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『不思議な速記の国のアリス』  作者: 成城速記部
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第1章

 アリスは川辺でお姉ちゃんの横に座っていました。でも、お姉ちゃんは本を読んでいて、構ってくれません。アリスは、お姉ちゃんの本をのぞき込んでみましたが、絵がないのです。絵がない本なんて、何の役に立つのでしょう。それどころか、文字もありません。後から思えば、それこそが速記のテキストだったわけですが。

 そこでアリスは、ヒナギクの花冠をつくったらどうかと考えました。が、実際にはつくりませんでした。眠かったので。しかし、です。目の覚めるような出来事が起きたのです。桃色の目をしたウサギが、目の前を駆け抜けていったのです。

 ウサギがチョッキを着ていること、チョッキのポケットからストップウォッチを出したこと、「おくれちゃう、おくれちゃう」とひとり言を言ったこと、どれに一番驚くべきだったでしょう。もちろん、チョッキのポケットからストップウォッチを出したところです。ストップウォッチで遅刻がわかるためには、あと何分で着かなければならないというときに、ストップウォッチをスタートし、その目盛りを読んでいることにほかなりません。

 アリスは、できるだけ急いでウサギを追いかけ、ウサギがウサギ穴に飛び込むのが見えました。アリスは、後先考えず、ウサギに続いてウサギ穴に飛び込んだのでした。

 ウサギ穴は、しばらく地面と平行に、トンネル状になっていましたが、アリスがそれになれたころ、ウサギ穴は、ちょうど早稲田式速記の二音文字コンのように、地球の中心へと向きを変えたのでした。もちろん、アリスは、まっ逆さまに落ちていきました。

 アリスは、長い時間落ちていました。試しに、落語の寿限無が言えるかどうか試してみましたが、よく考えたら、アリスは、寿限無なんて、もともと全部は言えませんでした。仕方ないので、「寿限無寿限無」の部分だけ十回言ってみたら、言えました。

 でもどうやら、すごい距離を落ちているのではなく、ゆっくりと落ちているようです。最初のうちは真っ暗闇に思えていたこの縦井戸の壁が、実は本棚であることがわかりました。

 アリスは、試しに、本棚に置いてあった瓶を手に取ってみました。瓶にはメクールと書いたラベルが張ってありましたが、空っぽでした。ふたを開けてみると、パンくずが入っていました。まさかとは思いますが、パンに塗って食べたのでしょうか。のどを通ったのでしょうか。ともかく、メクールと書かれた、メクールの入っていない、パンくずの入った瓶なんて要らないので、捨てたいのですが、下に落として誰かが痛い目に遭うのは忍びないので、というか、自分がそういう目に遭ったら嫌なので、本棚に戻しました。全然違う段ですけど。

 どんどんどんどん落ちながら、アリスは、こんなに落ちたら、家の屋根から落ちても大丈夫だと思いました。以前、実際に落ちたときは、大丈夫じゃないほうでしたが。下に偶然大量の原文帳が積まれているという幸運がなかったら、ただでは済まないところでした。

 落ちる、落ちる、まだ落ちる。だめな受験生みたいです。「もう何里くらい落ちたかしら!」アリスは大声で言いました。「地球の中心まで落ちたのだとしたら、もう三千里くらい落ちたことになるわね」「こんなに落ちたら、ここの緯度と経度はどうなるのかしら」アリスはまだ子供ですから、仕方がないとして、井戸の底へ落ちても、緯度と軽度は変わりません。っていうか、井戸の緯度って。

 このまま落ち続けたら、地球の向こう側に出てしまわないかしら。地面から、女の子が足のほうから出てきたら、みんなは何て思うかしら。地球の向こう側ってどこなのかしら。日本かしら。ショーグンとかいるかしら。それともオーストラリアかしら。羊っておいしいのかしら。足だけ地面の上に出てしまったら、どうやっておじぎすればいいのかしら。そんなことを考えながら、アリスは、落ちながらおじぎの練習をしました。

 落ちる、落ちる、まだまだ落ちる。ああ、タマ、一緒に来てくれればよかったのに。お前がいてくれれば…うん、特に役には立たないけど、私は寂しくないわ。でも、この井戸の中にネズミはいないわね。あ、でも、コウモリはいるかも、猫はコウモリを食べるのかしら。コウモリを大盛りで、とかいって。

