第二章6 『あーもう散々だ』
「待てゴルァ!」
「ぶっ殺す!」
テントの隙間を右へ曲がり、左へ曲がり、殺気だつ咆哮を背中にひた走る。
「くっ」
しかし飛び出た場所は、あろうことか獣人たちの真正面だった。おそらく待ち伏せされていたのだろう。
「火よ!」
即座に魔法を唱える。ジッポーから縄のように炎を伸ばし、それを群衆の隙間にたたき降ろした。
「グゥッ、近づけない!」
「なんて高度な魔法をォ……」
広がったその隙間をかい潜り、でたらめな逃走を再開する。
「景色が、同じすぎて……!」
どこに向かって進んでいるのか、全く検討がつかない。
どこもかしこも真っ白なテントだらけだ。ずっと同じ場所をグルグルしてる気分だった。
「ゔぇぇ〜! ごべんなさいぃ〜!」
なんか肩が濡れてるなと思ったら、背中のリーフェンが目を覚ましたようだ。
「もう起きたことは仕方ねえ! 切り替えるぞ!」
「でもぉ……でもぉ!」
「とりあえず自分で走ってくれねえかな⁉︎」
「そう、したいんだけどぉ……ゔ、オエェェ」
「うわぁーー! 背中で吐くなぁ!」
もうムチャクチャだ。全身、スープだの汗だの涙だのゲロだの……とにかくきったねえ液体まみれ。逃げるとか以前に風呂入りたい。そんな気分だった。
「うっ、ナカムラ、前」
「前⁉︎ 前がなんだ!」
「とまって……ぁ、オロロロロ」
また背中に生暖かい感触が広がり、思わず悲鳴をあげそうになった、その瞬間。
「グルァッ!」
テントの隙間から巨大な狼……いや、獣人!
「やっば……!」
ようやく「とまって」の意味を理解した俺だが、もう遅い。飛びかかる獣人の動きは正確に俺を捉えていた。
かかとで急ブレーキをかけるが、地面を滑るだけに終わり、速度は全く落ち……
「え」
いや、落ちた。俺が。
牙を剥いたケモノ顔がゆっくりと下降していき、次に空が見える。足にぬちゃっとした感覚。
――ゲロ踏んで、滑った!
気温は氷点下。地面はところどころ凍っている。その上でドロドロのゲロを踏んだものだから……アレみたいになったんだ。
ほらあの、なんとか現象。なんだっけな。自動車教習所で教わるやつだよ。
あ、思い出した。たしかハイドロプレーニングげんしょ……
「ヴッ!」
後頭部を強打。
そんなこと考える場合か。何やってんだ俺は。
眼前を通過した獣人はガシャァン! と音を立てて木箱に頭からつっこみ、砂埃と木片が宙を舞った。
俺は痛みで「ヴッ!」と悲鳴をあげた……のかと思ったが、それは俺のではなかったらしい。
「あ……ゔ」
リーフェン。
背負っていたリーフェンがクッションになり、その衝撃を前後から一身に受けた。
「オ、オえぇ……」
何を、とは言わないが、噴水のように上空へ噴き出す。
酸っぱい臭い。
干し肉みたいな、キノコの破片。木片。
テレビのモザイクみたいなキラキラ。
「…………」
俺は、それらを全身に浴びる。濡れた服に地面の砂が付着し、次にゲロを浴び、その上を木片がコーティングしていく。
揚げ物になった気分だった。
「……なに、してるんですか」
横から声。そこに目を向ける。
「なにを、どうしたら、そうなるんですか?」
「ぷっ……!」
呆然とするキエリ、崩顔するクロタコ。なぜか二人が一緒になって、こちらを見つめていた。
「あそこだ、殺せェ!」
「倒れてるぞ! 今なら殺れる!」
獣人たちの唸り声が近づく。最初は数人だった彼らが、いつの間にか数十人ほどまで増えていた。
「た、助けて……」
考えるより先に、そんな言葉が口をついて出た。
助けようとした相手に、今や助けを求めていた。
「…………」
しかし、キエリの顔はふっと横を向く。あれは「私、知りません」の表情。
「あの野郎ッ……!」
――パァン!
