した。
決して小さくはないダメージを与えられた。それもある。しかし何より驚いたのは、カティアのその変貌ぶりだった。
ハルバードを使った近接戦が主で、血の魔法はサポート程度にしか使わなかったはず。血晶も釘も、苦悶するこちらに顔を歪ませるその残虐性も、以前のカティアとはまるで別種。
いや、あるいはそれが本性か。
蒼龍の白息が濃さを増す。
「注射器って、知ってるかい?」
釘をくるくると回し、立ち上がる蒼龍に、カティアは嘲笑うように肩を揺らした。
「あたしの釘はその技術を取り入れた特注品でね」
転生者が伝えた技術で転生者を殺す。
血を流しこみ、内側から血晶で破壊する。
そんな恐ろしい殺しの鬼を作ったのは、他でもない転生者だ。カティアの釘にはそんな思いが込められていた。
「其方の本性ハ、邪悪ダ」
「その通り。大正解だ」
憎悪。憎悪。憎悪。
血牙は憎しみを糧にする。
もう罪悪に揺れることはない。収まるところに収まったのだ。
「覚悟しな。今度のあたしは、前よりもずっと悍ましいよ」
カティアは蒼龍を睨みつつ、血の鎧の一部をナカムラに浴びせた。
「あづっ……⁉︎」
「氷は溶かしてやる。多少焼けた程度じゃ死なないんだろう?」
助けてくれるのか? そんな意味を帯びたナカムラの視線に、カティアは「あんたのためじゃない」と冷たく言い放った。
「子供たちに頼まれなかったら、見捨ててた」
「……」
「感謝することだね。特に、リーフェンには」
ナカムラは思わず表情を曇らせた。
リーフェンは自分の指示を守り、しっかり助けを呼んでくれた。なのに、俺は「邪魔だ」と彼を突き放したばかりか、「無理をしない」という約束すらも無視したのだ。彼に会わせる顔がない。
何か答えのような物を求めてカティアを見たナカムラだったが、彼女の注意はすでに蒼龍の方へと向いていた。
「さあ、ぐちゃぐちゃにしてやるよ」
地面スレスレまで身を低くする風変わりな構え方。
獣人なのも相まって、その様は威嚇する猛獣によく似ていた。
しかし、らんらんと輝く瞳には、鉄火場を心から楽しむ狂気があった。敵を痛めつける高揚に胸を躍らせる惨たらしさがあった。
彼女を目にした者は、誰しもがこう感じたことだろう。「自分の知るカティアではない」と。
「うわっ……!」
突如、木製の何かがナカムラの身柄を横から引ったくる。
それは木人形。リーフェンの魔法で作られた兵士だ。寒さへの防御手段を持たない彼が、どうにか戦闘に貢献できないかと考え抜いた末の新技だった。
ゴーレムはナカムラを担いでドスドスと氷牢を疾走し、彼を入り口にあたる洞窟まで避難させる。
「ぐっ……!」
洞窟の壁にもたれかかると、冷えた身体が急速に暖まっていくのを肌で感じた。ナカムラの視界に火花が散る。
思わず目頭を抑えようとした。が、その手はとっくに壊死して動かない。両手両足が新品の炭のように黒くなっていた。
「ナカムラ……!」
「……」
そんな彼の有様を見て、ゴーレムの帰還を待ち受けていたリーフェンが息を呑む。
転がるようにナカムラの元へと駆け寄り、黒ずんだ皮膚へ手を伸ばした。そして、その異質な感触に戦慄する。
「こんなの、ひどいよ……!」
痛くて、苦しかったことだろう。リーフェンはまるで自分が経験したかのようにそれを想像した。彼の目から涙があふれる。
「ナカムラの、嘘つき……っ!」
しかし、彼の口から出た感情は、悲しみでも恐怖でもなく、激しい怒りだった。
「逃げるって……無理しないって、言ったじゃんか! 全部嘘だったの⁉︎」
「……」
「僕を騙して、黙らせるための、嘘……!」
それは、かつてソーンがした事と同じ手口。
最初はそのつもりじゃなかった。しかしこうして結果を見ると、自分がソーンと同じ道を辿ってしまったことに気づく。
ナカムラはリーフェンの視線から逃げるように顔を背けた。不信と失望に染まっていく視線。古傷をこれでもかと刺激した。
「ナカムラはそんなことしないって、信じてたのに……!」
「……すまん」
ナカムラは素直に謝罪した。
