エピローグ3『保護者たち』
「あれはクルミ」
「へえ、あの鳥は?」
「カササギだ」
朝食後。俺はソーンを連れて、森の中をぶらぶらと歩いていた。
「リーフェンを連れて行く前に、彼女の了解を得るべきです」。キエリの言うことは筋が通っている。俺もそれが必要だとは思う。
いやでも、なんで俺がソーンの担当なんだよ。
流れで安請け合いしたが、よくよく考えたらその役割分担はおかしい。俺はソーンとまともに話したことがないし、そもそも少し前までは大分険悪だったし、なんなら今も仲は良くない。
それを言うと、キエリは「歳が近いので」と返してきた。歳て……よく知らないけど、イメージからしてエルフは長寿だろ、どうせ。
どうすんだ、ソーンが五千歳とかだったら。ジェネレーションギャップどころの話じゃないぞ。
と、そんな悩みを抱えた俺は、なかなか話を切り出すことができず、とりあえず「あれはなんだ」「それはなんだ」と質問することでお茶を濁していた。
「えーっと、あれは?」
「むかごだ。今年は早いな」
「ああ、ご飯に入れたやうまいやつか」
「ゴハンが何かは知らんが、うまいな」
ソーンはずっと不審げにしていたが、なぜか文句は言わず、俺の質問に淡々と答えてくれる。
こちらの気を察してくれたのか、あるいは暇つぶし程度に付き合ってくれているのか。真意はよくわからないが、ともかく今の彼女はらしくないほど寛容だった。
しかし、質問も無限に湧くわけではない。次第に「それはさっき教えた」が出始めて、そこを皮切りに無言の時間も増え、最終的に俺は疲れ果ててしまった。
こんなに話したのに、本題を切り出すタイミングは未だに掴めていない。骨折り損のくたびれ儲けだった。
「……昔は、よくリーフェンと森を歩いた」
そんなこんなで、休憩がてら草むらに腰を下ろすと、珍しくソーンの方から話しかけてきた。
「家族と共に森を歩き、『あれはなんだ』と質問して、森を深く知る。それがエルフの暮らし方なんだ。知ることで、私たちは自然と一つになれる」
「……恋人みたいなものか」
「まさしくそうだな。相手を知って、理解することは、互いの距離を縮める」
魔法の時の話を引用してみると、ソーンは満足そうに頷いた。彼女にとって、自然と魔法は似た物らしい。
「…………」
また沈黙。
少し、強めの風が吹いた。
ソーンがもたれる木がザワザワと揺れて、そこから赤い実が落ちた。彼女はそれを片手で受け止め、俺に見せる。
「これはゴジベリー。薬に使える」
「……知ってるよ。学校の裏山に生えてた」
「裏山?」
「人の多い街だと、どこもかしこも人工物ばかりになって、自然の居場所がなくなるんだ。だから学校とかに小さい山を作って、自然と触れ合う場所にする」
ソーンはそれを、微妙な表情で受け止めた。「人工の自然」という矛盾したものを、どう捉えていいかわからなかったらしい。言われてみれば確かにそうだと思った。
「エルフがいない世界だと、きっとそうなってしまうのだろうな」
少しやるせなさそうな顔で、彼女はそう言った。
もし俺たちの世界にエルフがいたら……きっと、かなり肩身が狭いはずだ。自然はどんどん人間に切り拓かれていくし、その度にエルフの生活圏は小さくなっていく。
そう考えれば、エルフが人間を憎む理由も、少しは理解できた気がした。
「ナカムラ」
「……なんだ」
「リーフェンを連れていくのは、好きにしていい。私にそれを止める権利はない」
エルフは誰にも従わない。だから、私がリーフェンを従わせるのは間違っている。
思い当たる節があるのか、自分を責めるように、彼女はそう付け加えた。
「だが、あの子は大切な家族だ。うまく形にすることはできなかったが……私は、あの子が思っている以上に、リーフェンを愛している」
「…………」
「本当のことを言うと、今でも転生者が憎い。その悪感情が誤りだと気づいていても、心は理屈で言いくるめられはしない」
