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引っ越し先に蕎麦がない件

「転封ですか……!」

 信濃国上田を領地とする大名仙石政明(せんごくまさあきら)は突然の宣告に言葉を無くした。

 転封とは国替え。今まで治めていた領地からまったく別の場所へと移ることである。縁もゆかりもない場所へと移動するのだ。


 拒絶はできない。断れば改易。つまり、大名としての位を失う。


 次の領地は但馬の出石。石高は変更なしの五万八千石。但馬は一体どんなところなのか。


 なぜ自分が? 思うが、その疑問もぶつける先がない。うっかり異を唱えて、では改易でと言われてしまっては本末転倒だ。

 ため息を吐きたいのをぐっとこらえる。

 政明の胸に去来するのは、かつて自身治める領地の近くで起こったお家騒動だ。


 天和元年、上野沼田藩にお家騒動が勃発。それに伴い改易が行われた。

 政明は真田信利(さなだのぶとし)の三男と四男を預かって上田城内の空き屋敷に軟禁する役目を負った。

 また、貞享元年には越後高田城の在番を努めたりした。これも高田藩に起こった改易に伴うものである。


 若い頃から、改易騒動は多く見てきた。そのおかげで、政明は大名という地位が安泰といえるものではないということを身に染みてよくわかっていた。

 今度は自分の番が来たということである。

 思うに、幕府は出る杭を作りたくないのだ。特別大きな力を持つ大名を作りたくないのだろう。

 大名達の力を削ぎ、均等にしたい。そのための手段の一つが転封である。他には、参勤交代や妻子を江戸に住まわせることも大名の力を削ぐための措置だろう。参勤交代により恒常的に金を使わせ、妻子を江戸に置くことで人質にする。そして、頃合いを見て転封を命じる。

 転封にかかる費用も大名持ちだ。転封により、大名達の財産は大幅に減る。



 転封には、当然相手方もいる。国を移るための話し合いが行われた。

「出石はいいところですよ。周囲を山に囲まれてる盆地です。冬は少し寒いですがね」

 入れ替わるようにして上田に入る現在の出石藩主松平氏からそう聞かされる。

 それを聞いて政明は上田と似たような土地ではと想像した。


「米もそれなりに育ちますし、きっと苦労もなく治めることができますよ」

「はあ、それはそれは」

 ニコニコと互いに笑顔で話していて、政明はハタと気づく。

「米がよくとれるということは、蕎麦は……」

「蕎麦ですか? あれは瘦せた土地に植えるものでしょう。植える必要もないので、関西ではあまり育てている土地は聞きませんね」

「蕎麦が、ない……!」

 それは政明にとって大きな衝撃であった。


「蕎麦は確かに救荒作物です。しかし、蕎麦は……美味しいんです!」

「は、はあ……」

 知らず口調に熱がこもる。政明は実は無類の蕎麦好きだ。美味しいと評判の店があれば、お忍びで城下に食べに行くほどである。


「蕎麦がない……」

 その事実に政明はがっくりと肩を落とした。



 上田に帰って片付けなどに追われる。城の受け渡しが期限までに終わらないとこれもまた改易の対象になってしまう。

 その合間に城下に蕎麦を食べに行く。


 蕎麦は江戸でも食べられる。だが、この信濃の蕎麦もまた格別だった。蕎麦の実を丸引きして作られた麺は、口に含めば高い香りを味わえる。



「おい。あのお侍様、食べながら泣いてらっしゃるぞ」

「何か不都合でもあったのか?」

 政明は本人も気づかずに食べている内に感極まってしまっていた。蕎麦店の店員達はそれを見て恐縮する。


「あの、お侍様……何か不手際などでもありましたでしょうか」

 蕎麦打ち職人は腹を括って彼に話しかける。話しかけられて、政明は己が泣いていたことに気づいた。


「ああ。これは見苦しいところを見せた。すまぬ。蕎麦には何の不手際もない。それどころか、格別のうまさだ」

「はあ」

 泣き笑いに言われて、職人は困惑する。


「……転封、国替えのことは知っておるか?」

「はい。触書を見ました」

 へえー、お大名様が変わるのかー。と彼ら町人達はぼんやりとそれを受け止めていた。

「国替え先には蕎麦がないそうだ……もう、こんなにうまい蕎麦はなかなか食べることはないと思うと、知らずにこみ上げるものがあったようだ」

「えっ」

 もう蕎麦を食べることはない。と聞かされて、職人は大きな衝撃を受ける。彼にとって蕎麦とはなくてはならないもの。食べることが当たり前の主食である。それを失うことなど、想像すらできない。


 それは泣いてもしょうがない。職人は大いに政明に同情した。




「なあ、俺らも国替えについていかないか?」

 蕎麦職人達は自然とそんな気持ちになっていた。そして、あのお侍様が再び食べに来たところで、切り出す。

「お侍様、俺達蕎麦職人も国替えについていってもいいんでしょうか」

 政明は、職人の申し出にいたく感動した。

「ありがとう。ありがとう……」

 彼の手を取ってがっちりと握り、感謝を伝え続けた。


 そして、転封の際に政明は蕎麦職人を伴って出石に入ったのだった。



 仙石家は藩政によるお家騒動が起こった際に石高を減らされるが、幕末まで出石を治め続けた。

 出石には、現在も蕎麦の花が咲き、名物となった蕎麦が食べられる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作者様の書き方がお上手で、政明様の悲壮感に感情移入しちゃいました。 好きな物が食べられないって辛いですよね(汗)。 [一言] 職人さん達良い人! 読み終わりにほっこりした気持ちになりました…
[良い点] 面白かったです。 大名なのにお蕎麦食べれなくなりそうで泣くとか…まあ、ソウルフード食えないと人はしぼむんでしゃーないですが。 それにしても、中国地方でも出雲そばがありますやん??って思っ…
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