第1話・親友とのやり取り①
ざあ、と病室に吹き込む風が頬を撫でた。
爽やかな空気が走り抜け、長く伸びた金髪がふわりと揺れる。
窓の外を眺めた。今日は幾分か太陽の輝きが大人しい。
涼しげな風に頬を緩めていると、病室の窓ガラスに今の自分の顔が薄く映った。
新雪のように白い肌。淡い色の金髪に、濃い紅色の瞳。
野暮ったい病院着姿ではあるが、それが逆に端麗な容姿の儚さを際立てているようにも思える。
いまだ慣れぬ自らの姿に困惑とも感嘆ともつかぬ息を漏らしていると、開け放っていた扉から、何かが落ちたような物音が響いた。
「……聖、くん……?」
振り返る。
爽やかな雰囲気の美少年が手に持ったリンゴを落とし、呆然と、見惚れたようにこちらを注視していた。
十年来の親友であり、常に女子から人気だった男子。
学校での成績一位と二位を競い合う、良きライバルでもあった彼と、無言で見つめ合う。
そして静けさに満ちた病室の中……ゆっくりと、口を開いた。
「おう遅かったな伊良部。ていうかお前なんでリンゴなんだよ。ファミチキ買ってくれって言ったろファミチキ」
「あ、なんか儚げな雰囲気出してたけど、やっぱり中身は普通に僕の知ってる聖くんなんだね。あと、仮にも入院中なんだから油っこいものはやめといた方がいいんじゃないかな」
小学校時代からの友人、伊良部 智は気を取り直したようにリンゴを拾い上げ、持参していた果物ナイフで皮を剥き始める。
しゃりしゃりと皮剥きの音が響く中、俺たちはいつものように雑談を始めた。
「俺の主観ではそこまで久しぶりってわけでもないんだが、それでも何となく懐かしい気がするな」
「ずっと眠ってたからね。でも驚いたよ。うっかりどこぞのお嬢様の病室に入っちゃったかと」
「あら、それなら少しからかってさしあげた方が良かったかしら。全くもう、伊良部さんたら面白い方なのですから。ふふっ」
「…………」
「いやお前が照れるなよ。こっちが恥ずかしいわ。俺も今の声だと結構ハマってるなーとは思ったけどさあ」
喉仏のなくなった喉を抑えつつ、以前よりずっと高くなった声を調整する。
今の声帯でも、上手くやればどうにか男――というか、少年っぽい声を作れないこともない。意識してないとすぐに戻るし結構疲れるけど。
俺のちょっとした演技に対し、伊良部は仕切り直すように咳払いをする。
「しかし、聖くんがこんな姿になっちゃうとはね」
「ああ、俺も驚いた。今朝やっと包帯取れたんだが、最初に自分の顔見た時は小一時間ぐらい困惑したよ」
今から一ヶ月ほど前。ごく普通の男子高校生だった俺――赤坂 聖は、人間の性別を反転させるというとんでもない奇病にかかった。
病気の名前はなんだったか。やたらと長い病名だったためによく覚えていないが、とにかく俺はその病気にかかってからしばらく、意識の無い昏睡状態に陥っていた。
「目が覚めたら全身包帯塗れだし動けないし。ぶっちゃけ包帯取れるまで女になったって自覚なかったんだよな。でもこの顔見たら、ああ、マジで女の子になったんだなあって思ったよ」
「まあ確かに……すごい美少女だよね。その顔から男友達の口調がそのまま飛び出してくる違和感はすごいけども」
「……でも、言ってなかったけど微妙に整形してるんだよな、これ」
俺はつるりとした自分の頬を撫でながら言う。
「全身が丸ごと変化する病気だからさ、身体への負担も相当大きいんだよ。ほら見ろ、発症直後のこの画像。顔面とかもうボロボロでかなりグロいことになってる」
「いややめてよ、友人のグロ画像を見る趣味は――って本当にグロいな! うわ、僕もうこれしばらくお肉食べれないじゃん。せっかく聖くんに目の前で食べるところ見せつけようと思ってファミチキ買ってきたのに」
「お前割と性格悪いな? とにかくそういうわけで、治す時にちょっと顔面弄られてるんだよ。そこまで大きく変わったわけじゃないけど、人の顔って少し変化しただけでも大分印象違ってくるだろ? 結果的に色々上手くハマって、思った以上に良い感じの目鼻立ちになったみたいだ」
伊良部はグロ画像を見せつけてくる俺を押しのけながらも、感心したようにこちらを見つめてくる。
「なるほどねえ……けど、その金髪は何なの? 目の色もなんか赤くなってるし」
「身体の変化と一緒にユーメラニン……真性メラニン色素もごっそり抜け落ちたらしい。紫外線に弱くなってるから、しばらくは直接日光浴びるなって言われてる」
「大変だね、色々と」
「本当にな」
はぁ、とため息をつく俺と、苦笑する伊良部。
「他にはどこか悪くなってたりしないの?」
「んー……前とのギャップがあるから、まだしばらく身体が動かしづらいけど、それ以外は特に。筋力なんかもほとんど落ちてないし」
「へえ、結構細くなってるのに、意外だね」
「でももう男性ホルモンも出ないから、ゆっくり普通の女性並の身体能力になってくらしい。まあ、とりあえず夏休み明けには学校に復帰出来るってさ」
「そりゃ良かった」
言いながら、伊良部はリンゴをうさぎ型にし(この親友はイケメンで頭が良い上に女子力も高い)、皿に乗せてこちらへと差し出してくる。
「はい、フォーク」
「サンキュ」
俺は一緒に差し出されたフォークを受け取り、皿を持つ伊良部の手を突き刺した。
