第二章1 『登山』
――ビュオォォォ
「うっ……!」
「さむーい!」
「…………」
氷のような寒風。
それは、見上げるほどに高く聳え立つ山々から吹き下ろされ、外套の隙間へと入り込んでくる。ここまでくると、もう寒いとかじゃない。痛い。
右から寒風が来たと思えば、次は左、正面、また左……自然の風ですら、俺を歓迎してはくれないらしい。
最初は監獄に閉じ込められ、ローラーや聖教会から酷い目にあわされた。
クロタコに助けられて牢屋を抜け出せば、聖教会に追われ、紅龍族のキエリに襲われ、エルフに捕まった。
やっぱり、何度考えても最悪の出だしだったな。まさしく無歓迎。
それでも色々あってローラーを倒せたし、最後にはエルフもキエリも仲間になってくれた。
俺は生き延びることができたんだ。実に感慨深い。
そして今は、目指すべき場所がある。
自由国、転生者の楽園だ。
聖教会を倒すため、転生者の虐殺をやめさせるため。俺は、キエリとリーフェンの三人でエルフの村を旅立った。
それが、たしか一ヶ月くらい前の話。
「あと、どれくらいで着くかなあ?」
「もう三日は山登りしてるし、そろそろじゃないか」
「…………」
次の目的地に向けて、俺たちは国境沿いの山越えに挑戦している最中だった。
「そろそろ」などと適当に言ったが、それは「そろそろ着いたら嬉しいな」という願望に近いセリフだ。
とにかく山登りが辛い。早く終わってほしい。
歩くことは別にいいんだ。ここまで森を歩き続けてきたから慣れたし、再生能力のおかげで俺は疲れにくい。
しかし、寒さだけは慣れや体力でどうこうできる物じゃない。
痛みは治ればなくなる。疲れは休めばなくなる。でも、寒さはずっと残る。再生能力で体温を元通りにしても、風が気力と共にそれを奪っていく。
まあ、それでもローラーに釘で刺されたり、キエリに火だるまにされるよりはずっとマシなのだが……徐々に精神を蝕まれるというのも、それはそれで中々の地獄だった。
「ナカムラー……」
少し後ろを歩くリーフェンが、縋りつくように声をかける。
寒いのか、疲れたのか。
どっちだろうなと思って振り返ると、彼は可哀想なぐらい震えながら、何かを求めるようにこちらを見上げていた。
「交代、しよぉ〜」
「まだ五分も経ってないぞ、リーフェン」
「一生のお願い……耳が千切れそうなんだぁ」
一生のお願いか。それなら仕方ない。
リーフェンのチャームポイントを失うわけにもいかないので、俺は仕方なく背中のブツを彼に渡す。
「…………」
「はあぁ、あったかぁい」
「五分だぞ」
「わかってるもん」
至福の笑みを浮かべるリーフェン。その素直で感情豊かな笑顔は、見た者全てを幸せにするかのようだった。
最初に設定したはずの「五分交代ルール」は破られまくっているが……まあいい。俺には再生能力がある。
疲れすら回復してしまう俺の再生能力だが、それは寒さを回復することもできるようだ。寒さを回復、というよりも、体温の変化を「元通り」にしているのだろう。
瞬間的に寒さを感じはするし、腹が減ると能力も発動しなくなるので、あくまで気休めだが……リーフェンよりはまだ耐えられる。最初は我ながらショボい能力だと思っていたが、「体を元通りにする」という特性は実に万能で、便利だ。
「よし、五分経ったぞ」
「えぇー……もう?」
「ああ。しっかり数えてたからな」
さあよこせと手を広げるが、リーフェンはブツを掴んで放さない。寒さと疲労で少しワガママになっているようだ。
「あ、あげない……!」
「ほーう。約束を破る気か?」
「ぐ……ち、ちゃんと『約束』とはいってないもん。こうしようって決めただけで」
「それはズルだろ。みみっちいぞ、リーフェン」
「…………」
「わかった。ジャンケンしよう」
「はぁ……仕方ない。今回だけだぞ」
「やった! ありがとう!」
「一回勝負だからな。後から三回勝負とかナシだからな」
「しないしない。約束ね」
「よし。じゃあいくぞ、ジャーンケーン……」
「ふんっ!」
