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RUN OUT  作者: 鬼柳シン
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狂気と幸せ

 初夏とはいえ、夜が来れば暗くなる。三人で帰ろうとしたが、警察署で生まれた疑惑が晴れない。もしも、カーミラが本当に吸血殺人を起こしているのなら……止めなくてはならない。最悪、殺してでも……


「どうしましたか」


 声に顔を上げれば、カーミラと桜花が、僕が遅いと目で訴えている。とはいえ、こんなことを考えたままでは、眠ることもできない。


「すまない。先に返っていてくれるかな」


「構いませんが、急用でしょうか」


 心配そうな声音のカーミラに、少し外の空気を吸っていたいとだけ返した。納得のいかない顔なのは百も承知だ。僕自身、どうしたらいいのかわからないのだから。

 ひとまず、二人が帰っていくのを見送ると、夜空を見上げた。まだ三日月だが、満月は近い。狼男たちも喜ぶだろう。


「ふぅ……」


 記憶喪失の危険性から、所持金は少ない。それでも自動販売機でコーヒーくらいは買えるので、ブラックを選ぶと、ゴトリと落ちてくる。内臓量が多いようだ。

 あまり、自動販売機のコーヒーは飲みたくなかった。安い事にはいいのだが、どうにも喫茶店で飲むような味とは程遠い。ブラックなど、もはやカフェインをそのまま飲み込んでいるようなものだ。

 しかし、あえてこれを選んだのは、単純にカフェインが欲しかったのだ。少しでも頭が回るように。

 苦いだけのブラックコーヒーを啜りながら、警察署でのことを思い返す。間違いなく吸血鬼の仕業であり、殺し慣れている――というより、殺すことを楽しんでいる。

 僕の狂気があった時もそうだった。いかにして、殺すか。どのような手段で、どんな苦痛を与えて、最後はどうやって息の根を止めるか。

 警察署で見た殺し方は、それとよく似ている。


 ――一つだけ、気になることがあるのだ。カーミラにも話していない、数百年も心の奥底に隠していた――あの石畳の上でのこと。

 僕が流れてきた流血へかみついたときから、狂気が消えた。それがおかしいのだ。

 今まで見てきた化け物たちの中には、幽霊や生霊の類もいた。もしも、僕が吸血鬼となることで、中にあった狂気が出て行ったら、どこにたどり着くのか。


 この事件に関わらなければ、忘れていただろう。だがこうして、見覚えのある殺し方を見てしまった。それが僕の狂気を宿した誰かなら、似たような手口なのも納得がいく。

 幽霊や生霊のように、この現世に残り続けた狂気という概念が、誰かに乗り移った。僕の用意周到だったり、乱雑だったりした殺しを行った誰かがいる。

 いるのだとしたら、やはり、カーミラなのだろうか……


 その時、一陣の風が吹いた。突風とも呼べるかもしれない。砂や砂利が飛んでくるので、腕で目を覆ったが、まるで頭に電流が走るような感覚に陥った。


 いる。この近くに、この吸血殺人事件の首謀者が。


 どこだ、どこにいる。そっちから来てくれるのであれば、好都合だ。ここで終わらせることができる。カーミラの心配もしなくて済む。

 だから現れろ。僕の狂気を宿した、吸血鬼。


「――え?」


 そんな言葉しか出なかった。突風もおさまり、街灯が照らす薄暗い路地に、僕そのものがいる。深紅の瞳に、口周りの髭。赤いジャケットに、普通のジーパン。

 だが、明確に違うところがあった。その顔だ。記憶喪失の時に鏡で見た、ピエロのように歪んだ笑みを浮かべる僕。

 何が起こった。何が起こっている。


どうして、僕が二人もいる!


 僕の顔で、そんな……そんな歪んだ顔をするな!


「う、あああぁぁ!」


 やけくそだった。なにもかえりみずに、両手の指へと意識を集中させる。それを受けて、吸血鬼の細胞が、普通の爪から、鋭利で長いものに変わった。

 もう、知るものか。ドッペルゲンガーだろうと、他人の空似だろうと、どうでもいい。ただ、ただ、その顔をやめろ!


