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RUN OUT  作者: 鬼柳シン
8/8

患者、鳴瀬桜花

 厚いガラス越しの緊急治療室に、桜花が何本も点滴をうたれて意識を失っている。口元には呼吸器がつけられ、ギリギリその命をつないでいた。

 あの後、近くの人が呼んだ救急車で大学病院に搬送された桜花は、まさに死の瀬戸際だった。ニオを含む医者が列をなして命は保ったが、目覚める気配はない。

 それどころか、心電図は刻々と弱くなっている。どういう病気で、なぜこうなっているのか。わからないが、カーミラと共に、見つめていることしかできなかった。


 しばらくして、ニオが緊急治療室から出てきた。見るからに疲れており、椅子に肩を落として座る。


「迷惑を、かけたね……」


 溜息と一緒に吐き出された言葉に、僕へのねぎらいの言葉を付け足すのは難しかっただろう。大学病院の院長ですら、諦めたかのようにしているのだから。

 僕は隣に座ると、顔色をうかがってから聞いた。桜花を取り巻く状況について、すべて。孤児であること、絶対に治らないこと、他人に感染すること。それらすべてだ。

 ニオは力のない目で僕を見てから、もうプライバシーがどうとか言っていられないのか、答えてくれた。患者、鳴瀬桜花について。


「あの子がこの病院を訪れたとき、はじめは高熱と頭痛、それから体の節々が痛むと言うから、インフルエンザかと思ったよ。ご両親にも説明して、しばらく入院してもらうことにした。でも、インフルエンザなんて生易しいものじゃなかったんだ」


 ニオは、手にしていたタブレットをスライドさせていく。そこには、桜花の病状が記録されていた。

 半年前――つまりは冬に、高熱を出した。しばらくはインフルエンザの治療が行われていたが、一向に回復の兆しは見えなかった。それどころか嘔吐や下痢が目立ち、吐血の症状もみられた。

 その後、複数の臓器に出血の跡が見られ、肝機能の低下、網膜の充血などが見られたそうだ。

 その時に、ニオはやってはいけないミスを犯した。過去を懺悔するように、当時のことを語る。


「あの症状から導き出される病気として、エボラ出血熱が浮かび上がったんだ。十年代に大流行した、あの病気だよ。当時は特効薬がなかったけれど、もう違う。適切な薬による治療と、栄養のある食事さえ行っていれば治せたんだ。けれど、ご両親への伝え方を間違えた。向こうの捉え方もだけれど、感染する不治の病だと思われてしまった。付け足すなら、膨大な治療費が必要ともね」


 ニオは深い溜息を吐き出して、それからのことを端的に話した。両親は、非常に神経質で、過度に症状を捉えてしまったこと。貧乏な暮らしで、そんな治療費は払えなかったこと。まだ若く、夫婦仲がうまくいかず、ちょうど離婚の話が上がっていたこと。

 つまり、桜花を取り巻く何もかもが、嫌な方向に傾いた。結果として、感染を恐れた両親は見舞いに来なくなり、治療費が払えないので夜逃げし、警察の調査で、離婚していたことが判明した。

 極めつけに、それらがまるごと、桜花に知られてしまった。病状から両親のことまで、なにもかも。


「実はね、桜花はもっと物静かな子だったんだ。オカルト好きなのは変わらなかったけれど、ベッドでずっと本を読んでいるような、そんな子だった。でも、すべてが伝わったことにより、桜花の精神は限界が来た。当然だろう? ただでさえ死にそうなのに、親が見捨てていったんだ。もう、生きていられない。大きな……とても大きな泣き声で、桜花は泣いた。そして、玩具のスイッチが切れたように意識を失った」


 そして目を覚ましたら、吸血鬼にあこがれる明るい性格になっていた。ニオは言う。簡単に言葉にするのなら、自我が壊れて再構築されたと。


「これだけで、済んでほしかったよ。ボクは医者だけれども、それ以前に人間だ。こんなにあんまりな少女を捨て置けるほど、冷たくはなれない。だから、この病院で預かることにした。病状が回復するまでね。兄さんにも相談して、家に受け入れようとも考えていた。けれど、症状は悪化するあまりだった。だから――」


「吸血鬼の血を使ったのか」


 何も言わずに、ニオは頷いた。しかし、それで回復の兆しが見えたと、小さな声で付け足した。


「定期的に吸血鬼の血を投与すれば、病状は抑えられる。その間に、ありとあらゆる手段で桜花の体を調べた結果、症状は心因性によるものからくるとわかったんだ」


「心因性……つまり、心の問題ってこと?」


「心の定義は置いておくとして、内面の変化が――ストレスが、エボラ出血熱によく似た症状を引き起こした。だから、この病院の中でも好きにさせていたんだ。思い当たるふしはあるだろう」


