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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

エッセイ

裏の顔

 世の中に、「本当の人間」と呼べる人は少ないのではないか?

 以前から漠然と感じていたことですが、最近になって、そのようなことを言語化して考えるようになりました。


 私は心理学には詳しくないため、正確なところは、ご自身で調べていただきたいのですが……社会で暮らすために、人は自然と本性ではない人格を生み出す、とされているらしいです。

 だとしたら、人間は怖い存在であり、社会というのは不気味な場所だと思えてなりません。


 そこで考えてみると、物語の主人公というのは、極めて不自然な存在です。

 テレビドラマであれ、アニメであれ、漫画であれ、ライトノベルであれ、なろうの小説だってそうですが、彼らの大半は生きたいように生きており、やりたいことをやっています。


 やりたいことが見つからないキャラや、やりたいことをやるために苦労しているキャラは数多くいます。

 一方で、やりたいことが出来ずに悩んでいるキャラは、恋愛を除けば少ないように思えます。

 そして、やりたくないことをやめられずに悩んでいるキャラはほとんどいません。

 せいぜい、学校の勉強が嫌だ、といった程度でしょうか。


 そして、彼らが作者や受け手の願望を反映しているのであれば、人間は、やりたいことが出来ないことや、やりたくないことがやめられないことには、強いストレスを受けると考えられます。

 だとしたら、人間が社会で生きることは、思っているよりも困難なことなのではないでしょうか?



 人間にとって、自分を偽るのが悪いことだとは限りません。

 むしろ、実在の人間にとっては、良いことの方が多いと言うべきでしょう。


 例えば、ポリティカル・コレクトネスという概念があります。

 ここでは詳しく解説しませんが、差別を助長するような言葉を無くそう、という考えに基づいたものらしいです。

 公の人が、これに反した発言をすると、大抵の場合は非難されます。


 あるいは、ハラスメントという概念があります。

 セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、アルハラ等々、数十種類が存在すると言われていますが、要するに、他人を不快にさせるような言動だと言えるでしょう。

 日本でも、徐々に、ハラスメントを行う人が非難される世の中になってきています。


 世の中では、差別もハラスメントも、良くないものであるとされているわけです。

 しかし、差別をせず、他人を不快にさせるような言動をしない人間は少ないように思えます。


 気をつけている人は多いでしょう。

 今の時代に、差別やハラスメントを平気で行う人がいれば、周囲からの評判は、自然と悪いものになるからです。


 では、気をつけなかったら?

 「偽りの自分」を保てなかったら、どうなるのでしょうか?

 本当に、差別的な考えを持たず、他人を不快にさせるような言動をしない人がいたとしたら、相当珍しい人でしょう。


 これは、人種差別とかパワハラ自殺とか、そういう重大な事象に限った話ではありません。

 むしろ、普通の人にとっては、身近なところに落とし穴がある、と言うべきだと思います。


 例えば、会社の同僚が集まった時には、上司の悪口を言い合うのが定番とされています。

 男女混合のグループの中で、男性だけが集まれば、普段は話さないようなグループの女性の話をする、というのもよくあることのようです。

 その会話は、話題にしている相手には、聞かせることができないはずです。


 世の中では、「内輪」とされている場所においては本性をさらけ出しても許される、という風潮があります。

 これは、大抵の場合、全くの勘違いであるわけです。無礼講というものが象徴的だと思います。


 仮に、内輪の悪口や下品な会話を録音されて外部に流出してしまえば、それが、その人の本性だと認識されてしまうでしょう。

 以前見かけた話では、リモートワークの際に家庭内の情報が流出して、会社の人間に家庭での高圧的な振る舞いを知られてしまった、などという話もありました。

 故意であれ過失であれ、突発的に「裏の顔」が露わになるリスクは、無視してよいものではありません。



 昭和の時代、大女優などと呼ばれていた人の中には、プライベートな時間でも、常に見られている前提の言動をしていた人も少なくなかったらしいです。

 そこまで徹底できるなら、それが仮初めの人格であったとしても、本性を知りようがないわけですから、「本当の人間」と同視できます。


 おそらく、これからの時代には、より多くの人が、昭和の大女優のような生活を強いられるようになるでしょう。

 それが苦痛である人は、某氏のように、好きなことを言っても失脚しないほどの力と、どれだけ非難されても傷つかない心を手に入れることが求められるはずです。


 どちらもできない人は……どうすれば良いのでしょうね?

 特に解決策はありませんが、差別をしたり、誰かを傷付けたりしてはいけないと素直に思える人であれば、自然に振る舞って、良い人として皆に好かれながら生きることができるでしょう。

 一方で、頭の中に差別的な思想がある人や、攻撃的な性格を頑張って隠している人は、決して誰にも気を許さず、その本性を知られることのないように振る舞わなければ、生きていけないでしょう。



 世の中には、「偽りの人間」が溢れています。

 どこかで本性をさらけ出して、それが暴露されると困る人達です。


 物語の主人公は、基本的に善良なキャラクターが多く、思いのままに生きても、それほど困らないようになっています。

 彼らの中には、パワハラやモラハラに該当する言動を平然と行うキャラクターも珍しくないのですが……彼らの周囲に、それを見逃してくれるキャラクターしかいないので、問題は生じないのが通常です。


 しかし、実在する人間は、そういうわけにはいきません。

 たとえそれが自分の本性でなかったとしても、「本当の人間」になっておくべきでしょう。


 でなければ、いずれ本性が明らかになって、破滅してしまうかもしれませんから……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 考えさせられる内容です。 [一言] 自分の場合ですが、出発点が幼い頃に自我が 芽生えたころから、自己利益の追求から 始まっていて、それが知識や知恵がないほど 上手くいかず、いわゆるアホやバ…
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