第二章4 『恋バナ』
「…………」
ナカムラたちが出て行った後も、キエリは玄関の扉をじっと見つめていた。
二人の声が聞こえなくなり、部屋が次第に暖まっていき、流れた涙が乾いていく。
そして二十秒ほど経った頃。キエリはようやく口を開いた。
「もう出てきていいですよ」
すると、ベッド下からクロタコの顔がぬるりと現れる。
「いやー、びっくりしたなあ。キエリちゃん」
「その呼び方やめてください。不愉快なので」
「ははは。気分はまるで、クローゼットに隠れた浮気男」
腹が立ったキエリはクロタコの顔を踏みつけようと足を伸ばすが、彼女はそれを華麗に回避する。
「まさか、キエリちゃんが協力してくれるとは思わんかったわ。そんなにうちと話したかった?」
「…………」
「あ、それとも。勇者サマに会わせたくなかったとか」
「……ふん。くだらない」
キエリはニヤニヤ煽るクロタコの横を素通りして、暖炉の前に座る。蹴飛ばしてやりたいのが本心だが、今の自分では避けられるのがオチだ。無視して回復に専念しよう。
「……」
火に手足を入れると、その熱が全身を広がり、徐々に心が落ち着き始めた。
本当にくだらない。大事な話かと思って演技までしたのに、まさかただ挑発しに来ただけとは。
「うちに嫉妬してる?」
「は?」
「勇者サマにキスしたから」
「それは……大っっっ嫌いなあなたが、私の仲間を誘惑したことに腹を立ててるだけです。嫉妬ではありません」
「ふーん……そうなんや。ふ〜ん」
人を食ったような態度。本当に腹が立つ。
キエリの眉間のしわが一段階濃くなる。
「なんですか。何か文句でも?」
「別に。かわいらしいリアクションやなって」
「……ふん。彼が好きなら、どうぞご勝手に乳繰り合うがいいです。私のいない所で」
「それでええんや、キエリちゃんは」
――ゴオッ!
暖炉の炎が勢いづく。
そこを退き際と見たのか、クロタコは「はいはい」と肩をすくめた。
「まあ、言われる前に言うけど、うちはおふざけだけをしに来たわけやないで」
「……何か、新しい指示でも出す気ですか」
「いや? 様子見と、警告」
「警告?」
「ちょっとマズいことになったから、それを教えとこうかなと……」
そう話そうとしたところで、キエリの手が「ストップ」と遮る。
「その前に、一つ聞いていいですか?」
「ええよ。答えるかわからんけど」
「彼に、ジッポーを渡しましたね」
「……またキスの話?」
「ちがっ……もういいです」
いちいち照れるのにも疲れたキエリは、暖炉から手足を出し、ベッドの横に置いていたリュックサックに近づく。
「これ」
彼女がそう言ってクロタコに見せたのは、黒焦げのジッポーライター。その表面には龍の刻印が入っている。
「私の知る限り、このライターは一つしかないはずですが」
「……たまたま予備があったんやろうな」
わざわざ探したんや。そう考えつつ、クロタコは適当な言い訳をした。
「私はこのライターの持ち主を知っています」
「…………」
「あなたは、彼に気づかせるなと言いましたね。彼の本当の力を隠せと。さもなければ、紅龍王様を殺すと」
「うん。言った」
「なのにこれは、ヒントを与えているようなものです」
「それだけで気づくんは無理や」
「しかし、何がきっかけになるかはわからない。私も全てを隠し切れるわけじゃない」
「…………」
「あなたは意図も、行動も、すべてがチグハグです。私たちを助けているようにも見えるし、念入りに最悪の結末へと導いているようにも見える」
キエリは黒焦げのジッポーをしまうと、少し身を低くして、クロタコを睨む。
「彼を翻弄するのも、誘惑するのも、好きにするがいい。しかし彼は、私の仲間です」
それは自分で決めたこと。ゆえに決して曲げない。
「ここでハッキリさせましょう。あなたは彼の味方か、敵なのか」
