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RUN OUT  作者: 鬼柳シン
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出会い

 夜空に浮かぶ三日月を眺めながら、頃合いだなと、赤ワインとグラスを二つ持って部屋を出る。隣の部屋をノックすれば、カーミラの透き通る声が、いつもより弱弱しく帰ってきた。


「申し訳ありません。主様のおそばを離れるとは……」


 うつむいているカーミラに、グラスを一つ差し出すと、赤ワインを注ぐ。僕も椅子を引っ張ってきて座り、同じように赤ワインを入れた。


 しばらくは、静寂が流れた。僕もカーミラも、赤ワインを口にする以外言葉はなかった。

五分程だろうか。両方のグラスが空になるころになってようやく、僕は切り出した。「まだ吹っ切れないか」と。


 カーミラは僕の言葉に当惑していたが、深い溜息を吐いて、うつむく。


「もう、七十年も前ですのに、忘れることすらできないのですね」


 窓から覗く三日月を見上げたカーミラは、あの日もこんな夜空だったと、感傷気味に吐露した。


「千九百五十九年の冬。まだロシアがソ連だった頃……ディアトロフ峠事件は起きました」


 奇妙な事件だったと、僕は思い返す。当時カーミラを含めた九人が、スヴェルドロフスク州のウラル山脈北部で奇怪な死をとげていた、現在でも全貌が判明されていない事件だ。


「また、話を聞いてもらえるでしょうか……?」


 また。カーミラは振り切れない過去を、思い返しては、胸の奥にしまっている。それが零れ落ちるとき、僕に話すのだ。大切な友人を失い、人間を辞めた日のことを。

 僕はワインを注ぎなおす。長い付き合いだ。それだけで、聞いているのだな、と、わかってもらえる。

 感謝します。小さな声を僕へ投げかけると、その深紅の瞳が七十年前を映し出す。


「――私を含めた十人が、真冬のオトルテン山へ登山に向かいました。今でも、みんなのことは覚えています――おかしくなってしまった、九人の仲間たちのことを」


 マイナス三十度の極寒の中、一人がテントを引き裂いて、裸足で外に飛び出した。その他のメンバーには頭蓋骨の骨折が見られ、別の二人は肋骨を損傷しており、舌を失っていた人もいるという。

 さらに、犠牲者の服装からは、高い線量の放射性物質が検出された。

 そのメンバーの中に、僕が与えたカーミラという名前の前の彼女はいた。


「あの事件は、私の大学仲間が一緒に行ったのです。みんなは登山経験もあり、食料も十分にありましたが……みんなは、狂ったように奇行を始めました。桜花さんで言うところの、オカルト現象でしょうか」


「実際、エーリアンの仕業だとか、自然の怒りだとか言われていたけれど、あの山には、僕も奇妙な感覚を感じていたよ」


 感じていた、とは、生存者がいないから、詳しい事がわからないのだ。日記などで得られた情報から、二千十九年にロシアが自然現象によるものだと見解を示したけれど、きっと違う。

 あの山は――暗いものを集めていた。それは僕もそのうちの一人だ。


「ソ連で暴れていた吸血鬼を追って、僕はオトルテン山に登った。吸血鬼は寒さに強いからね。結果的には追っていた吸血鬼を仕留めたけれど、ほかにもたくさんの化け物がいたよ」


 雪男、狼男、ビッグフット――いわゆる化け物が吸い寄せられていた。奇妙な感覚も感じられて、おそらくそれが、カーミラの仲間たちを狂わせた。


「私は……私には、何もできませんでした。奇行に走る友を止めることもできず、テントは飛ばされ、吹雪の中取り残されて……息も凍るような透明な空の下、もう、死ぬのだな。そう、思っていました」


