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「……なんで?」


とりあえず、口から出たのは疑問。

何を教えればいいのとか、何がわからないのとか。

そんなことはさておいて、とにかく理解できなかったのはその理由。

つまり、なんで俺にという一点である。


普通はそういうのって、友達に頼むのではないだろうか。

俺の数少ない人生経験だと、話した記憶もないクラスメートには頼まないと思う。

いや、俺が人と会話するのが苦手なだけなのかそうなのか。

改めて。目の前にいる彼に視線を向ける。


西岡くん。下の名前は“こうた”。漢字は知らない。

よく運動部の人と一緒にいるのを知っているが、部活は判らない。

短く切られた髪と、美形ではないがよく動く表情は、爽やかっぽい感じ。

つまり、爆発するべき。少なくとも俺みたいな陰気な人間とは種族が違う。

だからこそ、なんで俺にという疑問が出てくる。


「いや、嫌だったら諦めるんだけど……」


俺の言葉を、どうやら拒否だと受け取っているらしい。

頬をぽりぽりとかきながら、困ったような顔で俺の反応を待っている。

少し考えて、簡単なことならすぐに教えられるかもしれないと思った。

どうやって聞くかを迷って、一度強く目をつぶってから口を開いた。


「……判らない問題でもあるの?」

「問題っていうか……全部?」

「…………………………は?」


全部。全部?

