第4話・同級生とのやり取り
更に時は過ぎ、なんやかんやと夏休み明け。
別に誰が待っているわけでもない二学期の到来である。
だが、ここに来て一つ問題が浮上した。
俺の運動機能に関しては、もうすっかり元の水準に戻っている。先日は格ゲーで伊良部をボロ負けにした。まあ元々は俺の方が遥かに上手いんだから順当だ。華奢な見た目に反して女性にしては不自然なくらい筋力が強かったりはするものの、ひとまずこれで、今の身体には大体馴染んだと言っていい。
学力についても遅れた分は既に取り戻しているし、そもそも高一の範囲は既に一通り浚ってある。単位こそいくらか落としたが、これでも学年トップの身。一年生の間にまた長期休暇を取るような事態にさえならなければ問題は無い。
そういうわけで、今後の学校生活に対して、能力面における問題は無い。人間関係においても、ハナから築く気がないので問題は無い。
じゃあ何が問題なのかというと。
「……えー、と」
夏休み中、試着に一度袖を通しただけの、新品のブレザー制服を手に取る。
いや実は京さんがコスプレしてみたいとかで何回か着てはいるんだが、俺自身はまるで着ていない、おろしたての、ブレザー制服を、手に取る。
女子用の、この辺りではまあまあ可愛いと評判の、チェック柄のスカートの、ブレザー制服を。
「……えぇー……」
…………。……え、マジでこれ着るの? 本気で? いや百歩譲って着たとしても、これ着たまま外に出て、学校に? 嘘ぉ……。
いや分かってる。夏休みが終わったら着ることになるってのはちゃんと分かっていた。今日は始業式だから、ちゃんと正装で登校しなきゃならないし。うん、それは分かってるけど……。
「マジで……?」
あれだけ伊良部相手にお嬢様しておいて、何を今更と思われるかもしれない。
だが、例えば派手派手な衣装の役者さんだって、普段着まで派手派手なわけじゃない。萌え萌え(死語)なセリフを読んでいる声優さんだって、普段から萌え萌え(死語)な口調で喋っているわけじゃない。
役でやるのと自分でやるのは、全く別の話なのだ。
「…………ぐ、ぐぬ」
だから、つまり……その……いやこれ、恥ず……恥ずかしい! 普通に恥ずかしい! だって女装じゃんこれ! 女装じゃん!
ブラジャーやパンツはまあ、スポーツブラだしボクサーパンツだし、ちょっと変わったインナーぐらいに思えなくもないけど、スカートは……スカートはダメだろ! 自分の中で言い訳が出来ない!
待て、他の物から装備しよう。――ワイシャツ、ブレザージャケット、ネクタイ、ソックス。右前と左前の違いなんかはあるが、どうにかここまでは来た。ここまではオーケー。許せる。だけども。
「す、スカート……」
……抵抗感が……抵抗感がすごい……!
着る前は別に女物着るぐらいなんぼのもんじゃいと思っていたけど、実際にやるとこれは、うん! ダメだ! 田中先生に「まあ別に女子制服でもいいんじゃないっスかね」とか適当に答えたことを今更になって後悔している! もういっそスカート履かずに登校しようかな!
落ち着け。最悪の結論に達しようとしている。すぅと深呼吸をして、夏休み中に新しく自室に設置された姿見を見る。……オーケー、ここにいるのは着替え途中の金髪美少女だ。全然似合わない女装をしている男子高校生はいない。大丈夫、何も問題はない。……いや、でも……違う、大丈夫だって! 今鏡に映ってる女子がスカート履くだけだから! ノープロブレム!
