第一章28 『終撃』
頭が、張り裂けそうだ。
関節に空間ができたような、否応ない脱力感……最早、立っているのがやっとだった。
視界の端では白だか黒だかもわからない閃光がパシパシと走り、意識を消失へと誘っていく。
俺は……なんで、立ってるんだろうか。
わからない。しかし何故か、そうしなければならない気がした。
「ナカムラっ!」
バタっと、薙ぎ倒される。
「あ……リー、フェン?」
見たことのある、銀色のつむじ。
「とお」
「ヴッ!」
その上から角女。
「き、ギエリ……!」
「リーフェンに先を越されたので、ムシャクシャしてつい」
「つい」じゃねえよ。
「ぼく、怪我人なんだけど……!」
「私だってすごく……すごぉ〜く頑張ったんです! ちょっとはチヤホヤしてください!」
キエリの角が顎の辺りを往復し、ゆっくりと俺の顔面が焦げ始める。
ヤバい。マジで死ぬ。
「なのに二人でイチャイチャと……! 私だけ仲間はずれですか! あーそうですかっ!」
「キエリってそんな感じだっけ⁉︎」
「うわぁ〜ん! リーフェンだけズルいぃ!」
「キエリがこわれたぁ!」
一番の怪我人をガン無視して二人はギャーギャーと騒ぎ始める。「誰か助けてくれ」と思って周囲を見回すが、ダークエルフたちは対応に困ったように顔を見合わせたり、微妙な苦笑いをするだけだった。
ああ、終わった。そう考えて前方を見ると、そこには杖を振り上げたソーン……
「馬鹿者」
「あうっ!」
「いたい!」
一瞬、自分が殴られるのかと思ったが、ソーンの狙いはキエリとリーフェン頭だった。コッと軽快な音が二回鳴る。
「二人して死にかけに抱きつくな。トドメを刺すつもりか?」
「リーフェンが悪いんです!」
「どう考えてもキエリが悪いよ!」
「いいから早く退け!」
なんか……もう慣れてきたな。このノリ。
「まったく……貴様は周りの人間を馬鹿にする能力でも持ってるのか?」
ソーンは二人を杖で退かし、呆れ気味にこちらの顔を覗きこむ。「冗談じゃねえ」と言いたいが、もう声も出せない。
「どうやら、まだ息はあるようだな。残念なことに」
「は……」
「……今のは、笑ったのか? 驚いた。あれほどの魔法を使って、そこまでまともな意識が残っているとは」
相変わらずこちらをゴミのように見つめるソーンだが、その口調には素直な驚きが込められていた。とりあえず褒められたと前向きに解釈しよう。
彼女は腹をおさえて少し咳き込んだ後、「誰か、消化のいい食べ物を」と指示を送る。
「は、はい。これ……」
「ありがとう、ディアー」
すぐにダークエルフの女性が、怯え切った足取りで皮の水筒を持ってくる。目が合うと「ひっ」と悲鳴を上げて逃げていった。
あいつ、俺に水ぶっかけたやつだ。
それを覚えていた俺は、彼女がエルフの集団に戻った後も、口の中に温かいスープが注ぎ込まれている間も、ずっとディアーとやらを睨むことにした。
「……聖教会を敵に回してまで助けてやったんだ。もうお互い様でいいだろう?」
「まあ……少しぐらい、仕返しさせてくれよ」
「む、もう喋れるのか?」
「ギリギリ、な」
体に温かい栄養が巡ると、ほんのり力が戻ったような感覚がした。いつのまにか胸の傷も塞がっている。
俺の再生能力には中々の即効性があるようだ。パッとしない能力だと思っていたが、意外に強いかもな。
「お、おい」
「うそだろ……?」
そんなことを考えていると、エルフたちがやにわに騒き始める。彼らは一斉に矢をつがえ、俺の背後に狙いをつけた。
俺もそちらを向く。
「崇伐は、終わって、ません……!」
ローラー・ペグ・ロイギラファ。
全身から血を流し、顔の右半分は酷く焼けただれ、足をガグガクと踊らせる。彼の青いマントは焼け落ち、鎧は熱と衝撃により破壊され、今や半裸に近い状態だった。
それでも彼は、残った左腕で釘を握っていた。
死の淵に立ち、忘我にあってもまだ、心に残る崇伐への執着心。
「ナカムラ……私は、まだ、立っています」
一心に、こちらを見つめる。
縫い合わせた瞼の向こうから、熱烈な視線を送っている。
「しつけえ、やつだな……!」
あいつの相手は、俺だけだ。なけなしの気力を振り絞って立ち上がる。
「まだ戦う気ですか⁉︎」
「だ、ダメだよ!」
止めようとする二人に「黙って見てろ」と片手で伝える。
そしてリーフェンから小ぶりのナイフを受け取り、俺はゆっくりローラーへ近づいた。
「思い出し、ました……」
あと一歩踏み出せば、間合いに入る。
そんなところで、ローラーがふと口を開いた。
「あなたに、なぜ……ここまで執着したのか」
それはこちらに向けてではなく、独り言や、うわ言に近いセリフ。目線を足元の空に泳がせ、何か見えない物を見つめている。
「…………」
ローラーが見つめていたのは、思い出だった。
走馬灯。
彼もまた、ナカムラと同じように、大切なことを思い出していた。
「声……あなたの声は、父に似ていた」
低くて、少し力のない、優しい声。彼を逃した後も、私の胸に残り続けた。
