第二章2 『寒さは人を弱くする』
「さむいよぉ……」
「また私を湯たんぽに……!」
「我慢してくれ。お前がいなきゃ死ぬ」
「変な言い方しないでください!」
あれからも山を登り続けたが、今日も村を見つけることはできず、俺たちは汗冷えと夜の寒さで凍える羽目となった。
流石に夜の寒さは尋常ではない。俺とリーフェンは極限までキエリにくっつき、その熱でなんとか耐え凌いでいた。キエリは相変わらず「湯たんぽはやめろ」とか「私、女の子なんですけど」とか、色々文句を言っていたが、それでも無理に逃げたりはしなかった。
押しに弱いのだろうか。なんだかんだ頼めば言うことを聞いてくれるチョロさが、キエリの美徳なのかもしれない。
「さむいぃ……」
「それ、さっきも聞きました」
「寒い」
「わかりましたって」
「さむいね」
「な、寒いよな」
「うるさい!」
とにかく寒い。火にあたって、キエリにくっついても、それ以外の部分が凍りつきそうなぐらい寒い。頼りの再生能力も、この寒さの前では焼け石に水だった。
キエリ曰く、俺の再生は食事の量、つまり体内の栄養がエネルギー源になっているらしい。
昼間は疲れと体温を同時に再生し、夜は限られた物資を節約するため最低限の食事しかとれない。今の俺はガス欠も同然だ。ついさっき食べたはずなのに、もう腹が鳴っている。
「うえぇん……寒いぃ」
リーフェンがとうとう泣きべそをかき始めた。泣くなよと言いたいが、その気持ちは少しわかる。
寒さは人を弱くする。有名な言葉だ。どれだけ熱や布で守っても、寒さは容赦なく体を凍えさせ、心を絶望させてしまう。
ああ、平地が恋しい。というか、前の世界が恋しい。こたつに入りたい。
まるで食中毒になった時のような気分だ。「いつもの普通な状態」に、どうしようもなくありがたみを感じている。
「よし……リーフェン。お湯ができたぞ」
「んぅぅ」
センチメンタルな心情をいったん振り払い、キエリ越しに彼へ白湯を渡す。
内心ではクヨクヨしているが、このパーティで一番精神年齢が高いのは俺だ。俺がしっかりしないと、全員の心が折れてしまう。
「はぁ、お湯おいしい……」
一方、リーフェンはカップを両手に、ただの熱い水を飲んで幸せそうに微笑む。なんて単純なやつなんだ。そこが彼の長所でもあるが。
リーフェンは素直で感情豊かなので、こんな風に、全員をいい感じで和ませてくれる。言わばチームのムードメーカー的存在だ。あの冷徹なソーンの弟とは思えないな。
「そういえば、そろそろ手紙書かないとな」
「うん……うぅん。そうだね」
ふと「月一でソーンに手紙を送る」という約束を思い出したので、その話を切り出してみるが、釈然としない返事をされてしまった。
「……嫌なのか?」
「え?」
「手紙書くの」
「い、いや! そういうワケじゃ……ないよ。何書こうか悩んでただけ」
エルフ村では普通に仲が良さそうだったが、まだソーンとのわだかまりは解けていないらしい。こういうふとした瞬間にソーンの話題を出すと、彼の顔が曇ることは稀にあった。
しかし、それは二人の問題だ。
俺はソーンの愛情がリーフェンに伝わることを切に願っているが、同時に彼の仲間 兼 保護者でもある。どちらかに肩入れしたりはしない。
「…………」
なんとなくキエリの方を見る。一瞬目が合ったが、すぐにぷいっと背けられてしまった。
「……キエリはお湯飲むか?」
「ふん。結構です」
眉間にシワを寄せ、口を三角にさせる、いつもの不機嫌顔。あまりに見慣れた表情だ。もうイメージだけで似顔絵を描ける。
「……怒ってる?」
「怒ってません」
嘘だな。絶対怒ってる。
「謝ることがあるなら、ちゃんと謝るからさ。ちゃんと言ってくれよ」
「そんなのありません」
「じゃなんで怒ってるんだ?」
「怒ってません」
ダメだこりゃ。取り付く島もない。
リーフェンが「またケンカなの?」とアワアワし始めたので、俺はこの話を早々にやめた。
クロタコとのアレがあって、最近ようやく口を利いてくれるようになったと思えば……また不機嫌に戻ったらしい。めんどくせえ奴だ。このチームで一番精神年齢が低いだけはある。
