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書き忘れていましたが、修正前で全11万字ぐらいです。短くなるか長くなるかはちょっとわかりませんが。
9月6日、午後3時15分。2ーA教室。
一日の授業の後、帰りのSTが流れるように終わる。
当番の掃除が始まるが、俺がそれに含まれるのは後1ヶ月は後だろう。
期末テストがあるまでは、当分縁がなさそうだ。
手早く荷物を片付けて、図書室に向かう。
それ自体はいつもと変わらないけれど、やることは大きく変わる。
昨日の話が本気であるならば、西岡くんも来るはずだ。
休み時間、一瞬目が合うこともあったけど、話すことはなかった。
わざわざ友達に囲まれている西岡くんに近づくこともないと感じたのである。
そんなことをしなくても、どうせ授業後に会うのだ。
内心、いなければいいなと思いながら、目的地に急いだ。
授業が終わってすぐの図書室は、それなりに騒がしい。
カウンターに近い側では、その大きなテーブルでグループ課題をする生徒。
それ以外にも勉強を教え合ったりと、話し声が途切れない。
喧騒を嫌う人は自習室を使ったり、イヤホンで自分の世界に閉じこもっている。
手前側のテーブルと、奥側のテーブルで、住み分けが行われているのだ。
俺が図書室に入った時には、既に西岡くんは席についていた。
待っていたらしく、俺の姿を確認すると、こいこいと手で招かれる。
司書室寄り、窓際のテーブルに二人分の席。招かれるままに、俺は隣に座った。
ショルダーバッグを床に置いて、ついでに椅子ごと少し西岡くんから離れる。
……あんまり人に近づくのは好きではない。
「よかった、来てくれて」
「……来るよ。頼まれたんだし」
断りたいと考えていたのは、事実だけれど。
それでもホッとしたような西岡くんの顔を見れば、これで良かったと思える。
耐え切れずに顔を逸らし、テーブルの上を見た。
西岡くんのだろう学生鞄が、その大雑把な中身をチラ見せしながら置かれている。
取り出されているのは筆箱だけで、どうやらまだ来たばかりのようだった。
向けられる視線は、期待と不安で俺に刺さる。
俺の発言を待っているのだろう、そわそわとしていた。
俺から切り出さなければ、始めることが出来ない。
ため息をつきそうなのを我慢して、小さく呼吸をしてから、口を開いた。
「――まずは、確認」
「う、うん」
自分にも言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。
昨日の夜、考えていたことは、決して的外れではないはずだ。
それをちゃんと活かすためにも、一から確認していかなければならない。
最初は、俺の理解が間違っているかどうか、である。
「昨日、古典と英語の予習で、時間が取られると言っていた。
そのせいで、他の教科の対策が間に合っていない?」
「……うん。テスト前も、その二つで精一杯」
緊張の表情に、更に沈んだ色が増す。
古典と英語。確かに予習に時間はかかる教科では、あると思う。
だけれど、いくら苦手でも、精一杯になるということはないはずだ。
時間を掛ければ掛けた分、点数が上がっていく教科である。
赤点スレスレであるのなら、それは効率の問題としか思えない。
「……どんな予習の仕方を?」
「え、と。普通だよ」
そう言われても、困る。
普通は相対的な価値観に依存していて――などと頭の中で考えても仕方ない。
俺に必要なのは、もっと具体的な情報である。
少なくとも、頭の中で言葉遊びをしているような場合ではない。
「普通、じゃなくて。具体的な手順を。
予習をするとき、どんな順番で何をしているか。躓くところも」
「む」
「ゆっくり考えながら、話してくれて構わない」
いっそ、この場で実演してくれても何ら問題はない。
俺が適当に終わらせる予習を、どれぐらい丁寧にやっているのか。
その手順は、恐らく俺が予想できないほど迂遠なものなんだろうと推測済み。
――その上で、かなり手際が悪くなければ、そこまで時間かからないだろうし。
俺の言葉に躊躇いながら、西岡くんは鞄からノートと教科書を取り出した。
チラリチラリとのぞき見える鞄の中は、なんというか、雑。
失礼だろうと思って見ないように心がけるが、ちょっとぐちゃっとしていた。
片付けが苦手なんだろうか、などと考えているうちに、西岡くんが話しだした。
「――――多分、そんなに珍しくないと思うんだけど。
教科書の本文を、ノートに写して、そこに書き込んでる」
「うん」
「判らない単語調べて、活用形考えて、訳してる。
英語も古典も、殆ど同じやり方をしてるはず」
……ふむ。
聞く限りは、基本の基本から少しも外れていないという印象。
勉強が進めば調べたり考えたりすることが減るけれど、大まかには変わらない。
俺としては、もっと致命的な足踏みをしていると思っていたのだが。
「……それだけなら、時間かからなくないかな」
「訳すのに時間かかるんです……」
