第一章26 『生きることを諦めるな』
「ナカムラは……怖くないの?」
まっすぐ炎の向こう側を見つめていると、リーフェンが震える声でそう言った。
「怖いよ」
そりゃあ怖い。それが素直な感想だ。
「死ぬのも、殺すのも、どっちも怖い。怖くてたまらない」
慣れ、極限の状態、再生能力……多くの要素が、俺の恐怖を霞ませた。
しかし霞んだだけ。恐怖は今も心にある。ここに立つ自分を、引き返せ、諦めろと揺さぶってくる。
「でも、それでいいだろ」
「……」
「命を傷つけることに、何の恐怖も感じない奴なんて……死んだ方がずっとマシだ」
リーフェンの方を見る。
涙を流し、こちらを見上げるリーフェンを。
その奥には、力を使い果たしたキエリもいた。
「でもここで諦めたら、全員の努力が無駄になる」
「そう、だけど……」
「全員っていうのは、キエリだけじゃない。俺たちが生きてきた上で犠牲にした全てだ」
俺たちは、生きる上で多くの命を犠牲にする。
牢屋では自分の命を優先し、一人の女性を見殺しにした。自分の身を守るため、聖教会の連中を攻撃した。
食事だってそうだ。野菜も、肉も、魚も、全ては元々生きていた命だった。
みんな、生きるために努力してきた。その努力を俺たちは栄養として摂取する。自分が生きるために。
「俺たちは、莫大な数の命の上に立ってる。だから俺たちの命には価値がある」
それが、生き延びてきた歴史。
「立ち向かってもいい。逃げてもいい。でも、生きるを諦めるのだけは、許されない……!」
自分の命をないがしろにした、罪。
「犠牲に報いるため、がむしゃらに息をする……俺たちにはその義務がある!」
――ドォン!
炎を撒き散らし、宙に浮かぶ四本指の手と、ローラーが現れる。
彼の右腕はひしゃげて曲がり、頭からは血が滴り落ちていた。しかしその左腕には、しっかりと釘が握られている。
「ナカムラ……!」
リーフェンが警告するより先に、ナカムラはそちらを向いていた。彼の準備はできていた。
あとはリーフェンに、伝えたいことを伝えるだけ。
「生きることに意味はねえ。でも生き延びることには、いつだって意味がある……」
リーフェンの顔は見えない。彼は敵を見据えている。
だが、くっと息を呑むような音が微かに聞こえた。きっと伝わったはずだ。
「リーフェン、お前に喜びを教えてやる」
ジッポーの蓋を開く。パシィンと、目が覚めるような金属音が響いた。
「生き延びる……喜びを!」
「創世の、アウロラ――」
ローラーの口が動いたと同時。堰を切ったように二つの手が襲いくる。
「火よ!」
ジッポーを横なぎに振り、ナカムラは炎の壁を作った。続け様に横へ飛ぶ。
――ブンッ!
そのすぐ近くを、浮遊する拳が通過。この程度の炎は通じない。次の攻撃から逃げるため、ナカムラは即座に立ち上がる。
しかし、やはり彼はあくまで一般人。突撃してくる二つの手を、たった一人で対処できるほど素早くはない。
炎をかき分けて出現したもう一つの拳が、ナカムラを横から殴り飛ばす。
「ッ――!」
そこは予想していた。だから、体を捻って衝撃を和らげた。
予想外だったのは、和らげてもなお骨が軋むほどの、圧倒的な威力。
ブーカほどの重さはない。だが、ナカムラの姿勢を崩すには十分だった。彼はぎこちない踊りの如く回転し、足をもつれさせ、地面に倒れる。
「火力がッ……!」
魔法の火力が、弱すぎる……!