「…………」
「敵であるなら、私も容赦はできません」
クロタコは感情のない目でキエリを見つめる。
まるで試されているような気分だ。キエリはなぜかそう思った。
今は、自分が相手の意を確かめている時間なはずなのに、むしろ自分の決意表明を引き出されたかのような……不思議な感覚。
もしかするとあのキスも、彼女の策略だったのかもしれない。あえて見せつけて、自分を嫉妬させるための……
いや、これは嫉妬じゃない。
自分にとって大切なのは紅龍王様だけ。恋愛にうつつを抜かす暇などないし、そもそも彼は転生者だ。少し優しくて、勇敢な男だとは思うが、それは仲間として認めている部分。
「……くだらない」
やはり自分はおかしい。
不安定な情緒が思い込みを加速させていることに気づき、キエリは頭を振った。
「うちは勇者サマに生きて欲しい」
キエリがそんな風に悶々としたタイミングで、見計らったかのようにクロタコが口を開いた。
「あいつが生きるためには、キエリちゃんとリーフェン、そして紅龍王の存在が必要や。だからうちはここにいる」
「また、雲を掴むような回答ですか」
「これ以上ない答えやと思うけど?」
クロタコはそろそろ「警告」について話したかったが、キエリはやけに強情だった。
少なくとも敵ではない。そう説明するクロタコに、「私が聞きたいのはそこじゃない」と首を振る。
「私に協力を取り付けたいのなら、無駄なはぐらかしはやめることです。もう、二度と」
キエリのジッポーが木板の床を叩き、コォンと乾いた音を鳴らす。
「あなたは、誰のために動いてるんですか?」
彼ではないですよね。
琥珀の光がクロタコを貫いた。
「……ええよ。わかった。少し早いけど教えてあげる」
仲間思いで結構なことや。クロタコは顔に貼り付けた笑みを剥ぎとる。
「うちが動く理由は、半分が自分のためや」
「もう半分は?」
「魔王のため」
そうだろうとは思っていた。クロタコが動く理由など、彼女のため以外に考えられない。
「魔王が……彼女が、ナカムラに生きて欲しいと願った。そういうことですか?」
「そ。うちはその遺志を継いだだけ」
「彼を新たな魔王にするつもりなんですね」
「……」
クロタコの口角が、またぐにゃりと歪む。
「なあ、好奇心猫を殺すって言うやろ?」
「ッ……!」
キエリが危険に気づいた頃には、クロタコの声が耳元にまで近づいていた。その指先が頬を撫で、髪をなぞり、首筋にひやりとした感触を与える。
「魔王は魔王。勇者サマは勇者サマ。気になることは多いやろうけど、こっちにもプランがある。それ以上は余計な詮索や」
「……」
「いいから、黙って従え」
――――
「おや、いらっしゃい」
今朝ぶりのカティアがカウンターからひょっこり顔を出し、陽気な声をあげた。
「ここがカティアさんの酒場?」
「そうだよ。こじんまりしてるけどね」
そこは酒場と言うよりも村の寄り合い所に近い感じで、椅子とテーブルは組み分けされず、ざっくばらんに配置されていた。これでは、どこに座っても結局全員と酒を飲むことになりそうだ。
「都会の酒場とはかなり違うだろ? この村じゃ、暇つぶしって言ったら酒飲んで騒ぐぐらいしかないからね。アットホームがウリなのさ」
内装を見回していた俺たちに、カティアは少し照れくさそうに説明する。
「ま、好きなとこ座りな」
朝方なだけあって他に客はいなかったが、営業中ではあるらしい。
俺たちはいったん顔を見合わせた後、とりあえず二人分の椅子が用意されたカウンターに腰掛ける。
「何にする?」
「……何があるんだ?」
「あ、そうか。メニューがないとわかんないね。あっはっは!」
カティアは豪快に笑い飛ばしてから「ちょっと待ってな」と言い、肉球のついた足でトタトタと奥の部屋に入っていく。
