第一章20 『約束』
「くそっ……どこもかしこも炎まみれだな」
いざ牢屋から出たはいいものの、火事のせいで森の景観が大きく変わっており、どちらへ進めばどこに着くのかもわからない。
初めは、それが火事場での御法度とも知らず、とりあえず火の手が弱そうな方向に走った。しかし当然の如く炎に囲まれ、今や身動きは殆どとれない。
つまるところ、完全に見切り発車だったのだ。今さらそれを後悔しても遅いのだが。
再生能力でごり押ししてもいいが、それにも限界がある。こんな場面だし、無闇に消耗は……
「っと」
上から音がしたので、あわてて後方に避難する。
倒木だ。それも燃え上がったやつ。当たったらひとたまりもない。
参ったな。この八方塞がりな状況……どうしたものか。
「わーい! ほのお!」
そして、緊張感のないバカが一匹。
まるで雪遊びをする犬みたいに、あちこちはしゃぎ回る。
「ああ……世界が火の海になればいいのに」
「テロリストみたいなこと言うな」
メラメラと燃える木の上で寝転がり、キエリは至福の表情を浮かべる。
まあ、火除けには便利だ。一旦好きにさせてやろう。
「なあ……ここは箱庭、なんだよな?」
「そうですよ。幻覚と現実が入り混じった、魔法空間です」
「どうやったら出られるんだ?」
「出入り口が用意されている物なら、そこから出ることができます。ない場合は術者にしか解除できません」
イジワルなのか、やたら説明的な口調のキエリ。そんな毒にも薬にもならない情報は求めてない。
「……言い方を変える。この状況から脱出するための、いいアイデアはないか?」
「出口がある可能性も、術者が箱庭の中にいる可能性も、限りなくゼロに近いです。術者が根負けするまで耐える以外に方法はないでしょうね」
キエリの得意げな顔には、「まあ、私は全然それでいいですけど」と書いてあった。
助けられる分には助けるが、いざ自分の命がかかると、途端にみみっちくなるのがキエリという生き物だ。
今さら驚くことはない。
「はあ……本当に、なんの方法もないのか?」
「ないですね。箱庭は入ったら終わりです」
マジかよ。もうなんか……しんどくなってきた、色々と。
「それぐらいすごい魔法、ということです。熟練の魔導師でも、箱庭を作るのに半年はかかると言われていますからね」
「だろうな。空間を切り出すとか、わけわかんねえことしてるぐらいだし」
「そこは別に難しくありません。
ただ、箱庭を望んだ場所で展開するには、見知らぬ土地に愛着を持つ必要があります。それが大変なのです」
ふんふんと鼻息を鳴らし、キエリは指を振りまわす。
なんとなく感じてはいたが、キエリは人に説明するのが好きらしい。
「この箱庭は非常に完成度が高い。作るのに一年は準備したでしょうね」
「準備……家建てて、そこに住んだりするのか?」
「そうです。どんな場所であれ、半年も住めば愛着を持つようになりますから」
へー。
それぐらいの感想しかない。だからなんなんだ。
「ナカムラは飲み込みが早いですね、意外と」
「まあ、腐っても高学歴だし」
「コーガクレキ?」と、キエリは耳馴染みのない言葉に首を傾げる。
「さっきも思いましたが、コーガクレキってなんですか? なんとなく強そうな響き……」
「…………」
「ナカムラ?」
一瞬、何か聞こえた気がした。
人の声。いや歌声。ざらっとしてて、かなり音痴だ。
「キエリ……」
――ドシュッ!
