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RUN OUT  作者: 鬼柳シン
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終わりの雨と始まりの血

【プロローグ 眠る狂気と始まりの血】

 刃物を見たときに、みんなは食べ物を切るか草花を切るかと考えているのだろうけれど、僕は体のどこに刺せば、相手がすぐに死ぬのかが気になって仕方がなかった。

 火薬を見たときに、みんなは火事が起きないかと心配しているのだろうけれど、僕はどうばら撒けばより多くの人を燃やせるのかを確かめたかった。

 斧を見たときに、みんなは木を切るのだと考えているのだろうけれど、僕はどう力を込めたら首を切断できるのかに興味がわいた。


僕の心にある、こういった感情は、『殺意』なのだろうか。

いや、少し違う。確かに人を殺してしまいたい。どんな方法でもいいから人をたくさん殺したい。そういう感情は確かにある。でも、殺意だけで、行動に移しているわけではないと思う。


きっと、『狂気』だ。普段は心の奥底に沈み込んでいるけれど、時折ひょっこりと意識に浮き出ては、人を殺すための行動を起こしていた。

だから、数えきれないほど、僕は他人を殺してきた。この山脈に囲まれたルーマニアのトランシルヴァニラで、見つからないように、連続殺人を繰り返してきた。

抑えていたい。こんな狂気はなくていい。でも、どうしても殺してしまう。


そんな僕が、正気と狂気の間で揺れながら二十七を迎えようとしていた誕生日に、病気にかかった。風土病だ。

時を同じくして、どこからか僕の犯罪歴が露見した。領主様は兵を動員して僕を探している。止まらない咳と頭痛を抱えて逃げていたけれど、すぐに捕まった。


どうせ、死刑だ。僕はたいして怖くなかった。たとえこの首が跳ねられようとも、後悔はない。殺してきたのだ。殺されもする。それに、捕まって縄で縛られていると、咳には血が混じり、頭痛は常に頭が割れるようだった。

断頭台で死ぬか、病気で死ぬか。罰が決まるまでの拷問の中で考える。鞭を打たれて、そのたびに激痛が走っても、どうでもいい。どうせ死ぬのだから。もしも天国と地獄がないのなら、ここで今までの罰を受けなくてはならない。




息も凍るような鈍色の空の下、僕を含む五人が、石畳の上にぼろ布を着せられて、手首を切られて投げ出された。手足は鎖で縛られ、体は雪の積もる石畳の上に転がっている。体温と流血が純白で純粋な雪を溶かして、石畳の砂利や泥が混ざって、不浄な泥水と化している。

判決は、まさにこれだった。衆人環視の中、ほかの罪人たちと一緒に、失血で死ぬまで醜態をさらす。最後まで生きていた罪人は、ほかの四人の亡骸と一緒に、生きたまま燃やされる。それを聞いて、早速一人が舌をかみ切った。


ここで、死ぬのだ。狂気が心に渦巻いていても、正気で物事を捉えてきた。だから、罪には罰だという、当たり前の価値観に異論はない。


 そう、異論など……


「どうしたの、ですか」


 横に転がっていた、まだ二十歳前後の女性が、僕を見て、か細い声で問いかける。――少し違うかな。厳密に言うのなら、彼女は僕のことを見えていないのだ。

 その両目には、杭が刺してある。足首の腱は切断され、もはや生きているとは言い難い。

 そんな彼女が聞くのだ。僕はどうして、泣いているのかと。


 泣いてなど、ない。そもそも見えていないのだから、わかるはずもないだろう。

 そっくりそのまま、泣いていないよ、と返した。


 その時、気づいた。言葉が上手く出なかった事に。


「泣いて、なんて……」


 反論しようとした。訂正しようとした。でも、僕の声は泣き声だ。

 彼女はクスリと笑い、泣いていないと反論する僕に言った。死ぬ時くらい、自由でいいだろうと。


 自由。僕は死ぬとき以外だって自由だった。正気の時は人当たりのいい生き方をして、狂気が現れたら、入念に準備をして殺してきた。

 でも……ああ、そうか。彼女は――ほかの四人は、自由のために戦おうとした人々だ。雑多な武器と、少ない人員で、重税をかける領主様に抗おうとしたレジスタンスだ。見る観点を変えれば、正義と自由のために戦った、誇り高い人々だろう。


 ――あれ、なんだろう、この違和感は。

 何かが違う。あってはならないことが起きている。

まるで、罪と罰を構成する歯車のどこかが錆びて、騒音を立てているようだ。


 僕とこの人たちは、明らかに違うのだ。


違わなければ、ならないのだ。


 自由のため、正義のために戦った人々と、ただのイカレタ殺人鬼が一緒に罰を受けている。

 こんなことは、おかしい。殺人鬼が善悪を語っていいのかなんて、そんなことは知ったことではない。僕は正気と狂気を持って、この扱いにおかしいと声を荒げたい。それができないから、涙が代わって流れ落ちているのだ。


「泣いていた、みたいだよ」


 正直に、僕は彼女に語り掛ける。でも、その顔は瞳から流れ出ていた血液をそのままに、真っ白に染まっていた。

 死んでいる。何度も見てきた死に顔だ。見間違うことなど決してない。

 その顔を、誇り高く戦った彼女の顔を、僕たちを囲む貴族たちは醜悪に笑いながら眺めている。抗おうとした領主様も笑っている。


 おかしいじゃないか。僕は人殺しでも、彼女たちは正義のため、貧しい人のために戦ったのだから、こんな死に様はおかしい。僕と同じじゃ、おかしい。


 おかしい、おかしい、おかしい、おかしい……


 そもそもこんな狂気を人に宿す世界自体が、おかしいではないか!


 僕は冷たくなっていく体を必死に起こして、罵倒の一つでも浴びせてやろうとした。そうして顔を上げたら、ほかの四人が死んでいる。その亡骸から、地を這うように、深紅の流血が僕のもとに集まってきた。

 とても香しい。僕の口元に集まってきた深紅の流血が、とても『美味しそう』に見えた。


 だから、噛みついた。いけないことだと、体中が告げているけれど、地を這う流血を飲み込んだ。


「――!」


 その後のことは、よく覚えていない。ただ、僕の狂気が記憶から消えたのは、この時からだ。


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