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騎士道。  作者: Albert Aldebaran
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1-1

 薄暗い廊下。闘技場から控室へと続く、石畳の道。闘技場側から射し込む陽光が、照明のない廊下を淡く照らし出す。

 そこを歩く、一人の騎士。甲冑を鳴らし、威風堂々と歩く立ち姿は、その者のゆるぎない信念を彷彿とさせる。左腰には、龍の柄の剣を携え、左胸には大天使を象徴するこの世にたった一つしかない紋章。整えられた黒髪は勇ましく、鋭く吊り上がった眼には、見るものを畏怖させる恐ろしさと力強さがある。

 そう、この男こそ、憂きこの世を救うために生を受けた救世主にして勇者。マサル=アーネストである。

 先代勇者の下で幼少期から鍛錬を重ね、先代が失踪した今その代役を若干二十歳にして担っている神童である。

 現在は、全国聖道選手権大会個人の部の決勝戦に見事勝利し、大観衆の前で栄誉ある表彰を受けた後、退場しているところである。

 全国聖道選手権大会といえば、《聖道》を志すものが一度は出場を夢見る大規模な大会で、世界中から《聖道》を極めたとされた者たちが集結し、己の武を競い合う大会である。各地で行われる予選を勝ち抜いた者のみが出場できる大会で、その予選の段階で数多くの猛者と対峙することになるため、さらにその上の全国大会は出場できたことだけで栄誉とされているのだ。まして優勝でもしようものなら、歴史上に忘れ去られることのない存在として歴代の優勝者と同じ石盤にその名が刻印される上、《聖道》教会トップであられるところの教皇様が直々に主催する会食を兼ねた祝勝会に参加する栄誉まで与えられる。

《聖道》騎士として日々修練を重ねてきた者たちにとって、これほどの幸福は存在しえないだろう。

 というのに、当の今大会優勝者であられるところの勇者・マサルは、さして深く感慨にふけっている様子もなければ、かといって飄々と自らの栄誉を意に介さないという風でもない。試合が終了した今なおその真剣なまなざしは揺らぐことなく、まっすぐ眼前の暗闇へと向けられている。

 マサル自身、まったく感慨を抱いていないわけではない。いくらマサルが勇者でこの世界で最も強いとされている存在だからと言って、今回の相手が弱かったわけではないのだ。相手が全国大会の決勝まで勝ち上がってきている以上、生半可な覚悟で挑んで勝てるなどとは、マサルも最初から考えていなかった。ゆえにマサルは、一切の侮りもなく全力で決闘した。その結果、無事勝利することができたのである。

 しかし、それだけで満足しないのがこの男、マサル=アーネストという男なのである。

 確かにマサルは全力で決闘し、その後に勝利を修めた。だが、完膚なきまでに相手を叩きのめすことができたかというと、そうではない。むしろ相手が決勝までの戦いで隠してきた技を披露してきたことで一時防戦一方の戦いを強いられるなど、マサルが苦戦を強いられる場面が多々存在したのである。

 マサルが求めるのは、勝利ではなく、完全なる強さ。ゆえにたとえ勝利した戦いにおいても相手に押される場面があったのなら、それはマサルにとって満足のいく戦いとは到底言い難い。

 これが、マサル=アーネストという男。一切の妥協を許さず、日々の鍛錬を一切怠らず、ただ完全なる強さを求める男。

 己にとっての『正しさ』を見つけ出すために。

 先ほどからずっと真剣な表情をしているのは、今回の試合の反省点を自分なりに洗い出し、今後の鍛錬の参考にしようと思考を巡らせているからだ。普段なら帰宅したのちにゆっくり考えることなのだが、今回の試合は特に手ひどくやられたところが数か所あったため、帰宅を待ちきれず歩きながら考え始めてしまったようだ。

