誰かの傷をもらい受ける魔女
「さっさとやれ、シュトリ!!」
「――はい」
親衛隊長の傷付いた肩に触れ、呪文を唱える。
この傷は、第一王子との模擬戦で実剣を使ったせいで生まれた刺し傷らしい。私の詠唱が終わると、親衛隊長の傷が少しずつ消えていく。
その代わりに……。
「ぐっ……!」
「おぉ、ありがとうございます殿下!」
「ははっ、構わんぞ!」
私の肩から血が溢れ出す。
痛みで床に座り込んだ。
私、シュトリ・ケルリは相手の傷を治す特殊な魔法使い。回復魔法など存在しないと言われたこの世界で唯一、回復魔法を使える魔女。おかげで貧乏だった祖国から帝国へと身売りされ、この城で生活している。
だがその魔法の真実は、相手の傷を自分に移すだけの欠陥魔法だった。治りもせずに、そのまま私に傷が移動する。王子はこの魔法を重宝し、数えきれないほどの傷を私に移した。私の体は目を伏せたくなるほどにボロボロになっている。
もちろん拒否権など無い。彼らにとって私は体のいい身代わりで、それしか利用価値のない女だった。
「おい!! 床に血を垂らすなよ糞女!!」
「も……申し訳ありません……」
「さっさと出て行けっ!!」
親衛隊長に文句は言えない。彼もこの王子の我儘で痛みを受けているのだ。そう考えていたが、彼はわざと傷を受けていたのだという事を最近知った。
血が零れないように、ふらつきながら城の廊下を歩く。
メイド達が私を避けるようにしてすれ違う。これも殿下の命令で、傷を与えた事を隠すためらしい。この城で殿下に逆らう者は誰もいない。
どうにか自室に到着した。ありがたい事に、私の部屋は城の中にある。水栓とベッド、それに薬棚しかない小さな倉庫だ。もちろん医者などおらず、全てを自分で治療する。
12歳からこの城で生活を始めて、もう5年が経った。
ずっと痛みを受け続け、私の体は傷だらけになった。祖国を恨んではいないが、この魔法で誰かを救えると声を上げていた若い自分は恨んでいる。
仮に城から逃げ出したとしたら、祖国の両親が帝国に襲われるらしい。私に対する脅しとしては十分だ。魔法が使えなくなったなんて言ったら、間違いなく殺されるだろう。
もう涙も枯れてしまった。泣いている人が居たら、私が代わりに泣きたい。
「……麻酔が少ない」
帝国は、薬だけは手厚く用意してくれた。木箱を開けると、魔術大国から送られて来た沢山の薬草が姿を現す。そのうちのいくつかを調合した麻酔を取り出した。
帝国のおかげで、私はその辺の医者並に薬の知識がある。とはいえ、最近どうも魔術大国と仲違いしたらしく、物資が滞っているとメイドが噂していた。あのアホ王子が交渉の場でやらかしたのだと。
「っっ!!! ……ふぅ、ふぅ!!」
ぼろ布を咥え、麻酔の強烈な痛みに耐える。叫ぶと怒られるからだ。火魔法があれば傷口を焼くのに便利なのに、神はそれすら与えてくれなかった。
私は痛みを引き受けるだけの、しがない魔女。
前世でどんな悪い事をしたんだろう。
人生、上手くいかないものだ。
久しぶりに、今日は泣けそうな気がした。
◇ ◆ ◆
帝国にとって、昨日の友は今日の敵。
ついに、魔術大国とやり合う。
そんな知らせが数日後に舞い降りた。
「下らない返事だ! 帝国は彼らに対し、意思を示さなければならん!!」
「「うおおおぉぉ!!」」
「陰湿な糞共を叩き潰せ!!!」
国王はそう高らかに宣言した。国王も国王で、可愛い息子の言いなりだ。交渉に向かった殿下がなめられたと怒り狂っている。
魔術大国ソラルの王は交渉の使者として、世界で一匹しかいない言葉を話す虹色の鳥を送り出してきたそうだ。
