第二章11 『罪』
「そろそろ頭冷えた? カティアちゃん」
「カティアちゃんって呼ぶんじゃないよ!」
「はっはっは。元気やなあ」
煙を吐きながらふざけるクロタコに、カティアは苛立ちを隠さずがなり立てた。
「なあ、カティア……さすがに箱庭はどうしようもないって」
「おとなしく降参しとこうぜ」
仲間が両脇からカティアをなだめるが、彼女はその手を乱暴に振り払う。
先ほどの大敗北は獣人たちの戦意を大きく削ぎ落とした。耳を垂れ、諦めと服従の空気が彼らの間に蔓延していた。
しかし、その光景が逆にカティアの憎しみを刺激した。こんな形で終わってたまるか。獣人の怒りはこの程度ではないと己を鼓舞させた。
「軟弱どもが……勝手にやっときな!」
魔王に殺された獣人たちの、死体の山。
なぜ、どうして。混乱の中で彼らは死んだ。理由もわからず殺された。小さな頃から、そんな歴史書を食い入るように読み漁ってきた。
憎しみを培ってきた。転生者への憎しみ。
その血に刻まれた憎悪で、魔法が使えないという種族の壁すら突破したのだ。
「あたしは……転生者に屈しない!」
「ええやんそのセリフ」
睨み上げるカティアに、クロタコは恐ろしく残虐な笑みを浮かべた。
「そそる」
ゾワッ
カティアの毛が逆立つ。
「さすが、聖教会の騎士サマやっただけはある」
その話が出た途端、カティアの顔から力が抜ける。怯えたような表情。
「っ……」
逃げるように視線を下に向ける。
クロタコの嗜虐心は加速した。
「哀れなカティア。牙の折れた血牙。魔王を殺した英雄やのに、闇に葬られて消えてしまった。本人すらも自覚はない」
「だから、いったいなんの……!」
こいつは、全てを知っている。表だけでなく、裏の顔ですらも。
じわじわとそれに気づく。今や、この場で最も逃げ出したくなる衝動と戦っていたのは、カティアに他ならなかった。
「カティア・ペグ・フランメール」
頭蓋を砕くような衝撃。カティアは思わずのけぞった。クロタコの口撃は勢いを増す。
「七席騎士議会、第五席。元崇密騎士団団長」
「……ッ!」
「突然姿を消したと思ったら、こんな山奥に隠れてたとはなあ」
「や、やめろ……」
絶対にやめない。クロタコはさらに詰め寄る。
「子供もいるんやろ? 驚きやわ。ぎょうさん転生者を殺したくせに、のうのうと平和な母親を演じれるなんて」
「やめてくれ……っ、やめてくれ!」
「今の崇密の団長が誰か、知ってる?」
――バギャン!
カティアの横から飛び出てきた爪が、クロタコの鼻先で止まる。
「おい……特付き」
「……」
「てめぇ、何がしたいんだ? あ?」
再び殺気立つ獣人たち。
カティアの前に立ち塞がるように並び、クロタコへ貫くような炯眼を浴びせる。
「崇密のカティアは、もういねぇんだよ」
「へえ……冷酷非道な殺人鬼でも、全てが終わったら人間に戻れるんや」
そんなわけがない。そんなことは許されない。
「ずいぶん、虫のいい話やな」
――ズガッ!
クロタコの頭にブーカの肘鉄が振り下ろされる。
「いやー、ワルイワルイ! こいつ性格悪いんだよマジで!」
「コニーたちがキツく言っとくにゃ! 気にしないでほしいにゃ!」
ぽかんとする獣人たちに、コニーが「ちょっとだけ待つにゃ!」と言い、その間にブーカは蹴りでクロタコを転がして遠くにやる。
「おい、なにしてくれてんだゲボ野郎」
「なに意味わかんねえ挑発してるにゃ! 頭おかしくなったにゃ⁉︎ 」
「ひどいなあ。殴ることないやん」
ブーカに胸ぐらを掴まれてブンブン振り回されようと、クロタコは一ミリも動じない。腹立たしいほどの無表情だ。
「ヒドいのはそっちにゃ。もう席騎士じゃないのに、あんな言い方は可哀想にゃ!」
「降参した相手をブジョクするなんて戦士のやることじゃねえ」
「そうにゃ! ブーカが珍しくいいこと言ったにゃ!」
「おい」
コントじみたやり取りを交わす二人に、クロタコは無表情のまま手を上げる。
「侮辱やない。復讐や」
「復讐」と口にしたあたりで、クロタコの声がワントーン落ちる。
作った顔ではない。心からの無表情。コニーはおろか、ブーカですら思わず動きを止めた。
「あいつには、最も大切な人を奪れた。それに……わかるやろ? うちら転生者にとって、崇密の席騎士がどれほど憎い存在か」
「…………」
「……そ、それは」
言うまでもなく知っている。