横に手を伸ばした瞬間。
唐突に、視界がグンと跳ね上がる。
「え……」
思わずよろめく。踏みとどまろうとしたが、足が絡み、その場で尻餅をついた。
「いっい湯っだ〜な、ハハハン♪」
音痴な、歌声。
前方に顔を向けると、小柄で筋肉質な、赤髪の女がこちらに近づいていた。
赤髪と言っても、現実世界にいたような、オレンジっぽい赤髪じゃない。
まさしく真紅。炎を背にしてもなおくっきり浮かび上がるほどの、強烈な赤色。
「なんと〜か、か〜んとか、いっい湯〜だな♪」
ドリフターズの歌をあやふやで歌い、薪割り斧を肩に、炎を頭から被りながら、迫る。
そこで気づくが、俺の眉間には、ぐっさりと手斧が刺さっていた。柄の部分が目と目の間を通っていたせいで、痛みを感じるまで気づかなかった。
「ハハハン!……ってな?」
そして10メートルほどの場所で止まり、仁王立ち。
「ドワーフ族……!」
やたら露出度の高い(キエリよりはマシだが)独特なデザインの鎧を見て、横のキエリがそう口にする。
その声色には困惑と、若干の恐怖。
「知ってるのか?」
「あの覇気……間違いありません。龍すらも殺す、最強の種族です」
「龍すらも殺す」と言った時、かすかに彼女の声が上ずった。どうやら、かなり苦手な相手らしい。
割と元気な今のキエリですら恐れる相手……バカ強いのは間違いない。
「おーおー! ヒト……ヒトか? 片方なんかツノはえてっけど……まあいいや! ヒトだ!」
そのドワーフは顔文字みたいなニッコリ笑顔で、ギザギザの歯をにっと剥き出しにする。
一見敵意はなさそうだが、皮膚がピリッとするような圧を感じる。これが覇気というやつか。あるいは声のデカさに圧倒されているのか。
まあ、どちらでもいい。敵だ。
俺は朦朧とする頭を、体と同時に叩き起こす。
まったく、次から次へと……キャラが多くてややこしい。
「……何者だ、お前」
「なんだとはなんだ、ゲボ野郎。名乗るならテメーから名乗れ」
「じゃあいい。覚えんの疲れたし」
「そっか。あたしはブーカだ! よろしくなー!」
名乗んのかよ。
「ナカムラ、ナカムラ……」
そんなぺかっ!と笑うブーカの一方で、キエリが俺のすそを引っ張る。
彼女の熱気でTシャツどころか、俺の皮膚が思いっきり焦げたが、キエリはそれどころではないらしい。目に見えて怯えていた。
「逃げましょう。勝てません」
「逃げられる相手なのか? 絶対回り込んでくるだろ」
「勝てる可能性の方が低いですよ!」
「……お前、ビビってるな」
「び、ビビってませんよぉ……ちょっと怖いだけ」
「どう違うんだ、それ」
「うるさい!」
「あー……んあー?」
小声で言い合いをする俺たちを、ブーカは所在なさげに眺めていた。一応待ってはくれるらしい。
が、その時。
「ん?」
ブーカの頭上の枝が、音を立てて突然崩れ落ちる。
枝といっても、燃えた枝だ。それに軽自動車ぐらいのサイズがある。
直撃は避けられない。
「よっ」
――ドゴォン!
しかしそれを、片手で殴り飛ばす。
「……」
「…………」
「あっつ」
手をひらひらとやって、炎を払うブーカ。遠くの夜空に飛んでいく、赤色の光。
それを見つめる、俺とキエリ。
「逃げよう」
「賛成です」
同時に踵を返す。
キエリがいるなら……なんて思っていたが、さすがにこれは相手が悪すぎだ。やってられるか。
「あっ! 逃げんなテメーら!」
「キエリ!」
「わかってます! がおー!」
覇気のない掛け声と共に、キエリが後方に回し蹴りをする。
その足は周囲の炎を吸い込むように巻き込んで、やがて太い炎のムチとなり、凄まじい圧を伴ってブーカに迫った。
「よっと」
それをスライディングで回避。
なんて身体能力だ。
「ぜんぜん効いてません!」
「むしろ逆効果だったな」
「渾身の攻撃をああも簡単に回避されると、すごくショックです!」
「おぅ、ラァッ!」
ブォン
手斧が俺たちの間を通過。前方の木に刺さる。
「ひいっ!」
「くそっ……完全にやる気みたいだな」
「狙いはあなたでしょう! 私関係ありません知りません!」
出た。みみっちいキエリだ。
「言ってる場合か! こうなったらもう一連托生なんだよ!」
「やだやだあ! 転生者なんかと、死にたくありません!」
「転生者なんかって……いちいちうるせえな。俺だってお前なんかと死ぬのは嫌なんだよ! このクソ雑魚ドラゴン!」
「くそざッ……今なんて言ったァ!」
「クソ雑魚ドラゴン!」
「あなたの方がクソ雑魚です!」
「あーそうかもな! でもお前はドワーフにビビって、角掴まれてメソメソ泣いて、今のところ一つも役に立ってないどころかむしろ足で「うるさぁぁぁぁぁぁぁい!」
突如飛び上がったキエリが空中で半回転し、その足裏が思いっきり横腹にめり込む。流れるようなローリングソバット。
内臓が跳ねるような感覚。それから熱と痛みが押し寄せた。思わず膝がガクッと折れ曲がる。
「追いつい、たッ!」
ブーカはその隙を逃さなかった。
斧を振り上げ飛び上がると、それをナカムラの側頭部に叩き込む。
「ッーー!」
まるで重機に激突したかのような、重い一撃。
ナカムラの頭がベースボールのように左上へ跳ね上がり、凄まじい張力に首がメキメキと悲鳴をあげた。
――ドゴォン!