「痛った!?」
「あ、悪い」
「え、何!? 急に何すんの!? 僕何か悪いことした!?」
「いや、ごめん。本当ごめん。普通に手元が狂った。さっきも言ったけど、まだ腕の長さとかのギャップに慣れてなくてさあ。もっとリハビリしないと普通に動けないんだ」
「ああ、そうなんだ――って、痛ぁ! 手元狂うなら再チャレンジするのやめなよ! ていうか自分で皿持ってよ!」
論説ごもっともだ。俺は差し出された皿を受け取――ろうとして、手が空を切った。
「あっ、くそ、この……!」
「ああ、聖くん、ちょっと落ち着いて……」
「……はあ。もういいや。伊良部全部食ってけ」
「いやこんなところで諦めないでよ! このままじゃ病人の見舞いに来て一人でリンゴ食って帰った人になるじゃん僕!」
「いいだろ別に……じゃあもう食わせろ。ほれ」
あ、と俺は口を開く。
いつも家族や看護師さんにやってもらっている仕草だったのだが、伊良部はその一瞬、目に見えてキョドった。
「……おい、伊良部」
「い、いや、大丈夫。これは普通に病人を介護するだけの行為だからね。客観的に見たらアレだけど他意は無いし。相手は十年来の親友だから。うん、オーケー」
「オーケーじゃねえよもう妙な空気になってんじゃんかよこれ! しっかりしろ!」
「しっかりしろと言われても! 聖くんも少しは自分の見た目自覚してよ!」
「わかったわかった! 仕切り直すぞ! ――跪きなさい、下男。そのリンゴをわたくしの口に運ぶことを許可いたします。このわたくしに奉仕出来ること、生涯の栄誉に思うといいですわ!」
「さっきからその謎のお嬢様キャラは何なの!? しかもさっきのお淑やかなキャラからブレまくってるし!」
バサァ! と後ろ髪をかき上げながら演技する俺。そして伊良部のツッコミと同時に突っこまれたリンゴを、フォークからむしり取るようにして食らう。
「んぐ……。お、割と甘い。ていうかこれ、口に運ばなくても手の上に乗せてもらえばよかったんじゃないか?」
「じゃあ何だったんだこのくだり……。ていうか、聖くんってやっぱりなんだかんだ言って演技上手いよね。紙園にも演劇部があれば良かったのに」
「褒めてくれるのは嬉しいけど……演技より演出がやりたいんだよ、俺は。しかもあれだけ偏差値上げたのに結局第一志望には入れなかったし」
インフルエンザで受験当日に寝込んでしまったことを思い出し、ため息をつく。
滑り止めで合格した紙園学園には演劇部がなかったので、結局今は何の部活にも入ってない。帰宅部だ。
「ぶっちゃけもう高校生活にも大してやる気無いんだよな、俺」
「見てればわかるよ、聖くん高校入ってから友達一人も作ってないし、ずっとぼっちだし」
「バカ野郎伊良部! 俺に友達が出来ないのは単に俺の性格が悪いからだよ!」
「なんで急にキレながら自虐してるんだよ。付き合い長いのに時々聖くんが何を言いたいのかわからなくなるんだけども」
「分かんね―のか! お前が俺なんぞと友達になってくれるぐらい性格の良い優しい奴だって言いたいんだよ、俺は!」
「分かるか! なんでキレられながら褒められてるんだよ、僕は!」
親友相手にしか出来ないキレ芸をかます俺。
激しいツッコミを放った伊良部は呆れたように苦笑し、ため息をつく。
「でもさ、二学期からはもう少し身の振り方考えたほうがいいよ。――今のF組、荒れてるって聞くし」
そして、切り替えるように真剣な口調で言った。
「……そう、なのか?」
俺は首を傾げる。
F組は俺の所属しているクラスだ。
俺はこの『奇病』に罹ったため、六月あたりから学校に通えていない。しかし、俺が通っていた頃のF組にはそんなに荒れた空気はなかったはずだ。確かに他のクラスよりあまり真面目ではない雰囲気はあったけれど……。
「紙園学園は生徒数が多くて、結構幅広い層から入学者を募っているからさ。やっぱり少しは素行が悪かったり、複雑な事情があったり、聖くんみたいなコミュ障が入ってきたりもするんだよ」
「こいつシリアスな空気に紛れてさらっと親友をディスりやがったな」
「それでF組には、隔離目的でそういう生徒が他のクラスより多く集められてるらしい。あくまで噂だけどね。だからF組に関しては『そういうの』に慣れた田中先生が受け持ってたんだけど……聖くんが入院した少し後から、どうにも調子が悪そうなんだ」
「……それで、不良生徒揃いのF組の手綱が取れなくなったって?」
伊良部は「多分ね」と言って軽く頷いた。
「まあ、そこまで大したことにはなってないとは思うけど、一応気をつけた方がいいんじゃないかな。今の聖くん、絶対悪目立ちすると思うし」
「安心しろ、何にせよ最終的には俺が勝つ」
「勝つってなんだよ。何に勝つんだよ。小学生か。……まあでも安心したよ、今まで通りの聖くんで」
「人間なんてそうそう変わるもんじゃないだろ」
伊良部は「そうだね」と言って笑いながら席を立つ。
「じゃあ、暇になったらまた来るよ」
「おう、またな。俺が指先しっかり動くようになったらスマブラやろうぜ」
軽く手を上げて別れる。俺はやっぱりなんだか久しぶりに親友と話したような気がして、少し頬を緩めながら食べかけのリンゴを齧っていた。