聖教会 『報いと感慨と(前)』
「…………」
足を踏み出すごとに、石畳みの乾いた音と、板金の金属音が和音を形成する。
聞き慣れた音だ。
しかし今では、全く別の感慨がある。
果てなく続く石畳の廊下。壁の窓からは外の冷たい空気が入り込み、視界の上で前髪がさらさらと揺れる。地面を照らす、等間隔に並んだ四角い光は、前に歩くたびにこちらへ近づき、やがて通り過ぎ、離れていく。
視覚と聴覚の辻褄があったような感覚。この音はこう鳴っていたのか、という、奇妙な感慨。
「罪深い……ですね」
ローラー・ペグ・ロイギラファ。
彼はふいに立ち止まり、そんな独り言をこぼした。
頬を撫でると、ざらりとした感触……火傷跡。
右腕には包帯。
どちらもあの戦闘の名残だ。聖水で消すこともできたが、やらなかった。
今の自分は痛みを感じて、景色を見ている。
どちらも知っていたつもりだった。でも、本当はずっと目を背けてきた物だった。
それを強く……実感したいと、思えた。そんな勇気を与えてくれた。
「それが、あいつの報いだったのだろうな」
その後ろから音もなく現れる、銀髪のダークエルフ。
「……怪我は治りましたか、ミスト」
「万全ではないが、おかげさまで歩けはする。お前に借りができた」
ローラーはそれに「いえ」と一言答えると、また前へと歩き出す。先を急ぐ予定があったからだ。
「しかし、どういう風の吹き回しだ? 進んで人助けをするような、酔狂な人間でもあるまい」
「見える景色が変わると、それ相応に考えも変わるものですよ。あなたはとても苦しそうに見えた。だから助けました。きっと我が神も喜んでいるはずです」
「お前にそんな善意があったとはな」
「私は善意しかありませんよ」
目線を一切動かさずに答えるローラーに、ミストは乾いた笑い声をあげる。
「歪な正義ほど、恐ろしい物はない」
「あなたは聖教会が嫌いのようですね」
「私がかわいく思うのは自分自身だけだ。他は獲物か、邪魔者」
「それは残念です。崇密騎士団は私だけで運営しているので、もしよければ手伝ってもらおうかと打算していたのですが」
「なんだ。やはり打算は込みか」
以前のような狂気を失い、スラスラと考えを述べるローラー。
それを成長と捉えるか、退化と捉えるか。ミストはそんな命題に、ちょっとした面白みを感じた。
「無理強いはしませんよ。嫌々やられても邪魔なだけですし」
「そこは給料次第。応相談だな」
「おや、おや。思ったよりも好意的な答えですね。あなたには目的があるのでは?」
「私にも成長が必要、ということだよ」
ふと、遠くの角から靴音が聞こえた。
「ミスト」
声をあげる頃には、もうとっくに気配が消えていた。今や影も形もない。
ダークエルフの流れに溶け込む力は、あくまで気配を消すだけだと思っていたが……彼ほどになると自分の姿すら消せるらしい。
思ったより、大きな拾い物をしたかもな。
ローラーはそう考えつつ前に進む。
そのまま少し行くと、やがて眼鏡をかけた、一人の女騎士が現れた。
「よ」
まるで自分がいるのを初めから知っていたかのように、彼女は角から出たと同時に、間の抜けた挨拶をする。
七席騎士議会、第二席。崇務騎士団団長。
チーシャの上司にあたる人物だ。
「そんな顔をしていたんですね、先生」
「君こそ、存外きれいな目をしているじゃないか。どうだい? 久方ぶりの色彩というやつは」
「正しい表現かわかりませんが、野生に放たれた子羊のような気分です」
「おお、初めて君と会話が成り立った気がするよ。それだけ衝撃的な事実だったということか。なるほど」
彼女はうんうんと頷き、ローラーの頭をやや雑に撫でる。普段なら避けるところだが、特にその意味も感じなくなったローラーは、ただ黙って歩みを続けることにした。
そして他愛のない雑談を交わし、二人(実際は三人だが)は巨大な両開き扉の前で立ち止まる。
「お先にどうぞ」
「レディーファーストもできるようになったの?」
「いいえ。慣例では、先に追求側、その後に弁護側が入室する決まりになっていますので」
先生はつまらなさそうに「なあんだ」と言うと、ドアノブに手を伸ばし、力を込めてそれを押した。
カァンと音がして扉が開き、その向こう側の、開けたホールが全面に広がる。
右手に傍聴席、正面に証言台。左手は舞台のステージのように一段高くなっていて、そこには三つの椅子と長机が並べられていた。
「追求官、トリスタン・グレイ・ドルバロム。入室します」
「続けて、弁護官、ローラー・ペグ・ロイギラファ。入室します」
ホール全体に響くよう声をあげ、場が静まり返ったのを見届けてから、二人は足音を鳴らしてステージの階段を登る。
「緊張してないかい?」
「少しだけ」
傍聴席から見て右側にローラー、左側に先生こと、トリスタンが立つ。
全体をゆっくり見渡した後、背後の逆十字に敬礼。慣例の所作を終えて、二人は粛々と席についた。
「では、進行は私がとろう。構わないね?」
「ええ、どうぞ」
ローラーはなんとなくミストを探してみるが、完全に気配を消しているらしく、やはりその姿は見えない。
しかしそうやって首を振っていると、背中から肩を軽く叩かれた。どうやら後ろに立っていたようだ。
「これより、崇務院弾劾査問会を始めます」
先ほどとは違う威厳のある声色で、トリスタンが議会の進行を始める。
「査問担当官はやむをえず出席できなかったため、臨時措置として、追求官の私が査問官を兼任いたします。異論のある方は拍を」
無音。
罪を追求する立場の人間が判決まで担当するなど、あまりに異例かつ不平等極まりないことだ。しかし誰として、それに異を唱える者はいない。
崇務のトリスタンならそれぐらいはやる。そんな共通認識が、全員の間にあったからだ。
「席騎士の誇りと、逆十字にかけて、公平なる判決をここに約束します」
そして、もう一度咳払い。
「それでは被訴追人、チーシャ・カリーファの口頭陳述から始めます。
被訴追人、入廷!」
入ってきた場所とは別の扉が開き、そこから、汗だくになったチーシャが顔を覗かせる。
「…………」
「う、え、あの……」
ローラーは目が合わないように顔を背けた。
トリスタンは、ニッコリと微笑んだ。
「被訴追人、証言台へ」
「わ、私……」
「従わないのであれば、厳罰もやむをえませんが」
チーシャの足がふらつく。まるで、頭に石つぶてを食らって気絶しかけたかのように。
「う、うぅ……」
証言台に立ちすくむチーシャを、ローラーは未だに見ることができなかった。




