第一章18 『そして、始まる』
「どうした?」
外を見つめて、口をぱくぱくさせるキエリ。
こちらには一切反応しない。さっきからずっとこんな調子だ。何か変なものでも食べたのだろうか。
しかし、突然キエリがこちらを向き、俺の胸元をどんと押した。
「うわっ!」
わけもわからず目を丸くして、俺のTシャツを捲り上げる彼女を、呆然と見つめる。
「あ、あの……キエリさん?」
「じっとしてください」
こちらの困惑を無視して、彼女は剥き出しになった俺の腹に座る。太ももの柔らかい弾力。人肌以上の熱が、へその下あたりでじんと広がった。
「なんで、外套を脱ぐんですか?」
「燃やしたくないからです」
その直後。
「第一龍態……」
ボッとキエリの角が突き出て、俺の腹、いや全身を、さっきぶりの激痛が駆け巡った。
「がッッ――!」
あれほど体を焼かれたというのに、俺の脳は飽きもせず、同じ痛みを与えてくる。
馬乗りの体勢なので逃げることもできない。ゆえにただ足をバタつかせ、濁音の悲鳴をあげた。
「あっづ! やめ……!」
手を払ってキエリを退かそうとしたが、逆にそれを掴まれてしまう。手首を輪状の熱が回転し、また突き刺す痛みを落とした。
「ガあああぁぁぁッ!」
「あなたのためです!」
「いみ、意味わかんねぇよッ……! マジでふざけ……」
「外を見て! 目を覚ましてください!」
「そと……っ?」
痙攣する体を無理やり横にひねり、牢屋の外へと顔を向ける。
「……は?」
赤い光。いつの間にか見慣れてしまった、体を突き刺すような橙赤色。それらは森を包み込み、宵闇にぐわりと揺らめき、パチパチとした音をならした。
牢屋の外が、火の海になっていた。
先ほどまでは静かな夜の森だった。
しかしいつの間にか、それら全てが燃え盛り、先日の火事とは比べ物にならないほどの、巨大な火炎を形成していたのだ。本当に、目につく全ての木々が燃え盛っている。
「な、なんだ……これ」
「箱庭です」
キエリはいったん俺から距離をとると、乱れた髪を整えながらそう口にする。
痛みと熱が、急速に消えていく。それに代わる形で、腹と手首に、皮膚がねじれるような再生の感触が広がり始めた。
「ハコニワ……ってなんだ、それ」
「最強の、幻覚魔法。空間をモノと捉えて、区画全体を現実から分断し、人をそこに閉じ込める魔法です」
またボッ!と熱気が顔を吹き荒らし、俺はとっさに首を振って避難する。
キエリが牢屋の格子を燃やしたようだ。
「何者かからの攻撃です! 逃げますよ、ナカムラ!」
「……くそっ、もう何がなんだか」
「まったくです!」
息も絶え絶えに立ち上がり、俺とキエリは、そんな愚痴をこぼしながら外へと駆け出した。
――――
「ウッド、フラワー、スノウ、ウィンド! 安全な場所まで皆を避難させろ!」
「了解!」
「ディアー、リバー!.逃げ遅れた者がいないか捜索を。無理はするな」
「わかったわ。任せて!」
燃えさかる森を前にしばし愕然としたものの、エルフの対応は極めて迅速だった。
彼らは集団の中でリーダーや上下関係を作ることを好まない。ソーンのようなリーダー的存在はあっても、それはあくまで彼女が信頼されているというだけで、明確な立場があるわけではないのだ。
まとめ役が居ない分集団行動は苦手だが、逆に緊急時の対応は凄まじく速い。それがエルフの強みだった。
「全員、訓練通りに動くんだ! 」
加えて、彼らは森を燃やされることに慣れていた。度重なる人間との戦争、その経験によるものだ。
「ソーン! サニとレインがいない!」
「なんだと……⁉︎」
もはやリーフェンどころの騒ぎではない。
背後で立ちすくむ弟のことは十分気がかりだったが、ソーンは自分の仕事で手一杯だった。
「家にもいなかった。いったいどこに……!」
「あの転生者が連れ去ったに決まってる!」
