黒竜にはわからない
黒竜視点です。
今回説明多いので、ちょっと読みにくかったらすみません。
ヒイロがぱたぱたと奥に入っていったところで、黒竜は主人へと目を向けた。
主人は仮面を被ったまま、じっと茶に目を落として黙り込んでいる。
「ヒイロちゃんが言ってたこと、全く理解できねえんだけど。王宮と魔王様は、竜繭半島の平和と豊穣を願う仲間じゃなかったのか? なんで、聖女と魔王様が仲良くするのが王家への反逆になるんだ? わっかんねえな……」
「数百年の間に、王宮の意思も変わったのだろう。魔王の名の意味も、おそらくは変わったのだ」
シノビドス、なんて珍妙な扮装をした主人が、仮面の中でくぐもった声で呟く。
黒竜は片眉をあげて「はあ?」と言った。
「変わったって、どーいう意味だよ」
「そのままの意味だ。……魔王は国家王宮を脅かす敵というのが、今の認識なのだろう」
「はあああ?? 何がどうなって、そう」
「……人間とはそういうものだ。子から孫へ世代が変わる中で、初代の意志は絶えていく。大義名分としての嫌われ者として、国を守るのも一つのあり方だと思っていたが」
主人はふう、と溜息をつき、金の浮かぶ茶で口を湿す。
「私という存在は想像以上に、国から嫌われるようになっていたらしい……」
その諦観に満ちた態度に、気づけば黒竜は口を開いていた。
「魔王様。俺、あんたが好きだよ」
黒竜の思いは真剣だった。最初はただの愚かな人間でしかなかった「魔王」を背負った男。
しかし永い年月をともに過ごす中で、いつしかかけがえの無い友情を感じるようになっていた。
「あんたの事も好きだし、ヒイロちゃんも大好きだ。だからいうけどさ、いい加減マジで、今までのことをケリつけて、あんたが幸せになる時なんじゃねえの」
「お前と契約を結んだ時に誓った、王家との約束を違えることはできぬよ」
王家の仕打ちに表情を曇らせていたにも拘らず、魔王は頑なに首を横に振る。
「尾藤志信という男は、故郷を滅ぼした愚かな主君だ。幸か不幸かこの竜繭半島に一人流れ着いた時、今度こそ民を守る側になりたいと願った……王家に助力し、身を捧げると誓った以上、その約束を違えられぬぬ」
この数百年、幾度となく聞いていた魔王の過去の話だ。
魔王が言うには、彼はかつてある小国の国王だったが、国は戦乱により滅亡したらしい。
国を支配せんとする大勢力との海上戦。船上の白兵戦で万策尽き、彼は臣下たちのなきがらと共に波に呑まれた。
しかし彼は幸か不幸か死ねずーーたった一人だけこの竜繭半島に流れ着いたという。
国と民を守りきれなかった愚王がたどり着いた竜繭半島は当時、彼の故郷と同じように戦乱が続く土地だった。
小国が入り乱れ、常にどこかで火の手が上がり、城が焼かれ、民が逃げ惑う土地だった。
ーー国を守れなかった男は、竜繭半島の有様に、故郷を重ねて胸を痛めた。
そんな彼は放浪の末、一人の若き君主に拾われ、竜繭半島の平和のため、彼に助力することにした。
黒竜と魔王が出会ったのは、ちょうどその時だ。
魔王と出逢い、魔王と共に、黒竜は永い年月を二人で過ごしてきた。
出会った時のことを、黒竜は昨日のことのように覚えている。
『竜繭半島の安寧のため、『大地』の霊獣よ。どうか力を貸してほしい』
『面白いから力になってやるよ。ただし、俺の手綱はあんたが握ってくれ。俺は人間が何に喜ぶかちっともわかんねえただの獣だ。だからあんたが俺様を扱って、人間にとって都合いい塩梅に使役すりゃいいさ』
『いいのか。国を滅ぼして生きながらえた愚かな君主に、『大地』を丸投げしても』
『別にいいぜ。俺は人間が何やったら喜ぶのかわかんねえから、『大地』だろうが竜繭半島の戦火を止める術もわからねえ。ただあんたなら、一度失敗したことあるなら、止め方もわかんじゃねえの?』
流れ着いた竜繭半島の平和のため、人間を辞めて魔王となった男と、『大地』の神たる聖獣。
歪な関係だが、黒竜にとって主人との暮らしは楽しかった。
しかし黒竜が個竜的に楽しいのと、この男を『魔王』の役目から解放してやりたいと思うのは別の問題だ。
「相手は違えてるっぽいのに、まだ魔王を続けてやるのかよ」
黒竜の言葉を受けても、頑として魔王は首を横に振る。
「約束を守るのは、あくまで拙者の矜持。相手の不義理は理由にならない」
「頑固ぉ〜」
「それに」
「それにぃ?」
魔王が仮面の下で吐息を漏らす。
「今さら、ただの男に戻ってしまえば……ヒイロ殿を手放したくなくなる」
「番ゃいいじゃねえか」
思わず素で突っ込んでしまう黒竜。この後に及んで何をいうか。
しかし仮面を被った魔王は真剣そのものの様子だった。
「困るのはヒイロ殿だ。私などに懸想されるなど……だから私は、今後も魔王として彼女を守る。それに『大地』への信仰が薄れた今、私が魔王を辞めては黒竜こそただでは済まないのでは」
「人のことばっか心配して、あんたらそっくりだよ」
黒竜は悔しくて拳を握りしめた。
茶化すのももう、しゃらくせえ。
「あーあー、見てらんねえ。あんたらどうして、肝心なところがそっくりなんだよ」
「黒竜……?」
立ち上がった黒竜をぽかんと見上げる魔王。
この魔王はいいやつだ。故郷を滅ぼした過去に囚われすぎているのか、あまりに自己犠牲がすぎる。その自己犠牲が、てめえの事好きな奴まで傷つけてんの気づけよ。俺も、ヒイロちゃんも。
「あのさ。ヒイロちゃんも言ってたぜ。カスダルに捨てられたような自分じゃ魔王にもシノビドスにも勿体無いって。……そして多分」
前にヒイロを背中に乗せて二人で話した時。
彼女は確かに、己の腹を撫でながらこう言った。
ーーお二人には勿体無いですよ。私なんて。
ーー地味で可愛げなんてないってずっと言われてきましたし。
ーーそれに私、カスダルに酷い目に合わされて捨てられた様な聖女ですよ?
「傷物になった体を、よほど気にしてるぜ、あの子は」