言葉の意図が掴めなくて、思わず眉間に力がこもる。

どういうことかと説明を待っていると、なぜか視線をそらされた。

視線の先を追っても、そこには床があるだけ。

再度顔を見ようとした時に、西岡くんの背後にあるテーブルが意識に入る。


先ほど立ち上がるまで、勉強してたものだろうか。

そう思ってそれほど良くない目を凝らすと、古典の教科書とノート。

辞書も置いてあることから、多分予習をしていたのだろうと推測できた。

なら、次回の予習分が全部わからないと言ったところか。

それならば、ノートを貸すなりコピーぐらいならできるだろう。


「――――古典の予習?」

「えっ?あっ、うん。古典も」

「……も?」


彼が驚きながらも返した答えは、妙に嫌な予感をさせる言葉が続いていた。

“も”って。まるで他にもあるようではないか。

いやそれ以外にも、古典もというのも、すごく邪悪な気配がする。

その言い方はまるで。


「――うん。全教科」

「oh......」


聞き返す言葉に、予想通りの悪夢である。

言葉通り。文字通りの、全部、か。

思わず呻くような低音が口から漏れた。


「いや、ホント無理だったらいいんだ。無理なこと言ってるのはわかってるし」


うん、無理だ。荷が重いとかそういうレベルじゃない。

そもそも人に勉強を教えた経験なんて、俺にはないし。

簡単な答え合わせとかは、周りの席の人とやったこともあるけどその程度だ。

そんなに仲良くした覚えのない人に、頼まれることでもない。

引き受ける理由なんてない。断るのが最善だ。


ごめん。その一言を伝えようとして、西岡くんの顔を見た。

いつもは楽しそうに、騒がしくしている彼の顔は曇りきっていた。

これほど近くで注視したのは初めてだけど、滅多にしない表情であるのはすぐわかる。

本当に困ってるんだろうなというのが、一目で伝わって。……多分。心配、した。


「……は、話」

「――え?」

「なんで俺に頼んだのか、聞いてない」


――――そうだ。まだ、聞いてないことがある。

他の人でなくて、なんで俺に頼んでるのか。

知合い止まりで、教えられるような成績かも知らないのに、何故。

頼んだということは、見込みがあると思ったか、俺である必要の上でのダメ元か。

理由があるのなら、それを聞いてからでも断るのは遅くないはずだ。


「え、と」

「何もないなら、断る。何かあるなら、聞いてから……考える」


相手の事情を知ることで、断りにくくなるのは判った上で。

内心、自発的にチョロられにいってることを自覚した上で。

もしも、俺しか頼れないというのなら、人助けというのも悪くない。

――だって、人から頼られるなんて、凄く凄く久しぶりのことだから。


「――長くなるよ?」

「いい、聞く。――――だけど」

「だけど?」


時間は大丈夫、と頭を傾けながらの瞳。

それに答えた言葉に、条件があるのかと西岡くんは身構えた。


「外、行こう」

「……そだね」


視線を誘導するように、図書室を見回す。

入り口付近で立ち話をする俺たちに、チラチラと視線が集まっていた。

いくらイヤホンで自分の世界に閉じこもっていても、目立つものは目立つ。

納得と同時に気づいたらしく、西岡くんは少し顔を赤くして俯いた。






荷物を片付けた西岡くんと、本を借りた俺はとりあえず図書室を出た。

出てすぐに、行きあてがないことに気がついて、二人同時に足を止めた。

彼の事情だからと任せたら、既に閉じられた購買で、自販機のお茶を渡された。

コンクリートで囲まれた渡り廊下は、この時期でも風通りと日陰な御蔭で暑くない。

小さな段差に腰掛けた西岡くんは、荷物を床に放って空いた手で頬を掻いた。


「ええと。何から話せばいいのかな」

「……全教科教えてといった理由。それを俺に頼んだ理由。どちらでも」


全教科。言うに事欠いて、全教科である。

どれくらいの意図で言ったのかは判らないが、重い言葉だ。

全部少しずつ判らないのであれば、わざわざそんな言い方は多分しない。

恐らく、判らない場所の個数を数えるだけですまないのだろう。

そんなものをなんで一クラスメートの俺に頼んだのか。

正直、非常に不気味であると言わざるを得ない。


俺の言葉に判ったと頷いた当の本人は、悩んだ素振りを見せている。

強く目をつぶって、どう話したものかと考えているようだ。

別段、早く帰りたいという感情以外に邪魔する理由はなかったので待つ。

すると、一口お茶を飲んだ頃に決着が付いたらしく、俺に体ごと向けられた。


「――俺。俺、馬鹿なんです」

「はあ」


口に出して肯定こそしないけど、それは判ってる。

じゃなかったらもっと俺も状況が把握しやすかっただろう。

単純に段取りが悪そうな、要領が悪いのは明確だ。


「授業も予習が精一杯で、あんまりついて行けてないし。テストもひどくて」

「……」

「いつも赤点スレスレで。先生にも心配されてるけど、俺じゃどうしようもなくて」

「……誰かに、教えてもらわなきゃ、と?」


そうだ、と声に出さずに頭が振られる。

……なんというか。実にコメントに困る話である。

赤点というと、学校によって対象点が違うらしいが、この学校だと平均点の半分未満。

学校のテストは平均が大体60点前後になるように作られる、と聞いたことがある。

この学校でも例に漏れず、60から70の間が平均点になることが多い。


それで赤点にスレスレということは、根本的に問題があるのだろう。

授業を受けて、それなりに対策を取っていれば、平均なんてすぐに手が届く数字だ。

やる気の問題ではないのかと思って、すぐに違うなと頭を振った。


目の前の俯いた黒髪は、決してやる気がない人間ではないと思った。

少なくとも。少なくとも、自分の点数に真剣になれるぐらいには、真面目だ。

今日も図書室で勉強していたし、この一週間ではよく見かける姿だった。

なんとなくで授業を受けて、なんとなくでテストを受けている俺より真剣だ。

ならば、勉強の仕方に問題があるということなんだろうけれど。


「……普段勉強は?」

「してる、けど」

「時間は」

「日によってまちまちだけど、3時間は」


……決して短くない。短くはないだろう。俺の数倍じゃないか。

思わず、なんだそれという言葉と息を飲みこんだ。

いつからと聞くと「ずっと前から」などと返ってくる。

部活には所属していないらしく、余った時間は勉強しているとのことだ。

おいおい洒落にならねえと思ってると、続けて西岡くんは口を開いた。


「……でも、殆どが古典と英語の予習で」

「…………その…………他は……………………?」

「時間が……」


言葉途中で、西岡くんは頭を垂れた。

足りないというのか。それだけの時間勉強してなお時間が。

この人、本当に要領が悪いのかもしれない。

勉強を教えるというより、やり方を教えることになるんじゃないか。

――――逆に言うと、何を教えればいいのかはある意味明確で、俺にも出来るはず。


「だいたい、判った」

「……じゃあ…………?」

「続き、どうぞ。なんで、俺?」


