第二章13 『凍(とう)』
「あっつ……」
「ほんと、溶けちゃいそう……」
二人に案内されて入った洞窟は、まるでサウナのような熱苦しさだった。
せっかく風呂に入ったのに、今やもう汗だくだ。先ほどの小ざっぱりした気分が遠い昔のように感じる。
「僕の体がびっくりしてるよ。『あれれ? いったい外はどうなってるんだ?』って」
実にリーフェンらしい独特な言い回しだが、その気持ちはよくわかる。
ついさっきまで寒さに震えていたと思えば、今度は灼熱の洞窟サウナだ。急激な気温の変化に体がついて行けてない。感覚がバグってしまう。
「もう。しっかりしてよ、魔道士さん」
「仕方ないよキティ。僕たちは慣れてるけど、魔道士さんはそうじゃないからね」
もはや「魔道士さん」呼びになった二人は、先行するケイブボアーの群れを器用に操り、平地とほぼ変わらない速さで奥へと進んでいく。
ケイブボアーの発光する体はランタンの代わりにもなっているようで、本来ならまっ暗なはずの洞窟内も、彼らのおかげで足元が見えるぐらいは明るい。
「ムゥ!」
元気な鳴き声だ。
この高温多湿な環境では天敵もいないし、熱に強い彼らにとっては住み良い場所なのだろう。なんとも羨ましい話だ。俺も灼熱洞窟に住める体だったらな。
壁面にはきくらげみたいなキノコがビッシリと生えていて、ケイブボアーたちはそれを一心不乱に食していた。これが洞窟キノコらしい。イノシシのような牙は、キノコを噛み砕くためのものだったようだ。
「そういえばさ、入った時に比べて光が強くなってない?」
「熱いところだと、光も強くなるんですよ。不思議ですよね」
光合成みたいに、熱からエネルギーを摂取しているのだろうか……。
俺は生物専門じゃないからよくわからないな。
異世界独特の進化を遂げた動物。それを中心に動く、異世界独特の文化。
何から何まで目新しいし、そこには意外と合理的な理由があったりして、やはり面白い。
魔王に滅ぼされる前から、獣人族はこんな暮らしをしていたのだろうか……
「そういえば、二人は魔王って知ってるか?」
「えっ?」
思いつきで出した質問に、まずリーフェンが反応した。
何か言いたそうにこちらを見つめてきたので、「どうした?」と尋ねると、彼は「いや、べつに」と言って前を向く。
本心では止めたいのだろうが、彼はキエリと「魔王について教えない」約束をしただけで、「知るのを防ぐ」約束をしたわけではない。少し悪い気はしたが、ここは遠慮なくいかせてもらう。
「魔王はすっごく悪い人だって、聞いたよ」
「史上最悪の転生者だとか。怖いですよね」
二人も知ってはいるらしい。まあ当然か。
「……二人は、やっぱり転生者のこと嫌いか?」
「うーん……嫌いかと言うと、よくわかりません」
「会ったことないもん」
意外な反応だな。
カティアがあんな感じだから、凄まじく嫌ってるのかと思ったが……サニとレインみたく、子供は知ったこっちゃないのスタンスなのだろうか。
「お母さんはいちおう転生者を嫌ってるみたいだけど」
「……いちおう?」
「昔、聖教会の騎士だったんです」
「すうみつ? か何かの、席騎士だったんだよ。すごいでしょ!」
マジか。そんなすげえ人だったんだ。
というか崇密って、ローラーがいる騎士団だよな。あいつの先代ってことか?
あんな悍ましいことやってる騎士団に、カティアが……? だとしたらかなり許せないが、俄かに信じがたい物がある。
「でも、崇密騎士団はかなり過酷だったみたいです」
「そうなのか? 」
「詳しく教えてくれませんでしたけど……とにかく、あの時のことを思い出して、お母さんはすごく辛そうにしてました。それで転生者に少し複雑な気持ちなんだと思います」
「お母さん……たまに夜中に起きて、一人で泣いてるんだぁ」
……ああ、なるほど。
あの時のカティアの目つきと、態度の意味がようやくわかった。
ローラーが罪の意識に苛まれたように、カティアも崇伐に対して強い罪悪感を抱いていたのか。だから転生者を憎む一方で、憎み切ることができなかった。
今の崇密の団長が、十代半ば程の少年だと知ったら……カティアはどんな顔をするのだろうか。ひょっとしたら知っているのかもしれないが。
聖教会の悍ましさは、席騎士だけが全てではないのかもしれない。
日の出を見つめて呆然とするローラーの姿を思い出し、不意にそんなことを考えた。
「……?」
突然、リーフェンの足が止まる。
どうした? その「ど」を口にして俺も止まる。
寒気。
わけがわからなかった。先ほどまでは汗が止まらないほどの暑さだったのに、なぜか急に、素肌の全面に氷を当てられたかのような感覚がした。
いや、違う。
これは寒気じゃない。寒いんだ。
「ケイト! キティ!」
急激に気温が下がっている。
リーフェンが走り出し、二人に飛びついた。俺もすぐさま横に退避する。
――ピィン!