 病衣ではなく、赤いロングコート姿で、中学生なのに髪を染めて、深紅のカラーコンタクトをつけていた。それどころか自由に外出して、好きなように生きていた。


「桜花は、この先に待つ青春を、それはもう楽しみにしていたよ。オカルト研究部に入って、男子とも女子とも遊んで、間違いを起こしながらも成長していく。そのために、ボクはとにかく調べつくした。君たちを呼んだのも、桜花へ投与する血液が足りなかったからなんだ」


 なぜ、ここまでするのか。聞こうと思ったけれど、首を振る。医者が患者を大切にしているのだ。何も悪いことはない。


 ニオは、ガラス越しに桜花を見る。半年間、助けようとしてきた患者を。僕も、ちらりと見た。


「……!」


 思わずため息が出た。今の一瞬で、僕は感じ取ってしまったのだ。これだけ、ニオが助けようとしているというのに、なぜこうなるのか。

 伝えるべきか悩んで、ニオの隣に立つ。桜花の白い顔をよく見て、やはりそうか、と、うなだれる。


 悩んでなど、いられない。もう、『それ』はすぐそこにまで、迫ってきているのだから。


「ニオ、落ち着いて聞いてほしい」


 答える気力がないのか、僕へ向いたニオに、数百年間見て、感じてきた直感を告げる。桜花の死は近いと。


「な、何をばかなことを言うのさ! 生命維持装置の準備も急がせている! この病院のエリートをかき集めて、改善策の道を模索している! だというのに、桜花がもうすぐ死ぬだって? それは医学への冒涜だよ!」


 珍しく声を荒げたニオは、ヒステリーのような自分に気づいた。亜麻色の髪をかき上げて、落ち着こうとしている。

 けれど、ダメなのだ。生命維持装置がどれだけの力を持つのか。それはわからないけど、大学病院のエリートたちは、たどり着くだろう。

 もう、手の施しようがないという結論に。


 呼吸器のつけられた桜花は、あの石畳の上にいた、目に杭を打たれた少女とかぶって見える。死神がすぐそこまで来ていた、あの少女に。


「ニオ、確かに君は立派な医者だよ。そんなに若いのに院長になって、たくさんの人を救ってきた。でも、それと同じくらい、死に顔を見てきただろう? それは僕も同じなんだ。僕自身が殺したこともあるし、偶然誰かの死に付き添ったことは数えきれない。もう何百年と、そんな顔を見てきたんだ。だから断言できる。このままだと、桜花は死ぬ」


 そんな、馬鹿な。ニオは僕をつかもうとして、緊急治療室からの声に気づく、心拍数が急激に減ってきているということを。


「せ、生命維持装置の準備は!」


 まだです。まだかかります。そう口にする医者は、悔しそうにかみしめていた。


「救えないのか……こんなに長く、未来のために力を尽くしてきたのに、桜花の命は、尽きるのか……」


 膝から崩れ落ちたニオは、医者としての絶望を味わっている。これまでの経験と、知識と、設備。それらがそろっていても、救えない。もはや涙も流れず、傍観していた。


「……まだ、手はある」


 ああ、言いたくない。黙っていたい。余計なお世話だから留めておきたい。でも、僕だって、短い間だけでも、桜花とは友達だった。吸血鬼にあこがれる、多感な時期の子。

 僕なら、未来を与えられる。死という闇より暗いところから、引き上げられる。でも、引き上げた先は明るくない。望んでいる青春は、永遠に訪れない。


 ニオが、僕の言葉にすがるように寄ってくる。カーミラは、ただ静かに目を閉じている。


「……桜花を、吸血鬼にする。そうすれば、どんな病気にも対抗できる」


 ニオは、言葉を失っていた。吸血鬼について知るニオなら、それがどういう未来を導くかわかるのだろう。

 言葉は出ない。きっと、その出来のいい頭でシミュレーションしている。吸血鬼となった未来を。


「――ボクの一存じゃ、決められない。これは、桜花が決めることだ」


 ニオは、その答えにたどり着いた。たった一人の少女の命を紡ぐために、どうすべきかも、心得ているようだ。


「人払いをする。監視カメラも切る――その先は、任せるよ」


 無言で頷き、医者たちが不審に思いながらも部屋を出ていくのを待った。そして監視カメラが黒くライトを消すと、緊急医療室への扉が開く。


「ニオ、すまないけれど、注射器で桜花に僕の血液を多く注入してほしい。じゃないと、話すこともできない」


 ニオは、何も言わない。ただ、注射器いっぱいに僕の血液を採ると、桜花の白い手首に差し込んで、血中に流し込む。

 すると、意識を失っていた桜花が、薄く目を開けた。口も開いて、僕とニオの名を呼ぶ。


「とても、重要な事なんだ。意識を失う前に、聞いて、そして決断してほしい」


 夢を見ているようにトロンとしている目つきの桜花に、僕のことを教える。吸血鬼であることを。人間の血液を糧として生きる化け物だと。


「あ、ははは……なんだ、やっぱり、そうだったんだね」


 力のない声だが、意識はしっかりしている。ならば、あとは桜花の選択次第だ。


「僕なら、君を吸血鬼にできる。そうすれば、命は助かる。でも、よく聞いてほしい――このまま時の流れに任せて、人間として死ぬか。それとも人間とは異なる時間、異なる世界で暗がりの中、生き続けるか。どちらを選ぶかは、君次第だ」