もう一周回ってかわいく思えてきた。獰猛なチワワ犬みたいで。
「……なんです?」
「いや別に」
とりあえず、そっとしておこう。
「あなたの言いたいことは、わかります」
しかし、今日のキエリはいつもと違った。
「私もめんどくさい女ではありません。自分の機嫌が悪くて、それにあなたが困惑していることも、ちゃんと理解しています」
ああ、チワワの話じゃないのか。「いや、お前はバッチシめんどくさい女だけどな」とは言わないでおこう。
「でも……力を失うと、たまに自分を制御できなくなるんです。心が落ち着かなくなって、つい怒ったり、暴れたり、後先を考えなくなってしまう……」
初めて会った時のように。キエリは、最後にそう付け加えた。
そう言われてみれば、確かにキエリは弱った時ほど情緒不安定になっていた……ような気もする。
「本当は、よくないとわかってます。迷惑をかけていることも……わかってます」
「……」
「でも、どうすればいいか。それだけがわかりません」
キエリはじっと炎を見つめる。頬にあたる彼女の肩から、微かに強い熱を感じた。
「私は、こんなはずでは……まるで自分が自分じゃないような、不思議な気分です」
困惑に満ちた口調だった。キエリに困らされていたようで、実は彼女が一番困っていたのかもしれない。
「要するに、腹が減ると機嫌が悪くなる感じだよな」
「動物みたいな例えが少し癪ですが……そうかもしれませんね」
「龍の力が弱まって、苦しいんだよね。それはキエリが悪いからじゃないよ」
「リーフェンの言う通りだ」
「……」
キエリ曰く、紅晶石は紅龍王にしか作れないらしい。
つまり紅龍王の不在は、俺たちで言えば水道から水が出なくなったような状況だ。紅晶石というライフラインを失い、世界中の紅龍が飢えに苦しんでいる。それに相反する形で、紅龍の敵である蒼龍は強くなっていく。
紅晶石不足、蒼龍の強大化。その二つが紅龍を存亡の危機に陥れた、最たる原因だった。
「とにかく、紅龍王様に会いたい……そうすれば、元の自分、に……」
「……キエリ?」
キエリの肩が、突然グラッと揺れる。
すぐに支えようとしたが、間に合わなかった。彼女はそのまま前方へ倒れ、ゆっくりと、頭から焚き火に突っ込む。
「危……! なくは、ないか。紅龍だし」
「いや、でも!」
「絵面的にアウトだな!」
俺とリーフェンはキエリの腕を掴む。
が、彼女に触れた途端、その肌が異様に冷たいことに気づいた。
「これは……⁉︎」
エルフ達に襲われた時と、同じ状況。龍の力を消耗しすぎたんだ。
だが、どこで……? キエリは力なんて一度も使ってない。
それに倒れる直前までは、確かに熱を放っていた。なのに、どうして突然……
「あ……」
隣のリーフェンが口を開き、続け様に頭を抱える。何かわかったらしい。
「リーフェン、どうした?」
「わ……忘れてた」
「……?」
「僕、最低だ……!」
ドサっと膝をつき、唐突に自分を責め始める。意味がわからず「説明してくれ」と迫ると、彼は小刻みに震えながらこちらを向いた。
「キエリ、ずっと無理してたんだよ」
「無理って?」
「紅龍は熱から力を蓄える、でしょ?」
「……!」
それを聞いて、ようやく俺もハッとした。
「寒さは、その逆……紅龍の力を奪うんだな?」
リーフェンは小さく頷く。
「山に登ってから、キエリの力は消耗し続けてたんだ。なのに無理して、熱を出し続けてくれた……僕たちが凍えないために!」
「……」
「そんな大事なことも忘れて、『キエリは暖かくていいね』なんて、僕は……!」
それはリーフェンだけのせいじゃない。俺だって頭を使えばわかったかもしれない。
「自分を責めるな、リーフェン。お前の悪い癖だ」
「でも、もっと早く思い出してたら……!」
「そんなん言ったら全部そうだ。今はとにかく、一番大事なことを考えよう」
「……」
「仲間を助ける」
『一緒に、頑張りましょうね』
こいつとの思い出は、最悪なものばかりだ。
それでも一ヶ月。一ヶ月も旅をした。最近ようやく良い部分が見つかり始めて、それなりに可愛くみえてきたんだ……!
