素顔
高い天井には極彩色のフレスコ画。足元はふかふかの毛の長いカーペットが敷かれていて、壁の至るところには金の装飾が飾られ、ぴかぴかのガラスの花瓶に豪奢な生花が活けてある。
「ここは」
「宮廷だ」
「きゅ」
うてい。私は声にならない声で叫んだ。
「……あ、あはは。ご冗談を」
「冗談、じゃないのはヒイロ殿ならわかるだろう?」
「う」
やーそんな事ないよ、と笑い飛ばしたかったけれど、残念ながら私は以前宮廷聖女のスカウトを受けた際に足を運んだことがあるので、言われてしまえばここが確かに宮廷だとはっきり分かってしまう。
「しかも……ここってもしかして」
窓の外に見える巨大な尖塔、日差しの入射角。壁の色。
それら全てが王宮のどこに今いるのかを如実に示している。
「そこの者!」
磨き上げられた甲冑を纏った近衛騎士が集まってくる。
「誰だ!」
怯える私の光輪を見て、近衛騎士さんたちが目を剥く。
「その小麦光輪ッ……!! お前は聖女ヒイロか!!!」
「あはは……王宮でも知られてるくらい、有名人だったんですね私……」
思わず光輪を隠しながら苦笑いする。
想像以上に食いつかれて困る。小麦の光輪だからって美味しくないよ。とげとげしてるから髪の毛絡んだら、結構取るの大変だし。
慌てる私とは対照的に、シノビドスは落ち着いた佇まいで彼らを正視した。背筋まで伸びて威厳さえ感じる。
「この道を通ってくるのは私だけだと知らないのか」
「何を」
「……王族を呼べ。シノブ・ビトウ。イガワハンの者と言えば通じる」
「シノビドス……イガハン……?」
あ、やっぱりそう聞こえるのね。
「……黒衣の不審者が友愛回廊に現れた、と言った方が通じるかもしれんな」
続けたその声には少し、皮肉まじりなニュアンスが混じってる気がした。
「と、とにかく後は捕縛後に話を聞く、両手を上げろ……!」
シノビドスの言葉の理解ができなかった近衛騎士は結局強硬手段に出ようとする。
じゃらり。金属の嫌な音を立てて、剣が鞘から抜かれたその時。
「剣を納めよ!!」
よく通る朗々たる声の貴公子が、奥からつかつかと鎧を鳴らしてやってくる。
「殿下!」
近衛騎士団はざわつき、一斉に膝をついて首を垂れた。
「……『友愛回廊の名を知る、異国の名を持つ男。いつ何どき彼が現れようとも、王宮は彼を国王同等の待遇にて迎えよ』。まさか、本当に現れるとは」
長く伸ばして結わえた輝く金髪に青い瞳。高貴な群青のマントに、鮮やかに染め抜かれた白い紋章。
立派な体格でありながら理知的で女子供に手をあげるのなんてもってのほか、みたいな高潔さを感じる貴公子は、一人何かをつぶやいてシノビドスを見た。
「嗣子か」
シノビドスが言う。な、なんの話?
貴公子はそのまま、あろうことかシノビドスに片膝をついた。
「私は第一王子スレアード。玉座の間へご案内いたします。お連れの白銀聖女ヒイロ嬢もご一緒にお越しください」
何があったの。
何なの? え? 王子様? 王子様が膝をつくって???