「ねえ、僕たちお金持ってないよ?」
「大丈夫だ。キエリから少し預かってる」
彼女に念のためと渡されたのは、銀貨三枚。それがどれくらいの価値なのかはわからないが……さすがに軽く飲み食いはできるはずだ。
「はい、お待たせ」
「好きなの選んでいいぞ、リーフェン」
「ありがとう」
俺は字が読めないので、カティアから受け取ったメニューをリーフェンに手渡す。
字が読めなくて転生者だとバレるのは、割とよくあるケースらしい。まだ基礎的な単語しか知らない俺は、読むのをキエリかリーフェンに任せるようにしていた。
「あたしが言うのもアレだけどさ、こんな時間から飲むなんて体によくないよ?」
「寒さに効く薬はこれが一番らしいからな」
「はははっ! なるほどね」
リーフェンがメニューを解読している間、俺は会話で時間を繋ぐ。
いきなり「紅晶石をくれ」なんてねだるのもアレだったので、本題を切り出すのは、もう少し話が弾んでからにしたかった。
「飲みすぎちゃダメだよ。それで子供に迷惑をかけたらサイアクだからね。あたしみたいに」
「経験済みなのか?」
「そうなんだよぉ〜。この前もゲロ掃除なんかさせちゃって、すっごい惨めな気持ちになったんだから!」
なかなか豪快な母ちゃんだ。
「深酒するつもりはないよ。そこまで手持ちがあるわけでもないし」
「……? あんた、商人だろ? 手持ちがないのはマズイんじゃないかい?」
あ、ヤバい。余計なことを言ってしまった。
「あるにはあるけど、仲間に預けてるからさ。今は持ってないんだ」
「ああ、そういうこと。ちゃんと代金払えるんだろうねぇ?」
「ははは……大丈夫だって」
カティアは冗談っぽくこちらを睨む。なんとか誤魔化せたらしい。
危なかった。ほんの一瞬だが、カティアの目が鋭くなった気がする。
「いや〜、悪いねえ。近くの収容所で転生者が逃げたって話を聞いたからさ、つい警戒しちまったよ」
「……!」
「あんたらも気をつけるんだよ?」
思わずギョッとする俺に、カティアは屈託のない笑みを向ける。
気づかれたのか? そう不安になったが、彼女は何事もなさそうな様子で話を続けた。
「それに先日、金を払わずに逃げた輩がいてねえ。赤髪のドワーフなんだけど……」
なんか知ってるぞ、そいつ。
「まったく、次見つけたらぶっ飛ばしてやる」
やめといた方がいいと思う。絶対勝てないから。
「ナカムラはそんなことしないよ。ね?」
「ああ。カティアは命の恩人だしな」
「わかってるよお。ちょっとからかっただけさ」
「で、何がいい? リーフェン」
「え〜……ナカムラ、どれくらい持ってるんだっけ」
「銀貨三枚だな」
「銀貨三枚も……? まあまあ大金だね」
「さっき手持ちがないって言ってなかった?」と言いたげな様子で、カティアの目がまた細くなる。
「お、おすすめある⁉︎ カティアさん一番の自信作!」
「自信作? う〜ん、自信作かぁ……」
「朝ごはんもすっごく美味しかったし、僕それがいいなぁ!」
「またそんな喜ばせるようなこと……ほんっと、この子ってやつは〜! この子ってやつはぁ〜!」
姉譲りの機転をきかせたリーフェンのおかげで、話がいい感じにうやむやになる。
一瞬にして上機嫌になったカティアは、「ゴロゴロ」と喉を鳴らしながらリーフェンを撫で回した。
もう、下手に喋らないでリーフェンに任せよう。
「はぁ……」
カティアの人が変わったような鋭い目つきを思い浮かべ、俺は小さくため息を吐いた。
あの目は、エルフたちと同じ目だった。危険な化け物を憎悪するような目つき。獣人のカティアでも、やはり転生者が憎いのは変わらないらしい。
まったく……生きた心地がしない。
しかし、俺は気づいていなかった。
「…………」
そんな憎悪の視線が、いまだに自分へと注がれていたことに。




