第9話・誰かとのやり取り
生徒会役員には無事当選した。
一応、立候補者は他にも四人いたのだが(各係に五人ずつ立候補しないと選挙が出来ないそうだ)、俺は得票率……えーと、何十パーセントだっけ。まあ過半数越えのぶっちぎりで当選した。正直見た目だけで選ばれた感じがある。
あ、あと伊良部も当選していた。まああいつは元から人気だし順当だろう。
「はぁ」
家に帰り、ため息を吐く。今日も色々と疲れた。
……しっかしこれならわざわざ気合い入れてスピーチする必要なかったな。もう適当に「頑張るので応援してくれると嬉しいです」とか言っとくだけで良かったのではあるまいか。また無意味に目立った。高校生活にやる気無いって一話から言ってんのに。可奈田先生許すまじ。次に会った時はボケ倒してやる。ツッコミ疲れで死ぬがいい。
とまあ、そんな徒労感も相まって、俺はついにゲーセン行きたい欲を抑えきれなくなった。いや、もう誰がなんと言おうとゲーセンに行く。赤坂 聖は決意した。
「男装、するか」
まず男物の服を身につける。身体の線が分かりづらいパーカーなどが中心。九月の残暑には少々暑いが致し方なし。
続いて野球帽を被ってその中に金髪を仕舞う。瞳の赤色を隠すために薄い色のサングラスもかけとこう。総合的にB系ファッションっぽくなったけど、ひとまずはこれで良し。
姿見で確認。
……うーん、流石にこれだけだと男に見えないな。本当にやるならもっと真剣にしないとダメか。
とはいえ、人間なんて姿勢と歩き方だけでガラッと雰囲気が変わるものだ。どんなお爺さんでも、姿勢が良いだけで若々しく見えるのと同じ。オーラや人柄なんてものは、多少練習すれば案外普通に作れてしまう。姿勢と歩法は演技の基本にして極意である。
小学校の時の美咲なんかも、その辺しゃきっとするようになってから本当に明るくなりだした。あいつに関しては元が良い子だったからというのもあるだろうけど。
そういうわけで立ち方を変え、部屋の中を何度か往復。
リハビリの時に歩き方を矯正したこともあって、下手に歩き方を戻すと何かしら妙な癖がつくんじゃないかと心配したが……うん、大丈夫そうだ。ガニ股になったまま戻せないみたいなことは無い。
当然ながら、元男であるがゆえに男としての歩き方は自然そのもの。これなら長時間会話するようなことがない限りは大丈夫そうだ。というか逆に、そこまでしてこっちが女だと気づかないならそいつはよっぽどの節穴だろう。
たかがゲーセン行くのに大げさな気がしなくもないが、ウチの近場の店舗はどこも妙に治安が悪い。昔はそうでもなかったんだが。
何はともあれ準備完了。夜遊びに苦言を呈する京さんをどうにかなだめすかし、最寄りのゲームセンターへ。もう日も沈んでいるので、日傘を持ち歩く必要もない。
……なんだか、久しぶりに気を張らずに外出出来ている気がする。
夜間故に人通りが少ないというのもあるだろうが、やっぱり女性の方が他人から見られやすいのだろう。軽く男装しただけで随分と違う。これからも時々男の格好で出かけてみようか。
目的地にたどり着き、絶妙に小汚い店内へ。店の前でヤンキーっぽいのが何人か屯していたが無視。そっと自動ドアをくぐり抜け、真っ直ぐ格ゲーの筐体へと向かう。
そこそこ新しい機種だったのだが、ヤンキー共のせいであんまり人がいない。対人戦に関しては期待出来そうにない。
ストーリーモードで一通りプレイもしてみたが、正直あんまり面白くない。一度乱入もあったが、初心者なのかさほど強くはなかった。
……どうせCPU戦なら、好きな筐体でやるか。
席を立ち、店の奥へ。マイナーな古い機種へと向かう。
このゲーセンにはかなり昔から置いてある筐体だ。小学生の時も、たまに伊良部や美咲とやっていた。
百円を入れて、ストーリーモードを開始。どうせこんな古い筐体で遊ぶプレイヤーもいないだろうし、一人でゆっくり――
――《挑戦者現る!》
「ん?」
誰かが対面に座る気配。
意外だ。まさかこれをプレイする物好きが俺以外にもいたとは。