きっと粋な計らいだと思ったのだろう。私もそう思う。だが殿下は「鳥と話す為に来たのではない!」とたいそう激怒し、問答無用で羽を切り落とした。
その鳥は今、国王の持つ檻の中に閉じ込められていた。羽を失い、死んだように倒れたままピクリとも動かない。
――私が魔法を使えば、あの子の代わりに死ねるだろうか。
「宣戦布告は不要だ!! 魔術大国ソラルの全てを、我が国の物とする!!!」
◆ ◇ ◆
この国の事だし、どうせ人質も雑に扱う。
そんな私の予想は当たっていた。
羽のもがれた話す鳥の籠は、人気のない物置にあった。メイド達も近付かないような暗い場所だ。空っぽの棚が並び、使われていない木箱には蜘蛛の巣が張っている。
それでも多少は隠したつもりなのか、鳥籠は棚の上の方に置かれていた。
「痛っ……っくううぅ……ふふっ」
肩の傷にピキッと痛みが走ったが、勢いで鳥籠を掴み取った。痛みというのは不思議なもので、痛すぎると笑えてくる。私がおかしいだけかもしれないが。
鳥籠を静かに床に置いた。仄暗い物置の中、小さな窓から差し込む月明りが私とこの子を照らしている。
ずさんな事に、鍵はかけられていなかった。確かにこの子は逃げる力もないし、飛べない鳥だ。生きているのかすらも怪しい。
失った羽を元に戻せるのか、それとも命を吹き込んで私が死ぬのか。私の死に場所にしては上等だと思う。とはいえ気を失ってるだけかもしれないので、一応、麻酔と止血薬だけは調合してきた。
「すみません、馬鹿なんですよ帝国って」
籠から鳥を取り出し、ガーゼの上に置いた。やはり美しい鳥だ。帝国はなぜこんな残酷な事が出来るのだろうか。
触れると、ほんのりと暖かい。
……生きてる。
麻酔を取り出して傷口を見た。血は完全に止まっている。化膿もしておらず、それどころか傷は綺麗に塞がっていた。あの王子が治療したなんてあり得ないし……自然に治癒をしたのだろうか。
となると、残りは羽を治してあげるだけ。そう考えて気が付いた。
この子の羽を治すのは私にしかできない。私がやったのがバレバレだ。罰として拷問、もしくは新たな傷を移される。
……いや、あのアホ王子の事だ。激怒した後に殺されるだろう。
「ふぅ……」
私は、最後にこの子を治して死ぬ。
そう考えた時、私は私の人生を誰かに話したくなった。
「……私もね、こうなったんです」
服を脱いで、裸になる。
全身に刻まれたおびただしい数の傷跡が、月明りに照らされた。
爪の無い足、えぐられたような胸の傷。打撲や骨折は日常茶飯事で、感染症を受けた事もあった。切り傷なんて数えきれない。顔に傷が少ないのだけが幸いだが、もう一生嫁に行く事は叶わない。
けど不思議な事に、傷の一つ一つを覚えている。
何の役にも立たない、無駄な記憶だ。
「あ……そんな場合じゃないですね」
少し傷の話をして、ふと我に返った。苦しんでいるこの子の前で一体何をやっていたのか。急に恥ずかしくなり、慌てて服を着た。
「すみません、私も馬鹿なんですよ」
虹色の鳥に手を添えた。
鎮痛剤を飲み、布を咥えて痛みに備える。
そして静かに詠唱を始め――唱え終えた。
「!!! っっふぅうぅぅ………!! ふぅ、ふっく………ぐうぅ!!」
思わず前かがみに倒れた。
尋常じゃない。
痛みが笑えるなんてもんじゃない。
涙目で自分の肩を見た。
――肩から先が、無い。
両腕が、完全に消え去っている。
「っぐ……ふぅ……ふぅ……!!」
駄目だ、痛い……!
あの子は……あの……子……!!
