Faustian Bargain
「勇者よ、よい案があるぞ。よく聞け。討伐のことを忘れて、妾の弟となれ」
「・・・え?」
「妾は一生弟や妹が欲しがってきたとは言えども、よいのを見つくることは出来たらず。だが、勇者よ、貴様はよい弟にならるぞ。そう確信しておる」
「誘惑に負けるなよ勇者くん!世界を君臨するためにあいつは勇者くんの力が欲しがっている!」
「そーそうだ!僕は、地や金に目が眩まない!平和のために、魔王を切り殺す!」
と勇者は折れた剣で言った。
だが、魔王は分らない顔をして、首を傾げた。
「いや、別になにも君臨するつもりは無い。地や金は上げられねど、いい飯を食わせて上げるぞ」
「誰があんたの言葉を信じるか?勇者君を使い捨てにするつもりだろう?!」
「妾と勇者の会話に、なぜ貴様が答えてくる?」
魔王が指をパチッと鳴らして、魔法使いの口を封じた。
「仲間になにをー!」
「ただ「サイレンス」をかけただけだぞ。数分後に尽きるから、心配はいらぬ」
勇者は長い溜息をついて、冷静さを取り戻したら魔王に話しかけた。
「僕らの負けだ。僕らをどうするかはあんた次第だ。それでも、頼みが一つある。殺すなら、僕だけを殺して、仲間を見逃してくれ」
勇者は、魔王を倒さずに帰ることは許されていない。魔王が倒せなければ、勇者は死ななければいけない。失敗した勇者はどんな役にも立たないが、死んだ勇者は輪廻してより強い勇者を生み出す。
「お、決断は妾次第か?じゃ、決定だ。貴様は・・・」
汗一滴が、勇者の頬をつたった。勇者でも、所詮は人間だ。人間とは、死を恐れて生きる動物だ。
「今から妾の弟じゃぞ。よろしく」
魔王は勇者の手を取って、しっかりと握手した。
「勇者よ。弟の名を知らぬ姉はおらぬ。名を教えよ」
魔王を倒すことも出来ず、逃げることも出来ず、勇者は魔王の芝居(?)に乗るしかなかった。
「僕に名はない。生まれた時に魔王を倒す運命が決まり、一生「勇者」と呼ばれてきた」
「そう?大変そうだな。妾は、鱗夢と申す」
「へ?鱗夢?」
勇者は困惑した。
「魔王に名前があるの?なぜ?」
「いや、妾に聞こうとも、お前に名を授けんかった人間どもが悪いのでは無いか?あ、妾を「お姉ちゃん」と呼ぶことが恥ずかしいのなら、「鱗夢姉」でもよしぞ」
「誰があんたを「お姉ちゃん」とか呼ぶのか!」
魔王はまた首を傾けた。
「当然では無いか?弟の貴様が」
勇者は、何も答えられなかった。
魔王が返事を待つ沈黙を破ったのは、近くの岩群から出てくる銀髪の人間。
「鱗夢、勇者の件は・・・順調だそうだね」
人間?人間な訳がない。魔王の味方なら、間違いなく悪魔だ。
「あ、揚羽。前に言ったよう、勇者を連れて帰ろうと思っておる」
『帰る』というのは、間違いなく勇者の首級を振りかぶりながらの、魔界の深部へ帰ること。そう思って、勇者達は汗をかいた。
「で、そこの三人を、普通に処分してくれぬか?」
処分。それは、「殺す」という意味だ。魔界と人間界の国境をまたぐ荒地で、人を殺すのは簡単。ここの水域はすべて毒だから、人を川や湖とかに放り込めば簡単に死ぬ。それに、言葉遣いに耳を傾けて。魔王は、「普通に処分して」と言った。と言うことは、荒地で悪魔が人間を殺すのはありがちな出来事だ。でも、近くの人間村に、行方不明者の話とかはなかった・・・
「あ、問題ない。じゃ、早速・・・」
揚羽と言う悪魔の背中から、血に染まったような茜色の翼が三対膨れ上がった。
「待て!僕を仲間から離すつもりか?!仲間を殺すなら、僕も殺せ!」
と勇者は焦って叫んだ。仲間を守るに命を捨てるのは、一番名誉な死だ。
「あ、しまった・・・」
魔王は顔をしかめた。
「お姉ちゃんとして、こんな失態・・・」
「お姉ちゃん・・・?鱗夢が?」
揚羽のびっくりの声を、魔王はスルーした。
「お姉ちゃんとして、弟とその仲間を引き離してはならぬ。その三人を連れ滝沢に戻ろう」
「後で説明させて貰うけど・・・鱗夢の荷が重くなるから、皆に早めに仕上げろと伝えて来る」
翼が煙のように雲散して、揚羽は額をこすりながら方向を変え崖の麓に歩き出した。
「さ、勇者よ。お姉ちゃんと共に、こんな無駄な戦を忘れよう」
魔王は勇者に向いて、破顔した。
「は!ふざけるな。僕を収容つもりだろう?!」
「収容?ま、妾が泊まっておるところは勇者達を容易に収容出来るぞ」
「なら、死んでも今の内にけりを付けた方がましだ!」
勇者は折れた剣を魔王の胸に突き刺したが、魔王はでさりげなく剣を手で受け止めた。
「なんか・・・勘違いされておる、気がするぞ・・・ま、弟が姉の愛を受け取れぬことは稀ならず」
「あんたのきれいごとなんか、絶対信じなー」
鱗に覆われた手で魔王が勇者の手首を握って剣を取ると、勇者は急な眠気に襲われてよろめいた。
「触れただけでとはな・・・降星石への耐性は弱そうだな。なら、お姉ちゃんの胸に顔埋めて寝るがよい」
勇者は魔王の胸に倒れたが、なぜか頭にぶつかったのは硬い鱗ではなく柔らかい皮膚だった。
魔王に頭撫でられながら、勇者は眠りに落ちた。