履いた。
……うん、まあ、履いた。
履いたは履いた。
何かがゴリゴリ削れていってるような気はするけれど、それでも履いた。
だが。
「……短くない?」
短いよな、これ? いや絶対短いって。試着した時こんなんじゃなかった。断言できる。
くそ、あの筋金入りのコスプレ大好き義姉め、勝手に他人の制服に手を出しやがったな。俺は第一容疑者が居るキッチンに向けて、大声で思いっきり呼びかけた。
「京さーん! みーやーこーさーん!」
「えー、何ー!? 今旦那様のお弁当作ってるんだけどー!」
「あなた絶対このスカート弄ってるでしょう! 短い! これ絶対短いって!」
「えー? どれどれー?」
ぱたぱたと音を立てて俺の部屋へとやってくるロリ顔兄嫁。
エプロン姿でばーんと部屋の扉を開け、俺を見てぱぁっと顔を輝かせる。
「にゃ――――! かわいい――――! 現役金髪美少女女子高生――――!」
「違ぇ! そうじゃなくて、スカート短いですってこれ! 見てほら!」
「生脚――――!」
「だから違ぇ! そしてさっきからうるせぇ! あなたこれ勝手に短くしましたよねえ! ねえ!」
「えー? 確かにちょーっと弄ったし、仕立ての時にも微妙に口出したけど、校則的にも全然問題無い範囲だし、そんな短いってほどじゃ――って、ちょっと聖ちゃん脚長ぁ! 羨ましい! ズルい! でもそういえばそうだった、普段ダボダボの男物と病院着だったから忘れてた! そりゃスカート短く見えるよ! いやあこれは盲点だったわ! あっはっはっはっは! あーっはっはっはっはっはっは! へへっ」
「『へへっ』じゃないが! 何で最後微妙な感じで笑ってんだ!」
バタバタした朝に更にバタバタする俺たち二人。
京さんは「まあまあ、落ち着きなさいお嬢ちゃん」と、両の手の平で俺を押し止める。
「確かにスカートを勝手に弄ったのは悪かったわ。そこは謝りましょう、ええ」
「なんだその地味に偉そうな態度」
「でもね、私が言うことじゃないけど、あんまりオドオドしてるのも考えものよ? ここまで来たらもう行くとこまで行っちゃいなさいな」
「本当にあなたが言うことじゃないですね」
「せっかく可愛いんだから、もう全部完璧に仕上げればいいじゃない! 中途半端が一番良くない! 下手に弱みを見せると足元を掬われるわ! 久しぶりの学校であればこそ、積極的に愚民どもにマウントを取っていくべきでしょう!」
「確かに……」
「ツッコまないのね!」
京さんの言うことにも一理ある。人の目を気にして萎縮するのは俺のキャラじゃない。やるならやる。それも完璧に。中途半端が一番良くない。論説ごもっともだ。
「じゃあもう本気出します。こうなったら全身全霊の赤坂 聖でこの世に遍く万象全て尽く討ち滅ぼして差し上げましょう」
「今から学校に登校する高校生のセリフじゃないわね!」
その後、京さんはキッチンに戻り、俺は部屋で再度身だしなみを整え直す。
結果。
「HEY! おべんと完成! 調子はどうかな聖ちゃん! 君の本気がどの程度のものか、お義姉さんがきっちり採点してあげ――満点ッ!!!」
「採点緩っ!」
「違うよ! 真面目に満点だよ! いや完璧過ぎるでしょうが、何この手際!」
そりゃ、俺も(心は)男だ。やると言ったからにはやる。今回に限ってはここ一番の気合を入れさせてもらった。
京さんは俺の周りをぐるりと三百六十度回って、くぅっ、と眩しげに目を細める。
「わ、私をダダ甘に甘やかしてくれるお義母様に代わって、いやらしい小姑ばりに聖ちゃんをいびろうと思っていたのに、何も言うべきことがない……! なんという如才の無さ! 小器用な人間はこれだから困るわ!」
「困るのはあんただよ!」
「ハーフアップヘアも上品に可愛くまとめてあるし、ナチュラルメイクも自然な形でしっかり出来てるし、微妙にこなれてない感があった制服もきっちり着こなしてる……いつの間にこんな技術を身につけたというの!?」
「京さんのコスプレ趣味に付き合っている間にですかねえ! あなた昔から散々俺をアシスタントにこき使ってたくせに今更何を他人事みたいな顔してんですか!」
「だからと言ってそれを簡単に自分に応用してしまうとは――これが、赤坂の力……!」
「赤坂の血筋にそんな特殊能力はありませんが! これでも昔は真剣に演劇やってたんで多少は慣れてますよ!」
「オーケー! ならばもう言うことは何も無いわ! 行ってらっしゃい!」
「いってきます!」
勢いのままにカバンを掴み、家を出る。ぐ、流れに乗ったはいいけど、やっぱりこれは恥ずかしいぞ……!
「ああ、日傘持たなきゃいけないんだった……!」
身体から色素が抜けたせいで、日光に弱くなっていることを思い出す。ええい、なぜこんなどうでもいいところでご婦人ムーブをしなければならないのか!