意図を汲み取れない。単語も活用形も調べ済みならすぐ終わるだろう。
もしくはもっと単純に、文章として繋げることが苦手だというのか。
そうだとしたら、俺にできることなんてすごく少ない。
だって、その場合は自分で訓練して出来るようになるしか、道はない。
続く説明を待っていると、ポツリポツリと言い訳をし始めた。
「……単語を調べるじゃん。意味沢山あって、どれか判らないじゃん。
活用形調べるじゃん。ところどころ意味繋がらないじゃん」
「……」
「本文の流れから推測するしかなくて、訳し始めて。
でも、そもそも単語も活用形も調べきれてないから、判らない」
「……うん」
「どうにかして、これだって形になるまで。
…………すっごい時間かかるんだ」
…………これは。効率という言葉に真っ向から喧嘩売ってるな。
いや、でも大体単語の意味なんて、それっぽいものでいいんじゃないか。
活用形も、よほどのことがない限り、流れで訳しても問題ない。
雰囲気、雰囲気。そう言おうとして、やめた。
教えようとしている人間であるなら、感性に任せた発言はするべきではない。
――――ここは、発想を逆転させるんだ。所長もそう言っていた。
チェス盤をひっくり返すのでも、なんでもいいけれど。
雰囲気に頼らないのか、ではなく。なぜ雰囲気に頼るのか。
それは簡単な話である。作中の雰囲気で、持っていきたい方向性を探れるから。
オチを推測することができれば、どんな展開にするかは手中にある。
そこまで考えて、西岡くんの顔を見た。
俺を不安そうに見ているその表情は……雰囲気とか、掴めなさそうな感じ。
他に比較対象を知らないけれど、あまり器用な方ではないだろう。
つまり“なんとなく”に頼れないから、手間がかかるってことだと思う。
…………なんとなく、の代用品になるものは、俺は一つしか知らない。
「……少し待ってて」
「え、あっうん」
立ち上がり、縋るような視線を払って歩き出す。
目的は、反対側の壁側の本棚に敷き詰められている、ボロボロの本たち。
下手しなくても、俺よりも年齢を重ねていそうなソフトカバー。
その内の……ええと。少し迷ってから、目的のものを見つけた。
埃っぽそうだな、と一瞬躊躇して、まあいいかと手に取ると、すぐに戻る。
「はい」
さし渡すと、受け取った西岡くんは、戸惑い勝ちに俺と本を交互に見る。
見るように促すと、恐る恐る手を出しはじめた。
壊れ物を扱うようなその手つきは、どうやら古い本に触るのは初めてのようだ。
少し待っていると、不思議そうに、これは何と聞いてきた。
「――それ。今やってる文章の注釈書。
四鏡の全訳と、背景が載ってる。……当然、大鏡も」
「全、訳」
そう。そうである。
要するに、全体図が判らないから、ネジ一つも締められないわけで。
“なんとなく”“雰囲気”の代用品として、俺が選んだのは完成品。
全貌を推測することができないのなら、全貌があればいいだろう。
ただ、それだけのことである。
「訳としては上手く出来すぎてるから、大体の流れを掴むだけ。
単語の意味を確定、省略されてるのを埋めながら、直訳すればいいよ」
「えっ」
「……流れが判ってないから時間が掛かっていると推測した。
とりあえず、今日は俺の言うとおりにやってみて」
うんうん、と頷く西岡くん。
簡単に人を信用しすぎだろ、と思いながらも、楽は楽。
俺の予習のやり方で、そのまま使えそうなものを提案することにした。
この際、西岡くんの理解を待つ必要はないと判断。
何がダメだったのかは、俺を信用してもらってから伝えたい。
……だって、幾ら先生でも、駄目出しされたら俺はちょっと嫌だもん。
できる限り自分で気づいて欲しいと思う俺である。
「――まず。本文は教科書の拡大コピーでいいよ。
わざわざ書き写していたら、それだけでも時間がかかる」
「……え?」
「全訳を見てから、前から順番に逐語訳。
判らない単語は赤線を引いて、訳文も赤で書く」
「……お、おう?」
「省略されてる名詞は、全訳から穴埋め。書き込む。
助動詞の活用形は已然と連用だけ、色を変えて書き込む」
本文と訳文を対比させるのは当然であるけれど。
初見で判らなかった単語を、ちゃんと区別しておくこと。
代名詞は指定先を明らかにして、連体形の後の言葉も明確に。
活用形は、すぐさま判断するのが難しいものだけ別枠。
――どれも、これも。最初からテスト用ノートを作るための方針である。
「今すぐ、全部覚えろとは言ってない。
まずは、ノートに貼り付けられる大きさに拡大コピー」
「えっと……?」
「コンビニ。範囲は大鏡の範囲全部。
倍率は140%ぐらいで丁度いいはず」
はい、と渡したのは俺のノート。
当然、先ほど言ったのと大体同じやり方で予習してある。
こんな感じにする、と参考までに見せて、漸く理解が得られたらしい。
西岡くんは「コンビニ行ってくる!」と言って、鞄を手に走り出した。
……先にテスト受け取っておけば良かった、と暇になってから後悔した。