とにかく自分は必死だったし、あれ以上の最善はなかった。そこに迷いはない。
しかし「蒼龍に一泡食わせてやりたい」と欲張った自覚もあった。キエリを引き合いに出され、空っぽの自分を指摘され、ついムキになって無理をした。
「ちゃんと、考えるべきだった」
もう一度、頭を下げる。どうかこれで許してほしいと。
「許さない……!」
しかし、リーフェンの怒りは収まらなかった。
彼の怒りの矛先はそこじゃない。もっと根元的な話だ。
「本当は気づいてたんでしょ⁉︎ ひどい目にあうってさ!」
「それは……」
「僕を守るため? だから仕方ないって、そう言うの?」
ナカムラが言い淀む。
「気づいてたよ……ナカムラが、僕を子供扱いしてるって。でもそれは事実だし、僕が弱いせいでもあるから、我慢してた」
「お前が弱いわけじゃ……!」
「弱いから守ろうとした。弱いから、僕だけ逃して、頼ってくれなかった! 違う⁉︎」
かつてないほどの怒髪天に達したリーフェン。
怒りで我を忘れた彼は、気づくことができなかった。ナカムラの目が「もうやめてくれ」と必死で訴えかけていたことを。
「僕のこと、少しも信じてない」
「……」
ナカムラは何かを言おうとした。
言い訳。謝罪。とにかく何かを言って、その事実を希釈しようとした。
「僕だけじゃない……キエリもだ。ナカムラは誰も信じてない!」
ナカムラの口から出たのはかすれた呼吸音だった。当然、リーフェンの耳には入らない。
「ナカムラにとって、僕たちは仲良しどころか、仲間ですらないんだ」
「……違う」
「助け合うのが仲間でしょ⁉︎ こんな風に一方的に守られるだけなんて、まるで足手まとい……!」
「違う!」
張り裂ける、怒鳴り声。
リーフェンはようやくハッとした。
「違う違う違う! やめろ黙れ! 黙ってくれ!」
「……ナカムラ?」
「クソッ……違う! どうしてわかってくれない⁉︎ こんな異世界に来てまで、俺を……!」
俺は前とは違う。無意味に生きていた空っぽじゃない。生きる目標と、力と、歴史がある。別人に生まれ変わったんだ。
なのになんで、お前まで……!
「そんな、何もない人間みたいに……」
違う。誰も信じてないわけじゃない。
俺は保護者で……だから、守ろうとしただけなんだ。
「泣いてる、の……?」
「…………」
ナカムラの言い訳は、やはり言葉にならなかった。
「ぼ、僕……その……」
それより先に、脳が別の真実に気づいてしまった。
俺は保護者なんかじゃない。
それは俺が勝手に決めただけで、誰かから「なってくれ」とハッキリ頼まれたわけじゃない。
模倣したんだ。
独りぼっちだった俺には、「仲間」の教科書がなかった。でも、「保護者」の教科書だけはあった。
だからリーフェンの気持ちを無視して、模倣しやすい保護者を演じることにした。俺は教科書の模倣しかできない。キエリの技を真似したり、親父がしてくれたことをなぞることしかできない。
『なんか、何もないんだな、お前って』
「あ……ああ゙っ……!」
いやだ。信じたくない。
「……」
ぽっきりと折れて、胸の奥にすとりと落ちた。そんな感覚がした。
「俺は……空っぽだ」
彼が前世でかけられた呪いは強力だった。
客観的に見れば、ナカムラは決して無能な男ではない。むしろ優秀だ。頭がいいし、飲み込みも早い。だが、一位と呼べるほどかと言われると、そんなことは全くなかった。
そんな中途半端に優れた能力が、かつての彼に「自分には何かある」という過分な理想を与え、今は「何もない」という強力な絶望を生んでいた。
絶望。挫折。
二度目のそれは、彼の思い込みを確信に変える。
「俺には何もない! 自分がない。心がない。オリジナリティがない。アイデンティティがない! 何もない。何もない!」
「っ、そんなこと……!」
「わかってる……お前が伝えたかったのは、そんなことじゃない。でも、思い出したんだ」
「違う! ナカムラは空っぽなんかじゃない!」
リーフェンの言葉は届かない。