「ポン」のタイミングで、ここまでずっと大人しかった例のブツが、俺の手を蹴り上げる。
どうやら、我慢の限界が来たらしい。
「いたた……手先を蹴るなよ。かじかんで痛いんだからさ」
「うるさい! 黙って見ていれば、人を湯たんぽみたく……! うっとぉしいんですよ!」
キエリはウガー!と腕を振り上げる。
まあ、そうなるとは思っていたし、なんなら予想よりは我慢した方だ。
「だって、キエリあったかいんだもん」
「あれやってくれよ、ラカーシェ」
「龍の力を大道芸みたく言うなぁ! あーもう知りません。最初は我慢してあげましたけど、だんだん扱いが雑になってきましたからね! 私こと『都合のいい湯たんぽ』はお暇をとらせて頂きますっ!」
そんなことを畳み掛けるように怒鳴り、キエリはいかにも「ぷんすか!」という感じで前を歩きはじめる。
「……怒らせちゃったね」
「代わりに背負ってやるわけだし、ウィンウィンだと思うけどな。雑に扱ってた自覚はあるが」
「ごめんなさいしたら許してくれるかな?」
「寒くなったら、そのうち向こうから来るだろ」
「湯たんぽの次は家出したペット扱いですか」
キエリがギロっとこちらを睨む。こういう時だけやたら耳がいいな。
「ごめんなさい」
「……すんませんした」
「ふんっ! しばらく反省するがいいです!」
――――
それは、エルフ村を出発する前々日のこと。
リーフェンの家に集まり、俺たちはソーンも交えて道順の会議をしていた。
「自由国へ行くには、まず『アガロース』へ向かう必要があります」
「アガロース?」
「人間国最大の港街です。治安の悪さが有名ですね」
「えぇ……ヤな街だね」
「ですが、私たちにとっては都合がいいです」
「なんで?」
「自由国への入国は大罪だからな。まともな船は使えない」
「ああ、なるほど。密航か」
地図によると、エルフ村は人間とエルフのちょうど国境付近にあり、アガロースはその北西方向にあった。地図の縮尺が正しければ、エルフ村からアガロースまでは2000キロ弱もの距離がある。
「……かなり遠いな」
参考までに言うと、日本を縦断した人は三ヶ月かけて3000キロ歩いたらしい。ざっくり計算すれば二ヶ月はかかることになる。
「間に合いそうか?」と尋ねてみると、キエリは「そこは大丈夫です」と含みのある答えを返した。
「手段を選ばなければ、時間はいくらでも短縮できますから」
「馬車とかもあるしね」
「ただし、街道を使って最短距離でアガロースに向かう場合、最低でも四つの街を通らなくてはならない」
「問題はそこだな」と、ソーンがお茶を飲みながら答える。
「その通り。四つはさすがに多すぎます」
「なんで?」
首を傾げるリーフェンに、俺も頷いて同意する。
物資が補給できるし、情報も手に入るし、お金も稼げる……街に寄って損があるとは思えない。それに、どうせなら異世界の都市を見て回りたい。
それを伝えると、二人は白い視線を俺に向けた。
「リーフェンならまだしも、あなたはわかるはずですよ」
「飲み込みの早いやつだと思っていたが、妙なタイミングで頭が悪いな」
そこでようやく気づく。
「……俺のせいか」
思わず意気消沈してしまった。
エルフの態度が軟化したので忘れていたが、転生者はどこに行っても命を狙われる、嫌われ者だ。観光気分で街を巡る余裕などはない。
「人の多い場所を通ると、敵に見つかる危険が増えるもんな」
「そういうことです」
「加えて、貴様は席騎士を一人倒したわけだからな。うまく誤魔化しはしたが、聖教会に目をつけられるのも時間の問題だ」
ほとんどブーカやキエリのおかげだったので実感は薄いが……まあ、そうなるのも無理はないか。
他に方法がなかったとはいえ、嫌に目立つことをしてしまった。
「選択肢は二つです。街道を通るか、道なき道を通るか」
「どちらも賢い選択とは言えないな。街道は安全な上に舗装されているが、人も多いし、聖教会が検問を設置している可能性が高い」
「だからと安易に脇道を歩けば、道に迷うか盗賊に襲われてしまいます。人の少ない場所では街道、多い場所では脇道を使うのが最善でしょうね」
