壱人形
売れば高値で買い取ってもらえるような骨董品も山ほどあるだろう、我が塔原家の蔵の中。
扉を開ければ埃とカビの匂いが漂ってきて、私は顔をしかめた。
入るのをためらう私などおかまいなしに兄はすたすたと蔵の中へ入っていくので、慌てて追いかける。
蔵の中をうろうろとした後、兄は立ち止まって呟いた。
「前に来た時よりも中が片付けられている。これは、雛人形も撤去されているかもしれんぞ」
「そ、そう……」
なんだか急に怖くなってきた…。
休日の真昼間だというのに、蔵の中は暗くてじめじめしていて、まるで深夜の大雨のようにどんよりした空気が漂っている。
明るい日差しが恋しくなり、ちらちらと蔵の外へと目をやる。
雛人形をあれほど飾りたかったのに、もはやどうでもよくなってきた。
それくらいに早くこの不気味な蔵から逃げ出したい。
しかしここで投げ出して逃げ出せば、また兄との距離は今まで通り遠いものになってしまいそうな予感がした。
真剣な顔で雛人形を探す兄を横目で見ながら、私も一緒に探すフリをする。
あるとしたら大きな箱にしまわれているのだろうか。
どれも関係のない骨董品がしまわれていると予想される、両手で抱えられるほどの大きさの箱しかない。
もしかしたら、小分けにして小さな箱にしまわれているのかもしれないが。
「すまないね、すみれ。やはり雛人形は処分されてしまったようだ」
「ひゃっ!は、はい」
背後から声をかけられ、変な声をあげながら私はふりかえる。
雛人形、やっぱりなかったんだ……。残念な結果であるはずなのに、そこにいた兄はにこにこと嬉しそうな顔を浮かべていた。
ぼろぼろのダンボールを大切そうに抱えながら。
「だが、いいものを見つけたよ。これを見てみろ」
「えっと…この箱は?」
「壱人形だよ」
兄がそう言い切って封のガムテープをべりべりとはがし、箱をこちらに傾ける。
中には人形の後頭部と思われる黒髪がちらりと見えて、私は思わず後ずさりした。
なぜか箱の中に人形ではなく本物の人間が入っているような感覚がして気味が悪かったのだ。
「壱人形って?」
「うちに昔から伝わる人形さ。双子が生まれたときに、これとそっくりな人形をもう一つ用意して、粉々にぶっ壊すのさ。すごいだろ」
「は、はぁ…」
正直、なにがすごいのか全く分からない。
うちに双子が生まれたからって、なぜわざわざ人形をもう一つ増やし、しかも壊すのだろう。
だが、私はその疑問を口にすることはなかった。
珍しく楽しそうに話す兄の姿に困惑するのも手伝って、いよいよこの場に留まっていることが恐怖で苦しくなっていたからだ。
今にこの全く興味の持てない壱人形について兄が勝手にべらべらと説明しだしそうで、それもまた怖かった。
私は我慢できずに、心にもないことを言い含めて兄を連れだし帰ることにした。
「お兄様、お雛様がないのなら私もう蔵から出たいわ。その、か、可愛い人形はお母様にもぜひお見せしましょうよ。ねっ、お兄様」
「ああ、そうだな……。だがその前にこれを見てみろ」
兄はしつこく箱の中を見せようと傾ける。
私は内心、うんざりしながら壱人形を恐る恐る覗き込んだ。
「この人形、俺に似ていると思わないか?」
「えっ……?」
白すぎる肌。白目がほとんどない空洞のような黒目。暗さが入った真っ赤な唇。
肩まで揃えた本物の人間のような髪。唇と同じ薄暗い紅い着物…。
どこをどう見たら、この人形とお兄様が似ているのか分からない。
確かに兄もこの人形も黒髪で肌も白いが
「うおお゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!」
突然、目の前で男か女か分からない絶叫が耳を酷く刺激し、私は驚きのあまり失神しそうになった。
「うおおおっ!!」と同時に叫んだのは、私と兄の両方だった。
よく見ると兄は人形の髪を鷲掴みにしていた。
人形が叫んでいる!まるで兄が髪を掴んでいるから痛がっているように!
私が腰を抜かして地面に倒れこむと、兄がいつもの無表情になった。
なにが起こっているんだ!?
恐怖で失禁して泣いている私の前で、人形はまだ叫んでいた。兄は怖いような無表情でそれを見つめている。
人形が叫んでいるのも怖かったが、異様な兄が怖くてまた泣いた。
地獄絵図を前に、突如私の頭の中で多くの記憶がよみがえった。
知っている、私はこの光景を知っている!!
前にも見た…ゲームで…!!私は女子高生だった…!!
前世の記憶が蘇り、ここがゲームの世界と似ていることに気付いた時、私はようやく気を失った。
目が覚めた時、私がベッドの上だった。
母と侍女が心配そうな顔で私の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?すみれさん。あなた、蔵の中で突然倒れたのよ。運んできてくれたお兄ちゃんに感謝しなさいね」
「お嬢様、お加減はいかがですか?今、温かい飲み物を持って参りますね」
精神的な疲れのせいか声もろくに出せなかったが、せめて心配させないように微笑んで頷いた。
母と事情も安心したように微笑んだ。
兄と人形の姿がなかったので、さっきの光景がまるで夢の出来事のようだ。
もっとも、夢ではないのだが。
前世の記憶が真実であれば、ここはゲームの世界のはずだ。
私はそのゲームをプレイしたことがあった。当然だが、ホラーものである。
二次元の世界に入れたら素敵だと思ったこともあったが、なぜよりによってこの世界なんだろう?
しかも私、塔原すみれという人物はゲームの中では碌な立ち位置ではなかったはずだ。
これから、さっきの壱人形の発狂事件よりも辛い現実が待っている。
この時の私は、自分の身の安全のことしか考えていなかった。
既に私より過酷な運命に蝕まれている兄の心配など、これっぽっちもしていなかったのだ……。