 突進して、爪を心臓に突き刺した。不思議と鮮血は飛び散らず、刺した感触もない。

 だが、笑っている。何も言わずに、ただ笑っている。


「あ、うあああ!」


 切り裂いた。目にも止まらぬ速さで、バラバラになるまで切り続けた。

 そして、その首が落ちる。そこまでやってとうとう、僕の顔の口は開いた。『いつでも見ている』と。


「ハッ!」


 気づけば、誰一人としてここにはいない。街灯がチカチカと点滅して、夜の道を照らしている。

 今のが、吸血殺人の犯人……? いや、違う。刺した感覚も切った感覚もなかった。血の一滴さえ、ここには落ちていない。

 なら、今の姿は、誰だ。幻覚か? そんな簡単なものなのか?

 わからない。どう考えてもわからない。


「ニオ……」


 自然と口に出たのは、友人であり、若くして大学病院の院長を務める、ニオ・フィクナーの名だった。

 精神科に、口をきいてもらおう。明らかに、今の一連のことは、常軌を逸しているのだから。


 フラフラと、僕は岐路につく。とりあえず、眠りたい。ニオに相談するのは、明日だ。




 院長室に、新しくコーヒーメーカーが置かれていた。ニオ自身、こんなにも若く院長になるとは思ってもみなかっただろうから、必要なものが足りていなかったのだろう。


「ブラック? それとも、シュガースティックかミルクを混ぜるかい」


 ポタポタと零れ落ちるコーヒーをぼんやりと眺めて、ブラックで構わないとしておいた。

 ニオは自分の分も淹れ終えると、デスクトップパソコンをどかして、机の向かいに座る僕と向き合った。


「精神科に行きたいと聞いたけれど、何かあったのかい」


 湯気の出るコーヒーをフーフーと冷ましながら、ニオは僕に問う。答えようとして、昨日のことが蘇り、額に手を当ててしまう。


「その様子――今回ばかりはどうやら、記憶喪失とかのレベルじゃないようだね」


「僕の様子を察してくれて、助かるよ」


「それで、精神科だね……うん、確かに今の君は、疲れているだけじゃない。もっと重たいものを背負っている」


 ニオはコーヒーを一口含むと、症状を聞かれた。そのままを伝えるか迷ったが、嘘をついては問題は解決しない。

 だから、すべて話した。警察署で見覚えのある殺人が行われていたこと。カーミラに疑心を抱いたこと。僕のドッペルゲンガーのような、狂った顔のこと。

 ポツリ、ポツリと語るうちに、ニオのコーヒーはなくなっていた。

 カップは、そのまま机に置かれる。


「僕の知識で言うのならば、疑問とか疑心とか、そういう負の感情が爆発して、幻覚を見た。そういう風に思えるよ」


「幻覚……なのかな……ねぇ、精神科の先生に診てもらうわけには……」


 言葉の途中で、ニオは首を振った。今どきの精神科はあてにならないと。


「考えてもみてごらんよ。眠れないとか気分が落ち込むとか、そんな日常生活で当たり前に起こりうる事に対して、精神科医は薬しか出さない。問診も、五分だってやらないよ。それで薬の量が増えていって、中毒になる。精神科は、そういうところさ」


「なら、どうすればいい。僕には……わからないよ。この世界は複雑になり過ぎた。こんなの、出口のない袋小路だ」


 我ながら情けない。僕より数百歳年下の女性に、こんな弱いところを見せているのだから。

 ニオはもう一杯淹れると、心配はいらないと答えてくれた。


「これでも院長だからね。学生の頃は二十四時間、寝ずに勉強に打ち込んできたよ。眠い時なんか、唐辛子を丸々食べてね。おかげで、大体の病気や怪我に対する知識が頭に詰まっている。今風の医者は、それができないんだ。精神科なら精神科だけ。内科なら内科だけ、みたいにね」