私が膝を折ろうとすると、シノビドスが「よい」と一言で制する。
「ヒイロ殿は賓客であり、拙者の友人。……なに。私の言うままにしていれば、案ずる必要はない」
ーーー
50人くらい肩車しても届かなそうな高い天井。
100人くらい手を繋いでも届かなそうな長いカーペットの向こうに国王陛下がいらっしゃる。
私が挨拶で膝を折ると、立つように許可された。
その間、シノビドスは微動だにしない。
私とシノビドスが玉座の間に到着するまでの間に集められたのだろう(休憩を挟むくらい、廊下は長〜かった)、国の偉い大臣や王族が勢揃いしていた。
厳しい顔をしたり慌てて困惑した顔をしたり、眠たそうにしていたり。
皆様一様に、いかにも「緊急招集されました!」という感じだ。
待って。
王家の皆さんを全員呼びつけられる尾藤志信って、何者なの。
私はシノビドスの従者のように、背の高い彼の横に隠れるように傍にいた。
「大丈夫だ」
緊張で震える私の肩に、彼はいつものようにそっと手を置いてくれる。
「ヒイロ殿は、堂々と胸を張っていればいい」
私にしか聞こえない声量で言ってくれるシノビドスの声は優しい。肩に触れられて、こうして一緒にいると、こんなとんでもない場所でもいつものようにほっと落ち着けるのが不思議だ。
「ありがとう……」
聖女装は重たいけれど着心地が良くて、身動きするたびにさらさらと揺れるヴェールが、なんだか気恥ずかしい。
ごまかすように、私はそっと玉座の方を覗った。
玉座に座る国王陛下と王妃殿下。
その一段下に並ぶのは第一王子殿下、第二王子殿下と第一皇女殿下。
国王陛下は40歳くらいのまだまだ脂ぎった感じのおじさんで、鍛えているのか背筋が伸び、体も引き締まった雰囲気だ。険しい顔をして、シノビドスを睨むように見据えている。
王妃殿下はまだずっと若くて20代にも見える黒髪の女性で、狼狽した様子を隠していない。
第一王子殿下とほぼ変わらないくらいのお年に見えるのは、元の王妃殿下が姫のお産で亡くなってから入った継妃だからだろう。
第一王子殿下はさっき会った金髪の貴公子。
第二王子殿下はカスダルと同期だから顔を知ってる。いかにも血気盛んそうに肩をいからせた茶髪のお兄さんだ。
黒髪の姫はまだ小さくて、乳母に抱っこされてあやされながら、よく分からない顔をして座っている。
かわいいなあ。
荘厳な場所に豪奢なドレスを纏って座ってても、幼児がいるだけで「あ、この人たちも人間なんだ」という感じが出るのって不思議だなあ。
なんて現実逃避しながら思っていると。国王陛下の上擦った声が聞こえた。
「……まさか、初代の遺言は真実だったとは」
彼らはシノビドスを見下ろし、立ち上がって丁寧な辞儀をした。
えっ、王家の方々が立ち上がるの!? シノビドスに!?
「初めてお会い申し上げる。私は第13代ルシディア国王、サディンだ」
しかしシノビドスは、酷く冷淡な声で答えた。
「これが初対面となること自体が、私としては遺憾だ」
「なっ」
国王陛下が言葉を失う。人生で一番不敬な扱いをうけた瞬間なのだろう。
シノビドスは私を見て、そっと背をかがめて囁いた。
「ヒイロ殿、少し浮くでござるよ」
「え、浮くって」
「失礼」
断りを入れたシノビドスは私の腰に腕を回し、そのままーー浮いた。
「っ!?」
ざわつく王侯貴族の皆さん。私は息を呑んで彼にしがみつく。
シノビドスは背筋を伸ばし、国王陛下を真正面に見据えた。
「現国王、我が親友の末裔よ。私を玉座から見下ろす側になるとはいい身分になったものだ」
「……貴様、」
なるほど、だから浮いたのか。
シノビドスは当然のものとして浮いているが、国王陛下は非常に不快そうな顔をしている。どうもお互いの認識が違うように感じた。
というか、私はそれ以上のことを何も考える余裕がない。だって浮いてるから。
悲鳴を飲み込み、私はひたすら落ちないようにシノビドスにくっついていた。粉物聖女は全ての異能が出した小麦粉を食べることで発動するので、咄嗟の時に飛んだりできないのだ。
「国王よ」
シノビドスは静かに、しかしよく通る声で話した。
「私は今日、汝の意思を確かめに来た」
シノビドスはそっと、仮面に手をかける。私は目を瞠る。長くて骨張ったシノビドスの手が仮面を覆いーー何があっても外さなかった仮面があっけなくパカ、と外れた。
刹那。
黒装束がふわっと広がり、視界を覆い尽くす。暴風だ。私も、他の王侯貴族の皆さんも、突風に顔を覆う。
「……ッ……」
風に乗ってふわりと香ったのは嗅ぎ慣れた森の匂いだった。
ララさんがサンダルウッドみたいな匂いねって言ってた匂い。そして包み込むような、暖かくて優しい魔力。
黒衣と一緒に、長い黒髪が夜空のようにしなやかに広がる。
巻き上がる黒衣が落ち着き、彫りの深い美しい顔があらわになる。
凛々しい眉、綺麗な稜線を描く鼻梁。黒衣から覗いた喉元や顎の骨、耳の形まで見覚えがある。
ずっとこうして、幾度となく見上げてきた背の高い男の人。
「……魔王様…………」
「ああ」
魔王様は薄く微笑む。