 主様に合うまでは。カーミラは赤ワインを僕のグラスに注ぐと、その深紅の瞳は、まだ遠い七十年前を見ているようだ。


「吹雪の中、右も左もわからずに歩いていたら、主様がいました。その時の感謝は、今も薄れることなく残っています」


「僕は、問いかけただけだよ。普通なら、吸血鬼なんて増えないほうがいいんだけれども、あんな雪山でも生きようとしていた君の生命力と命への渇望に、期待したのかな。あの時の僕の問いは、覚えている?」


 一文字一句、忘れていない。カーミラはそう口にする。


「このまま時の流れに任せて、人間として死ぬか。それとも人間とは異なる時間、異なる世界で暗がりの中、生き続けるか。主様は、あんな状態の私に選択権をゆだねてくれたのです。忘れるはずもありません」


「ああ、きっと僕は愚行を繰り返していた過去を清算するために、君へ手を差し伸べた。長い時を生きてきたが故の数奇な運命のめぐりあわせでカーミラに出会い、興味を持った。ただ、それだけだよ」


 この事は、本当に何度も話してきたことだ。カーミラにとって、友人を多く失い、人間を辞めた日。何度掘り返しても、カーミラは、過去という楔から抜け出せずにいる。


 お互い、過去に忘れられない苦しみがある。もしかしたら、だから、手を差し出したのかもしれない。

 それに、もうその頃には記憶があいまいになっていた。従属が必要だと、吸血鬼としての本能が告げていた。あと、とても重要な事を託せる相手が欲しかった。


「吸血鬼としての生き方を教えて、それを覚えた時、渡した物と約束は覚えているよね」


「……はい。常に、携帯しています」


 メイド服ではなく、眠るためのパジャマ姿で戸棚から出したのは、鋭く尖った銀の杭だ。

 吸血鬼の本能が、拒絶している。見てはならないと、警告している。それでも、とても大切な物なのだ。

 僕が、死ぬことのできる唯一の物なのだから。


「僕のように長い時を生きた吸血鬼は、もう人間だった頃の残滓はない。細胞の一つ一つが全て変化して、死ぬことを封じている。でも、その杭ならば――バチカンに保存されていた聖遺物なら、僕を殺せる。この世界で生きていたくなくなった時に、きっと自殺できる勇気はないだろうから、君に託したものだ。大切にしてくれていて、ありがとう」


 礼には及びません。カーミラはディアトロフ峠事件の事を引きずっているが、確かに銀の杭を見せてくれた。

 なくしてしまったり、壊してしまったら、僕は死ねなくなる。そうなれば、無限永久の時を生き続けなければならない。死ぬこともできず、それでも、体も心も衰退していき、いつか狂気が蘇るかもしれない。

 死ぬときは、自分で決めようと思っている。カーミラが一人前の吸血鬼になって、僕の記憶喪失が多発したら、きっと死を選ぶ。カーミラより、一歩先に自由になる。


「死んだら、どこに行くんだろうね」


 ぽつりと言葉にした問いに、カーミラは答えない。ただ、悲しそうな眼差しで僕を見るだけだ。


「天国か、地獄か……人を殺す吸血鬼を殺して贖罪をしてきたつもりだけれど、人間だった頃に、多くの命を奪い過ぎた。それが赦されるまでは、生きなくてはならないのかな」


「……そう、ですね」


 歯切れの悪いカーミラの声に疑問を抱きながら、赤ワインを飲み干す。明日には、警察署で吸血殺人について調べるのだ。アルコールで熟睡して起きられなくては、桜花に笑われる。

 空になったボトルは部屋に持ち帰る。清掃員が適当に処分してくれるだろう。


「明日、午前の十一時には出たいから、早く寝てね」


 僕はそれだけ言い残し、自分の部屋に戻る。吸血殺人――吸血鬼を止めるのは、同じ化け物である吸血鬼の仕事だ。

 いつかは、カーミラにその役目を託そう。その時が来るまで、僕は戦い続ける。何世紀もの時を生きながら、更に生きようとするのは、強欲だろうか。

 強欲が罪だとしたら、天国には行けないのか。考えようとして、やめた。きっと、答えなんて出ないだろうから。


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