文句を言おうと口を開けたタイミングで銃声が響き渡った。それに続き、土を蹴る音や動揺の声が広がる。
その場の全員が驚きを持って見つめる先には、頬を膨らませた黒スーツ美女、クロタコ。
片手には硝煙が立ち上るハンドガンが握られていた。
「はははっ! あはははっ! いやほんま、なんでそんなことなんの⁉︎」
「知らねえよ! もう誰でもいいから助けてくれ!」
「あかんっ……! ちょ待って。わかったからこっち見んといて! あはははは!」
抱腹絶倒でも銃口が一切ブレないのは流石クロタコと言いたいが、今はそれどころじゃない。
俺は獣人たちが怯んでいる隙にリーフェンを担ぎ上げ、退路を探す。
前方も後方も獣人だらけ。テントの隙間からも次々と新手。
逃げ場がない。囲まれた。仲間が増えた獣人たちは徐々に勢いを取り戻し、今にも飛びかかってきそうだった。
「うぅ……うわぁぁぁ!」
ようやく助ける気になったキエリが雪玉を投げるが、それは明後日の方角へと飛んでいく。
「クロタコ!」
「あかん、思い出し笑いが……!」
「いや言ってる場合じゃねえって! マジで頼むから!」
「仲間の私よりも、こんな得体の知れない女を頼るんですか!」
「うるせぇ! 無視してただろうがお前は!」
「うるさいうるさい! やっぱりナカムラなんて嫌いです! 大っ嫌いです!」
テントが立ち並ぶ村の通りで、怒号、唸り声、笑い声が交錯する。
もうワケわかんねえ。俺ってこんなんばっかりだな。
――ガシュッ!
「っづ……!」
「ナカムラ!」
飛びかかってきた獣人の爪が腹を抉る。思わず苦痛に身もだえしたが、クロタコが威嚇射撃でフォローしてくれたので、なんとか体勢を立て直すことはできた。
しかし相手は数十人……いや、数十匹はいる。鋭い牙と爪は波の如くいっせいに動き出し、俺たち四人へと襲いかかった。
「き、木よ……!」
リーフェンが地面に散らばる木片へ魔法を唱え、枝の壁を作る。
「グルルル!」
「ガァ!」
しかし、素材になった木があまりに少なすぎた。
細枝を繊維のように繋ぎ合わせた見事な壁だったが、獣人たちの膂力には敵わない。いとも容易く薙ぎ倒されてしまう。
「お、オェ……」
そしてリーフェンは吐……かなかった。肩が少し軽くなり、背中をトンと叩かれる。
「今……!」
「よく我慢した、リーフェン!」
パシィン!
ジッポーを鳴らし、魔法を唱える。狙いはリーフェンが作った、細枝の壁……!
「火よ!」
渦を巻いて炎が飛んでいき、地面の枝に着火。炎の道が出来上がる。
それらはロウソク程度のか弱い火だったが、毛むくじゃらの獣人たちには効果絶大だった。彼らの動物的本能は火を恐れており、その足をにべもなく後退させる。
「がおー!」
キエリのブレスがダメ押しで通りを通過し、ついに道が開けた。
「キエリ、助かっ……」
しまった。
青ざめたキエリがふらつき、倒れる。その姿を見てようやく俺はハッとした。
どうして俺は「助けて」なんて余計なことを言ってしまったんだろうか。キエリは弱ってて、それどころじゃないのに……!
――パァン! パァン!
そんな自己嫌悪を割る、二発の銃声。
「お姫様は任しとき」
「……すまん!」
クロタコのかっけえセリフに背中を押され、俺は再び走り出す。
ごめんな、キエリ。絶対、助けるからな……!