しかし、所詮は試しにやってみただけの初心者だろう。無駄にこれをやり込んでいる俺に敵うはずもない。出来る限り楽しませてやろうと、手加減前提で対戦を始め――
――《YOU LOSE!》
負けた。
「……な」
このゲームは三回勝負二本先取。その内、一本目は相手に勝ちを譲った。
しかし、二本目からいきなり相手の動きが変わり、叩き込まれたのは無数のコンボ。油断していた俺は一瞬の内に敗北。
「フッ……」
筐体越しに聞こえてくる、こちらを鼻で笑うような声。……ほ、ほぉ、手加減された分際で随分と生意気な……。
俺は再度百円を投じる。
今度は最初から全力だ。持ちキャラを選んでゲームスタート。
相手のキャラとの相性が良い事もあって、序盤は俺有利に進む。しかし、認めたくなかったがどうやらこのゲームに関しては相手の方が格上らしい。どうにか一本こそもぎ取ったものの、続く二本目以降は敗北。
何度か挑戦したが、結局相手に対戦で勝ち越すことは出来なかった。
……くっそ、楽しかったは楽しかったけど、やっぱり悔しいな。
いつの間にか、財布の中身が随分と心もとなくなっている。思った以上に熱中してしまったようだ。
他のゲームもやっておきたいので、席を立ち離脱。相手に軽く頭を下げる。席に座っていたのは、目深にフードを被った女性だった。……女が夜にこんなゲーセンへ来るのは危ないんじゃないか、と思いかけたが、今は自分も女であったことを思い出す。
その後適当に見て回ったが、結局さっきの格ゲーが一番面白かった。これならもう少し付き合っていた方が良かったかもしれない。
帰ろうとしたところで、ふと、店の奥の古い景品ゲームが目に入る。
よくあるUFOキャッチャーではなく、アームを引っ掛けて景品を落とすタイプ。軽く覗いてみると、何世代前かもわからないようなアニメキャラのフィギュアが置いてあった。……完全に在庫処分用のおもむきだな、これ。
そういえば昔、美咲とこのゲーセンに来た時も同じ機種で遊んだ覚えがある。あの時は当時の魔法少女か何かのプライズフィギュアが置いてあって……俺と伊良部が少ない小遣いでどうにか取って、美咲にプレゼントしていた。そしてその後帰り道に美咲がコケてぶっ壊して三人で大喧嘩したんだった。懐かしい。
そんな思い出もあってなんとなく近寄って眺めてみるが、特にめぼしいものも無い。それに、取れそうな位置からは既に景品がなくなっている。こんな古い景品だらけでも、プレイする人間はいるようだ。
「――って、もうこんな時間か」
いい加減遅くなってきたので、そろそろ家に帰ろうと歩き出す。
自動ドアをくぐろうとしたところで、店の外から男の罵声が響いた。
「ん……?」
遠巻きに覗いてみる。
今もまだ店の前に陣取っていたヤンキー達に、一人の女性が絡まれていた。さっき俺が対戦していたフードの彼女だ。
鞄を抱くようにして、じっと怒鳴り散らす男に耐えている。……さっさと適当なヤツ張り倒して逃げればいいのに。俺がそんな風に思うのは、美咲や京さんという男顔負けの戦闘力を誇る女たちを知るゆえか。
無視して帰ろうとも思ったのだが、何故か気になる。
どうしてか無性にイライラする。
せっかく発散したストレスがまた溜まっていく嫌な気分。
――ちらりと振り返れば、男が腕を振りかぶっていた。
「おい!」
低い声を作って、男たちに呼びかける。それと同時に走り出した。
「あぁ!? なんだテメ――」
怒鳴り返そうとする男。
「――ェごっ、ぶっ!?」
しかし、その罵声は途中で止まる。男が怒鳴り終わるより早く、俺の膝蹴りが相手の顔に突き刺さっていた。
我ながら凄まじい早業だが、別に俺は拳法家でもキックボクサーでも無い。普通の男子――違った、普通の元男子女子高生だ。言ってて思ったが普通じゃないな。とにかく、俺は普通の男子高校生だった。そこまで並外れた身体能力を持っていたわけじゃない。体育の時だって、体力テストは平均そのものだった。
しかし、唯一特筆すべきなのが、今は女の身体でありながら男性並みの筋力を持っているという点だ。
これは『奇病』における最も奇異な特徴の一つである。何せ――体重が二割近く減っているのに、筋力が全く変わっていない。