そんな感じでモタついた結果、日傘を持っているせいで自転車にも乗れず、スカートが気になって走ることも出来ず、結局チャイムが鳴ってからそこそこ遅れて学校に着いてしまった。
既に校舎内は静かになって、他の生徒の姿も見当たらない。
早足で一年棟の前まで来る。遠目にF組を見るが、なぜか田中先生はまだ来ていない。今の内に教室内へ入ろう。
と、その前に最終確認。廊下の姿見で、ささっと自分の格好をチェックする。
……よし、問題ない。淡い色のブロンドは上品に結わえられて乱れも無いし、制服にもおかしなところはない。前髪も綺麗に整ってるし、顔だってばっちり決まってる。
一片の瑕疵も無く完璧な、まるでアニメの世界から抜け出してきた令嬢のような金髪赤眼の美少女女子高生だ。うん、可愛い。
…………。
「……いや、マジでこのまま教室に入れと……?」
あああああ゛あ゛チェックしなけりゃ良かった! このままのノリで教室に入れば良かったのに! マズい、急に恥ずかしくなってきたなんだよこの格好俺男だったんだぞクラスでは孤高のクールキャラとか気取っちゃったりしてたのにそれがこんな滅茶苦茶女の子女の子した姿でしかも無駄に可愛くしちゃっていや無理だもう恥ずかしいってばこれやだやだやだうわわわわああああああ――
※
――――少々、お待ち下さい。
※
「ふぅ」
一年棟の前に設置された自販機で缶コーヒーを購入し、一気に飲み干した。
よーし、カフェインキマってきた。一気に頭が冴えてくる。テンションもブチ上がりだ。もう何も怖くない。今の俺を止められるものなら止めてみせろ。
何、素の俺のままこの姿でいるのが恥ずかしいなら、一発派手に演じてやればいいのだ。
どーせクラスメイトが女になったって時点でドン引きされるのは目に見えている。それならいっそ突き抜けよう。中途半端が一番良くない。やるなら極限までやる。他人の視線を気にしてなどなるものか。缶コーヒーをトラッシュボックスに放り捨てる。
そうだな、適当にお嬢様学校からきた転校生みたいな設定でいくか。まだ先生も来ていないし、ふざけるタイミングとしてはバッチリだ。
カツカツと足音を立てて、静かな廊下を歩み、F組の前へ。
半ば大げさと思えるほどの淑やかさで、静かに、しかし劇的に教室の扉を開けた。
集まる観客の視線。後ろ髪をさらりと梳くように流し、自分のスイッチを切り替える。
教壇をステージに見立て、舞台上へ。クラスを一段上から見下ろす。
注目が集う中、にっこりと品の良い笑みを優しく浮かべ、完全に調律した声音で華々しく俺は言った。
「――ご機嫌よう、皆様。わたくし、この度私立瑠璃社女学院附属高校から紙園学園へと転入して参りました、赤坂 聖と申しますわ。一年F組の方々、どうぞよろしくおねがいいたしますわね? ふふふっ」
『…………』
しん、と教室内が静まり返った。
やれやれ……度肝を抜かれたか、雑魚め。これだから凡人は全く。うちの伊良部のノリの良さを見習ってほしいな。あいつは顔が良い上にツッコミも上手い。
ま、これで俺がクラスから浮いたことは間違いない。それはもう稀に見る浮きっぷり、高度で例えるなら成層圏ぐらいだ。さて、席替えもされてないみたいだしさっさと自分の席へ――
『う、おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「!?」
怒号が響く。一瞬、固まる俺。次の瞬間、クラスメイト達から次々と熱狂に満ちた叫びが飛び出した。
「転校生だ! 美少女だぁー!」「高校でも転校生っているんだ! ラノベでしか有り得ないと思ってた!」「つーかもうラノベだろアレ! 金髪赤眼のアイドル級美少女ってもう完全にラノベキャラじゃねえか!」「あの人、赤坂くんと名前同じですね」「あの金髪染めてないよね、どこの国の人!? イギリス? ロシア?」「ハーフだよハーフ! 顔とか日本人っぽいもん!」「しかもお嬢様だ! あれ間違いなくどこぞの令嬢だよ絶対!」「うんうん! 瑠璃社女学院って都内にある有名なお嬢様学校だもん!」
……。
…………。
………………――――ハッ!
まずい、予想外の事態に一瞬呆けていた! というかみんなして受け入れてんじゃねえよ! 待て待て待て、F組が荒れてるって話はどこ行った! しかも何でみんな気づかないんだよ! こんなアニメキャラみたいな女子いるわけないだろ! というか病気で休学していたクラスメイトと同姓同名の人間がいきなり転入してくる不自然さに何とも思わないのか!?
ど、どうする? いや、流れを掴め。ここで上手くネタバラシして、本来の流れへ持っていけ!
「は、はい! ドッキリ大成功! 唐突ですがここでネタバラ――」
「すいませんみなさん! 遅れましたぁー!」
俺の声は、教室内に続いて入ってきた第三者の謝罪に打ち消された。
クラス中の視線がその女性へと突き刺さる。
唐突に現れたまだ二十代前半程度のその女性は、あたふたと手にクリップボードを持ちながら、頭を下げつつ自己紹介する。
「えっと、皆さんはじめまして! 心労で倒れた田中先生の代わりに、短い間ですがこのクラスの担任をすることになった、可菜田 歩です! まだ未熟ですが、どうかよろしくおねがいします!」
おお、と小さな驚きの声が上がるが、俺の時よりは遥かに小さなリアクションだ。
というか、あれ? 田中先生が倒れた?
「えっとえっと、急な受け持ちだったので上手く引き継ぎができていないのですが、転校生さんなのですよね?」
「え、いや、あの――」
「全くもう、転校生さんが来るのは十月の予定だったのに、一ヶ月もズレているではないですか! 学年主任さんは適当なお仕事をし過ぎです! ごめんなさい赤坂さん、まだ机も用意出来てなくて……あ、そういえば病気で休んでいる生徒さんがいるんでしたね! では、ひとまず今日はそこで――」
「(ちょっと待てぇえええええええ!!!)」
こうして。
当初想定していたそれとは全く異なる、波乱と怒涛に満ちた学校生活が――今、正しくこの瞬間に幕を開けたのであった。
今日はここまで。翌日から出来る限り毎日投稿していく予定です。