「面倒そうな方法だが……まあ、たしかに最善か。貴様らがそれでいいなら、私から言うことは何もない」
「なんか……ごめんな」
俺が転生者じゃなければ。そんなマイナス思考が浮かんでしまい、思わず申し訳なくなる。
キエリは「承知の上です」と男気のあるフォローを入れてくれたが、俺が原因で問題が山積みになっているのは事実だ。
はぁ。口からため息が漏れる。
「あっ! いいこと思いついた!」
そんな俺を心配そうに見ていたリーフェンが、いきなり興奮気味に立ち上がる。
「エルフだけの秘密の道、それを使おう!」
それが、全ての事の発端だった。
「僕たちエルフは、自然の風景を目印にした独自の道を使うんだ。地図を作る習慣がないからね」
「獣道ならぬ、エルフ道というやつだな」
リーフェンの意図を察したのか、ソーンが真面目な顔でそんなことを言う。
「それで、ちょうどここに近道が……」
キエリから羽ペンを受け取り、彼はテーブルに限界まで身を乗り出して、地図に線を引く。
その線は現在地から北へ伸び、途中で山を超え、アガロースに続く街道へと合流した。たしかにこの道を使えば、街を二つは省略できるし、距離も大分縮められそうだ。
(イメージ図)
「しかし……」
「問題は山だな」
「ですね」
村からも見えるので、その山の特徴は知っていた。
軽く2000メートルはありそうな、尖りに尖った三角形。山頂の辺りには雪。離れた場所から見ても圧倒的な存在感がある。
「あれを登るのは……かなりしんどそうです」
「山っていうより崖だもんな。安全に渡れたとしても、それなりの時間はかかりそうだ」
「私は何度か通ったが、よほどの事情がない限り避けたい道だったな。とにかく寒い」
「防寒対策は必須か」
「ああ。欲しければ譲ってもいいが、かなり嵩張るぞ」
口々に不安要素をあげる俺たちに、リーフェンが「やっぱり、だめ?」と小さくなる。
「いや、いいアイデアだったよ。少なくとも人の危険はないし、俺は選ぶ価値があると思う」
「私もそう思います。ただ、物資が足りません」
無言でキエリに同意する。
彼女はクロタコの襲撃を受け、馬と共に全ての物資を失ってしまった。つまりほぼ無一文だ。エルフ達が多少は分けてくれたが、それが山一つ越えられる量かというと、正直微妙だった。
「これ以上物をねだるのも悪いしなあ」
「せめて途中に、一つでも村があればいいんですけどね」
「村……?」
リーフェンが突然顔を上げる。先ほどとは打って変わって明るい表情だ。
「あるよ! 村!」
「……え?」
三人同時にリーフェンを見る。
「私は、初耳だが?」
どうやらソーンも知らない情報だったらしい。一気に不安さが増した。
「だいぶ前に、たまたま見つけたんだ。道から少し外れた場所に!」
「……へえ」
「ふぅん……ふん」
キエリの顔を見てみる。彼女も同じようにこちらを見ていたようで、目があった。
「…………」
「…………」
数秒、見つめ合う。アイコンタクトとかではなく、お互いの考えを探り合う時間。
「仲間の言うことを信頼できないのか?」
それを見かねたのか、ソーンが腕を組んでこちらを睨んだ。
正しいか間違っているかではなく、「いいからリーフェンを信じろ」という、不動のブラコン精神から来た一言。
「まあ……まあ、確かにそうだよな」
「ソーンもああ言ってますし……」
しかし、俺とキエリは釈然としないながらも納得することにした。責任を取りたくなかったからだ。
かくして、俺とキエリによる姑息な責任転嫁と、リーフェンの提案の結果。俺たちは「村がある」という信憑性の弱そうな情報に賭け、汗水たらして山を登り、寒さに震えている次第である。
別に、リーフェンのせいとか言うつもりはない。それは当然だ。俺たち三人が決めたことだから。
でももし、その村がなかったら……リーフェンを雪だるまにしてしまうかもしれない。
そんな当てつけじみた考えを、俺は鼻水と同時に、体内へと封印した。
とりあえず信じよう。仲間なのだから。