単純に運動エネルギーの公式に当てはめても、速度は男の時より十一%上昇している計算。筋密度を考慮すれば、実際の身体能力は更に高い。今の俺がトラックを走れば、それだけで日本女子新記録にさえ迫るレベル。……まあ、『奇病』罹患者のスポーツ関連は色々とデリケートなことが多いので、身体能力が普通の女性並みになる発症後半年までは公式記録が残せないのだが。
このような奇妙な性質から、性別反転を代表とする二十世紀から現れたいくつかの『奇病』達は、一部の学者達から『人類をアップデートしうる最上の可能性』とまで囁かれている。
要するに、俺は今、すごくつよい。
と言っても、複数人相手に真面目に喧嘩して勝てるレベルじゃない。速いだけで、腕力は男の時と変わらないのだ。たった今の正面奇襲で一人減らしはしたが、俺に出来るのはそこまでだ。
「逃げるぞ!」
「あ、うん!」
フードの女性に手を伸ばす。
返ってきた声は思ったより若かった。間近で見れば、背丈も随分と小柄。最初は同年代かと思っていたが、これはやもすれば中学生か。十六歳以下が夜のゲーセンに入るなよ、条例違反じゃねえか馬鹿。
女性、否、少女の手を引き、夜の街を駆ける。
最初はどうにかついてきていた少女だが、すぐに音を上げはじめる。彼女が何か荷物を庇いながら走っているせいだ。
「それ捨てろ! 追いつかれるぞ!」
「だ、ダメ! 大事なやつだから!」
「知るか馬鹿! じゃあしっかり持っとけ!」
俺は荷物を持った少女を抱き上げる。軽い。ちゃんと飯食ってんのかコイツ。
もちろん、いくら軽いからと言って人間一人抱えれば足は鈍る。
俺はすぐさま角を曲がり、細い横道に少女を降ろした。
「隠れろ!」
「え、君は――」
「いいから! 俺が囮になるからじっとしてろ!」
横道を出て、俺一人で男たちを引きつける。
……よし、郊外の方に誘導出来た。あいつらはもう完全に頭に血が昇ってる。
俺は再度角を曲がった。身を隠すと同時に帽子とサングラスを外し、ぶかぶかの上着を脱いで腰に巻く。そのまま悠々と男たちの方へと引き返す。
「くっそ、どこ行ったアイツ!」「探せ! どうせ近くにいるだろ!」
男たちは俺とすれ違い、そのまま郊外へと走っていった。
……うーむ、なかなかの低脳。姿勢と歩き方を女らしいものに変えるだけでここまで騙されるとは。
十分に離れたあたりで姿勢を戻した。金髪を帽子の中に仕舞ってサングラスを着け直し、パーカーを羽織り直す。まあ、男だと思ってた相手がいきなり金髪巨乳になれば、分からなくても仕方ないのかもしれない。
「あ、いた!」
そのままさっきの横道に戻ろうとして、フードの少女と出くわした。
どうやら、向こうも俺のことを探していたようだ。
「何やってんだお前。俺なんか探してないでそのまま帰れよ、危ないだろうが」
「き、君だって危ないじゃない! 大丈夫、怪我無い……!?」
「ねえよ。あいつらアホだったし。お前こそ大丈夫か?」
「う、うん……平気……」
何が恥ずかしいのか、少女はわずかに俯きながらボソボソと呟く。つーか本当に小っちゃいな、声も背も。俺だって女になってから身長いくらか縮んでるのに、それでも少女を見下ろす形になっている。その上で彼女がフードを目深に被っているので、全然顔が見えない。
少し屈んで覗き込んでみようとしたが、さっと顔を逸して避けられた。なんだ。そんなに嫌か。
「送ってくけど、家は?」
「だ、大丈夫! 一人で帰れるから……」
「帰れるように見えないから言ってるんだろうに。家知られたくないんだったら、途中まででいいから送らせろ。とりあえずあっちの方いけば明るいし、変なのに絡まれることもないだろ」
「ぅ……わ、わかり、ました……」
少女と共に、人通りの多い方へと歩いていく。
「あんまり女の子一人で夜に出歩くなよ。あのゲーセンなんて見るからに治安悪そうだったじゃねえか」
「む、昔はあんなんじゃなかったもん……」
「何年前の話してんだ。どうしても行きたいんだったら彼氏でも連れてけ」