 アリスは突然、もうこれ以上落ちなくなりました。なぜって、落ち切ったからです。多分、今回も、原文帳の上に落ちました。

 随分落ちたにもかかわらず、アリスは、けが一つしていませんでした。井戸の底は真っ暗でしたが、アリスは、ウサギの姿を見ることができました。アリスはウサギを追いかけます。もう少しでウサギに追いつくかと思ったとき、ウサギは角を曲がり、アリスもすぐに角を曲がりましたが、そこにウサギはもういなかったのです。

 曲がり角の向こうには数え切れないほどの扉がありましたが、どれも鍵がかかっていました。アリスは、どうやって帰ればいいのだろうと、悲しくなるのでした。穴に飛び込む前に考えるべきでしたが、アリスのこの無鉄砲さのおかげで、物語が生まれていることも事実です。

 突然目の前に、丸ごとガラスでできたテーブルがあらわれました。まさか歩いてきたのではないでしょうが。まさかテーブル型の乗り物ではないでしょうが。

 テーブルの上には、金色の鍵が一つ置いてありました。アリスは、この鍵を、数え切れないほどの扉の鍵穴に差し込んでみましたが、どれも合わないのです。せっかく鍵があるのに、合う鍵穴がないなんて。アリスは、まだ試していない鍵穴がないかと探しますと、カーテンに隠された扉を見つけました。鍵を差しました。開きました!

 でも、その扉は、アリスの頭しか通れそうにありません。アリスは、小さくなる方法を考えます。ここまで、不思議なことが次々に起きていますので、小さくなることも、できるのではないかと考えたのです。

 アリスは、三本足のガラスのテーブルのところに戻りました。ヤタガラスの話ではありません、念のため。もしかして、もう一つ鍵がないかと思ったのです。あわよくば、体を小さくする方法を記した本が乗っていたりしないかとも。残念ながら、そのどちらも、テーブルの上には乗っていませんでしたが、小さな瓶がありました。絶対に、さっきはなかったやつです。瓶には、「飲み物」と書いてあります。いかにもあやしいです。

 アリスは、そんなものを飲むほどあわて者ではない…と断言はしないものの、今回は、慎重に行動しようと思いました。反対側に「毒」と書いていないか、確かめてから飲もうと思ったのです。

 ある意味残念なことに、毒という文字は、どこにもありません。アリスは一なめしてみました。焦がしバターみたいな、あるいは焼おにぎりみたいな、それでいてバニラの香りのするカスタードクリームの乗っかったたこ焼きみたいな味でした。要は、どこか懐かしいけれど一度も食べたことがない味でした。

 アリスが瓶の中身を飲み干すと、ぐんぐん小さくなっていくのがわかりました。こんなに小さくなれたなら、さっきの小さな扉をくぐれるはずです。アリスは全身小さくなりながら、胸を膨らませました。

 アリスはとても慎重に、さらに収縮が進むかを確かめました。それは大丈夫だったのですが、鍵がないのです。どこかに置きましたっけ。そうです、瓶をとるときに、テーブルに置いたんでした。

 テーブルまで戻ったアリスは驚きました。塔のように高いのです。もちろん、アリスが小さくなったからですが。アリスは、一応、登ろうとはしてみました。しかし、相手がガラスでは、歯が立ちません。アリスはもう、ただ泣くしかありませんでした。

「泣くのをやめなさいアリス!」

 誰がアリスをしかったかって?ここにはアリス一人きりしかいませんから、アリスその人です。アリスはときどき、こんなふうにして、二重人格を演じるのです。でも、このときばかりは逆効果でした。かえって、今の悲しい状況を、際立たせてしまいました。今のアリスは、二人どころか、五人足しても、一人前になれないほどでしたから。

 と、アリスは、ガラスのテーブルの下に、ガラスの箱を見つけました。中にはケーキが入っていて、「食べ物」と書かれていました。アリスは、もうほかに方法もないので、ケーキを一口かじりました。もし大きくなったら、テーブルの上の鍵がとれます。もしもっと小さくなったら、扉の下のすき間から出られます。何も起こらなければ、ケーキが食べられただけ得です。

 アリスはわくわくはらはらしながら待ちましたが、何も起こりません。そうですよね、飲んだり食べたりして小さくなったり大きくなったりなんて、そうそうあることじゃありません。アリスは、ケーキの残りを、一口で食べてしまいました。


 続く(続く?)

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