 薄暗い廊下にも、終わりが見え始める。控室のある管理棟から漏れ出る光が、マサルの視界にも入る。

 ちょうどその、石畳の廊下と管理棟の大理石タイルの境界。そこに、一人の初老の男とその配下の者たちがいる。

 「いやぁ勇者殿、本日はどうもお疲れ様でございましたぁ。ささっ、どうぞこちらへ。控室の方まで我々がご案内いたしますよ」

 コンバット大法官と、その直属の部下の者たちだ。

 大法官とは、この国の政治を司る十二人の賢人たちである。どの方も若き頃に厳しい修行に耐え抜き、《聖道》を大成され、するどい知見とめざましい武勇を持つ方々ばかりだ。この十二人と教皇の勅令で、この国の、ひいてはこの世界の政治の動向がすべて決定されるといっていい。大法官とはそれほど高名で、高潔な存在なのである。

 そんな大法官殿がお迎えに上がっているというのに、当のマサルはさして意に介する様子もない。軽く会釈をして通り過ぎようとしたので、コンバット大法官があわてて追従することとなる。

 「お疲れのところ大変申し訳ないのですが、この後の会食の方、ご参加いただけますでしょうかぁ?」

 満面の笑みをぺったりと貼り付けて、マサルにすり寄るコンバット大法官。

 「はい。よろこんで」

 マサルも、微笑みでもって対応する。

 「ありがとうございますありがとうございます。教皇閣下もさぞお喜びなさっておいででしたよ」

 「そうですか。それはよかった」

 「今日の会食は特別華やかにしなければと、はりきっておいででした。教皇閣下が直々に料理の方に助言なさると、おっしゃっているくらいでしたよぉ」

 「そうですか。それはたのしみですね」

 「そうですねぇ、楽しみでございますぅ」

 「はい、本当に」

 その後も控室までの道々で何くれとなくマサルに話しかけるコンバット大法官。それにこたえるマサルも終始顔に嫌味のない笑みを貼り付け、快く対応する。

 実のところ、マサルはコンバット大法官が嫌いである。

 コンバット大法官、いや、コンバットの方からマサルに対して特別不快な働きかけがあったというわけではない。コンバットのような人種全般に対して、マサルは一様に嫌悪感を抱くのである。

 若き頃になした栄光で高位を手にし、それを維持しようと躍起になるばかりか、さらなる私利私欲のために、他者に媚びを売り、下手に出ることで、生産的な努力なしに己のうちから湧き出てくる際限のない欲望を満たそうとする。強欲で、貪欲で、傲慢な偽善者。誠実で勤勉で、完全なる強さというマサルの理想と比較して、まったくの反対に位置する存在である。

 しかし、嫌悪こそすれ、マサルはその不快感を表現しようとはしない。彼らが若き日になした尊き営為の数々を知っているからだ。それは間違いなく勤勉の精神に根差したもので、《聖道》を極めんとする者として見習わなければならない姿勢に違いない。

 ゆえに、完全に否定することはできず、不快感は抱きながらも表面は取り繕うというなんとも中途半端な現状に落ち着いてしまっているのだ。

 マサルは今のこの己の状態を、良しとするつもりもない。むしろ、先のコンバットのような保身を第一に考える教会幹部らの姿勢を見て、日に日に教会への不信感は高まるばかりである。