こんな場所に紅晶石があるとは思えない。それでも、他にすべき事など存在しない。
「努力を、犠牲を……絶対に無駄にしない! 俺たちにはその義務がある!」
「……!」
「そして、今は絶対に逃げるべきじゃねえ! もう俺たちは仲間なんだぞ!」
リーフェンの目が、かっと開く。
「無駄にしない……!」
「そうだ」
「絶対にキエリを、助ける!」
「そうだ! やるぞリーフェン!」
俺は、意外と熱苦しい人間なのかもしれない。二人で「おお!」と立ち上がった時、一瞬冷静になった俺は、ふとそう考えた。
だが、悪いことじゃない。おかげでリーフェンのスイッチが入った。
「僕に、任せて……!」
リーフェンは本気になったら凄いやつだ。誰よりも勇敢で、まっすぐに前を向ける。俺はそれをよく知ってる。
「流れを読む……それで、村を見つける!」
目を細めて集中する彼を尻目に、俺はキエリをなるべく焚き火に近づけておく。なるべく音は立てず、邪魔しないようにしよう。
そして、10秒、20秒。1分。
リーフェンの集中力は凄まじかった。まばたきすらも忘れて、雪原を食い入るように見つめていた。
「……!」
「見つけたか⁉︎」
「ううん……でも、誰かいる!」
リーフェンが指差す方向は、ただ真っ白の雪原と山々が広がっているだけだ。あまりに遠すぎるせいで肉眼だと見えないのだろう。
誰か、と言われて、思わず聖教会を警戒した。
しかしそれは一瞬だけ。せっかくリーフェンが見つけてくれた希望を、俺が無駄にするわけにはいかない。
「火よ!」
ジッポーを鳴らし、フリントを回転。炎を上空へと巻き上げる。
「どうだ⁉︎」
「遠すぎて……よくわからない」
ならばと、炎をさらに高く上げた。頭にパシパシと電撃が走る。
「……馬?」
「うま? 馬がなんだ⁉︎」
「馬に乗ってる」
「つまり⁉︎」
「もう見える位置にいるってこと! そして……!」
雪の粉塵が、舞い上がった。
魔法に集中していたので、それがとっくに目の前まで来ていたことに気づけなかった。
「こんな場所で火遊びする変人がいると思えば……こいつは驚きだ」
山岳地形によくいる、足の短い馬に乗った、一人の女性。
わざわざ馬に乗って登山するような人間はいない。つまり、彼女はこの山の……
「……!」
その続きを言おうとしたが、顔を上げたと同時に、思わず絶句してしまった。俺だけじゃない。隣のリーフェンも、口をあんぐり開けて驚いていた。
「人間と、エルフと……その子は龍? けったいな組み合わせだねえ」
「獣、人……?」
「おや、獣人族を見るのは初めてかい? エルフの坊や」
彼女は、子供向けアニメに出てくるような、猫と人間を足して割ったかのような見た目をしていた。