 コーヒーを混ぜながら、ニオは語る。今の医療現場と、自分について。とっとと結論を言ってほしかったから身を乗り出そうとしたら、手で制される。


「君が吸血鬼であることを知るのは、人間ではボクくらいのものだろう? そんなボクなら、吸血鬼ならばどう反応するかを調べて、適切な処置ができる。これでも、臨床心理士の資格を持っているからね」


 臨床心理士とやらがどこまですごいのか知らないが、ニオが自慢するのなら、相応に優れた資格なのだろう。

 ニオは机の中から一枚の白紙を取り出した。それを渡され、ペンも握らされる。


「精神的にまいっている患者に対して、まず行うのがこのテストだ」


 テスト、と言われても、白紙とペンしかない。口頭で何か聞かれるのかと考えていたら、一つだけ言われた。『実のなる木』を書いてくれと。


「思ったままを書いてほしい。それでこそ意味があるからね」


 そう言われ、僕は想像してみる。昔はどこにでも果実のなる木があったけれど、この百年ほどで、ほとんど見なくなった。

 なら、こういうものだろうか。

 僕は言われた通り、思う通りに書いた。それを見るニオは、「なるほど」と、紙を机に置いた。


「簡潔に言うのなら、君は今とても心が不安定で、自信がない。思い当たるふしはあるかな」


 不安定で、自信がない。その通りでびっくりする。心はカーミラや吸血殺人のことで滅茶苦茶で、僕自身の狂気が誰かに宿ったのではないかと自信を失っている。


「なんで、わかったの」


「簡単だよ。この絵をよく見てくれ」


 僕の書いた実のなる木だ。細く、枝分かれも、実も少なく、根っこは生えていない。ニオはその一つ一つをペンで指していった。


「実が少ないのは、自信がない証拠なんだ。細いのも同じだね。それで一番重要なのが、この根っこさ。どんな木でも、根っこが短ければ倒れてしまう。つまり、不安定なんだ」


 よくできたテストだと、現代医療に感謝する。しかし、だからといってどうしたらいいのだろうか。


「顔に出てるよ。どうしたらいいのかわからないって」


 図星をつかれ、縮こまってしまう。そんな僕に、ニオは優しく問いかける。もう十分じゃないかと。


「君が過去に何をやって、それでどれだけの人を傷つけても、数百年も贖罪のために世界中を飛び回っていたのだろう? 引退して、ゆっくり過ごす気はないかな。君の血を分けてもらえれば、どんな高級マンションにだって住まわせてあげられるよ」


「……きっと、気楽でいいものなんだろうな。僕がいて、カーミラがいて、高いマンションから夜景を楽しむ。赤ワインに、チーズを添えて、二人で食べる。たまにはニオが来て、桜花も来て、そのたびに、幸せなんだと、感じる――でも、だめなんだ。僕は殺し過ぎだ。罪のない人を、狂気に身を任せて殺し過ぎた。その贖罪は、まだ終わっていない」