コニーは、はだけたワイシャツの隙間から見える無数の傷跡を目にして、複雑な感情で口を結んだ。
クロタコの体には大量の傷跡がある。半分は元いた世界の戦争でついた傷。もう半分は、この世界の収容所でつけられた傷だ。
「魔王が死んでも憎まれるうちらが、元席騎士を憎んだらあかん道理がどこにある?」
うちは、勇者サマやない。
滅多に素の感情を表に出さないクロタコが、初めて憎悪を剥き出しにした。
しかしその憎悪は、聖教会よりも、カティアよりも、まず自分自身へと向いている。なぜかそんな風に見えた。
「罪も、恨みも、決して消えへん……魂に残る」
「クロタコ……」
居た堪れなくなったコニーが口を開いたが、何を言うべきか分からず、それを閉じる。クロタコとの付き合いが最も長いコニーとて、彼女の全てを知っているわけではなかった。
その代わりに、透明な壁に手をついたカティアが口を開いた。
「あんたの、言う通りだよ」
全員がそちらに顔を向ける。
「今のあたしは、ただの腑抜けだ。人を傷つけるのが怖くなっちまったのさ」
「カティア……!」
先ほど彼女を庇った獣人が手を伸ばしたが、カティアはそれを空中で叩き落とす。
「世界には、いろんな転生者がやってくる。大人も……」
「…………」
「子供も……ッ!」
助けて、助けてと。か細い声をあげていた。
ゆるして、どうして。流れる血を見て、身震いしていた。
最後に伸ばした私の指を、小さな、手で……握った。
キティとちょうど、同じ年ぐらいの……女の子。
「毎晩、あの子の顔を思い出す」
「……」
「何も悪いことなんてしてなかった。望んでここに来たわけでも、望んで転生者になったわけでもないのに、あたしはッ……!」
パキッと、透明の壁に亀裂が走る。
「殺したんだ……あんなのは崇伐じゃない! あたしは子供を殺した! 殺人鬼になっちまったんだ!」
それは……。
そこまで考えて、クロタコは自分の胸に蓋をした。
「一族の血に縋りついて、自分が間違ってなかったって……バカみたいに言い聞かせてた。最後の仕事をやって、逃げるように聖教会を辞めた。
でも、罪は決して消えない。魂に残ってる」
壁の亀裂を爪の先でなぞり、ゆっくりと、カティアは崩れ落ちていく。そして千切れそうなほど強く自分の胸を握った。そこは、かつて逆十字のロザリオがあった場所だった。
「もう、崇伐が正しいのかすら、わからなくなってきた。あんな子供をあたしの後釜にするような組織が、正しいなんて……ッ!」
ローラー・ペグ・ロイギラファ。
釘の名を継いだ彼を、カティアは知らない。
声も、顔も、想いも、何も知らない。
知りたくない。今までずっと、目を背けてきた。
「あたしはもう……何者でもない。亡霊だ」
崇伐。崇貴なる者を、伐する。
その罪はたった一人で抱え込める物ではない。崇密にとって最大の敵は、転生者ではない。
「魔法も弱くなって、今じゃ、夫の仇すらとってやれない」
「……仇?」
ここに来て、クロタコが唐突に口を開く。
「仇って、なんや」
嫌な予感がした。
こういう時の勘は、驚くほどよく当たる。彼女はそれを理解していた。全ての感情を吹き飛ばし、顔面を戦慄の一色に染め上げるほどに。
「そいつはどこにいる⁉︎」
「な、なんでそんな……」
「いいから答えろ!」
「……近くの、洞窟だよ。紅晶石がある、洞窟」
嫌な予感が理路整然とした推測になり、やがて確信に変わった。
「去年あたりから、住みつき始めたんだ。一度挑んだけど……勝てなかった」
もはや、そんな情報などどうでもいい。クロタコは視界がぐらりとする感覚に耐えつつ、「何に?」と疑問を口にした。
「――だ」
「嘘……やろ」
そして、とうとう崩れ落ちる。
紅晶石の近くに住み着いた、という話を聞いた時点で、なんとなく察してはいた。
勝てるわけがない。
それは、彼らの残機があと百個ずつあっても足りないほどの相手。
「ブーカ――ッッ!」
彼女は既に走り出していた。キエリをひっ掴み、瞬間移動のように消失、続けてクロタコの前に出現する。
「三人いけるか?」
「あたしを誰だと思ってんだ」
そんな短いやり取りを交わし、ブーカは右脇にキエリ、背中にクロタコ、左脇に混乱するカティアを抱える。
「サイキョーのドワーフ……ブーカ様だぞッ!」
唖然とする獣人たちの前に、そんな捨て台詞と、顔を叩くような突風だけが残った。