針を弾いたような、甲高い謎の音。
気温が肩にのしかかるほどドッと下がり、青白い閃光が走り抜ける。
「避けたカ。矮小な人間にしては頑張った方ダ」
小さな氷塊がパラパラと落ちてくる。通路の遥か遠くからは、とつとつとして不安定な男の声。
「疾く、来るが好イ」
ケイブボアーが逃げてしまったので、通路の奥はおろか、手前の景色すらも暗くて見えない。
しかしよく目を凝らすと、少し先の岩陰に、モゾモゾと動く複数の人影が見えた。
ライターを取り出して火をつける。
「……!」
やはりリーフェンたちだった。口に手を当てて息を殺し、血の気が引いたような顔をしている。だが、特に怪我をしている様子はない。
よかった……ひとまず無事か。
彼らも光に気づいたようで、安堵の白息を吐きながらこちらを向いた。
しかし、その顔がまた恐怖に染まる。リーフェンは慌てて二人の目を隠した。
何かあったのかと背後を見るが、深淵のような暗闇が広がっているだけだ。声がした方からも動きはない。リーフェンは何かを伝えようと、必死に口をパクパクさせていた。
もう一度周囲を確認するため、俺は四つん這いの姿勢から起きあがろうとする。
「……」
そこで気づく。
無い。
左腕が無くなっている。
横を見ると、真っ白の肉塊……千切れた俺の左腕が落ちていた。その表面は霜で覆われていて、血も肉もカチコチに凍っている。
「ッ……!」
二の腕のあたりから、張り付くような刺激が遅れてやってきた。火傷に似ているが別種の痛みだ。
また左かよ。
そう愚痴りつつ、傷口の霜をライターで溶かす。おそらく冷凍ビームみたいなのを浴びた。元理系としては「なワケあるか」と言いたいところだが、閃光の感じがまんま冷凍ビームだった。
「来イ」
再び声。
「疾く、疾ク。吾の気は長くなイ」
また、ズンと気温が下がる。
顔を動かすと、パリッと音がして、氷の粒が落ちてきた。おそらく汗だ。凍った汗。
「ど、どうしよう?」
「……行くしかない」
このまま引き返したら、またさっきの攻撃が来る。この低気温はその予兆だろう。
子供たちを巻き込むわけにはいかない。震える彼らの頭に「大丈夫だ」と手を置いてから、リーフェンに彼らを逃すよう指示する。
「俺一人で行く」
「そんな……ダメだよ!」
「時間を稼ぐだけだ。すぐに戻る」
「せめて一緒に逃げよう。すごい流れを感じるんだ……あんなの、敵うわけない!」
「だから助けを呼んできてくれ」
「じゃあ、僕も……」
「黙って言うことを聞け!」
時間がない。気温はみるみる下がっていく。
「まともな人間が生きられる気温じゃねえ……! 数分足らずで凍傷だ。お前の腕は千切れたら元通りになんのか⁉︎」
早くしないと次が来る。
その焦りが、必要以上に俺の語気を荒立たせた。
暗闇でリーフェンの顔がよく見えない。見えていたら言い方も変わったのかもしれない。
「良心で動く前に、頭を使えよ」
「っ……!」
「お前が来ても凍死するだけだ。だからとっとと行け!」
ああ、情けない。なにが保護者だ。俺は冷静さを失って、手段や言葉を選ばなくなってしまった。
リーフェンの傷ついた顔が目に浮かび、それが俺にブレーキをかけた。しかしほんの一瞬だった。命がかかった状況を前に、俺は感情をかなぐり捨てて彼の背中を突き飛ばした。
そして、その反応を確認せずに走り出す。
彼なら気配を消して逃げられる。危険が来ても先ほどのように察知し、子供たちを守ることができる。しかも俺より足が速い。
これは合理的な判断だ。
今は心よりも、そちらの方が大切。俺は間違ってない。正しいことをした。
そんな言い訳じみたことを考えてる時点で、俺もとっくに感情的になっていたのだろう。
しかし反省する暇はなかった。
荒くなった吐息が視界を埋めるほど濃くなり、壁面のキノコが無くなり、やがて分厚い氷壁に衝突する。
向こう側がやけに明るい。そこに件の敵がいる。
「一人、カ……どうやら、只人ではないナ」
走って暖まった体が、急速に冷えていく。鼻をすすると凍った鼻水が逆流し、思わず咳き込んでしまった。
「好イ。面白そうダ。逃げた方は後回しにしよウ」
そう声がして、こちらを出迎えるように、あるいは嘲笑うように、氷壁がぱっくりと二つに割れた。
「……」
中はコンサート会場のように広々としていて、床、壁、天井、全てが氷漬けになっていた。かなり美しい光景だが、そこを満たす空気は殺意を感じるほど冷たい。
「精悍な顔立ちダ。覇気に欠けるガ、嫌いではなイ」
その中央。霜の煙に包まれて佇む、一人の男。
年は俺と同じくらい。細身の優男だった。
零度を遥かに下回るこの氷牢内で、上裸に腰布という不自然すぎる装い。しかし寒さに震えてはいない。むしろ活き活きとしている。
その額には、一本の角。濃厚な白煙を放っていた。
「それで……お茶でも振る舞ってくれるのか?」
「おうとモ。氷をたらふく喰わせてやル」
「争う気は、ないんだけどな」
寒さからか、恐れからか、口が痙攣してうまく話せない。
なんとなく、相手の正体がわかってしまった。
「眠ケ覚まシだ。それに……クク。其方は、匂ウ」
「……」
「豚小屋の匂いダ。紅の、匂イィ……」
真っ黒の目を見開き、それを憎悪と殺意でより黒々とさせる。
蒼白の覇気。
「la k er ashe」




