第10話・転校生とのやり取り①
翌朝。
男の時に比べると朝の支度も何手間か増えたが、基本的な部分は変わらない。
起きて、トイレ行って、飯食って、歯磨いて、顔洗って、以下略。諸々終えて着替えである。
寝間着にしているTシャツを脱ぎ、吊るしてあるブレザー制服を手に取る。
ここ最近は色々と衝撃的なことが多かったので、いつの間にか女子制服にも慣れてしまった。すまない、嘘だ。二学期からそれなりに経ったが、未だに慣れない。
というか、心のどこかで「こんなもんに慣れたかねえ」と思っているのだ、俺は。最近になってようやくそれに気づいた。
思えば、俺は昔から伊良部や美咲、家族に親戚から頑固頑固と言われることが多かった。そして言われる度に自分の類まれなる柔軟性を声高に主張してきたのだが、なるほど、これは頑固だ。柔軟性の欠片も無い。もうこれ着始めてから何日経ってると思ってんだ。そろそろ慣れろ俺。
だが、それはそれとしてそろそろ諦めみたいなものを抱きつつあるのは事実だった。
さらりと淡い金色の後ろ髪を梳き、自分のスイッチを切り替える。はい、聖さん、役入りました。演技なので恥ずかしくありません。
無意味に滑らかな動きで寝間着を脱いで、無意味に優雅な所作で制服を着ていく。
髪をハーフアップに結わえて準備完了。両手で鞄を持ち、出陣する。
静々と玄関に向かう俺。
「あ、聖くん! ちょうど良かったお弁当――って、おやぁ?」
しかし、ここで弁当を用意していた京さんとエンカウント。
エプロンをつけた兄嫁は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込む。
「……(ほらっ)……! ……(例のやつ)……! ……(かもんっ)……!」
ちょいちょい、と何かを期待するような仕草で自分を指差す京さん。どうやら、俺から挨拶しろということらしい。こやつ……。
俺は静かにため息をつきつつ、わずかに困ったような笑みを浮かべて言う。
「おはようございます、京お義姉さま。今日も良い天気でございますわね?」
「Yeah! うんうんうん、おはようおはよう聖ちゃん! いやさ、聖お嬢様! ひゅぅ、朝から良いもん見たぁ! オーケィ、どうぞいってらっしゃいませ! はいお弁当!」
「ありがとうございます。正直テンション高くてウゼェですわ」
「ちょっと聖お嬢様ー?」
弁当を受け取る。あー微妙に眠たかったのに一気に目が覚めたわこれ。
日傘を開いて家を出る。
そろそろ季節も秋めいてきたが、残暑はまだしぶとく残っている。俺の肌はまだ弱いままなので、日光対策は今しばらく必要だ。何日か前に傘を忘れていったら後で肌がひりひりと赤くなって酷い目にあった。冬になるまでは日傘と日焼け止めが手放せないだろう。
「あ、おはようございますお姉さま! あは、朝から奇遇ですね!」
「ええ、おはよう遥」
隣町に入ったあたりで、どこからともなく遥が現れる。
朝から奇遇とか言ってやがるが、そもそもこいつの家は学校を挟んで反対方向。どうやったって俺の通学路と重なるはずがない。
こいつは、毎日この辺で俺を待ち伏せしているのだ。ここまで回り道をするのは遥にとっても結構な負担なはずなのだが、何日か前に一時間早く家を出た時も、こいつとこの場所で出くわした。一体何時間前からここに張り込んでいるんだろう。怖い。
家に直接来ないのは、以前正しい意味で自宅を警備していた京さんに懲らしめられたからだろう。遥の様子を見るからに、どうやら俺の住んでいる町一帯は完全に京さんの縄張りとなっているようだ。なんなんだあの人。頼もしいけど。
遥と連れ立って学校に登校し、一年F組へ向かう。
