ザシャの想いと色づく花
やがて時は過ぎ、二人は成長していった。ザシャとゲルデは十四歳になった。もうほとんど大人の仲間入りだった。
大人になった二人は、今までのように老婆の家へ通えなくなった。ゲルデもザシャも、家の仕事を手伝わなければならないからだ。
それでも隙間の時間を見つけては、二人で老婆の家を訪れた。二人が十四の年になっても、老婆はしわくちゃなおばあちゃんのままだった。
ザシャはひょろりと背の高い少年に成長した。ボサボサの黒髪はゲルデと出会ったときから変わらない。のっぽなザシャは、ゲルデと話すときはいつでも猫背になっていた。ザシャはいつでも、ゲルデをお姫さまのように扱った。
ゲルデはザシャほど背は伸びなかったが、笑顔の絶えない心優しい少女に成長した。濃い栗色の髪を年頃の娘らしく整え、ザシャと話すときはほんのりと頬を染めていた。ザシャの隣にいるゲルデは、いつもどんなときも、一番の笑顔をザシャに向けていた。
二人は老婆の家を訪れては、それぞれに本を読んだり、面白かった本の内容を語り合ったり、老婆から薬草の煎じ方や効能を教わった。「魔女呼ばわりされるから他人に言っちゃいけないよ」と人差し指を立てる老婆の言いつけを、二人はよく守った。
ザシャもゲルデも、時間が合わなければ一人で老婆の家を訪れた。そんな日は、片割れがいないときにしかできない相談を老婆にしていた。相手が老婆にどんな相談をしているか二人は知らずにいるが、老婆は二人が同じ相談をしていることを知っていた。
ある日、ザシャはゲルデに想いを告げると決めた。町にやってくる楽隊の一人、笛吹きの青年がゲルデに惚れているようだと耳にしたからだ。
笛吹きの青年を直接見たことはないが、町の女の子は誰しも一度は彼に恋い焦がれたと噂されているのを知っていた。内気で弱気なザシャだったが、ゲルデのことに関してはそうではなかった。
ゲルデに想いを告げるため、ザシャは花を用意しようとした。けれど、どんな花がゲルデに似合うかわからない。いや、どんな花もゲルデには似合うとザシャは思っている。けれど想いを告げるのに最適な花というものがわからない。
ゲルデが忙しくしているとき、ザシャは一人で老婆の家を訪ねた。老婆がすすめるまま椅子に座り、お茶を飲み、ゲルデへの想いを吐露し、どんな花がいいかわからないと悩みを打ち明ける。老婆はいつもと変わらず、にこにこと笑って聞いていた。
「ゲルデにどんな花を贈ればいいんだろう。ゲルデはとても可愛い子だから、どんな花でも似合うのはわかるよ。でも僕は、ゲルデがどんな花を好きかわからないんだ。ゲルデが好きな本はわかるよ。どんなお話が好きかも知ってる。けど、だけど」
「わかってるよ。ザシャ、お前さんがいい子なのはよぉくわかってる」
老婆はにこにこ笑って、月の明るい真夜中、森に入るよう言った。
「月が丸く、大きく、明るい夜。この家を過ぎて、森へお入り。迷いやしない、狼も出ない、安心おし。奥へ奥へと行けば、泉がある。そこに白い花が咲いているから、一番いい花を手折るんだよ。ゲルデに渡す花は、それがぴったりだ」
摘むべき花は、夜露で一等輝いているもの。
老婆はザシャにそう教えると、ゲルデと摘みに行ったという薬草をより分ける作業に戻った。老婆が言ったことを頭の中で反芻し、ザシャも読書に戻った。
それからザシャは、老婆に言われた通り月が丸く、大きく、明るい夜、森に入った。月は暗い森を明るく照らし、一人で歩いても道に迷うことはなかった。何度か茂みが揺れることもあったが、兎の一羽すら飛び出してはこなかった。
森の奥で、ザシャは小さな泉を見つけた。こんこんと清水が湧き出していて、昼間ここで本を読めたら時間を忘れられるだろうと思う場所だった。
泉の畔に、白い花が群生していた。雛芥子のような愛らしく、百合のように清楚な花だ。夜露で輝く花は、探すまでもなく一輪だった。ほかの花が眠たげに頭を下ろしているのに対し、その花だけは、待っていたかのように顔をもたげザシャを見つめていた。
「ごめんよ」
ザシャは呟いて、花を手折った。ザシャの手に倒れ込んだ花は、家に持ち帰っても、ゲルデに渡すため胸に抱いても、いつまでも瑞々しく輝きを放っていた。
「きみに、これを」
ゲルデに花を差し出したのは、花を手折った翌朝だった。朝一番、水を汲むため井戸に出てきていたゲルデは、家の者に見つからないようザシャを物陰に引っ張った。
ザシャの顔は、緊張で青ざめていた。白かったはずの花は、ザシャの顔に負けないほど青くなっている。胸がつかえて何も言えないザシャと花を見比べ、ゲルデはおずおず手を伸ばした。
「もらっても、いいの?」
「きみに、受け取ってほしい。でも、その……」
あちこちに目をさまよわせ言い淀むザシャを、ゲルデは心配そうに見上げた。顔も青いし、今にも倒れそうに見えたのだ。具合が悪いのかと顔に伸びたゲルデの手を、ザシャはとっさに避けてしまった。引っ込んでしまったゲルデの手をハッと見つめ、ザシャはますます気まずそうに目を逸らす。
それでも、ゲルデは辛抱強くザシャが何か言うのを待った。朝はまだ早い。ゲルデが姿を見せなくても、家の者はまだ騒がないだろう。だからといって、いつまでも待たせるわけにはいかない。ザシャは一度深呼吸すると、ゲルデの手に花を握らせた。
「きみが好きだ、ゲルデ。きみのことが、大好きなんだ」
ゲルデの手に渡った花は、青みが薄らぎ、一度白く戻った。そして見る見るうちに淡く色づき、薔薇色に染まった。ゲルデはぽかんと口を開けてザシャを見上げていたが、受け取った花を胸に抱くと心からの笑顔を浮かべた。
「嬉しい。本当に嬉しい。私も、ザシャが大好き!」
青かったザシャの顔が、真っ赤に染まる。ゲルデも負けないくらい赤くなった。ザシャはとっさに腕を広げた。ゲルデは迷わずその腕に飛び込んだ。二人は隙間もないくらい密着し、ぎゅうぎゅうと抱き合った。
ザシャとゲルデは、この日から幼馴染みではなく恋人となった。
ザシャは贈った花をゲルデの髪に挿した。ゲルデは照れていたが、花を抜いたりはしなかった。花は毎日、ゲルデの髪を美しく飾った。
ゲルデが笑えば、花は黄色に染まった。
ゲルデが悲しめば、花は青色に染まった。
ゲルデがザシャのそばにいるとき、花は薔薇色に染まった。
ゲルデの感情に合わせて花は色を変えた。町の人々は花の奇妙さに気づいていたが、二人が幸せそうだったので、誰も何も言わなかった。