「くそっ、だからすぐ処刑しろって言ったんだ」
「憶測で物を語るな。ともかくディアーたちに合流し、二人を探すんだ!」
「森に火をつけたやつはどうする!」
「そんなの、どうでもいいじゃん」
突然口を開いたリーフェンに、その場の全員が振り返る。
「……リーフェン?」
彼の瞳は炎の光を反射し、不安定な輝きを宿していた。
まるで、別人のようだった。
「また、恨みつらみで、助かる命を無視する」
「ッ――!」
子供というのは、どこまでも残虐になれるものだ。
その言葉が、どれほど莫大な破壊力を持っていたのか。
リーフェンは知らなかった。
あるいは、知った上で口にした。
「……わかった、ソーン。とにかくお前の指示に従うよ」
鶴の一声。ソーンを取り巻き、口々に揉めていたエルフ達は、そんなリーフェンから逃げるようにその場を去る。
「……今さら、遅いよ」
「リーフェンっ!」
何かを手繰り寄せるように、ソーンは弟を抱きしめた。
「私が、間違っていた……!」
「……」
「戻ってきてくれ……お願いだ。私は、私はお前だけが……!」
――ドンっ
そんな言葉が響くはずもない。
リーフェンの心は不信感と失望で埋め尽くされている。姉の口からこぼれ落ちた謝罪など、彼にとってはただの言いくるめにしか聞こえなかった。
ただ、「またか」と、怒りや失望を強めるだけ。
「ナカムラを捜す」
「……」
「もう、僕が信じられるのは……それだけだから」
その場を去っていくリーフェンの背中を、見送ることしかできない。
一線を越えた。
その感覚が、確かにソーンの中にもあったのだ。
村の仲間、そして自分の信じるエルフのあり方。
最愛の家族……リーフェン。
今までずっと、同時に存在しえないものを、歪に保ち続けてきた。不安定な構造に苦しむ心の声を、必死で無視してきた。
しかしあの転生者が現れて、自分は全ての清算を余儀なくされたのだ。
選んだのは前者。
私は、自ら選んで、リーフェンを捨てた。
「……当然の、結果だ」
それを失ってから悔いるなど、あまりに虫がいい。
「こんばんわ、ええ夜やね」
炎を背に、燻る。一つの黒い影。
いるのは流れで気づいていた。
「きれいなお姉さんやなあ。どやろか、ここは一つお茶でも一杯……」
「盗み見は楽しかったか? 転生者」
女は口から白煙を吐き出すと、へらへらと肩をすくめる。
片手には金属と木が組み合わさった風変わりな武器……銃。
「盗み見なんて人聞きの悪い……うちはただ、家庭の事情に首をつっこまへんように、じっとしてただけ」
警戒の色を崩さず、ソーンは杖を手に立ち上がる。
「鉄条網の女王、だな」
「あら、懐かしい呼び名やね」
「貴様の手配書は読んだことがある」
のべ四千隻の軍船をたった一人で相手取り、それら全てを浅瀬にすら近づけず、駆逐した。動かぬ防衛戦。
特付き転生者、クロタコ。
「貴様が黒幕か……あの転生者を助けにきたのか?」
「まあ、そんなとこやね」
「そんなことで私達の森を……やはり、転生者にロクな者は居ない」
「言うやんか。人間風情に碌を求めるなんて、贅沢なことやで」
「転生者は人間ではない」
「ははは、ブレへんなあ」
からっとした笑い声。
「それで失くしたもんは数知れず。もっと気楽に生きたらええのに」
「…………」
唇を噛み締めるソーンに微笑んだ後、クロタコはほうっと煙を吐いてタバコを捨てた。
そして銃を両手で握り、ゆっくりと身を屈める。
「ほら、やるんやろ? 御託の勝ち負けが死合いの結果を左右するわけでもなし。こんな会話に詮はないで」
眼前の強敵を見据えつつ、ソーンの心にはまだ、去っていった弟の面影が残っていた。
「然りだな。益のない会話だった」
それを振り切るように、杖を固く握り締める。
「生まれてきたことを後悔させてやろう、メス犬」




