2話
「――本艦は先ほど敵輸送船団を発見し、現在これと並走しつつ追跡中である。会敵予定時刻は1900時。これは我々にとって初の実戦である。各員の一層の努力に期待する。以上!」
号令と共に、にわかに艦内が慌ただしくなる。
発令所に集まっていた者も、急ぎ各々の持ち場へと戻っていった。
俺は垂直梯子を登り、もう一度艦橋に顔を出した。
「首尾はどうだ?」
ハッチの横に立ち、双眼鏡を構えていた水雷士のキャリコ二曹に声をかけた。
「異常ありません。敵船団は変わらず北へ向かっています。」
二曹は双眼鏡から目を離さず応える。
妖精猫人族の彼は他の獣人とは違い、筋肉質だが細身でスラっとしている。
男には非常に珍しいという3色の毛皮と、副長曰く中性的という顔立ちも手伝って乗員の獣人達から非常に人気があるのだという。
「ただ、このままでは追い抜いてしまいそうです。」
「……思ったよりも遅いな。」
高波で破損した艦があるのかもしれない。
とりあえず今は監視を続けていれば大丈夫だろう。
充電が完了次第、潜航するつもりではあるが。
「こちらに気付いた様子もありません。」
「……このまま監視を継続してくれ。上空の警戒も怠らないように。」
哨戒機の装備する対潜爆雷はもちろんのこと、8mm程度の対魔力徹甲弾でも当たれば沈みかねないのだから、最近では航空機は駆逐艦以上に潜水艦の天敵だった。
潜水艦の無いに等しい装甲では、魔法防御向上と物理防御向上の魔法を幾ら施しても限界があるのだ。
「了解です!」
艦橋に見張り当直は6人。
目は十分足りている……と言うより狭くてこれ以上人員を増やせない。
……さて、俺はどうしようか。
潜望鏡基部や無線アンテナの横を通り、見張り員の後ろを邪魔しないように避けながら艦橋後部へと移動した。
敵から火が見えないように背を向け、ポケットをまさぐると煙草入れを取り出して蓋を開ける。
使い終わった小さな紅茶缶をそのまま流用したものだが密閉具合が良く、乾燥剤と一緒に入れると煙草が湿気らないので愛用していた。
「艦長、タバコっすか?勘弁してくださいよ。」
不意に声をかけられた。
20mm連装対空機関砲砲座からだ。
これは艦橋後部より更に1段下がった足場に設置されていて、艦橋に立つと視界に入りにくいのだ。
見ると、犬人族で通信士のシルバー一曹が砲手を、人間族で聴音士のビスマルク准尉が装填手として当直に就いていたようだ。
「敵に見つかりますよ、あと臭いんでやめてください。」
水上艦で上官に向かってこんな口を利いたなら、営倉入り程度じゃ済まされないだろう。
しかし伝統的に潜水艦では許されていた。
俺たちは上官と部下であると同時に戦友であり、家族だった。
家族に上も下も無い。
それよりもここの乗員たちは煙草嫌いすぎるのではないか。
俺くらいしか吸う人が居ないのは流石に肩身が狭い。
艦長なのだから堂々としていれば良いのではあるが。
「相変わらず鼻が良いな。背中向けてるから平気だろうさ。1本だけだ、まけてくれよ。」
「しょうがないっすねえ、1本だけっすよ!」
「悪いね。」
砲手殿の許可が下りたので、遠慮無く吸わせて頂くことにする。
「ふー……。」
愛用の小さなオイルライターで手早く火を付け、存分に紫煙をくゆらせる。
背中を丸め、手で火屋を作って吸うのだから随分と不格好だろう。
指の間をすり抜けた煙が、何とも頼り無げに船尾へ向かって流れていく。
海面はうねりも小さく、昨日の嵐が嘘のようだ。
「艦長、食事はどうします?」
また足元から声がした。
「さっき食べたばかりじゃないか。」
「このままいくと丁度夕飯時に戦闘開始になる感じです。そうなると次は何時食べられるか分からないじゃないですか。」
「二人で話してたんすよ、こりゃ日が変わるまで飯抜きだなって。」
食事の事を忘れていたわけではない。
これから潜航と浮上を何度か繰り返すことになる。
そして会敵したからといって直ぐに戦闘になるわけではない。
