日常2
反射的にそちらを向くと、そこにはグラウンドと校舎の間の道をこちらに向かって歩いてくる男子生徒の姿。
その顔には見覚えがあるような気がしたものの、ネクタイの色からどうやら三年生らしいことが分かるだけで、特に知り合いではない。
「あの、どちら様でしょう……?」
「んー、なんつったらいいのかな。お、朔良ちゃんだーやっほー」
恐る恐るな千夏とは対照的に飄々とした態度の男子生徒は、窓のサッシにもたれると、奥に居る朔良にひらひらと手を振っている。
朔良は軽く会釈をするとまたすぐに本を読み始めてしまった。
再度男子生徒を見ても、にこにことしているだけで何も言ってくれない。
「あれ、遥斗くんだー。どうしたの?」
どうしたものかと慌て始めた千夏の背後から美織の声が飛んでくる。振り返ると、二人が戻ってきていた。が、篠崎はあからさまに嫌そうな顔をしている。
「久しぶりに部活でさ。ジュース買いに来たら、噂の千夏ちゃんが居たから。声かけちゃった」
遥斗と呼ばれたその男子生徒は、ね?と同意を求めるように首を傾げてくる。噂のってなんだ。
「えっと、二人はどういう…お知り合い、ですか?」
自分を挟むように会話する両者を交互に見ながら、千夏は首を傾げ返す。
「そっか、初めましてだよね。私と同じクラスの佐々木遥斗くん。軽音楽部の部長さんなんだよー」
「軽音楽? あっ、新入生歓迎会の時の……!? どうりで見覚えがあると」
そう、新入生歓迎会の時、ミニライブをしていたギターの先輩だった。ぴんぽーんと愉快そうに答える佐々木をまじまじと見ながら、新入生歓迎会の時のことを思い出し、千夏は不意に首を傾げる。
「でも何で茶道部の手伝いまで……?」
「なんでってそりゃまー、園田には世話になってるし。ウチの部員たちも園田と朔良ちゃんのためなら喜んで、ってさ」
「力仕事だし人数も足りないからどうしようって思ってたら、遥斗くんが軽音楽部のみんなに声をかけてくれたんだー。あの時はホントにありがとね」
にこにこと笑いながら話す二人は本当にただのクラスメイトかと疑うくらいには仲が良さそうに見えて、千夏はハッと後ろを振り返る。
千夏と話している時でさえ不機嫌なのだ、さぞかし篠崎は虫の居所が悪いのではないか。
案の定、篠崎は笑いながらこちら、というより佐々木を見ていた。
千夏からしたらかなり気になるが、美織は気づいていないようだし、佐々木は敢えて気づかぬフリをしているようにも見える。よく篠崎が怒鳴り出さないものだ。
と、思ったのも束の間。やはり我慢ならなかったようで。ずんずんとこちらにやって来た篠崎は佐々木に食って掛かる。
「佐々木センパイ、用がないならさっさと練習戻ったらどうすか」
「よう、篠崎。相変わらず園田にくっついてるみたいだな」
「か え れ」
「おーコワイコワイ。ま、今日はこの辺で。じゃね」
ひょいっと身を翻した佐々木は、にこっと笑うとこちらに手を振って去っていった。
結局、なぜ佐々木が千夏のことを知っているのかはよく分からなかったが、先程の感じからするに大方美織から聞いたのだろうと、無理やり自分を納得させて窓を閉める。
やっといつもの状態を取り戻した部室を振り返りながら、千夏は不機嫌そうな篠崎を宥める美織に向かって声をかけた。
「そういえば、随分長い間お説教してましたね!」
「えっお説教!? ふふ、違うよー。ちょっと職員室に用事があったから、一緒に来てもらったの」
目を丸くした美織は、くすくすと面白そうに笑いながら、近くに置いてあった紙の束を手に取って千夏に見せるように掲げた。
「何勘違いしてんだよバーカ」
べーっと舌を出して馬鹿にしてくる篠崎には心底腹が立つが今は見ないフリをして、美織の傍に腰を下ろす。
「GW合宿?」
「そう。いつもGWはね、三日間くらい、先生のお家に集まってみっちり練習するの。まぁ、気分で合宿って言ってるだけで泊まったりはしないから、毎日通うって形なんだけど」
手渡された二枚綴りのコピー用紙の一枚目にも大方同じようなことが書かれている。
以前先生の家が学校から近いということは聞いていたが、載っている簡易地図を見るに徒歩でも五分程と本当にかなり近かった。
が、二枚目をめくった瞬間、千夏は唸り声を上げて固まった。分単位でぴったりと定められたタイムテーブル。とても一日でこなせるとは思えない練習の数と量。一目で眩暈がするような程のスケジュールがそこには書かれていた。
「こ、これほんとにこの通りのスケジュールなんですか……?」
「この通りどころか大抵押すらしい……」
隣で篠崎もげんなりした顔でそのたくさん文字の書かれた紙をながめている。篠崎が入部したのは一年の半ばだと以前(美織から)聞いたので、おそらく篠崎も初めての経験なのだろう。
学校にも部活にもようやく少し慣れてきた、そんな五月。
待ちに待った連休の幕開けが、九割方不安で始まることになるとは、誰が予想していただろうか。
「で、でも、電車なくなっても車で送ってもらえるから。心配しないで大丈夫だよ」