第二章8 『言うタイミングが無かったから』
「はぁ……」
生き返る。
人は風呂にはいると、こぞってそんなセリフを使いがちだ。ずっと意味がわからなかったが、今ならその「生き返る」というのが、どういうものなのかも理解できる。
まるで溶けていくかのような気分だ。
湯に体を入れた途端、足先からジワっとした熱が広がっていき、血液がものすごい勢いで全身をかけ巡る。汚物まみれで震えていたのが、まるで遠い昔のようだった。
「湯加減はいかがですか、人間さん」
「最高だ……景色もいいし、ここは天国だな」
視線を遮る柵などはなく、露天風呂の前面には見渡す限りの山々が広がっていた。
景色はいいが、やはり人目が気になる。毛むくじゃらの獣人たちは、裸を見られても特に気にしないのだろうか。
「てんごく……? は、よくわからないけど、おじさんが気に入ってくれたなら、わたしも嬉しい」
えへへと可愛らしく笑う、獣人の少女。名前はキティというらしい。
見た目からして小学生ぐらいなので、彼女も男風呂に入っている。
「おじさん……せめて、お兄さんにしてくれよ」
「そうだよ、キティ。失礼じゃんか」
礼儀正しい獣人の少年、ケイトは、キティに優しく注意する。
予想通り、二人はカティアの子供たちだった。偶然の巡り合わせとは恐ろしいものだ。
彼らは朝早くから村の外で家畜の世話をしていたらしく、大人たちが揉めていることなどつゆも知らない。俺のことは、いまだに「お母さんが助けた謎の商人さん」だと思っている。
しかし、さすがはカティアの子供だ。兄のケイトは特にそうだが、二人ともしっかりしている。どこかのエルフの双子に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。あれはあれで可愛いような気もするが。
「おじさんは、お風呂に入りに来たの?」
サニとレインの顔を思い浮かべていると、お湯をバシャバシャさせながらキティが近寄ってくる。
「……お兄さんは、用事のついでに寄っただけだが、二人はどうなんだ?」
「僕たちも似たような感じですね」
「わたしたちはね、お風呂に入らせに来たんだよ」
「入らせるって……何を?」
そう聞き返すと、二人は口を揃えて「あの子たちを」と脱衣所の方を指さす。
「ムゥー」
そこには、体の所々が緑色に発光した、奇妙なイノシシ。
彼らが連れていた家畜だ。たしか名前は……。
「ケイブボアー?」
「そう。ボアーちゃん」
「イノシシが、風呂に入るのか?」
「そうだよ。ほら」
キティが手を鳴らすと、ケイブボアーたちは脱衣所の中から我先に飛びだし、続々と湯の中に侵入してくる。
「ここは家畜用の風呂も兼ねてますから」
「へえ……」
「ムゥ〜」
最初はぎょっとしたが、気持ちよさそうに風呂に入る姿は、カピパラみたいでちょっとかわいい。
しかし不思議な動物だ。風呂が好きな動物なんて、カピパラかニホンザルぐらいしか知らない。ケイブボアーは綺麗好きなのだろうか。
「この子たちはね、寒さが苦手なんだよ」
「雪山にいるのに?」
「体に熱を溜めこんで寒さに耐えるんですよ。だからこうしてお風呂に入れて、熱を補充させないとあげないと、弱っちゃうんです」
「明るい場所も苦手なんだ。だから、ふだんは黒いテントの中にいるの」
村にあった黒テントは、ケイブボアーの家畜小屋だったのか。なるほどなあ。
なぜか近くに集まってくる彼らを、何の気なしに撫でてみる。「ムゥ」と喉を鳴らす姿は、やはり意外とかわいい。
「すごい……!」
「え?」
「初めてなのに、もう撫でさせてもらえるの?」
「いつもなら撫でるどころか、近寄ることすらできないんですよ。人間さんは気に入られたみたいですね」
そうなのか。それは、ちょっと嬉しいな。
世界中の人間から嫌われまくってる俺でも、動物には好かれるらしい。
「ねぇー! ナカ……フレイー!」
隣の柵からリーフェンの声。いい加減、一人で黙っているのも飽きたのだろう。そういえばそんな偽名だったな、などと考えつつ、風呂を上がる。
ちなみに、リーフェンは男風呂にはいない。女風呂にもいない。
エルフ風呂だ。
エルフ専用風呂。
男風呂、女風呂に並んで、エルフ風呂が用意されていたのだ。
当然、俺は聞いた。「なぜエルフ風呂なる物があるのか?」と。
するとリーフェンは平気な顔で答えた。「エルフは大人になるまで性別が決まらないからね」と。
衝撃の新事実。リーフェンは男でも女でもなかったのだ。
しかし、そう言われてみれば、たしかにリーフェンの裸は見たことがない。なんとなく「見たらマズい」と思って見ないようにしていた。
エルフは中性的な種族で、リーフェンも例に漏れず、男にも女にも見えたからだ。
しかし、まさかマジで「中性」という性別だとは思わなかった。
いちおう男寄りではあるが、まだどちらかは確定してない。リアルガチの中性だ。これから女になることも全然あり得るらしい。
それを知った俺の衝撃たるや、凄まじいものだった。
宇宙。
そう、まるで宇宙にいるような感覚。
あまりの衝撃に魂が吹き飛ばされ、大気圏を突破した。中性という多様性の権化みたいな性別に、ダイバーシティなユニバースを感じていた。
しかし、俺の宇宙旅行は短かった。
リーフェンはリーフェンだ。男だろうが女だろうが関係ない。
保護者としてどう接すればいいのか。具体的に、その……アレはどうなってるのか。などなど、気になることは山ほどある。
だが、リーフェンはリーフェンだ。
俺の能力は再生、もとい、自分の体を元通りにする能力。
それは心の乱れですらも元通りにできる。本来なら大パニックになる出来事も、「冷静でいたい!」と強く願えば、すぐさま落ち着くことができるのだ。
やはり便利だな、再生能力。手のひら返しばかりで申し訳ないが。
「いやー、気持ちよかったね。お風呂!」
「そうだな」
外に出ると、待ち構えていたかのようにリーフェンが走り寄ってきた。相変わらず距離が近い。
「二人は?」
「もうじき出てくると思う」
「じゃあ紅晶石の話はそこで……ナカムラ?」
「ん?」
リーフェンが一歩近づいたので、一歩後ずさる。
「…………」
「…………」
ギュンと接近。
流れを消したのか、音も、予備動作らしきものも感じなかった。
俺は地面を蹴ってさらに後退する。
「……なんで、離れるの?」
「…………」
「僕のこと、嫌いになった?」
「そんなことはない」
一歩後退。
二歩、三歩。やがて走り出す。
「逃げてるじゃん!」
「いいかリーフェン、人にはパーソナルスペースというのがあってだな……」
「知らないそんなの! 初めて言われたし!」
自分では冷静なつもりだったが、リーフェンのバグり切った距離感がつい気になってしまった。再生能力で落ち着いたのは、ただの気休めに過ぎなかったらしい。
やっぱダメだな、再生能力。
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