第一章21 『二つの衝突』
「お前、なんて名前だっけ。ちなみに俺はナカムラ」
「おーおー! 自分から名乗るなんてスイキョーなやつだ! あたしはブーカ。よろしくなー!」
幸運なことに、ブーカは中々のバカだった。こちらのセリフにいちいち反応してくるし、その間はなぜか攻撃してこない。
なので、ひとまず相手に話しかけ、時間稼ぎを試みる。まだ呼吸が整っていなかった。
「あー……ところで、なんで転生者を狙うんだ?」
「しらね。とりあえずぶっ飛ばせって言われてんだー。でも心配すんな、殺さねーから」
「ぜったい嘘だろ、それ」
そんな彼を、キエリは横目で見つめる。
ナカムラの再生速度は、目に見えて低下していた。度重なる火傷、頭に刺さった投げ斧、自分の回し蹴り、ブーカの一撃。……何回かはわからないが、ナカムラは今日一日で、あまりに再生能力を使い過ぎてしまった。
彼の再生能力は、食べた物をエネルギーにしている。龍の力と同じだ。それは、ナカムラに与えるパンの量を調節することで確認した。
今日ナカムラが食べたのは、エルフから出された野菜スープ(ほとんど水だが)とパン一塊。とても、満足な食事とは呼べない。
このままでは、能力の限界が来るのも時間の問題……。
「どきなさい、ナカムラ」
第一龍態。
キエリの全身を、黒い紋様が這い回る。
「私が、やります……!」
「キエリ……」
処刑の日程が早まったことだとか、ナカムラが死にかけた原因の半分以上が自分のせいだったとか、そういうのが申し訳なかったのもある。
しかし何より、彼にここで死なれるわけにはいかなかった。
なぜなら……
「あなたを、認めます」
彼は優しい。
いけ好かないが、そこは認めざるをえない。
「何度も私を助け、許してくれた……あなたを信じる!」
紅龍の存亡。両肩にのしかかる使命の一端を、彼に背負わせる。
あやふやだった決断を、今はっきりと、固めた。
「なーんだ、片方だけか? ま、いいや。オマエの方がオモシロそうだし」
全力を出し切って、10分保つかどうか。
「やるならトコトンがスジだぜ?」
「……ピーチクパーチクと、よく動くクチバシですね」
後先は考えない。それで御せる相手ではない。
「覚えておくがいい。鳥は鳴き声をあげた者から、狩られるのだと!」
空が巻き上がり、炎がその螺旋をなぞる。
天高く昇る火柱。燃え上がる森を、さらに赤く照らした。
――
「キエリ……!」
森を走っていたリーフェンは、突如感じた強力な流れに顔を上げる。
誰かと、戦ってるんだ。
助けに行きたい。その気持ちはあった。
しかし、今はそれどころではない。
――ビュン!
頬をかすめる、黒刀。
「うッ……!」
わざと外した。いつでも殺せる獲物を、いたぶって楽しんでいる。
「き、木よ!」
リーフェンはでたらめに魔法を唱え、ナイフが飛んできた方角を樹木で塞ぐ。
この、透明人間に追われてるかのような、感覚。
間違いない。兄さんだ。
懐かしい記憶から、忌まわしい事実を導き出す。リーフェンの心にはまだ、穏やかな兄の笑顔が、そのままの姿で残っていた。
兄さんは、気配を消すのが誰よりもうまかった。
流れに身を溶け込ませるなんて物じゃない。自分の存在すら消して、まるで初めから何もなかったかのように、消える。
村のみんなは、そんな兄さんを怖がっていた。
流れがあれば、エルフは周囲の状況を手に取るように理解できる。どこから雨雲が来るとか、どこに誰がいるとか、誰かの秘密の話し声だとか。全てわかる。
だから、唯一つかむことのできない兄さんの存在が、みんな邪魔に思えたのかもしれない。
『私と来い、リーフェン』
あの時の兄さんには、僕しかいなかった。
僕も、外の世界が見たかったし、兄さんの力になりたかった。だから、それも悪くないなと思っていた。
でも、最後に怖くなってしまった。父さんを殺した後、血の落ちる武器を握って佇む兄さんが。それでも全く同じ、穏やかな笑顔を浮かべる兄さんが……
怖くて、怖くて。たまらなかった。
「リー……フェン」
背中から震える手が伸びて、リーフェンの頬をかすめるように撫でた。
「や、優しい……子だ。だれよりも、優しい……」
「…………」
「お前を、愛していた……でも、愛し切ることが、できなかった……」
すまない。震える声で、そんなうわごとを呟く。
本当は、黙って見ているつもりだった。
決別の意思が強かったからじゃない。
ただただ、怖かったから。
「見ない間に、勇敢になったじゃないか。リーフェン?」
「ッ――!」
耳元から声。思わず振り返る。
誰もいない。
「怖がりは相変わらずだ」
でも必ず、近くにいる。
リーフェンはミストを探すのをやめて、前方に走り出した。
「いい判断だ。かくれんぼはいつも私の勝ちだった」
そして、兄さんはいつも手加減してくれた。魔法の訓練では姉さんに一度も勝てなかった。
僕の訓練のやり方で、兄さんと姉さんが何度も揉めていたのを覚えてる。「やりすぎだ」とか「甘すぎる」とか。
それぐらい、リーフェンにとって二人は絶対の存在だった。勝てた試しがなかったし、勝てる気がしなかった。
「リーフェン……!」
――ドシュッ!