できるだけ速く、できるだけ大きく、足を前に伸ばす。側面から飛びかかる獣人を回避。
助ける……!
「ガウッ!」
「くっ……!」
脇腹に牙が食いこむ。が
「邪魔――だァッ!」
その頭に肘打ちを喰らわせ、噛みつかれた部位を引きちぎって走り続けた。
仲間という認識があるから危機を乗り越えたのではなく、危機を乗り越えたからこそ仲間という認識が強くなった。
出会った頃がまるで遠い昔の出来事のようだ。その認識の強固さには、自分でも少し驚くほどった。
――――
「こいつ……!」
「囲め! もっと人を呼んでこい!」
キエリを安全な場所に寝かし、「さて、どうしよか」とクロタコが一息ついた頃。体制を立て直した獣人たちは彼女に狙いを絞りはじめた。
「あっちはいい! 先にこいつを殺せ!」
「特付きだ!」
ようやく、笑いのツボもおさまった所だ。
クロタコはハンドガンをしまい、銃剣付きのライフルを取り出す。
「ええよ、子猫ちゃんたち。特付きのお姉さんが遊んであげる」
「ひ、怯むな……! 相手は一人だ!」
「そ。美人のお姉さんがたった一人。かっこいいとこ見せて御覧?」
実力の計り知れない、余裕そうな笑み。そして銃。
「未知」に満ちた視覚の情報が、「危険」の二文字となって警笛を鳴らした。獣人たちは本能的に後ずさる。
「退がりな!」
そこに、身の丈よりも巨大なハルバードを持った、獣人の女が現れる。
「黙って見てるつもりだったけど……特付きが出てくるんなら、話は違う」
「カティア……!」
「あたしとも遊んでおくれよ、鉄条網の女王様」
目にも止まらぬ流麗な動きでハルバードを振り回し、その槍先をまっすぐに向ける。
カティアか。
クロタコは彼女を知っていた。
思っていた姿とかなり違うが、その緋色の体毛は、間違いなくカティアのそれだ。カティア・フランメール。
「あの男にご執心かい。特付きも女の子なんだねえ?」
「ゲロまみれに砂まみれ。さながら御伽のドン・キホーテやけど、うちの勇者サマやから」
「意味わかんないね」
「それで結構」
エルフの次は、獣人か。つくづくおっかない女と縁があるみたいやな。
ナカムラの顔を思い浮かべながら、クロタコはそんなことを考える。自分がその「おっかない女」の一人だとは夢にも思わない。
「来な」
「ええよ。でもその前に……」
――ドゴォン!
カティアがクロタコの微笑に首を傾げたのも束の間、近くのテントが紙風船のようにはじけ飛ぶ。
「がっはっは! オモシレーことなってんな!」
高らかに笑い、ギザギザの歯をにっと剥き出す。
三つ編みのポニーテールを尻尾のように振り回し、地面の斧を引き抜く。
「ブーカ様のォ、ご登場だい!」
「こいつッ……食い逃げしたドワーフ!」
「サイキョーのドワーフ、な!」
「他の獣人は任せたで」
「やっしゃー! まかしとけ!」
謎のかけ声をあげるブーカを無視して、クロタコはその脇を素通りする。
彼女の狙いは、たった一つ。
「まさかこんな場所で会えるとはな、カティア」
「……あたしを、知ってるのか」
「知らんわけないやろ。魔王を殺した張本人やのに」
「は? 魔王は三百年前に死んだよ。また意味のわかんないこと言って……」
なんや、知らんのか。
クロタコは腹の奥が煮えくり返りそうになった。
「二代目魔王や」
「二代目……? いったいなんの話だ」
「もういい。もうわかった」
こいつは駒だ。
聖教会と蒼龍王の陰謀に操られた、哀れな駒。
「胸糞悪い」
これ以上の御託は無用。
クロタコはコッキングレバーを引き、その音でもって戦闘の開始を宣言した。




