第一章22 『紅龍』
「はっはっは! あっちー!」
足が止まるほどに圧迫してくる炎を、ブーカは「あっちー」などと笑い飛ばす。
「ほらァ! つぎつぎやらねえと、つぎつぎ来ちゃうぜ⁉︎」
「くっ……!」
これほどまで、炎を無力に思ったことはない。
豪炎を浴びせようと、炎で壁をつくろうと、ブーカはお構いなしに突っ込んでくる。
キエリは予想通りの苦戦を強いられていた。第一龍態はあくまで龍の基本形態で、全開には程遠い。ブーカのような強敵にはまるで通用しなかった。
ただただ時間が過ぎ、力を消耗していく。
「灼!」
飛んできた手斧を、炎の鞭で落とす。あまりに非効率的な回避だが、他に手がなかった。
しかし、その判断が裏目に出た。
「アツいだけじゃ、あたしは死なねえぞ」
炎はプラズマ。固体ではない。
ブーカにとっては、自分の突進を隠すための煙幕のようなものだった。
炎の中からブーカの顔が現れたかと思うと、次には斧が飛んでくる。
――ゴッ!
脇腹に直撃。ブーカの斧はなまくらで、それはキエリの硬い皮膚を裂くことはできない。
「ぐ、ぅ……ッ!」
代わりに来たのは鈍痛。内臓が抉れたのかと思った。
だが、キエリにも踏んできた場数がある。
攻撃を喰らい、悶えるだけで終われば、即座に詰将棋が始まってしまう。ブーカはそれほどの強敵だ。少しでも気を抜けば、それが死へと直結する。
私は常に、背水の陣で戦っている……!
その覚悟が、キエリを強くさせた。
「はぁッ!」
「うおっ……」
吐き気をこらえ、ブーカの肩に手をかける。
そのままブワリと浮き上がり、背中の上で逆立ちの姿勢をとった。
「爆!」
ブーカの首を中心に横方向へ回転。その勢いを乗せて、跳び膝蹴りをしかける。
――ボゴォン!
小規模の爆炎が上がり、ブーカの頭が弾け飛んだ。キエリは宙を回りながら距離を取る。
着地して煙の向こうを確認しようとした……が、すぐに判断を改め後方に避難。
そこに斧が突き刺さる。危ないところだった。彼女との戦いは、一縷の「倒した」という希望すらも許されない。
「五分五分ってとこかー?」
「……つまらない冗談ですね」
向こうは無傷も同然にピンピンしていて、片やこちらは傷も負った上に、残り時間もわずか。
やはり、勝負は明らかにキエリが劣勢だった。
ドワーフへの恐れが火を弱めた。ブーカが予想よりもはるかに強かった。
理由はたくさんある。
しかし、不可解な点が一つ。
「力が、出ない……」
奇妙だ。周りは炎で、自分は今、絶好のコンディションなはず。
予想だと、10分は全力を出せるはずだった。
まだ3分しか経ってない。なのになぜか、限界が目と鼻の先にある。
「どーしたぁ? あたしはまだ腹ペコだぜー?」
斧で炎を一閃し、ブーカはケタケタと笑う。
彼女はこちらの限界に気づいていた。その上で踏み込んできている。有利な持久戦ではなく、あえて全力のぶつかり合いをしかけ、不利のスリルを楽しんでいる……!
「リュウも大したことねーなぁ。そろそろ飽きてきたぜ」
「……」
「ほら、もっと頑張れよ」
好戦的で、野蛮。
まさしく生粋のドワーフ。
「やるならトコトン。限界ギリギリぶっちぎってかかってこいよ!」
ドワーフの戦士は、神からの寵愛を受けて肉体を強化する。露出度の高い鎧はそのためだ。
キエリの炎を受けてピンピンしているのも、蹴りを軽くいなすのも、斧で軽々と大地を抉り抜くのも。
全ては、神の恩寵を受けているから……
「オラァ!」
だとしても、あまりに強すぎる。
ブーカが右に跳躍したので、とっさに防御の構えをとった。しかし鈍痛が走ったのは、左。
まるで瞬間移動。化け物じみた俊敏さで視線を翻弄し、防御の隙を力任せに殴り飛ばしたのだ。
「ほらァ! 頑張れっ……てェ!」
浮き上がったキエリの腕を空中で掴み、逆方向、地面へと叩きつける。地を割る衝撃。キエリは思わず白目を剥いた。
まだ、ブーカのターンは終わらない。
苦痛に悶えるキエリの服に斧を投げつけ拘束。そのまま全身を捻って、体重を乗せたパンチを繰り出した。
「くっ!」
「いいねぇ! そのチョーシ!」
キエリの服は炎に耐えるほど頑丈だ。ブーカの斧は正確にそれを突き刺したが、食い込むだけに終わり、キエリはなんとか回避に成功した。
しかしブーカは速い。速すぎる。
キエリが地面を蹴って飛び上がる頃には、とっくに次の攻撃へと移っていた。着地点へと先回りし、待ってましたとばかりに斧を振り上げる。
死。顔面に迫りくる刃先に、その一文字がよぎる。
「火よ」
パシンと音がして、キエリに迫ったブーカを炎が包み込んだ。
キエリはその隙を逃さず、一瞬止まったブーカの斧を横に払いのけ、転がるように着地。
助かった……!
