溺れる男、溺れる女
「……疲れた」
複数人と踊ったあと、気疲れしたララは一人、月明かりの美しいバルコニーへと向かった。そこで不意に、廊下で人影が動くのが見えた。
令嬢というには質素すぎる暗色と、見覚えのあるタキシードの色に 、ララはさっと記憶を巡らせる。
(また、あいつは……)
カスダルがまた、どこかのメイドに手を出している。
今日はどうやら金を握らせて帰せるような都合の良い女がいなかったらしい。ララは目にも入れたくないので廊下に背を向けると、手に持ったシャンパンを一息に煽る。
ララの故郷では飲料水は高価だったので、アルコールにはそれなりに強かった。
月を溶かしたような酒を飲み干して、ララは令嬢らしからぬ仕草でバルコニーの手すりにもたれかかった。
「ララさん、お一人?」
砂糖に生クリームに蜂蜜を絡めてバターを溶かしたような、甘ったるい声。
胸焼けするような気持ちで視線を向ければ、白いレーシーなドレスに身を包んだヴィヴィアンヌがいた。胸と尻が大きい上に、針のようなハイヒールを履いている彼女は、独特のくねくねとした動きでこちらまで近づいてくる。
一気飲みしたシャンパングラスを隠そうとしたけれど、彼女はすぐにめざとく気づいたようだった。
「お酒お強いのね。すごーい」
「……馬鹿にしてるでしょ、あんた」
安全な水を好きなだけ飲める立場のご令嬢に言われると、僻みだとわかっているけれど嫌味に感じてしまう。
とげのある態度をとるララにも、ヴィヴィアンヌは意に介さない笑顔でにっこり笑う。
「そんなことないですよ〜。ヴィヴィ、お酒飲んだことないから憧れちゃう」
「あっそ……」
話をしてるだけでも胸焼けしそうになりながら、ララはヴィヴィアンヌを上から下まで盗み見た。
ヴィヴィアンヌのドレスは華奢なデコルテラインを強調する総レースで、体のラインを強調するようにフィットしたデザインは贅を尽くしたオートクチュールであることを示している。セミオーダーメイドのドレスを更に手縫いで調整して着ているララとは、そもそも住む世界がまるで違う。
「ヴィヴィアンヌは引く 手数多なんじゃないの? あたしなんかとこんな所でだらだらしなくても、殿方がたくさん待ってるんじゃなくて?」
「うーん、でもヴィヴィ、婚約とかはあんまり考えてなくてえ」
「はあ? た、ただ顔を出しにきてるだけってわけ?」
「ええ♡」
「……ほんっと、いいご身分よね」
ヴィヴィアンヌは名家パスウェスト公爵家の令嬢だ。パスウェスト家は何人もの神官を排出した教会と繋がりの深い名門で、毎年多額の献金をして教会維持に貢献している。
そんな家柄の娘がどうしてカスダル如きのパーティの聖女になったのか最初は疑問で仕方なかったが、今ではわかる。ヴィヴィアンヌはあまりにも無知で天然で、世間慣れしてなさすぎる。彼女は落ちこぼれとしてせめて、名高いカスダルの婚約者候補にでもなってこいと命じられているのだろう。
「ララさん、すっごい頑張ってるわね。さっきからダンスずっと見てたわ」
だからそんな女に、必死の婚活を見られてると思うと苛立って仕方ない。
「あたしのことはどうでもいいのよ。それよりヴィヴィアンヌ、いいところのお嬢様なのに魔王城討伐なんて行かない方がいいんじゃない?」
「ん〜でも〜、聖女の才能があるのだから、頑張ってこいってお父様がぁ」
「ふーーーーーん」
つまり遊びだ。遊びで聖女やれるっていいわね。
必死に、魔女としてのスカウトや婚約の申し込みを待つララは虚しくなってしまう。
「でもいつになったらカスダル、次の討伐行くのかしら。前はヒイロがせっついてくれてたから、定期的に攻略しに行ってたのに 」
「さあ? ヴィヴィも知りません」
「はー……もう一杯呑もう。吞まなきゃ やってられないわ」
ララはヴィヴィアンヌを置いて再び軽食が並ぶ会場へと向かう。給仕からシャンパンを受け取り呑んでいると、妙にすっきりした顔のカスダルが目について吐きそうになった。
目が合う。一気にシャンパンがまずくなった。
「いい加減にしなさいよ」
「いい具合だったぜ」
「最低。……ところで次に魔王城はいつ行くの? この間無様な撤退して以来、こっちで社交会に入り浸ってばっかりじゃない」
「慌てんなよ。俺はもう魔王の玉座の間に到達し、傷を負わせた男として経歴はそれなりだ。あとはヴィヴィアンヌが戦闘に慣れるまでゆっくりしようや」
「でも、」
「誰に口利いて んだ、ああ?」
ぎろり。ララを見下ろすカスダルの顔が一瞬にして怒りに染まる。川底の澱んだ藻のような濁色の碧眼に貫かれ、ララは本能的な恐怖で硬直した。
「……ごめんなさい。悪かったわ」
「俺の采配に口答えする気なら、お前を田舎に送り返してやってもいいんだぜ」
「本当にごめん。……言いすぎたわ。許して」
カスダルはララの胸元に唾を吐き捨てると、仮面を被るように一転笑顔になる。
その笑顔で令嬢に向かって歩いていくと、彼女たちはそわそわと沸き立つ仕草を見せた。
「最ッ低………」
唾を吐き捨てられた胸元を拭うと、情けなさで目頭が熱くなる。
あんな男に泣かされるのが嫌で堪らなく、ララはもう一杯シャンパンを受け取って飲み干した。
(でも今日、唾を吐きかけられるのがあの子じゃなくて良かった)
夜は、更けていく。