昨日の生徒会選挙のせいか、今日はいつもより視線が多い。こら、やめないかそこの男子。勝手に人を学内アイドルに祀り上げようとするんじゃない。その称号は中身男の俺なんかじゃなくてもっと他の女子に譲ってやれ、マジで。今なら学内アイドルの称号と一緒にこのヤンデレもおまけしよう。
教室に到着した。一部のF組メンバーからわずかに緊張の気配が発せられ、「今日も来やがったか……」という視線が俺のすぐそばのヤンデレに突き刺さる。が、遥はまるで意に介さない。
遥の本性を察せていない鈍感なクラスメイト共と上っ面な会話をしている内に、始業開始のチャイムが鳴った。
「おはようございます、可奈田先生ですよー。はーい赤坂さん、私の顔を見て露骨に嬉しそうにするのはやめてくださいねー。そして輪泉さんはやたら剣呑な目つきで先生を睨むのをやめてくださいねー! よくわからないですけど、多分何かが違うと思いますからー!」
俺は何も言っていないのに朝から好調なツッコミであった。
「そして今日はなんとですね、F組に転校生さんがいらっしゃるのです!」
クラスメイトの視線が俺に突き刺さる。F組にとって、転校生といえば俺のことだ。実際には転校生でも何でもないんだけども。
だが、そういえば確かに可奈田先生が『全くもう、転校生さんが来るのは十月の予定だったのに、一ヶ月もズレているではないですか!』とか、始業式の時に言っていたのを思い出す。忘れていた人は四話を参照。
「あ、みなさん違いますよー。赤坂さんのことではなく、今日新しく転校生さんがこのクラスに入るのです! いや皆さん、『あ、そう……』みたいな顔しないでくださいね! こらそこ、露骨に『またかよ』みたいな態度を出さない! 転校生さんに失礼でしょうが! どうしてくれるんですか赤坂さん! あなたのせいで盛り下がってますよ、このクラス!」
知るかよ。いや、確かに俺のせいだけども。
「えー、コホン! それでは色々とハードル上がってしまいましたが、どうぞ!」
バラエティ番組の司会者のようなノリで、可奈田先生が転校生を呼ぶ。
しかし、クラスメイトはもはや興味もなさげだ。俺も正直どうでもいい。
自分で言うのもなんだが、先に来たのが金髪赤眼の美少女お嬢様だ。こんなアニメにしか出てこないような存在に勝てるキャラクターなどまずいない。
完全に弛緩した空気の中、教室の扉が開いて――
「――――」
――息を、呑んだ。
それは俺がやったような、劇的な――正しく『劇』的だった登場とは違った。
自然体の、普遍的な登場。
実際、俺のように時間が止まるほどの衝撃を受けたクラスメイトはいなかった。
それでも、何故か彼女の姿は教室中の視線を一身に集める。
楽しげに、弾むように歩いてくる小柄な体躯。
ぴょこぴょこと、可愛らしく揺れるポニーテール。
無垢な笑顔を輝かせる愛らしい顔立ちは、どこか小動物的な庇護欲を抱かせる。
教壇の中心に立って、存分に元気を乗せた声で彼女は言った。
「――はじめましてっ、今日からこのクラスでお世話になる三日月 美咲です! F組のみんな、よろしく!」
華やかな笑みに、心を撃ち抜かれる。
心臓が高鳴る。
景色の色が変わる。
可奈田先生が何やらどうでもいいことを説明していたが、俺の耳にはもう何も聞こえてこない。ただ、ぼぉっと美咲の姿を見つめていた。
俺の席の二つ隣、近東寺くんを挟んだ向こう側に座る彼女。
三年ぶりに見た美咲は、あの頃よりずっと成長していた。当たり前だ。もう高校生なのだ。それでも、彼女の彼女らしさは何一つ損なわれていない。むしろ、あの頃よりずっとずっと輝いて見える。
短かったポニーテールは背中のあたりまで伸びていて、溌剌な印象を抱かせながらもあの時よりずっと女の子らしい。
背丈は小柄で、体つきも華奢なままだけれど、小学生の時とは比べ物にならないぐらい少女的。抱きしめたくなるような愛らしさに満ちている。
