信仰と政治
大きな前足に指さされ、シノブも同じように自分を指す。
「私のことか……? 魔力とは、一体……?」
「あーなるほど、魔力の使い方知らない土地の生まれなのか。しかし美味そうな魂してんだな。どっかの土地神の血でも引いてんの?」
「魔力については、私はよくわからないが……そういえば我が尾藤家は、島の神職を代々務めてきた家だ」
「あーあーなるほど、理解した。つまりなんだ、『聖女』と同じ手のやつね」
「私は男だが……」
わからない顔をするシノブに、同行していたアイツィヒトが解説する。
「聖女とは大地に愛されし異能を持つ者のこと。竜繭半島に生まれる、癒しの力を持つ者だ。ただの魔力とは違い、土地神の霊力を引き出せる。女子が多いから聖女と呼ばれているが、男子もまれながらいる」
「そ。あんたはその稀な男子に近いわけ。ほら」
黒竜が前足を伸ばし、シノブの頭に触れる。まばゆい光が放たれ、シノブの頭上に大きな光輪が出現した。
隣でアイツィヒトが目を丸くした。
「聖女異能の持ち主だったのか……シノブ……」
「……大地に愛されし異能……か」
しばらく頭上の光輪を見つめていたシノブだったがーー彼は意を決して、黒竜を見上げて願い出た。
「竜繭半島の安寧のため、『大地』の霊獣よ。どうか貴方の力を貸してほしい」
「いーぜ。面白いから力になってやるよ」
二つ返事で黒竜は返事した。
「ただし、俺の手綱はあんたが握ってくれ。俺は人間が何に喜ぶかちっともわかんねえただの獣だ。だからあんたが俺様を扱って、人間にとって都合いい塩梅に使役すりゃいいさ」
「いいのか」
黒竜の意外な快諾に、シノブは困惑した。
「……国を滅ぼして生きながらえた愚かな君主に、『大地』を丸投げしても」
それでも黒竜の態度は変わらなかった。
「いーぜ。俺は人間が何やったら喜ぶのかわかんねえから、『大地』だろうが竜繭半島の戦火を止める術もわからねえ。ただあんたなら、一度失敗したことあるなら、止め方もわかんじゃねえの?」
「……ありがとう」
そして黒竜は巨体を霊峰クゼから分離させ、シノブと契約を結んだ。
シノブは光輪を失う代わりに、黒竜の主人となった。
ーー二人の契約に興奮したのは同行していたアイツィヒトだった。
「すごい」
アイツィヒトは歓喜の声をあげ、シノブと肩を組んで叫んだ。
「とんでもないことを成し遂げたではないか、シノブ殿! 貴殿は魔王だ! この国にはないほどの莫大な魔力をもって魔獣や精霊とつながることができる男、そういう意味で魔王と呼ぼう!!」
「王、か」
興奮するアイツィヒトとは対照的に、シノブは難色を示した。
「私は王の器ではないよ」
しかしアイツィヒトはその後シノブを「魔王」と定め、国中どころか、敵国にまで喧伝した。
「シノブ。王である私と対等な立場ということを周りに示すためにも、どうか王を名乗ってくれ」
「……友である貴殿が、そう言うのであれば」
ーーそして魔王になった尾藤志信の助力を得て三十年。
若き王が白髪混じる五十代半ばになった頃、遂に竜繭半島を統一した。
二人の悲願であり続けた、平和な治世が到来した。
「感謝する、魔王シノブ殿。貴方のおかげで、ルシディア王国はここまで大きくなった」
涙を浮かべるアイツィヒトの目前。
黒竜と契約した魔王は、契約した当時の黒髪の若き日の姿のままだった。
「シノブ殿。私たちは二人で竜繭半島を守っていこう。私は寿命を持つ人身の王として、そしてシノブ殿は、不老不死の魔王として」
魔王は穏やかに微笑み頷いた。
「アイツィヒト殿。私は王国が永遠に外敵から守られるように、魔王として半島の付け根の居城に住むことにする。魔獣や魔物はそこに住まわせるから、何か必要があれば来るといい」
「ありがとう。では私も誓おう。魔王への敬意と感謝と友愛を未来永劫忘れないように、王家はずっと節目には貴方と交流を続けると誓うし、貴方もいつでも王家に遊びに来れるように魔法で繋がった『友愛の回廊』を作ろう。そして貴族たちが平和な治世に呆けてしまわないように、君が貴族たちに胸を貸してやってくれ」
「勿論だ。私も君たちみんなを、我が子のように大事にしよう」
「ああ」
魔王の夢と若き王の夢は叶い、二人は友好の証として肖像画を描いた。
ーーそんな魔王の満たされた様子をみて、黒竜はぽつりと呟いた。
「しかし魔王サマ。あんたは俺と同じ不老不死になったけど、人間は代替わりする。だからいつか、裏切られても知らねえよ」
「裏切るなど、一体どう裏切るというのだ。私は平和を願った彼と、彼の子孫を信じ続けるよ」
ーーー
光が消えた瞬間、ただただ全員沈黙していた。
全てに辻褄が合うのだ。
「だ、騙されるな!!!」
そこで老人が叫ぶ。教会のトップ、大司祭様だ。
「騙されるな!!! 全ては魔王の幻覚だ!! じゃ、邪教の信仰する黒竜と通じた魔王などと国王陛下が親友なわけがない」
彼の言葉に、はっと安堵した顔をする者もいた。
やっぱりみんな、自分がこれまで信じてきたものが否定されるなんて嫌だ。宗教という根幹が否定されるのだから尚更。
シノビドスはただ静かに、唾を飛ばす大司祭様を見下ろしていた。
「なるほど。王家の権威を強めるため、王を神として祀る神官が、権力を強めるために私を魔王にしたか」
「なッ……!!