 とはいえ、教会が《聖道》の思想にのっとり、弱きを助け悪をくじく正義を実践しているのも、また事実。

 やはりマサルは、『正しさ』について、悩むこととなるのだった。

 コンバットの話を受け流していたら、控室に到着した。

 「では、私はこれで」

 コンバットの話をキリの良いところで遮り、控室に入ろうとするマサル。

 その背中に、コンバットが呼び止める声をかけた。

 「あ、お待ちください勇者殿‼」

 マサルは閉まりかけていたドアを止め、顔だけを向けて中から対応する。

 「申し訳ありません一番大切な伝言を申し上げていませんでした」

 「…何か?」

 「教皇閣下からの伝言です。会食がひと段落ついたところで、閣下の書斎までいらしてほしいとのことでございます」

 「…了解しました。ありがとうございます」

 「いえいえこちらこそ。お疲れのところお邪魔いたしましたぁ。ではまた、会食の時に」

 「はい、また」

 お辞儀をするコンバットをしり目に、ドアを閉めるマサル。ちなみにコンバットは白髪の老人だが、頭頂部の毛髪と前髪は消失している。

 控室に入ったマサルは、甲冑を脱ぎ、用意されていた会食用の服装に着替えつつ、先のコンバットの伝言について、思考を巡らせる。

 教皇は、書斎に来るようにとマサルに言った。普段教皇は家族以外の大法官やそのほかの従者と面会をするときには、それ専用の謁見の間をお使いになられる。教皇の書斎というのは、よほど重要な、それでいて極秘の勅令を賜る従者が教皇に招かれる場所だと、宮廷内では噂されている。かくいうマサルも一度も入ったことはなく、今回が初の訪問となる。

 一体、何事であろうか。

 期待と不安で心拍数の上昇を自覚する一方で、このような重要度の高い伝言を教皇から任されているあたり、コンバットの教皇に対するご機嫌取りは成功しているらしいと思われ、少し憎たらしくも思うマサルなのであった。



 祝勝会は盛大に行われた。

 宮廷につかえるおよそすべての従者、貴族が集結し、総参加者は百数十人ほどに。彼らの拍手が響かせる大音響で大広間全体の空気が振動する中、教皇閣下とそのご家族が入場。その後に、教皇閣下から今大会優勝者であるところのマサルに対する直々の戴冠、教皇閣下からの式辞。最後にマサル本人からの式辞があったところで、あとは各自ご歓談と相成った。

 歓談は、現在進行形で行われており、参加者は豪華絢爛かつ大量に各所に盛られた宮廷料理を食し、数十年物のワインを無遠慮に開栓し、政治、宗教、貿易、市場、農業、商業、その他もろもろの身の上話に花を咲かせている。

 正直に言えば、マサルはとっとと帰宅したかった。

 勇者という過剰に高い身分を与えられたせいで敬遠されているため、特段話しかけられるということもない。豪勢な料理に対する最低限の生理的欲求はあるものの、騎士としての理想的な肉体を作り上げるためには、調理行程が全くのブラックボックスであるビュッフェに手を出すわけにはいかない。加えてマサルは、自身の身の上話をどこの馬の骨とも知れぬお偉方に語り聞かせることに何ら意味を見出せない。

 端的に言って、暇なのである。

 とはいえ、この会食後に教皇閣下から呼び出しがかかっている以上、おいそれと帰宅するわけにもいかない。

 結果、ワイン片手に微笑みながら会場内を徘徊する男と化すしか、マサルに選択肢は残されていないのだった。

 大広間内をそろそろ三周しきるというところで、そろそろ呼び出しをかけてくれまいかと、今自分が無為に浪費している時間にマサルが飽き飽きし始めていた時であった。

 「相変わらず愛想のねぇ野郎だなぁ、お前は」

 一人の中年男性が、マサルの肩に手を置き話しかけてくる。

 身長はマサルより高い百八十センチ程度。顎から荒々しく生えた灰色のひげと、このおめでたい場所に似合わない濃紺の軍服が、この男の職業を類推させる。

 名を、ザカード=ジェームズという。王国軍の司令官を任されている男だ。

 「ザカードさん。お疲れ様です」

 「おう。お前もつったってねぇで飲め飲め!誰の祝勝会だと思ってんだ」

 「そういうザカードさんは少し酔ってますね。少しは控えた方がいいですよ」

 「いぃんだよ!飲まねぇお前の代わりに俺が飲んでやってんだから、おあいこだろ?」

 「さっきと言ってることが矛盾してる気がしますけど......」

 鋭くつり上がった目尻と右目にかけられた銀縁の片眼鏡が顔面の威圧感を強調しているが、このとおり人懐っこい気性の男である。

 マサルとてザカードのことは嫌いではない。軍の重役に就きながら大の酒好きであるところの怠惰っぷりに若干の抵抗はあれど、幼いころからの長い付き合いと、部下として直接見ている指揮官としての苦労が、マサルの心に寛容さを与えていた。