そして、近くの木に激突。
「ざまぁみるがいいです! このバカ! バァーカ!」
ぐしゃりと地面に落ちるナカムラに、キエリが涙目になりながら罵声を浴びせる。
事態はまさしく、阿鼻叫喚。
そんな彼女の背後に、ゆっくりと近づく、赤髪。
「そういや、オマエの名前きいてねーなぁ?」
「ひぃっ! き、キエリです……!」
「そっか! あたしはブーカだ。よろしくなー」
同じ自己紹介を繰り返し、またブーカはにっと笑う。
話の通じそうな相手だ。
キエリのみみっちい生存本能が、今、確かにそう告げた。
「え、えっと……彼のことは好きにしていいので、私だけ見逃してくれませんか?」
「おまえテンセーシャ?」
「違います」
「じゃあいいぜ。あたしテンセーシャぶっ飛ばしにきたんだ」
「あ、そうですか。ありがとうございます。それでは失礼しますねさようなら」
「待てコラ……クソ雑魚ハレンチ角女」
きょとんとしているブーカの横で、まだ息があったナカムラがフラフラ立ち上がる。
「もういい。お前ら全員、ぶっ殺す……!」
火傷のショック、朦朧とした意識、ウザい仲間、凄まじい一撃……全てがナカムラの判断力を根こそぎ奪い去った。
今のナカムラは、完全にキレている。
「お前は後だ、出会い頭斧投げ怪力女。まず弱い方から潰す」
ブーカを指さしてから、その背中に隠れていたキエリを睨む。まさしく、鬼の形相だった。
「今度こそ角へし折ってやるよ、キエリ」
「ひいぃ! や、やっちゃってくださいブーカさん!」
恥も外聞もないのか、こいつは。
「こっちはジュンビバンサンだぜ?」
「意味わかんねえ……とりあえず退け。マジで後で相手してやるからさ」
「おーおー……じゃ、コイツが死んだらあたしの番か」
「あ?」
「あっ……」
身の危険を即座に察知したキエリは、忍び足でその場を去ろうとする。が、その襟首をブーカが後ろから掴んだ。
「じゃあ、こうすればオッケー……だよなぁ⁉︎」
彼女はそのまま思いっきり振りかぶると、ナカムラ目がけてキエリを豪速でぶん投げる。
「ぎゃあああ! 助けてェ!」
「くっ……!」
ナカムラは反射的にキエリを受け止める体勢を取った。
しかし、4、50キロはある人間をそう簡単に受け止められるはずがない。
――バギャァン!
またしても背後の木に激突。
しかし、今度はキエリもいる。正面と後ろから圧力をかけられ、とうとう彼の肋骨が粉砕し、臓器が破裂した。再生能力がなければとっくに即死のダメージだ。
「ま……マジで、死ぬ……」
「あいつ、ムチャクチャです……」
「お前もだろ。馬鹿野郎……」
驚異的な再生速度で死を回避したナカムラだったが、さすがの彼でも瀕死の状態だった。彼はキエリの無事を確認すると、途切れそうな意識を叩き起こし、煙を吸い込まない程度に深呼吸する。
しかし出てくるのは二酸化炭素でなく血液。肺が潰れて、まだ治っていないようだ。
「ナカムラ……」
「……なんだ」
「仲直り、しましょう」
なんという、現金すぎる提案。
眼前に差し出された小指に、ナカムラは頭痛がさらに酷くなる思いだった。
「私が……間違っていました。意地を張って、ごめんなさい」
「…………」
もう何度目の「ごめんなさい」だろうか。
ふざけるなと怒りたくても、こんな奴しか頼れる仲間がいない。そんな自分が腹立たしい。
「つーか、やっぱ全員まとめて相手した方がオモシレーわ」
斧をブンブン振り回し、ブーカがまたゆっくりと近づく。
踏みしめる地面が悲鳴をあげて、地の底から震えているような、錯覚の振動を感じさせるほどの覇気。数度の対峙で、格の違いは嫌というほど理解できた。
だから……「仕方ないな」と、自分に言い聞かせるように呟く。
「……次俺を売ったら、本気で許さないからな」
「もうしません、約束です」