「ひゃひっ!? い、いない! いません! カレシとかっ!」
「いや、それを頑なに否定する必要は無いと思うんだが……」
……彼氏なあ。
いくら男装してたって、俺の身体が女性のものであることには変わりない。そのうち身体能力も下がっていく。そうしたら、こうして一人で夜歩きも出来なくなるわけだ。うわー面倒臭い。とりあえず伊良部でも彼氏役にしとくか? 嫌だなあそれ。アイツだってお断りだろう。
と、考え事をしていると、少女が俺の横顔をじっと見ていることに気づいた。
……ああ、女だってバレたか。いやあなた私のこと言えないじゃん、とか、そういう視線だろう、これは。
「……まあ、いいや。ほら、この辺りならもう大丈夫だろ。じゃ」
「えっ、あ、はい! その、ありがとうございました!」
少女がぺこりと頭を下げた。俺はそれを見てから振り返って、家の方へと歩いていく。
「…………」
少し歩いたところで、なんとなく、少女の方を振り返った。
彼女は後ろを向いて、早足でどこかに去っていくところだった。一瞬だけ少女の顔が見えた気がしたが、遠目なのでよくわからない。
……もしかして、あれ……いや、違うか。
美咲とは雰囲気が違うもんな。
※
私は彼が歩いていくのを見送って、下げた頭を上げた。
くるりと振り返り、足早に家の方へと向かう。
……どうしよう。まだ心臓がどきどきしている。
あんな漫画みたいなこと、本当にあるんだ。
思い出すと顔が熱くなる。女の人みたいに綺麗な顔をした男の人。……あれ? 男の人だよね? うん、「俺」って言ってたもんね。夜に女の子一人じゃ危ないとかも言ってたし。女の人だったらあんなことは言わないだろう。物腰や歩き方も男の人っぽかったから間違いない。姿勢もふてぶてしいぐらい堂々としてたし――
「……っとと」
かく言う自分の背中が少し丸まっていたことに気づいて、慌てて背筋を伸ばす。地元に帰ってきたせいで気が抜けていたのかもしれない。
近くのお店のガラス窓で自分の姿勢を確認する。
よし、大丈夫。人間っていうのは、少し姿勢を直すだけでガラッと雰囲気が変わるから不思議だ。
……でも、あの人と別れた後で今更姿勢を直しても遅かった気がする。暗そうな子だと思われただろうか。というかどうしよう、名前も連絡先も何も聞いてない。恥ずかしくてテンパって、何もかも頭から抜けてしまっていた。
普段ならあの程度の不良ならどうにでもなったのに、荷物を持っていたせいで慌ててしまったし……。前も、私がはしゃいで転んだせいで壊してしまったから、これを持ったままあまり激しく動き回るのは躊躇われた。本当ならそんな壊れやすいものでもないのに。
正直、今更これが欲しかったわけでもないのだけど……結局、私はあれを壊したことを彼らに謝ることが出来なかった。それがずっと心残りで、だからゲームセンターでこの景品を見つけた時、つい百円を入れて取ってしまったのだ。……でもどうしよう、高校生にもなってこれを部屋に置いておくのはちょっと……。
「あ」
いつの間にか家についていた。引っ越し直後で真新しい「三日月」の表札を見ながら、玄関のドアを開ける。
「ただいまー」
「おかえり、美咲。こんな遅くまでどこ行ってたの? 週明けから新しい学校で、色々することも多いのに……」
「ええと、ちょっとね」
「もしかして聖くんとでも会ってたの? それとも智くん? あの子達ならお母さんも反対しないけど、あんまり遅くまで男の子と遊んでちゃダメよ」
「会ってないよ! あの二人はただの幼馴染だから! それに、もし好きだったとしても小学校の時の知り合いが三年経ってもまだ好きとかありえないよ。流石にちょっと気持ち悪い」
「まあ、それもそうかしらねえ。それにあの子達って昔から頭良かったし、紙園より上のとこ行ってるわよね」
そんな風にお母さんと話しながら、私は新しい自分の部屋へと向かう。
数年前の魔法少女シリーズのプライズフィギュアを鞄から取り出す。フィギュアの保管場所に悩みながら、私、三日月美咲は週明けから紙園学園へと通う準備をするのだった。
ついにメインヒロイン参戦。