それもそのはずだ。魔法を強くするのは愛着で、愛着は時間をかけて育むもの。しかし彼の魔法には、それが致命的に欠けていた。
恐怖を克服した程度ではせいぜいマイナスからゼロになっただけ。ローラーを相手にするには、あまりに力不足だった。
「しょせん、あなたは……口だけです」
そしてナカムラの後方で、釘を構えたローラーが土煙を上げる。
聖水が切れ、体も心も満身創痍。しかし動く。
少年の顔からは狂気の笑みが消えていた。
「覚悟や葛藤がァ! あなたに何を与えてくれたんですかッ⁉︎」
ローラーは二つのアウロラを足場にしてピンボールさながらに左右へ飛ぶ。
「っ……⁉︎」
真正面からの攻撃だと思っていたナカムラは反応が遅れた。彼の目がローラーを捉えた頃には、既に懐に入り込まれ、釘がゆっくりと皮膚を貫き……
「それが、なんだァ……イカれ野郎」
「――⁉︎」
「漠然と生きてる、お前なんかとは違ェんだよッ!」
倒れこむ直前でローラーを掴み、地面に叩きつける。
気合いで再生し、気合いで投げた。
覚悟や葛藤が与えたものは、まさしくその気合い。彼の動きには一片の迷いも存在しない。
「火よ!」
「アウロラ!」
同時に魔法を使う。
初動は確かにナカムラの方が早かった。しかし、ジッポーに点火するワンアクション。その差が明暗を分けた。
「ガッ……!」
アウロラの突撃。ナカムラの体が折れ曲がる。
受け身を取るが間に合わず、地面に衝突し、また宙を跳ねた。
「……ッ!」
そこに迫る、もう一体のアウロラ。
指を二本、突き刺す釘のように伸ばし、ナカムラの胴を速度のままに貫かんとしていた。
「木よ!」
その横から、先の尖った木の枝がうねりながら突撃する。
「ナカムラッ――!」
――ドシュッ!
もう一度魔法。
ナカムラの着地を狙った、もう一つのアウロラに枝が突き刺さり、地面に縛りつける。
「リーフェン……!」
「はぁ……はぁッ!」
彼の手には、折れ曲がった月桂樹の棒……いや、弓だ。リーフェンの弓。家に置いてきたはずが、なぜか近くに落ちていた。
愛着のある弓を使った、木の魔法。その威力は言うまでもなく強力だった。アウロラを抑えるには十分……だが、
「だめだ……!」
リーフェンの心を支配したのは安堵や手応えではなく、無力感。
異形のアウロラを攻撃することはできた。しかしローラーは人間。彼は攻撃の直前で、やはり命を傷つけることに躊躇してしまった。
ローラーはとっくに起き上がっていて、ナカムラに追撃を加えようと走り出していた。
それを止めようと魔法を唱えた。しかし、発動しなかった。
「これで……終わりですッ!」
リーフェンは思わず目を閉じた。
しかし、そこに
――放てッ!
鼓膜を貫く号令。
無数の矢がローラーへと降りかかる。
「ッ、くっ……! 崇伐の、邪魔をォッ!」
「知ったことか。我らエルフは誰にも従わない」
月桂樹の大杖。銀髪のダークエルフ。エルフの戦士たちを背後に従え、カッと杖を鳴らした。
射ち方やめの合図。
「立て……転生者!」
ソーンは覚悟を決めた。意地と信念を捨て、世界の不倶戴天に与する覚悟を。リーフェンの言葉が彼女たちを変えたのだ。
「啖呵を切るなら、行動で示してみせろ!」
「偉そうに――ッ!」
アウロラで矢を防いだローラーの頭上に、一つの影がかかった。
常人ではおよそ不可能な高さまで跳躍したナカムラ。魔法で炎を足に巻き込み、錐揉み、赤熱した足を振り下ろす。
先ほどのブーカ戦……その時見たイメージを、脳内で鮮明にッ……!
「爆羅ァ――ッ!」
アウロラの片方に直撃し、カッと爆炎が上がる。
見よう見まねの、キエリの必殺技。本物には遠く及ばない威力だが、確かにその効果はあった。
魔法を強くするのは愛着。しかし、それが全てではない。ナカムラは知らずにやったが、魔法に対する強大かつ鮮明なイメージも魔法を強くする要素の一つだった。
それはキエリの爆羅を間近で目撃し、直に喰らったナカムラだけができた、芸当――!
「グラティアナだけでなく、アウロラまでッ……!」
爆炎を一身に受け、灰燼に帰していくアウロラ。
肌を刺す熱の痛みが、閉じた瞼を貫通する強い光が、聖水に溺れたローラーの脳を鮮明にさせた。
「崇伐……崇伐ッ!」
狂気に染まり漠然と遂行した使命の、そこにある本懐を思い出させた。
「私は、崇伐しなくてはならないッ! たとえこの身が焼き果て灰になろうと、罪に汚れ苛まれようと、体が動く限り崇伐するッ――!」
右腕が折れても左腕は動く。アウロラはまだ一体残っている。動く限り崇伐する。動く限り崇伐するッ!