戦闘前に軽い物をサッと食べれば良いかと、そう考えていたが……。
「……それなら充電完了と同時に潜るから、飯はこの時に取ろうか。」
「流石は大将!話が分かる!」
「充電ならもう完了したようですよ。早速潜りましょう。」
「急にどうしたんだ。良く判るな。理由は?」
「機関室から駆け足でこちらに向かう足音が聞こえます。」
「シルバー一曹、何か聞こえるか?」
「へ?いや俺っちは何も――」
「伝令!」
「!?」
急に来た。
まさか本当に来るとは。
吸い掛けのタバコを捨て、素早く振り返り、直立不動で敬礼するドワーフに敬礼を返す。
彼らは髪も髭も長く、全体的に顔が良く見えないが、彼は機関室のドクジュード二曹だ。
「ドクジュード二曹、要件を教えて欲しい。」
「ハッ!蓄電池の充電及び圧縮空気の充填共に完了!潜航可能!」
「了解した。ありがとう二曹。持ち場に戻ってくれ。」
役目を果たした二曹は踵を返し、狭い艦橋上を器用に走り抜け、慣れた動作でハッチに潜り込み、するりと艦内へ消えて行った。
手足が太く短い、ずんぐりとした体形でよくあそこまで素早く動けるものだ。
「准尉は良い耳をしているな。」
たまに人間でも獣人並に感覚や体力、魔力に優れた者が生まれることがあるが……。
いやしかし、コボルトのシルバー一曹以上とは恐れ入った。
「遠い先祖に犬系の獣人が居たようで。鼻も利きますよ。」
「見た目は完全に人間だな。」
「そうでもないですよ。犬っぽいところもあります。」
そう言って彼はニィと笑った。
唇の隙間から長い犬歯が覗いているのが見えた。
とはいえ、その程度なら特に珍しいという事も無いが。
しかしその鋭敏な感覚は正直羨ましいと思う。
「おお、犬っぽいな。」
隣では腹ペコ砲手殿が口パクで『ハラ減った』と言っているのが見えた。
全く、欠食児童には勝てないな。
スゥと大きく息を吸い込む。
そして艦橋に居る全員に聞こえるように叫んだ。
「潜航準備!」
号令と同時に、皆弾かれた様にハッチへ殺到していく。
「艦橋より発令所!通常潜航!深度30!」
伝声管で命令を伝えると、最後にハッチへ飛び込んだ。
ハッチを閉めてロックするのが艦長の役目だからだ。
「ハッチよし!」
「ハッチよーし!」
「潜航開始!ベント開け!」
「ベント開きます!」
ベント弁操作員がバルブを開くとメイン・バラスト・タンクからボコボコと空気が抜け、艦底のフラッドホールより海水が勢いよく流入してくる。
こうして艦は急速に浮力を失い、遂に海中へと没していく。
全ての乗員が時計のような正確さで自らの役割をこなしている。
誰かがバルブ開閉の手順を1つでも間違ったなら、艦は二度と浮上することはない。
つまり俺たちはどこまでも一蓮托生であり、そういう意味で家族なのだ。
「深度30!」
「トリムよーし!」
「両舷半速、進路そのまま。」
「両舷半速ヨーソロー!」
流れるような定常作業。
地獄の訓練を耐え、手の皮が破れても同じ作業を何度も何度も繰り返し、頭に身体に刻み込まれた操作マニュアル。
彼らはベッドからいきなり叩き起こされ、頭が半分眠った状態でもこの複雑な作業を決して間違ったりしないだろう。
「……副長、俺は調理室へ行ってくる。少し早いが飯にしよう。」
「おお、流石アニキ!俺も今度の狩りは長丁場になると踏んでたんだ。食える時に食う。基本だぜ!」
「だから副長、暫く指揮を頼む。」
「応!任されたぜ。アニキと違って俺は料理出来ないから、付いて行っても折れた弓より役に立ちやしない!ガッハッハ!」
「そんなもの自慢になるか!」
「全く、アニキは厳しいぜ!ガッハッハ!」
副長は陸に上がるとお付きの料理人が控えている、本物の王子様だ。
だから今はしょうがないものの、それでも簡単な料理くらいできるようになってほしいものだ。
まあ良い。
そういうことで、ガッハッハと笑う副長に指揮を任せ、発令所を後にしたのだった。