或る蛇口の一生
私は自分の感情を蛇口へと注いでいる。
蛇口をゆっくりと開けば、私の感情は水となってシンクへと落ちていく。
怒りの感情の時はより激しく、悲しい時はゆっくりと流れていく。
私は感情を蛇口を通じて、世間へと表現していく。
私以外の人間がこの蛇口を使うと、私の感情がその者へと移ってしまう。
「ただいまー」
思春期真っ只中の娘が学校から帰って来た。高校へ入り、髪を染め、化粧を派手にし、自分可愛いんですよアピールを世間へと表現している。世間が自分の事など興味がない事をまだ知らないのだ。
「暑いね、今日は……」
会話もろくにしない娘が私の感情を秘めた蛇口をひねろうとした。いつもは自分の部屋へ一直線へ行き、携帯でSNSをする娘が……。声をかける間もなく、水が勢いよく出て、娘は気持ちよさそうに手を洗った。
「あれ……この感じは……」
私が娘に抱いた怒りの感情が娘に伝わったのか、娘は蛇口を閉めようとせず、じっと見つめていた。口論になる事は分かり切っていた。蛇口を早く閉め、私に物言いをしてほしいと感情が高ぶった。
「母さん、そんな風に思っていたんだね」
「そうね……」私は娘の怒りをじっと待った。
「そんな風に思っていたなんて知らなかった。自分が高校生になって大人ぶっていた事が誰かの迷惑になっているなんて思っていなかった。これからは心から大人になって、もっと自分を見つめ直していくね」
娘は泣きながら私に抱きついてきた。
私の感情が入ったのか、娘はその日以来私の感情に似てきた。同じタイミングで笑い、同じタイミングで悲しくなる。怒る事も泣き方もよく似てきた。親子だから似ている事もあるが、私はもっと娘らしく生きて欲しいと思った。
あの蛇口を早く、取り壊せばよかったと思った。
かの友人は言う。
「後悔をしないコツは○○をしなければよかったと思わない事だ。人間は出来たことよりも出来なかった事を多く思い返し、後悔をする。後悔をするなとは言わないが、後悔をする時間を1分でもいいからしないように考えるのが成功方法だ」
私は蛇口を取り壊し、未来の生きる個性を育むために感情移入を断ち切った。