「お前が、眩しかった……! 自分を偽らなくても、ありのままで美しくいれるお前が、眩しくてたまらなかった。
だからお前を守りたかった。俺は空っぽでも、誰かの輝きの盾ぐらいにはなれるから」
青紫の皮膚に、うっすらと赤みが差し始める。ナカムラの望みに呼応して、体が再生を始めたのだ。
しかし、リーフェンはそれが吉兆ではなく、むしろ自殺行為であるとすぐさま理解した。
「栄養が……!」
再生する手足と反対に、彼の生気はぞっとするほど失われていく。
「俺も戦う。カティアだけじゃ勝てない」
「やめて! このままじゃ餓え死にするだけだ!」
「もういい。どれだけ足掻いても無意味なんだ。俺は結局、お前みたいになれないから」
何がナカムラをそうさせるのか。自分の言葉が、どうして彼をここまで追い込んでしまったのか。
リーフェンは知る由もない。彼が知っているのは「保護者」という模倣の皮を被ったナカムラで、本当のナカムラではなかったからだ。
「僕が、間違ってた……!」
リーフェンは初めて気づいた。大人も全能ではないと。
子供と同じぐらい悩んで、迷っているのだと。
それでも、ナカムラはナカムラなりに自分と向き合ってくれていた。彼だって本当は精一杯だったんだ。その優しさに甘えた。
『お前は弱い、リーフェン』
「っ……!」
みるみる餓死へ直行していくナカムラを前に、心のミストがリーフェンの肩を撫でた。
ほら見たことか。黙って従っておけば、こうはならなかった。お前のせいだ。
リーフェンを絶望の淵に誘っていく。
「違う――ッ!」
だが、リーフェンは知っている。
唯一、これだけは知っている。
「ナカムラは空っぽじゃない!」
「……」
「だって、生き延びる喜びを知ってる! それを僕に教えてくれたじゃんか!」
それは、確かにナカムラの芯から出た言葉だ。
この世界に来て、初めて手に入れた、模倣ではない自分だけの何か。
「弱くても、失敗しても、きっと犠牲に報いてくれる誰かがいる。だから僕は怖くなくなった。ナカムラがいれば、怖くない……!」
あの時ローラーに立ち向かったナカムラは、何よりも輝いて見えた。ナカムラと同じように、リーフェンも彼に眩しさを感じていたのだ。
だから、どうしても認めて欲しかった。
「でも本当は、こう言うべきだった」
深呼吸。壊れそうな口角を、ぎゅっと上げる。
「僕、ナカムラのおかげで、すっごく救われたんだ」
「……!」
「その恩返しがしたいんだ……大好きなナカムラに、ありがとうって……!」
リーフェンは子供だ。無知ゆえに、自分の言葉の威力を理解せず口にする。
素直で、嘘偽りのない言葉。
無神経な大人の口からぽっと出た一言とはレベルが違う。
「俺は……!」
『なんか、何もないんだな、お前って』
まだ胸を締め付ける。模造品の自負は根深い。だが確かに、その言葉を上書きする何かを手に入れた気がした。
「ぁ……」
彼は口を開く。飽和した感情をパンク寸前で吐き出すために。
その隙を、逃さなかった。
ナカムラが口を開けた隙。それを、虎視眈々と狙う一つの影があった。
リーフェンはあえて見逃していた。
しかしそれが動いた今、彼は顎が外れそうなほど驚愕することとなる。
「うっ――⁉︎」
暗闇からにゅっと手が伸びて、彼の顔を掴む。
そのままグリンと横に向け、口の中にどろりとした何かを流し込む。
「…………」
「…………」
「わ……」
数秒、静寂。
いや、実際はけたたましい戦闘音が響いていたが、誰の耳にも入らなかった。
熱。閃光が走らんばかりの刺激を脳へと与える。
心臓が跳ね回る。眼球が回転する。
「ヴァ――っ⁉︎」
跳ねるように後退し、謎の声を漏らしながら地面に倒れる。
ナカムラはこの感覚を知っていた。
しかし以前と違うのは、喉奥へと押し込まれた何かの存在と、その相手。
「ゲホッ! ゴホッゴホッ!」
咳き込むこちらをやや不満そうに見下ろす、角女。肉付きのいい太もも。
「……キスじゃないですよ」
彼女は口を拭い、そんな聞いてもないことを誰ともなしに呟いた。