 せっかくだけれど、ごめん。僕は困ったような笑顔で、ニオの誘いを断る。残念そうにしているが、生き方は人それぞれだ。


「とにかく、今のやり取りで、ある程度は君の内面を知れたよ。カウンセラーの資格もあるから、何か困ったら、遠慮せずに来てくれて構わない」


「……ありがとう」


 僕はそう言い残して、院長室を後にする。カーミラは個室で、桜花は共同スペースだろうか。

 僕は……そうだな。トイレだ。コーヒーを飲んだから、トイレに行きたい。

 ちょうど、案内板が目に入る。その通りに歩いていくと、中には誰もいなかった。


 「……」


 トイレに来て、便座に座るでもなく、鏡に映る自分を見ていた。あの日、記憶が戻った日。あの時のゆがんだ顔が、昨日見た顔と同じだからだ。


 唇の両端に、指を入れてみる。それをグイっと上げて、瞳も笑っているように歪ませようとした。それでも、鏡に映る僕は、いつもの自分だ。


 狂気。なぜ、そんなものが世界にあるのだろう。この地球で最も優れた種族の人間が、どうして、同類を殺してしまうような狂気を抱くのだろう。


「また、ここでしたか」


 トイレから出たら、カーミラが病衣を着ている。いつものメイド服は? と聞けば、洗濯中らしい。

 カーミラ、か。吸血鬼の風習で、人間を辞めたら、主が名を授ける。元の名前は、憶えていない。

そんなカーミラが、怪しいのだ。昨日の出来事は、ただの幻覚で、本当に殺してきたのはカーミラではないのか。僕の記憶喪失をいいことに、嘘をついているのではないか。

 どんなに考えても、答えは見えない。


「ねぇ、狂っているのは、世界だよね」


「……はい」


「なら僕の狂気は……十五世紀の僕は、なんで狂っていたのかな」


 なんだろう。笑いがこみあげてくる。悲しいことを話しているというのに、僕はクックと笑い出した。


「こんな滅茶苦茶な世界で、こんな人間しかいない世界で、正気も狂気もないのかな」


 カーミラは、どう思う? 僕は抑えきれなくなった笑いを零しながら、勤めて冷静なカーミラに問いかけた。

 時間がほんの少し流れると、カーミラは言う。主様の望む答えを答えるのが、自分の仕事だと。


「大丈夫ですよ。たとえ狂っていても、私はおそばを離れませんから」


 今度は、涙がこみ上げきた。ああ、本当に、今の僕は不安定だ。

 また、カーミラは抱きしめてくれる。こんな人殺しを、赦してくれている。


「いなく、ならないでね」


「心配には及びません。命の恩人と交わした約束を、破る気などありません」


 そう言って、もっと強く抱きしめてくれた。まるで絞る前の雑巾のように、僕の瞳からは涙が零れ落ちている。


 カーミラじゃない。連続殺人は、カーミラが行ったものではない。ほかの、誰とも知れぬ吸血鬼の仕業だ。一対一では勝てなくても、カーミラがいればどうにかなる。


「仲、いいんだね。結婚しているみたい」


 ふと、桜花の声がする。カーミラと見れば、桜花が僕たちを羨ましそうに見ていた。そして、涙も流れている。


「え? あれ、なんでだろう。なんで、泣いているんだろう」


またうずくまった桜花は、いつものコンタクトレンズのせいではないようだ。理由も背景も知らないけれど、僕たちを見て泣いている。


「あ、ははは……なんでだろ。なんで、私には――」


 その先を言いかけて、桜花は走り去った。いつもと違う様子なのは、僕だけではないようだ。




 誰もかれもが、抱えているものがある。僕は遥か過去に起こした連続殺人と、ボケてきた頭。桜花にも、なにかがあった。だから、泣いていた。ベッドで横になりながら、窓から覗く、満月に近づきつつある月を見る。

 あの月だけは、何も変わらずに、夜を照らしてくれている。心に抱えた闇まで照らしてくれたら、どれだけいいか。


 でも、そうも言っていられない。僕が越した過ちは、僕にしか解決できないのだから。そんなこと、もう数百年間の内、何度も考えてきたことだ。違うことがあるとすれば、一人じゃなくなったことだろうか。

 カーミラがいて、ニオがいて、桜花がいる。吸血鬼でも、人の輪に入れるのだ。


 だからか、桜花の涙が引っかかってしょうがない。ニオから言われている通り近くにいるけれど、いったい何があったのか。僕と同じ記憶喪失を持つ桜花に、もっと近づきたくなった。

 僕がカーミラになだめられるように、桜花の相手をまかされたのなら、手助けをしたい。


 右手を、窓から覗く月に伸ばしてみる。届くはずもないのに、ついやってしまう癖だ。手に入らないもの、入らなかったものを思い浮かべては、手を虚空に伸ばす。

 もう、僕は失い過ぎた。だから、明日から桜花にもっと話しかけよう。たくさん与えてあげよう。警察署にも一緒に行って、抱えた闇を壊してあげよう。

 これもまた、僕の贖罪の一つだ。


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