ローラーは空を見上げる。そこに父はいない。どこにもいない。
もう、いない。
だから、ずっと探してしまう。
「父は、屠畜場の狩人でした」
「…………」
「毎日、毎日。羊を吊るし、釘を打ちました。あがかせ、もがさせ、血を落とさせました。臓腑を抜き肉に変えました。それを市場で売りました……」
父は言っていた。鎖で吊るし、釘を打った後、あえて羊を暴れさせるのだと。
それは決して痛めつけるためではない。むしろ逆。羊が暴れると多くの血が流れ、その死を加速させる。
苦痛からの、解放……その、手助けだった。
「父はそれを……たった一人でやっていた」
『血濡れたガキに食わせる飯なんかねえよ!』
『汚ねえな、失せろ!』
「一人、で……」
『あいつの親父、羊殺して気持ちよくなる変態なんだってさ』
『人も殺したらしいぜ』
『気持ち悪い』
「……」
そうだ。
そうだった。どうして、忘れていたんだろう。
「私は父を、尊敬していました」
「……」
「涙を、流していました。家畜の最後の言葉に、耳を傾けていました……!」
『誰かがやらなきゃいけない、汚れ仕事だ』
「人々が目を背けた、命の重さに! たった一人で向き合っていた!」
『それを引き受けられるのは、光栄なことなんだよ。ローラー』
「どう、して……」
優しく、壊れそうな笑顔。
父は眼鏡をかけていた。
目が悪いと急所を外して苦しめてしまうからと。
家畜たちの最後を看取ってやれないからと。
そんな優しい、大好きな……
「……父さんのように、なりたかった」
父さんが人々の暮らしを守ったように……私は、逆十字の煌々とした輝きに血と臓腑が飛び散らぬよう、手を汚し続けたかった。
父は、罪の重さに耐え切れなかった。
私も、罪から目を背けてしまった。
瞳を塞ぎ、快楽に溺れ、自分を誤魔化し続けてきた。
「だから……忘れてしまった。罪を重ねることが、目的に、なっていた」
ローラーの体が、ゆらりと揺れた。
そのまま倒れるかのように思えたが、足をぐっと踏み込み、耐える。使命ではない。彼の意地と信念がそうさせた。
「まだ、私は……罪と向き合っていない!」
それを、あなたが教えてくれた。
「崇伐の罪を! 命の重さを! ここで知った!」
「こいよ、ローラー……」
「終われない! こんなところで、終わって……ッ!」
焼けた喉を鳴らし、吠え、突撃する。
「あなたを、崇伐する――ッ!」
「やってみろよ、ローラァッ!」
ナカムラも踏み込んだ。
両者が互いに接近。一つの塊になるかのように、混ざり合う。
――ドシュッ!
「…………」
手応えが、あった。
そう思う一方で、ローラーは敗北を確信していた。ここに立つ以前、火球を喰らった時点で、彼の勝ち目はなくなっていたのだ。
意地と信念が彼を動かし、心が劇的な終わりを渇望した。締めくくりを求めていた。彼なら……ナカムラなら、それができると……!
「お見事、です……」
ナカムラの左手に刺さった釘。そこから手を放し、ローラーはふらつきながら後退する。
「報いを受けろ、ローラー」
今まで何度か向けられた、その言葉。
「目を、開けるんだ」
瞼に力をこめると、闇に亀裂が走った。
ローラーは思わず恐れた。それでもなぜか、目を開けることを止めはしなかった。差し込む光は救いではない。それでも心は求めている。そうあれかしと叫んでいる。
「ッ――!」
しかし、彼の目に飛び込んできたのは、汚れた自分の姿ではなかった。
強い光。網膜を貫いて眼孔へと至り、脳に焼き付くような、朝焼けの太陽。
一際高く、雄大な山峰の頂から、心を打ちのめすような光が迸る。空は朝焼けの桃色に美しく染まり、山峰の雪は光を反射してキラキラと輝いていた。
空の雲は、どこまでもどこまでも広がっていた。見渡す先の、その先まで。遥か遠くに広がって……。
美しい。偽りのない、不自然さがない、妄想などとは比べ物にならないほどの……絶景。
「私、は……」
何を、求めていたのだろう。
今や心を奪うのは罪の重さではなく、世界の美しさだった。
それのなんと、罪深いことか。人間は驚くほどに矮小だ。
十年は抱き続けた己の信念が、十年経っても変わらない景色に、いとも容易く破壊された。
「私は……罪の重さを、知っていたのに……!」
ローラーの美しい藍色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それは降り注ぐ太陽の光を受けて、黄玉のようにきらめき、地に落ちた。
やがて、彼の膝がそれに続く。
空にもたれるように、呆然と景色を見つめ、失意と感動の波に飲み込まれた。
「次は、命をとる」
地面に落ちた糸を拾い上げ、ナカムラはそれをポケットに入れた。
今回はこれで許してやる。
つまりはそういうことだ。
「死んだら、やりなおすことも……できない」
それを転生者の自分が言うとは、なんとも皮肉な話。
そう、しみじみと考えて。誰かの歓声を聞いて。映像を脳裏に焼き付けて。
ナカムラは、意識の糸を手放した。




