「聖女」を脱ごう。街に出よう。
ばさばさばさ。
私の叫び声に、公園のハトが驚いて飛んでいく。溢れたお菓子のかけらを摘み食いしていたリスがピュンと消えていく。
周囲の視線が恥ずかしくなって、私は光輪を抱えて縮こまった。
「……本当に、勝手な男だったなあ……」
と溜息をついて空を見上げる。
空には真っ白な雲が暢気に浮かんでいる。日差しも心地よくて、天気だけは最高の日和だ。
「正直婚約破棄してもらえて、助かったといえば助かったけど」
あんなのと結婚するなんて冗談じゃない。体がいくつあっても足りない。
色々と腹が立つことはあるけれど、今は怒りで立ち止まっている場合ではない。
公園で憩う人々を眺めながら、私は今後について考えることにした。
「とりあえず、修道院の非正規聖女求人を探して……うーんでも、王宮のお誘い断った上に、斡旋された修道院から強制還俗しちゃった私が、もう一度紹介してくださいというのも気が引けるし……悪い評判はすごい付き纏ってるし……うーん」
カスダルパーティにいる間に、白銀の聖女の私が「小麦粉が出るだけの無能聖女」だという話がすっかり広まってしまい、尾鰭がついて色々噂が立てられている。
普通の就職でうまくやるのは、ちょっと難しいかもしれない。
「もういっそ、聖女に全く関係ない未経験の仕事をしようかしら……粉物が出るし、キッチンメイドの求人なんてどうかな」
考えている私の視界の端を、ぼろぼろの人たちが歩いていく。
「冒険者の人たちだ」
魔王の森に仕事に行っていたのだろう。彼らは疲れ切った様子でなんとか歩を進め、冒険者ギルドに帰還している様子だった。
魔王城に挑むのは貴族子息の優雅な通過儀礼だけど、魔王の森に素材を取りに行く冒険者の人たちにとって、魔王の森での仕事は大変な労務だ。宿場町も近くにないので野営必須だし、一度傷を負って帰還してしまえば馬車代で赤字になることもあるという。
「あの馬車の停留所あたりに、ちょっとした体を休める場所があればいいのだろうけど……」
魔王の森の近辺に宿場町がないのはそれなりの理由がある。
魔王支配の影響で穢れた土地と言われているので(あの魔王様が土地を穢すなんて思えないけど)、定住して商売を興そうとする人がほとんどいないのだ。
怖いもの知らずの冒険者さんたちでさえ、野宿を重ねると穢れると思っているのだから、根深いもので。
「そうだわ」
私はふと気づいた。
あの辺りに、私の居場所を作ってしまうのはどうだろうか。
ありがたいことに手切金でそれなりにお金はある。
「うん、駄目でもともと。自由になれたのだから、なんでもやってみないと!」
気合を入れて立ち上がると、ふわりと白装束が風に揺れる。
そんな私を見た通行人が呟いた。
「あ、聖女だ」
「一人で何してんだろ」
自分にとっては着なれた装いだから忘れていたけれど、聖女の白装束はかなり目立つ。私はスカートの裾を摘んでみた。
「そうだ。この格好じゃ目立つわよね。光輪も隠さないと……」
まずは古着屋に行こう。確か新市街通りで古着の露天市をやっていたはずだ。
普通の女の子らしい服に着替えて、そして馬車に同行してくれる人を探す。
ちょっとした可愛い服を着て、聖女を着替えて新しい人生だ。
ーーー
ーー小一時間後。
私は聖女らしからぬ黒地の膝丈のスカートに、花の刺繍が入った白ブラウス、しっかりした花柄生地のコルセットに、飾りの白エプロンをキュッと締めた装いになっていた。
「よし! これで一般婦女子だわ!!!!」
古着屋の鏡を見て私は一人大きく頷く。
「お嬢ちゃん、着替え済んだら早く出な、後がつかえてるよ」
「あ、はーい! すぐ出まーす!」
私は急いでスカーフを三角に折って頭に巻く。こうすれば、光輪もその中に押し込むことができた。少しもこもこするけど、スカーフの柄とフリルでなんとか誤魔化せると信じたい。
着替えを済ませて街に出ると、空はすっかり茜色に染まっていた。早足で私は冒険者向けの宿屋に向かい、宿を取る。
一人で宿泊しようとする私に、宿のおじさんが不思議そうな顔をしてみせた。
「君、女の子一人かい? 珍しいね」
「ええ。冒険者として働く兄に会いにきたんです」
嘘も方便。普通の女の子っぽい笑顔で私は答える。
「そうか。柄の悪い連中には気をつけるんだよ。娘くらいの年齢の子を見ると心配でね」
おじさんは親切に、女性客が多い階の部屋を取ってくれた。優しい。
部屋を確保した私は、早速宿泊客たちがたむろする食堂兼酒場に向かった。
日が落ちる前から既にアルコールの匂いと煙草の匂いが立ち込めた食堂兼酒場は、定食を食べる人からお酒を傾ける人まで、狭い空間でガヤガヤとひしめき合っている。
そこで私は女性の多いパーティを選び、そっと話しかけた。
「すみません」
「あ?」
「明日乗合馬車で魔王の森の近くに行きたいので、その間だけお姉さん方と同行させてもらえませんか? 勿論依頼としてお金はお支払いします」
私の申し出に、勲章のような傷がたくましい女性冒険者は笑顔で応じる。
「いいわよ。女の子ひとりだと馬車乗るのも怖いしね」
「ありがとうございます!」
「でもどうして貴方みたいな子が、あんな場所に?」
「ちょっと用事がありまして」
「守ってあげられるのは停留所までよ。それで構わない?」
「はい、お願いします!!」
交渉が無事に済んだところで翌朝の約束を取り付けると、私はほっとした気持ちで宿の部屋に戻り、どさっとベッドに寝そべった。
階下では賑やかな食堂の声がする。視線だけで窓外を見れば、陽が落ちて紫の空に、街の灯りがぽつぽつと柔らかく輝いている。
なんだかどっと、一日の疲れが溢れてきた。
「疲れた……寝よう」
頭に巻いたスカーフを外すと、ぷかりと光輪が宙に浮かぶ。
「光輪もおやすみ」
話かける相手がいない時は、いつも光輪に話しかける。
私が布団に潜り込んで眠りに落ちていくと、合わせて光輪も輝きを失い、枕の上にころんと転がった。
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