「敵に家族を預けるのが、不安なんだよな」
ソーンは肯定も否定もしなかった。手の中で実を転がし、所在なさげに空を見つめていた。
「その不安を、できるだけ取り除くために来たんだ。キエリの提案でさ」
そして、「話してくれよ」と彼女を見つめる。かなりプライベートな話だろうが、リーフェンを預かる以上、俺が絶対に知らなければならないことだ。もはや他人事じゃない。
こんな俺でも、それぐらいの責任感はある。
「私たちの母は、重い病気を患っていた」
ソーンは草むらに座り、相変わらず空を見つめたまま、語りを始めた。
「体がみるみる衰弱し、立つこともままならず、食事もとれない。見ているのが辛かった。だから私も父も、どうにか治そうと必死で看病した。もちろんリーフェンもだ。
だが、一番母を熱心に治そうとしたのは……ミストだった」
「…………」
「ミストは、禁忌を破った。村に転生者を連れてきたんだ」
藁にも縋る思いだったんだろうな。誰に向けるでもなく、ソーンはそう呟く。
「父は私以上に厳格なエルフでな。自分の息子が転生者の力を借りようとしたことを、どうしても認めることができなかった。
だから、父はその転生者に罪を被せた。ミストを惑わした罰だと言って」
「……それで?」
ソーンが露骨に顔をしかめる。そこからは、かなり嫌な思い出らしい。
「私とミストの二人で、転生者を解放しに行った。夜中、みんなが寝静まった頃にだ」
「それは……予想外だな。あんたが転生者を助けるとは」
「その頃はまともだったからな。転生者の処刑を着々と根回しする父を止めたかった。
だが、その転生者を出したところで、ミストと意見が割れた。このまま村の外に出すか、すぐさま母の元へ連れて行き治療させるか」
ソーンは前者、ミストは後者か。
「そうこうしている内に……父に見つかってしまった」
「…………」
「父はその転生者を殺した。息子だけでなく、娘まで惑わしたのかと、我を忘れてしまったんだ。私やミスト、リーフェン……村のみんなが見ている前で、堂々と殺しをした」
それは平和を愛するエルフにとって、かなりショッキングな出来事だっただろう。彼らの認識を大きく歪めてしまうほどに。
「ミストは……その仕返しに、父親を殺したのか」
「ああ。これも全員の前でだ」
「……」
そこから仲間内で意見が割れたものの、「親を殺したミストの罪は重い」という点では、全員の考えが一致していたらしい。彼女は父に代わる代表者として、ミストを追放する判断を下した。
ミストは母の葬式に出ることもできなかった。彼は母を殺したエルフの思想と、自分を裏切った姉弟を強く憎み……やがて、復讐の鬼になった。
「村を守るために、必死だった」
ソーンは「ただの言い訳だが」と断ってから、そう口にする。
「まとめるものが存在しないエルフの村は、簡単にバラバラになってしまう。私は……皆をまとめるために、ミストを犠牲にしたんだ」
「でも、命は取らなかっただろ」
「いや」と、ソーンは首を横に振る。
「父が転生者を残虐に殺した時点で、私たちは見切りをつけるべきだった。村を捨てるべきだったんだ。
血濡れた歴史の上にある集団など、どうせロクな物にならない」
「…………」
歴史……それが、意地か。
人は歴史から過ちを学び、それを繰り返さないようにする生き物だ。
でもエルフは違う。紙のような正確なものではなく、口伝えに歴史を紡いでいく。彼らにとっては、本に書かれたことよりも、口から出た言葉の方がはるかに重要らしい。たとえそれが彼らの愛する伝統を不正確にしても、だ。
歴史から学ぶことができない彼らは、未然に過ちを防ぐことしかできない。
「だから……エルフは厳格でなくてはならない。それが私の信念だった。結局は過ちだったがな」
ソーンは説明を終え、俺の隣に座る。