 そして何より目の前の男は、マサルのかつての師匠の、数少ない友人でもあった。

 「ま、冗談はさておいてな」

 先ほどの酩酊ぶりはどこ吹く風と、笑みをぬぐい去り真剣な表情を見せるザカード。その瞳には、どこか息子を案じる父親に似た優しさが灯っている。

 「マサル、書斎に呼ばれたってのは本当か?」

 「もう広まっていましたか」

 マサルは、驚きを隠せない。

 「書斎呼び出しなんて、滅多なことじゃねぇからな。そりゃ噂も出回る」

 そこまで言ったザカードは、ため息でもって言葉を区切る。次に出た言葉は、心底マサルを心配した内容だった。

 「マサル、お前は何でも抱え込みすぎる。強くなりたいだかなんだか知らんが、そんな何でもかんでもやりゃ強くなれるってわけじゃねぇんだ。断るとこはきっぱり断るってことを、お前は少し覚えた方がいい。」

 最後には優しくマサルの肩に手を重ねて、教え諭すザカード。

 対するマサルは。

 あきれ半分納得半分であった。

 マサルにとって、優しさは罪であり、毒だ。自らの日頃の過剰なまでの鍛練を否定する侮辱行為ではあっても、決して心温まる励ましではない。

 マサルのこの手の頑なな性格は幼い頃から、少なくともマサルの師匠であるところの先代勇者が失踪してからは存在するものである。故にザカードも、自分の説教が無駄なことは、頭では理解できているはずなのだ。

 なのになぜ、と思う一方で、それでもやはり、ともマサルは思う。

 たとえ相手に届かないと分かっていても、それが愛した友ならば、無償の愛を捧げ続ける。それが、ザカードという男なのである。

 こんな見た目をしていなければもっと分かりやすく優しさが伝わるだろうに、と思うと、マサルは苦笑を禁じ得ない。

 「何がおかしいんだこの野郎。俺はお前のことを思って言ってやってんだぞ?」

 意図が伝わらずヘソを曲げるザカードに、マサルは今度こそ心が弛緩するのを感じる。思わず、懐かしいあだ名を口にする。

 「ごめん、ザカじい。別に馬鹿にしてるわけじゃあ......」

 「じゃあなんだってそんなニヤつくことがあんだよ、あぁ?」

 「そういうところだよ、ザカじい......」

 「あぁ?なんだって?てかなんだ急に懐かしい呼び方しやがって。気色ワリィ」

 これ以上放置したら、文句の垂れすぎと過度の心配による心労のかかりすぎで老体に響きそうなので、マサルは遮ってザカードをなだめる。

 「大丈夫ですよ、ザカードさん」

 勤勉な彼に、何某かの幸せが、あらんことを。

 「俺は大丈夫です。勇者ですから」

 いつになく優しげなマサルの声音を聞いたザカードは、それでも少し不服であった。

 「けっ、アイツみたいなこといいやがって、だいたいお前は―――」

 「勇者様、お時間です」

 さらにいい募ろうとしたザカードを遮って現れたのは、教皇直属の召し使いの男。先の戴冠式のあとで、マサルの冠を預かってくれたのも彼だった。

 教皇から、書斎へいく時間をマサルに知らせに行く旨の命を受けたこの召し使いは、実はマサルとザカードの対話に先刻から聞き耳をたてており、頃合いを見て無要な口論を避けようと割って入ったのだった。さすが、教皇直属だけあって、存外喰えない男である。

 マサルも、これ幸いとこの場をあとにすることにした。

 「じゃあ、ザカードさん。また」

 そのままマサルは振り返ることなく、召し使いに宴会用に身に付けていた真紅のマントを預け、廊下へと退出する。

 出てきた大広間の戸を閉める。マサルは、宮廷の廊下は不自然なまでに静まり返っていることに気づく。

 そのまま、目的地である書斎へと歩き出す。

 宮廷の皆が出払っているのだ。静かなのは当然だし、誰も見ていないのも当然だ。

 しかし、マサルの立ち姿は、いつだって揺るぎなく、力強い。

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