ようやく地に足がついた時、改めてそれを実感した。彼女の視線の先には、ジッポーライターを構える、大柄な男性。
「ジッポーで炎魔法なんて、ちょっとシャレてるよな?」
リーフェンから教わった、付け焼き刃の魔法。
威力はない。だが、目眩しには十分。
「ありがとう、キエリ。もう大丈夫だ」
実際はちっとも大丈夫じゃない。しかし再生能力という強固な後ろ盾が、ナカムラを強気にさせた。
それはつまり、死と、痛みへの「慣れ」だ。キエリの修行は決して無駄ではなかった。
そして、もう一つの希望。
「力が……!」
ナカムラの炎がキエリの眼前を通過した時、一瞬、力が湧いた。
理由はわからない。だが、この好機を逃す手はない。
「第二龍態ッ!」
キエリ周辺の空間が、ぐにゃりと曲がる。
陽炎だ。急激に熱せられた空気の対流が、空間の歪みを想起させるほどに濃く、激しくなった。
角が炎を上げて赤熱し、彼女の肌が褐色に染まる。
全身の戦化粧は白く発光し始め、へそを中心に炎の紋様を描く。
「炎を前に、虚無を知れ」
見開いた目には、縦長の瞳孔。
「全ては灰燼に帰する。故に空。虚無である」
その姿は、まさしく龍人。紅龍本来の姿。
「おー……?」
これにはさしものブーカも、初めて身の危険を感じた。彼女の頬を汗が伝う。
「5秒……」
それ以上は命に関わる。
キエリは即座に作戦を立て、実行の決断を下した。彼女の見つめる先には――
「ナカムラ……!」
その声で彼は全てを理解した。
「……仕方ねえな」
――パシィン!
ジッポーの音が鳴り、またブーカに炎が迫る。
「だから、効かねえって!」
こんな奴の相手をしてる場合じゃない。ブーカは横に飛び退いて回避した。が、そこにはナカムラ。
「バカだから、動きが読みやすいんだよ!」
「っ!」
組み付く。しかしブーカは岩のように頑丈だ。びくともしない。
「意味ねえって……言ってんだろうがァ!」
――ドゴォッ!
膝蹴り。ただの膝蹴りではなく、ブーカの、全力の膝蹴り。
その威力たるや、腹に食い込むどころか、貫きかねない強さだった。骨の砕ける音に混じって、湿り気のある、血の音。ナカムラの視界が白く輝く。
しかし、これでいい。
バカだから動きが読みやすい。組み付かれたら、逆上して俺を狙うのは読めてた。
「だから、これでッ……!」
いいんだよな?と、キエリの方を見る。
ナカムラの炎を空中で回収し、赤熱した足を振り下ろす、キエリを。
「――爆羅」
赫赫たる一閃。
直撃地点がカッと輝き、爆発。
天に昇る火柱はとうとう雲をも貫いた。急激な酸素濃度の低下により、突風が森を吹き抜ける。
5秒。
「は、ははっ! すげえ……! こんなん初めてだぜ!」
しかしまだ、終わっていない。
ナカムラが死なない程度に手加減したのだ。それで応える相手じゃないのは、すでに嫌というほどわかっていた。
「紅龍王様……」
だから、出し惜しみはしない。
一度決めたことは、決して曲げない!
――ドンっ!
「あ……?」
ブーカの体がよろめく。
初めて見せた驚嘆の表情。
抜群の反射神経。人外じみた身体能力。あらゆる危機を察知する、野生的な勘。
それら全ての隙間をかいくぐった、突進。
地面の焦げた木が突如動き、ブーカを横から突き飛ばした。
「人間って、すげえよな……」
否。それは木ではない。
「こんな体でも、動けるんだからさ!」
パリッと表面の炭が剥げて、笑みを浮かべたナカムラが現れる。
それは、勝利を確信した、笑顔……
ブーカの注意が、一瞬ナカムラに逸れた。
そこを見逃すはずがない。それは致命的な隙だった。
キエリは両手を胸の前にかざし、三角形をつくる。
「灼煉」
するとその中心に渦を巻いて炎が出現し、小さく、小さくまとまり始めた。
「――ッ!」
声にならない唸り声。龍の雄叫び。
その音が大きくなるたびに、彼女の手の中にある、ビー玉のような火球が熱を増した。
「ヤバい……」
腰に下げた革水筒からボコボコと音が聞こえ、ブーカは口の端からそんな言葉を漏らした。
しかしもう遅い。彼女の身体能力でも、今から立ち上がって回避するのは不可能だ。本能がそう告げていた。
「蒼紅の界を、赫く染めよ」
キエリは印を解き、宙に浮かぶ火球に蹴りを叩き込む。
――ピッ!
ガラスの割れたような音。火球の破片は混ざり合い、波打ち、渦を巻き。分裂する細胞のように巨大になっていく。
コンマ零点数秒。
その刹那で、火球はビー玉からボール、ボールからガスタンクほどの大きさまで、急速に拡大した。
空気中の酸素が消失。火球は全てを飲み込み炭化させる。
「ハハ……いいモン見れた」
迫り来る灼熱の波動を前にしても、ブーカは最後まで、笑みを絶やすことはなかった。