顔を上げて、捨て犬のような目で俺を見る。俺は捨て犬なんて見たことないけど。

その期待の目を叩きおるように、続きを促す。

誰かに、勉強を教えてもらわなければならないのは良く判った。

ならば、その誰かに俺が選ばれたのは凄く不可解な話である。

人間関係的にも、成績的にも、納得のいかない人選だ。


「――なんでって?」

「……他の、友達には聞かなかったの?」


イマイチ伝わっていないのが泣ける。

リア充の君とは違って、空気キャラの俺には君から頼まれるのが判らないんだ。

そう素直に言えたら、ちょっと気が済むかなと悔し笑い。

不審に思われたら駄目だと思って、すぐやめた。


「……授業全部被ってる人は、みんな部活で」

「oh......」


それは、確かに聞きにくい。

普通科の高校二年生のご多分に漏れず、この学校でも理文選択がある。

問題はこの学校が一学年4クラスと小規模なことで、上手く分割できないのだ。

文系でも国公立志望や私立志望で、それぞれが授業を選択しなければならない。

代わりに文系でも物理や化学を受けられたりするのだが、当然裏目もある。


「……国公立文系、女の子、多いよね」

「女の子に頼むとか本当無理なんですごめんなさい俺はヘタレなんです」

「……そっか」


ちょっと親近感。俺は人付き合い自体苦手だけど。

俺は知らなかったけれど、この流れで西岡くんが俺と選択が同じであるのは判る。

当然敢えて直接確認するような地雷を踏むわけにもいかない。常識ぐらい判っている。

二つの意味を込めた質問にも、相応の答えが返ってきた。

そうなると、ラストに残ったのはもう一つだけ。


「……選択肢少なかったのは判った。改めて、なんで俺?」

「えと」

「なんで俺が教えることが出来ると思ったのか。成績次第では、教えられないよね」


これは単純な興味というか、確認である。

最近の学校らしく、テストの順位は個人に知らされるだけで張り出されたりはしない。

それぞれの実力はあくまでその人と周囲だけの知識で、みんなが知るわけではない。

俺は西岡くんの点数を知らないし、当然西岡くんも俺の点数を知らないはずだ。

……もしも、何らかの方法でみんなの順位を知れるのかな、なんて。

別に順位に際立って興味があるわけではないが、知らないのは嫌だ。

そう思った俺に、得心したらしい西岡くんは自らを指差しながら、笑って言った。


「俺、前期中間平均39点」

「……それは」


ひっく。と口に出して言わないだけの理性はなんとか保っていた。

それは、ほぼ間違いなく学年最下位とかそのレベルなのではなかろうか。

いや俺が知らないだけで、もっと低い人がいるのかも知れないが。

それにしたって、彼の時点で俺の半分以下である。これはちょっと。


「……よく、この学校受かったね」

「推薦でしたー!」


中学の頃はなんとかなってたんで、と笑う西岡くん。

この学校も、それなり止まりだがそれなりの進学校ではあるのだ。

……恐らく中学校の頃は、真面目さが上手く機能していたのだろう。

それが今では、ということか。……確かに、その成績であるのなら。


「平均点あれば、教えられるかな」

「そうです、そうなんです。吉野くんが勉強できるのは、授業で知ってたんで」

「……そっか」


具体的な順位はともかく、どの層かは授業でもそれなりに判る、か。

周りに関心を持っている、という前提が必要になるけれど。

あまり周りを見てない俺でも、誰が俺よりも出来る人なのかは判る。

先生が生徒の出来に合わせて質問するのは、教室管理の当然の技法だし。


「それに」

「……それに?」


納得していた俺に、続きの言葉がかけられる。

ゆっくりと思わせぶりな言葉は小さく区切られて、俺の反応を待っていた。

いつの間にか床を見ていた顔を上げて、言葉を繰り返す。

俺を見る西岡くんは、すごく照れくさそうにしていた。


「この一週間、俺毎日図書室にいてさ。吉野くんも毎日来てただろ」

「……うん」


確かに、毎日来ていた。日課となっていた。

西岡くんがいるのは、よく見かけるな程度にしか思っていなかったが。

相槌をして続きを促す。


「幾らなんでもこんなこと頼めないと思って、諦めてたんだけど……

 毎日沢山の本を真剣に読んでるの見てて、本好きなんだなって思ってた」

「……ああ、うん。まあ」


実際には、読んでるというより目を通してるだけなんだけど。

それをわざわざ訂正する必要もないだろうと、曖昧に肯定。


「邪魔するのは、それこそ悪いと思ってて。……でも今日、さっき目があっただろ?」

「……ごめん」

「いや、全く謝ることじゃないし。通りがけにわざわざ挨拶してくれたから……

 なんか、つい呼び止めちゃって」


――――つまり、勢い、みたいな。

――――YES。

なるほど、計画性のない犯行だったわけだ。

それなら確かに、あの要領の得なさも仕方がないと納得できる。


西岡くんの様子を見る限り、これで終わりのようだった。

要約すると、ボロボロの成績を、なんとかできるのは俺ぐらいというわけである。

断るのは簡単で、ダメ元であろうからNOと一言言えば済む話。

その場合も、折角頼ってきた人を無碍にする罪悪感を抱くだけで終わる。


だけど――――だけど。

西岡くんが可哀想だとか、どうせ暇なら時間を有効活用しようとか。

人にものを教えることに酔おうだとか、色々な言い訳は思い浮かぶんだけど。

俺がこの話に乗る気であるのは、もっと感情的なことだった。


――真剣と言われたことが。

――本好きと言われたことが。

……すごく嬉しかったから。


「――――目標は、次のテストで平均点。それでいい?」

「……え」

「平均点じゃ不満?」

「や、そうじゃなくて。……いいの?」


俺の提案に、ものすごく驚いた顔。

いいのかと聞かれたら、良くないに決まっている。

時間も手間も、想像するだけでうんざりだ。面倒くさいに決まっている。

……でも、それも悪くないかな、なんて。そう思えた。

一度強く目を閉じて。振り切るように目を開ける。


「君が頑張ること。毎日、授業後に図書室。それが条件」

「あ、ありがとう。マジで、真面目にありがとう!」

「俺には無理と思ったら、止める。君が真面目でなくても止める」

「大丈夫、俺頑張るから!」


思い浮かぶ限りの条件を、真面目な顔を作って淡々と告げる。

そうでもしなければ、顔が崩れてしまいそうだった。

だって、先ほどまでのどこか沈んでいた顔が、くるくると動いているのだ。

生き生きとし始めた表情は、見ている俺にも笑いを伝染させてくるようで。

まるで、はしゃぐ犬のようである。犬を飼ったことなんてないけれど。


「テストまで、一ヶ月弱。その間、頑張ろう」

「よろしくお願いします、吉野先生!」

「……その呼び方は、ちょっと」


本日、9月5日水曜日。

10月1日月曜日までの、短い師弟関係が始まった。






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