「いや……それだけではないな。数百年にも渡る治世であれば、誰もが私を権力闘争の都合の良い駒にしたのだろう。その結果、この長きに渡る統治が保たれたのであれば……私も無駄ではなかったのだろう。しかし」
国王と教会の顔をみて、シノビドスは首を横に振った。
「悲しいものだな……アイツィヒトと同じ顔の者に、知らないと……言われるのは……」
俯く横顔は酷く悲しそうで、私は思わず彼の手を握った。
そっと握り返してくれたのを、嬉しく思う。
「約束が失われていたことを確かめぬまま、この国を愚直に守り続けていたのは私の非でもある。……ゆえに今後も、魔王である私が王家に隷属した存在と喧伝し、私を仮想敵として扱うのも好きにしろ。ただし条件がある」
「あっ」
次の瞬間、魔王様は私を強く引き寄せ、全員を睨みつけた。
「彼女ーー白銀聖女ヒイロ・シーマシーが聖女食堂を安全に運営する限り、私は今まで通り正しい意味で『魔王』 として、ルシディア王国へ黒竜の加護と平和を約束する。現状、彼女の食堂は複数の貴族家の喧伝により多大な損害を被っている。即刻彼女の営業を妨害するあまねく全てを解決しない限り、私は貴殿らが望む『魔王』として厄災となり全てを焼き尽くすだろう」
魔王様が何かを呟く。
その瞬間、友情を示す肖像画に雷が落ちて燃えた。
「ヒッ……」
悲鳴を挙げたのは国王陛下だった。
しかし、その悲鳴を飲み込むようにーー幼い姫が、甲高い金切声で泣き始めた。
「びえ……びええええええッ!!!!!」
静まり返った謁見の間に響き渡る泣き声。
「姫、大丈夫です、どうか落ち着いて……」
「ええええん!! ええええん!! えぐっ、えぐっ」
「姫様、姫様……!」
乳母が青ざめてあやしている。
それを見ていた魔王様が、ふっと、ただの優しい男の人の顔になった。
私を伴ったまま、魔王様は宙を浮いて近づき、膝を折って姫の高さに目を合わせた。
「姫、すまなかった」
「ぶえええ」
「ひ、ひいいいい……お助け……」
乳母まで泣き出しそうな顔をしている。
魔王様は眉を下げて姫にクスッと笑いかけ、その涙に濡れた目元を拭ってやった。
「……子どもに罪はない。君はどうか聡明で幸福な姫になってくれ」
魔王様は柔らかな産毛の生えた額にキスをする。泣き叫び続けていた姫は途端に機嫌を直し、ふわ、と嬉しそうに見つめた。
「おじちゃん……ありがとぉ」
「………」
「ばいばい、おじちゃん」
「おじちゃん…………」
その時。
血気盛んな第二王子が、妹姫と魔王様の間に割り込んだ。
ガクガクと震える剣で、必死に妹を守ろうとしている。
「姫!! こいつは敵だ!!!」
私は思わず口を挟んだ。
「大丈夫です、魔王様はそんなことは……」
「良いよ、ヒイロ殿」
魔王様は少し悲しそうな顔をして、私を見た。
「行くぞ。……おじちゃんは、そろそろ戻る」
ーーその悲しそうな顔、おじちゃんって言われたからなんですか?
そんな無粋なツッコミをできる空気でもなかったので、そのまま魔王様と私は去ろうとした。
「……魔王」
国王陛下がうめくように呟く。
最初の勢いはどこへやら、どこか迷子のような顔になったおじさんが、そこにいた。
「……本当のことだとしたら……我が王家は、なんということをあなたに……」