魔王様と黒竜
連れてこられた空間は私と魔王様、そして魔王様の使役獣、黒竜さんしかいない場所だった。
背が高い魔王様を縦に3つ並べたくらい大きな黒竜さんは、首と翼と四本の足を丁寧に畳んで、魔王様の傍で飼い犬のように行儀良く伏せをしている。ちょっとした丘みたい。
「魔王様、」
目の前に佇む魔王様に、私はシノビドスに習った 「お辞儀」の作法で頭を下げた。なんとなくこの挨拶でお礼を言いたくなったのだ。
「短い間でしたが、お世話になりました、魔王様」
「お礼を言われる謂れはない。私は、何もしていない」
魔王様が首を横に振ると、黒くて長い髪がサラサラと揺れた。
床につきそうなほど長い黒髪は、まるで絹でできたストリングカーテンみたいに、物憂げな目元や高い鼻梁に陰影を落とし、光沢ある黒衣を纏った体を滑って綺麗だ。
「そんなことないです。私がカスダル様にどつかれてた時、いつもさりげなく守ってくださいましたよね? カスダル様吹っ飛ばしてくださったり」
「気づいていたのか」
「そりゃあ、まあ」
目を瞠る魔王様に、私は微笑む。
カスダル様ーーううん、もういいや、様付けしなくてもーーカスダルは癇癪を起こすと手も口も出る人だった。罵倒されるのは毎日で、軽く叩かれたり蹴られたりするくらいは良くある話で。
それでも魔王城にいる時はカスダルが私にDVしたらほぼ100%、何かしらの仕返しが起こっていた。いきなり通路に穴が空いてカスダルだけ落ちたり、転送魔法陣で肥溜めに落ちたり。
「戦闘中でも、私の料理がもうすぐ出来上がる!って時は少し待っててくださいましたし。ララさんにもカスダルにも、私の回復が間に合う絶妙な匙加減で攻撃してくださってましたよね。シノビドスはいつも魔王城では『裏方でござるよ〜』なんて言って戦闘から見えなくなっちゃうから、お世話になってたのかは知りませんけど」
「よく見ているのだな……」
魔王様はまつ毛の長い目を伏せ、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
気を遣っていたのがバレて申し訳ない、という様子だった。気にしなくていいのに。
「いつもありがとうございました。私が聖女を勤め上げられたのも魔王様のお陰です」
魔王様は私へと目を向けた。
玉座の間で会うたびに、その迫力と美しさにいつも見惚れちゃっていた魔王様。
この世のものとは思えない雰囲気を纏うけれど、眼差しはどこか優しい。
「ヒイロ、その……」
「なんでしょうか」
「…………」
魔王様は薄い唇を引き結んで押し黙る。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
黙り込んだ魔王様を見て、黒龍さんがツンツン、と尻尾で突っつく。
せっつかれて、たっぷり時間をかけて、魔王様は溢すように唇を開いた。
「……どうか、元気で。会えなくなるから、寂しくなる。しかし……あの男と離れられてよかった」
悲しみをたたえた眼差しは、言葉よりも雄弁に、私との別れを惜しむ彼の想いを伝えてきた。
「ありがとうございます魔王様。私にとっても心残りは貴方でした。……最後にこうして二人でお話しできて、嬉しいです」
そう。魔王様とこうして二人っきりで話すのは、実は初めてだ。
私はカスダルのパーティに入ってから、玉座の間で、何度も挑戦者パーティとして魔王様と対決し続けてきた。
その間に色々あってーー私たちはなんとなく、まるで同じパーティで過ごす仲間のような心の距離感でお互い、視線で通じ合うようになっていた。
「せめて王都まで私に送らせてほしい。ここから婦女子ひとりで、馬車に乗るのは危険だから」
「え、でも申し訳ないですよ」
「黒竜も送りたいと言っている」
鼻先を擦り付けてくる黒竜さんを撫で、魔王様は満月の瞳を細くする。
「うーん、なんだか申し訳ないような」
申し訳ないから遠慮したい。けれど、なんだかとっても離れ難い。
「あ」
私は不意に、あることを思い出した。
「魔王様、今お時間あります?」
「できた」
「で、できた?」
「君のためなら、いくらでも時間は作る。何だ」
「は、はい」
食いつきの強さにちょっと驚きながら、私は魔道具入れから愛用のヘラを取り出した。そして保存容器に入れたきざんだ野菜と、粉打ちした麺も。
魔王様の目が輝いた。
「それは……!」
食いつきの良さに、私は嬉しくなってニヤリと笑う。
「お礼と言ってはなんですが、よかったら私の料理、食べてもらえませんか? ……って、魔王様が私たちと同じような食事、召し上がられるのかはわかりませんけど」
こくこく。魔王様が急いで首を縦に振る。
「大丈夫だ、食べられる」
「そうと決まれば! 作っちゃいましょうお好み焼き!」
突然ソワソワし出した魔王様が可愛い。
実は魔王様と戦っている時、魔法調理場を展開して料理する私をみながら、彼がいつもどことなく食べたそうな顔をしていたのが気になっていたのだ。
戦闘中にパーティを無視して、「よかったら一緒にタコパしましょーよ」なんてお誘いできないし、いつか折を見て差し入れしたいなーと思っていたのだ。
「任せてください。食材は……キャベツ一玉分の千切りよし、水よし、ソースにマヨネーズよし、あとは……」
そうと決まれば早速作ろう。私はうきうきと魔道具入れを探った。特別製で冷蔵・冷凍保存が可能になっている。
魔王様が声をかけてきた。
「何か、……準備するものは」
「準備ですか? 特にはないですよ。……あっ」
「あ?」
私は肝心なものを忘れていた。私は青ざめて魔王様を見た。
「キッチンがない……」
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