あの頃はズボン姿で遊んでいたのに、今の美咲は真新しい紙園学園のブレザー制服を身にまとっている。その姿が本当に本当に可愛くて、どうやっても彼女から目が離せない。釘付けになるとは正しくこのことだった。
けれど、彼女がこちらを見返してきたことでそれは終わった。
美咲が不思議そうにこちらを見て、にこっと嬉しそうに微笑む。顔が火が噴きそうなくらい熱くなって、俺は思わず目をそらした。
わからなかった。どうして、美咲に見返されることがここまで恥ずかしいのか。いくら好きだからって、三年経っていたって、だからってこんな……。
だが、疑問は即座に氷解した。クラスの男子が小さな声で交わす『赤坂さんと転校生、どちらの方が可愛いか』という会話。
俺はおもむろに自分の体を見下ろす。視界に入ったのは、チェック柄の短いプリーツスカート。初めてこれを着た時以上の羞恥が、体の底から湧き上がる。
片思いの相手に、自分の女装姿――いや女装ではないのだが――を、見られたという事実。それを認識してしまうと、自分の、長く伸びた淡い色の金髪も、アニメキャラのような赤い眼も、日本人離れして白い肌も、女性性に溢れるモデルのような肢体も、異様に整ってしまった顔立ちも、今になって急に恥ずかしくなってくる。
頭の中が混乱して何もわからなくなり始める中、HRが終わって、一時限目が始まるまでのわずかな休み時間。
美咲はクラスメイトに囲まれて会話していた。矢継ぎ早に繰り出される質問へと楽しげに答える彼女だったが、ふと、思い出したように自分の方から質問を口にした。
「そういえば、このクラスの名簿に、赤坂 聖って名前見つけたんだけど……」
鼓動が跳ねた。にわかに滲み出す冷や汗。
「え、三日月さん、赤坂さんと知り合いなの?」
「うん、幼馴染! でも、多分聖くんは別の学校行ってると思うし、クラスにもそれっぽい人いないし……」
「それって男子? だったら別人だよ、ほら、赤坂さんってあそこに座ってる金髪の子だし」
美咲がくるりと振り返って、こちらを見る。
立ち上がり、こちらに歩いてくる彼女。もはや全身から火が出そうだった。
「あの、赤坂さん? さっきも言ったけど、三日月 美咲です! 私の幼馴染と同じ名前だったから、つい気になっちゃって……」
「……ゃ、やめ……駄目、ストップ!」
「へ? どうし――」
「いいからこっちを見るなぁっ! 死ぬ!」
「なんで!? え、本気でどうしたの!?」
「とにかく――あ」
ぬるっ、と。
美咲の背後に、ヤンデレ狂犬・遥が形容しがたい動きで現れる。
「よくわかりませんが、お姉さまを死なせるなら――誰であろうと、殺す」
「待っ……!」
遥が制服の袖口からカッターナイフを取り出す。
美咲がきょとんとした顔で振り返る。鋭利な刃が、その無防備な体へと振るわれ――
「わっ、びっくりしたぁ……」
――そしてその次の瞬間、砕け散った。
「え」
「危ないでしょ、もう!」
美咲が少しお姉さんっぽい口調で遥に言った。
同時に、すり抜けるような動きで近づき、すれ違う。その両手には、いつの間にか遥が持っていたのであろう危険物が全て収まっていた。
「な、に……!? か、返して――」
「駄目! 没収だよこんなの!」
ドゴンッ! と凄まじい音が響く。
それもまた、一瞬だった。
コンマ一秒前まで美咲に飛びかかろうとしていた遥が、まるでコマ送りのように、大きなたんこぶを作って教室の床に突っ伏していた。
クラス内に混乱が広がる。静まり返る教室。美咲が「ご、ごめんなさい、やり過ぎた!?」と、慌てたように言う。そして……
『お……』
そして、遥の脅威を知る、一部F組メンバーが口を開く。
『おおおおおおおお! 救世主だぁああああああああっ!』
「え、何!? どうしたんですか!? あ、赤坂さん、これ……赤坂さん!? あの、授業もう始まるけど!」
混乱する美咲に何も言えず、俺は教室から逃げ出した。