 こんな状態の桜花に、伝わるだろうか。いや、伝わるはずだ。あの雪山でも、カーミラに僕の声は届いた。なら、今回だって届くはずだ。


「生きて、いたいなぁ……生きて、お父さんと、お母さんに、会いたい。それに、私は……好きだから」


 微笑んだ桜花は、小さな口を開ける。オカルトが好きだと。それだけを告げて、目を閉じた。


「その願い、確かに受け取ったよ――ニオ、僕の血を輸血できるだけ輸血してくれ。吸血鬼の心臓なら、一気に血を抜かれてもなんてことない。ありったけを、桜花に輸血するんだ」


「……わかったよ」


 こうして、僕の手首から桜花の手首へと、一本の管が連結した。そこを流れるのは、吸血鬼の――化け物の血だ。


 本当なら、こんなことはしたくなかった。吸血鬼なんて、いい加減に滅んでいいのだから。増やすなんて、どうかしている。

 だとしても、僕にしか救えない命を見捨てたくない。人間にできなくて、吸血鬼にできるのなら、なんだってやってやる。


 だんだんと、桜花の顔色が健康的なものへと変わっていく。心電図は元通りの心拍数に戻り始め、呼吸器がなくても、安定した呼吸ができるようになった。

 桜花の瞳が、ぼんやりと開いた気がする。そこに見えたのは、深紅の光だ。カラーコンタクトではない、正真正銘、本物の瞳。


「もう、大丈夫だよ」


 ニオに向けて言うと、輸血が止まる。桜花は目を閉じたまま、眠るように胸を上下させていた。

 命を救えたのだ。人間であることを辞めて。


「あとは、目が覚めてからにしよう。話さなければならないことが、山のようにある」


 ニオは、肩を落としながら緊急治療室を出ていった。その先で歓声が上がっているあたり、救えてのだということを伝えたのだろう。

 僕は、ここにいないほうがいいだろう。緊急医療室を出て、カーミラを連れて別の出口から院内に戻る。すっかり夜になっていた。

 これから、桜花はこんな闇の中で生きる。耐えられるだろうか。受け入れられるだろうか。


「主様、一ついいでしょうか」


 カーミラの声に振り据えれば、真剣な面持ちで僕を見ている。


「あの子の……桜花の面倒は、私が見ます。伝えるべきことも、見せるべきことも、私がやります」


「それは、後学のためかな。それとも、同じ女性だから?」


 両方です。カーミラは恭しく礼をして、桜花の面倒を見る任を託すように頼んだ。

 それほど、気にすることだろうか。今までだって、女性のカーミラに、男性の僕がいろいろと教えてきた。

 それが、ダメなのだろうか。やはり、年頃の女の子というのは、難しいのかもしれない。


「なら、任せるよ。この七十年で培ったすべてを教えてあげて。でも――二人とも、僕の従属だからね」


「心得ております。主様の従属として恥がないよう、誠心誠意、吸血鬼の生き方を教えます」


 正直、カーミラがこうまで言ってくれたのはうれしい。僕は、どうせ、もう長く生きない。そのあとの世界を生きて、導くためにも、桜花の面倒はカーミラが見るべきだ。


「二人の、従属か……」


 僕のように数百年を生きるのか、時代の波に飲まれて死ぬのか。

 見当もつかない。未来を知ろうなんて、いくら化け物でも許されることではない。

 とはいえ、


「ようやく、満月になったね」


 この病院に来て、どれほどの時間がたっただろうか。少なくとも三日月が満月になるまではいた。その間に、一人の命を救った。僕は、狂っていなかったのだ。命を奪うのではなく、救ったのだから。

 ただ、あの公園で桜花の頭を積んだ時のことが、どうしてもひっかかる。疲れていたのか、狂気が戻ってきたのか。


 いや、大丈夫だ。僕の狂気は、僕が一番よく知っている。もしも狂っていたのなら、今頃桜花は死んでいる。


「それじゃ、桜花のことは頼むよ」


 部屋に戻る前に、それだけを伝えておく。明日からは、騒がしくなるだろう。そのためにも、よく寝て体力をつけておこう。


いったん完結とさせていただきます。続きは、反響次第で書きます。

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