彼女はずっと森を見つめていた。どれだけ歴史が歪もうと、唯一変わらずそこにある、広大な自然を。
「……エルフも所詮、その程度だ」
彼女の口調には、諦めではなく、悔しさが滲んでいた。
「自然などと言う人工の言葉に囚われ、正誤不確かな伝統にしがみつく……結局は、生きるので精一杯」
また、強い風が吹く。
草がさらさらと揺れ、上から幾つかのゴジベリーが落ちてきた。その一つが俺の前を転がり、靴に当たって止まる。
その実を拾いあげ、一口齧る。
「……まずい」
「生で食べる物ではないからな」
「渋みがすごいな」
「乾燥させれば美味くなる。母にもよく食べさせた」
実の中身は、その表面と同じ赤色で、中には種が所狭しと詰まっていた。プチトマトの断面によく似ている。
「……ソーンは、エルフなんだな」
「今まで気づいてなかったのか?」
「生き方がだよ」
真顔で素っ頓狂なことを言うソーンを、呆れつつ見上げる。
「エルフとして生きてる。そうだろ?」
「当然だ。エルフなのだから」
「でも、それは誰かが決めた生き方だ。ソーンの物じゃない」
「…………」
「人工の生き方をなぞるのは、自然じゃない……と、俺は思う」
「なるほど……」
ソーンはそれに感心した様子で頷く。
かなり偉そうなことを言ったので、気を悪くさせるかもと心配していたが、杞憂だったらしい。
「なぜ私がリーフェンの言葉に胸を打たれたのか、理解できた気がする」
「…………」
「あの子は、誰よりも自分らしく生きようとしたんだな。それこそが自由で、自然な、本当のエルフの姿だった」
「ああ。俺もそう思うよ」
エルフは誰にも従わない。自然で自由。それはまさしく、ありのままに生きるということだ。
自然が変わらないように、人の心も、決して変わらない部分が存在する。そこに自然がある。たとえ焼け落ちようと、同じような木を生やす……強かな自然があるはずだ。
「私は……結局、良いエルフにも、良い姉にもなれなかったんだな」
そう言って自嘲気味に笑い、俯く。ここまで弱った表情をするソーンは初めて見た。
「リーフェンには、ミストになって欲しくなかった。それがずっと恐かったんだ。私はただ、恐れていただけ」
「それは、リーフェンを誰よりも愛してるって証拠だろ?」
「……どうだろうな」
「今は伝わらないかもしれない。でも、そういうのは後になって効いてくるもんだ」
たとえどんな形になろうと、そこにあった想いは変わらない。いつかきっと伝わって、その人を支える力になるはずだ。
俺の脳裏に、タバコ臭くて、頼りない笑顔が浮かんでいた。
「絶対、ソーンはいい姉だ。ちゃんと弟を愛してたんだからさ」
「……」
「きっと、伝わる」
「だと……いいな」
風が吹く。
揺れる木々の隙間に、ふと、焦げた森の一部が見えた。
折れた木々が黒い炭となって地面に転がる、無惨な光景。
しかし開けたその場所には、日光を存分に浴びて、気持ちよく双葉を開かせる新芽の姿もあった。森はこうして元に戻っていく。一見同じのようで、その実は全く違う形へと戻っていく。
その違いがきっと、成長という物なのかもしれない。
「一つ、頼みがある」
「何でも言ってくれよ」
「月に一度だけでいい。手紙を書かせてくれ」
「……わかった。約束だ」
小指を伸ばし、それをソーンに見せる。
彼女は一瞬怪訝そうに眉を上げたが、小さくため息を吐き、こちらを向いた。
「一応言っておくが、預けるだけだからな」
「わかってるよ」
「必ず連れて帰れ」
「わかってるって」と俺が苦笑すると、ようやく、ソーンはその指を握った。
「なら、約束だ。リーフェンを頼んだぞ」
「任せろ」
さて、あとはキエリ次第だな。
そう考えて立ち上がり、ふとソーンの方を見る。
「……」
「……なんだ?」
「さっき、遠回しに『死ぬなよ』って言ったか?」
「ふっ、図に乗るな。殺すぞ」
やっぱブレねえな、ソーン。