「うっ!」
姉の警告も虚しく、リーフェンの右肩にナイフが突き刺さる。
これは、遊びじゃない。兄さんは本気だ……!
わかっていたはずの事実が、現実の痛みとなってリーフェンの胸にのしかかった。
期待していた。いや、甘えていたのだ。兄は自分を殺したりしないと、ありもしない希望、はるか昔の思い出にすがった。
「弱い……!」
「お前は弱い、リーフェン」
ああそうだ。その通りだ。前方の影が揺らめいた。
「猫を噛むような窮鼠は、死に物狂いで走るものだ」
炎の光に照らされて、ようやく影の輪郭が浮かび上がる。
ミスト。穏やかな笑顔。黒いナイフ。ゆったりとした歩調。
全てが、あの頃のまま。頭がおかしくなりそうだった。
「また、ソーンを選ぶんだな」
「…………」
「あの時……私が、村を出る時も、お前は私を拒絶した。私と来てはくれなかった」
徐々に、熱を帯びていく。見たこともないほど、恐ろしい顔になっていく。
「私を、裏切った……! なぜだ! お前は私と同じ考えだったはずだ!」
「っ……木よ!」
枝が伸びて、二人を隔てる壁となる。
怖い。怖くて、もう、見たくない。
「……逃げるだけでは、事態は何も善くならない」
「わかってるよ!」
「いいや。お前はなにもわかっていない。ただ恐れているだけ」
それもわかってる……!
いとも容易く自分を手玉にとる、兄と姉が苦手だった。
そんな弱い自分が、憎くて憎くてたまらなかった。
「兄さんも姉さんも、大っ嫌いだ!」
森が、ざわめく。
まるで一つの生き物のように、エルフの少年の怒りに呼応した。
「僕は僕だ。草の子リーフェン……自然を愛する自由の民、エルフだ!」
「…………」
「僕は、兄さんも姉さんも選んでない。エルフは誰にも従わない」
父を殺した兄に、正しさがあるとは思えなかった。
意地にも似た極端な信念に、正しさがあるとは思えなかった。
「そんなの、エルフじゃない……!」
「ならばお前の正しいエルフとは、なんだ?」
「……」
「あやふやな信念か」
「ち、違う!」
僕は……あの時!
「あの時、ナカムラを見て……正しいって思った。
迷わず誰かを助ける、息を吐くように手を伸ばす、優しさが……!」
ただ優しいだけじゃ、ダメだ。
優しくても怖がってるんじゃ、何も無いのとおんなじだ!
だから、リーフェンはソーンを助けた。ナカムラならこうする。あの時リーフェンを奮い立たせたのは、他でもなくそんな考えだった。
「僕は、自然に生きる。一人のエルフとして、ありたい自分で生きる! 誰かの操り人形にはならない!」
胸元に絡む姉の手に、ギュッと力がこもった。
優しく抱きしめるような、愛のある力だった。
「木よッ――!」
木が、動く。
一本ではない。数本、数十本、数百本……
森が動いた。まるで一つの生き物のように牙を剥き、たった一人のミストに襲い来る。彼の体に枝を巻きつかせ、即座に縛り上げ、密封する。
殺すことはできない。でも、縛るくらいなら……!
「……そうか。それがお前の答えか」
木々の隙間から見える、穏やかな笑顔。
あの頃と、同じ……同じすぎて、ゾッとする。
「やはり、お前は殺そう」
――バシュッ!
「ぐっ……⁉︎」
何が起こったのか、一瞬理解できなかった。
ミストの体がねじれたかと思うと、液体のように地面に滑りおちて……腹に激痛が走っていた。
「縄抜けだ。これはお前に教えてなかったな」
触手のように伸びる木々の上を走り、ミストが接近する。
「っ、土よ……」
「ダメだ!」
魔法を唱えようとした姉を、リーフェンは振り落として阻止した。魔法は体力を大きく消耗する。これ以上の使用は、命に関わる。
「リーフェン!」
枝に掴まれ、連れて行かれる姉を、彼は背中で見送った。
恐怖に震える自分の顔を、見られたくなかったから。
「残念だ、リーフェン。お前だけはわかってくれると思っていたのに」
「…………」
「……やはり、勇敢になった。いや、無謀、と表現するべきか?」
目の前の相手は、兄か。あるいは殺人鬼か。
「お前は、私に勝てない」
リーフェンにはまだ、その判断がつかなかった。