気を失う前に必死で目を開き、治した鳥を確認する。
だが、ガーゼの上には虹色の羽根が一つあるだけ。羽根はひらりと浮き上がり、私の服に刺さった。そして月の光を影が遮るように、鳥が羽ばたいて行った音がした。
飛んだ……飛んでくれた……。
「ふぅ……ふぅ……」
良かった――。
◆ ◆ ◇
「皆の者、見よ!! この者こそが、魔術大国ソラルの内通者である!!!」
「「うおおおおぉおおお!!!」」
「死ねぇ!!!」
「薄汚い魔女め!!!」
王子が高らかに剣を上げた。
歓声ありがとう。だけど、拍手で答える事は出来ない。
両腕の無い私は今、うつ伏せになって断頭台から顔を出している。服は脱がされて、裸の背中には重厚な鎧を着た兵士の足が乗っていた。体の傷は見世物となっている。
私の行動は王子の逆鱗に触れた。すぐに斬首刑が決まり、魔術大国との戦いの士気を上げるため祀り上げられた。死に場所としては最悪な部類だが仕方がない。
最後にあの美しい鳥が羽ばたく姿を見たかった。心残りはそれだけだ。
「罪人シュトリ! 言い残す事はあるか!」
処刑人はご丁寧にそう言い放った。
周囲が急に静かになる。
王子も嬉しいのか、私を覗き込んでいた。
こういう形式に拘るのが、騎士を気取る帝国らしくて面白い。
「帝国の国民は可哀想ですね……こんな馬鹿な王子を持って」
「っっ!! 直ちに刑を執行――」
「殿下! あれは!!?」
王子の命令を遮るかのように、一人の兵士が声を上げて空を指差した。他の兵士たちも空を見上げる。
何だ。
うつ伏せで見えない。
「全員武器を持て、急げ!!」
兵士達が武器を構えた時、突然私の身体が軽くなった。
そして鉄の斬首台が粉々に砕け散り、そのまま体ごと空に放りだされ――。
「えっ……ちょおわあああああぁぁあっっ――――べふっ!」
空中で何かに受け止められた。
そのまま、もぞもぞと後ろを振り向く。
凄い。
空一面の、虹色の鳥の群れだ。
「探知の羽の反応が消えたと思ったら、こんな状況だったとは」
私のすぐ上で声がした。首を向けると、金色の髪の男性がいた。私を抱きかかえたまま、羽も無いのに空を飛んでいる。
「助けが遅れてすまない。人の姿に戻るために魔力を回復していた」
「だ、誰……?」
「忘れたか? 君は俺が死にそうになっている時に突然服を脱ぎだし、自分の傷について語り始めた。月明りに照らされながら、何の恥ずかしげもなく」
「…………あ」
「俺は君に惚れた」
あの時の……虹色の鳥?
ポっと顔が熱くなる。
男性はぎゅっと私を抱きしめた。
「――聞こえるな、帝国の王子!! 俺はソラル国第一王子ケイル・フィン・ソラル。愚かな男よ、覚えておくがいい!!」
「貴様! 下りて来い!!」
ケイル王子が何かを詠唱すると、破壊されたはずの斬首代が空中に姿を現した。そしてフッと消えたと思いきや地上に突然現れ、アホ王子の首が固定された。
「うおっ……! 何だこれ、取れねぇ!!」
「さらばだ!」
ケイル王子はそう言って私を抱えたまま、更に空高く舞い上がった。それに呼応するように、虹色の鳥たちも羽ばたく。
「わぁ……!」
あっという間に雲の上だ。
風の音が大きくなる。
これからどうなるんだろう。
「俺は君に救ってもらった。だから今度は君を救いたい。シュトリ、君が誰であろうと、どれだけ体に傷がついていようと俺は一切気にしない」
ケイル王子は真っ直ぐ前を見ながらそう呟いた。夕日がその横顔を照らし出している。金色の髪が輝き、風でなびいていた。
この人、めちゃくちゃ格好いい。
勘違いしないよう、思わず王子の胸に顔を埋める。
「も、もう助けられましたので!」
「駄目だ。俺が君の腕になる、いいな?」
王子は再び、私を強く抱きしめた。
私にその手を振りほどくための腕は無い。
「――はいぃ」
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