「私が休むことは、許されない!」
追撃を加えようと足を振り上げたナカムラ。その横からアウロラが突撃し、彼を燃え盛る森の奥へと吹き飛ばす。
釘を握り、歯を食いしばって地面を蹴る。
炎を頭から被り、一心不乱にナカムラを追う。
「私が、私だけがッ!」
「くだらねェ……! もう終わりなんだよ!」
取り憑かれたように迫るローラーに、ナカムラはジッポーを使って魔法を唱える。
が、点かない。
「ウソだろ……⁉︎」
「崇伐ッ!」
ここに来てのオイル切れに狼狽する彼の上に、ローラーがのしかかる。その奥には、宙を飛んでこちらに近づくアウロラ。
「クソがッ……!」
出鱈目に振り下ろされる釘を、腕を犠牲にして防ぐ。アドレナリンのおかげで痛みは薄いし、ローラーの力は大して強くない。
しかしアウロラの援護が来る前にローラーを退かさなければ……
「ガア゙ァ゙ッ゙!」
釘を左手で受け止め、握る。痛みを吠えて耐える。
「退けッ!」
腕を持ち上げ、ローラーを思いっきり蹴り飛ばした。しかし仰け反るローラーのすぐ後ろには、拳を握ったアウロラ。
間に合わなかった。
「かっ……あ」
真正面から、上半身をへし折る一発。ナカムラの体が一回転する。
体も心も限界で、今や再生能力はほとんど機能していない。そこで喰らった攻撃。あまりにも重いダメージだった。
「ぁ……⁉︎」
しかしそんなことよりも、ナカムラを絶望させたのは……空中でゆっくりと回転する、ジッポーライター。
拳を喰らったはずみで手を離してしまったのだ。
しかもそれは、あろうことか火の海めがけて飛んでいった。放物線を描き、伸ばしたナカムラの手を掠めて
パサッ
炎に、沈む。
「…………」
もはや、声も出なかった。聖教会に憎まれ、龍に憎まれ、エルフに憎まれ……異世界の全てが俺を憎んでいた。その上で、自分は天からも見放されたというのか。
どっ、と、釘が胸を貫く。
「これで、終わりですッ……!」
視界が、上に、上に……何も見えなくなる。
こんな、とこで……
「終わって……たまるかッ!」
まだ、死んでねぇ!
気合いでローラーを振り払い、頭突き。火花が散った。互いにのけぞる。
しかし、どちらも倒れない。
「……」
「……」
ただただ睨み合う。
体が動くまでの小休止。その代わりとばかりに目線で殺し合いを続けた。
「あっ、づっ……!」
釘を引き抜くと、血がドクドクと湧き出し、地面に血溜まりを作る。
通常ならすぐ治るのに、胸の穴はいっこうに塞がる気配がなかった。再生能力の限界がきたのだ。今や、失血死を水際で防ぐだけで精一杯。
「しぶとい……あなたのような、転生者は、初めてです」
「それが俺の、ウリだから……な」
しかし、回復手段を失ったのはローラーも同じ。そして満身創痍なのも同じ。
唯一異なるのは、味方の存在。
ナカムラは能力を失い、魔法の手段すら失った。彼にできることは、この二対一の状況で、無謀な肉弾戦を仕掛けることだけ。
そう、思っていた。それがローラーの見立てだった。
「崇伐の時間は、終わったんだよ……!」
しかし、ナカムラは少しも諦めていなかった。
一瞬、脳裏をよぎった走馬灯。ナカムラはそこに勝ち筋を見たのだ。
「朱に交われば赤くなる……!」
思い出した。かつて父が自分に送り、これまでをずっと支えてきた、大切な言葉。
「親父……」
朱に交われば赤くなる。
「愛着のあるジッポーから出た火」に、俺は愛着を感じる。
ならば、「愛着のあるジッポーを燃やした火災」は、どうなるのだろうか?
「火よ!」
きっと愛着を感じるはずだ。
そう信じ、ナカムラは腕を振り上げた。最後の魔法を唱えたのだ。




