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「――その。少しいいかな」


西岡くんたちの視線を背中に感じながら。

俺は振り返った彼女たちの、怪訝な視線に晒された。

そりゃそうだ。今まで話しかけられたこともない人間に声を掛けられたのだ。

俺みたいな空気、名前どころか顔も覚えられてないかもしれない。

……実際、俺は彼女たちの名前は曖昧にしか覚えていないわけで。


だけど、ここで求められているのは“俺”じゃない。

今、俺が必要としているのは、家庭教師としての能力だ。

相手を思いやることを前提においても、基本に置くのは事務的なもの。

相手が理解できない部分を明らかにして、それを簡潔に説明する。

……そこに俺の人格は必ずしも必要とは限らない。というか、いらない。


「失礼だとは判ってますが、さっきから話が聞こえてて。

 ……なんで上手く問題が解けないのか、気付いたんだけど」


そう言って、その集団――4人の女の子の顔を順番に見る。

全員でひとつの机を囲んで、教え手に向き合う座り方。

その全ての視線が、訝しそうに俺を貫く。

どんなことを考えているのだろうか、俺には読み取れない。

……普段なら既に逃げ出している。本音なら今も逃げ出したい。


でも、俺はやると決めたからここにいる。

同情と自己満足から始めた行動を、貫き通すと決めたのだ。

ただこの集団に教えることだけじゃない。

今の俺にとって、今の行動を貫くことはもっと重い意味だった。

……だって。この一ヶ月は、同情と自己満足から始まったのだから。


「……もしよかったら。嫌じゃなかったら。

 俺に一度、説明をさせてもらえませんか」


今まで、言葉を交わしたこともないような人たち。

俺に向けられたのは値踏みの視線。その後に、互いに目を合わす。

それでも、瞳に乗せられた言葉は俺にでも読み取れる。

“どうする?”“なんで?”と、決断と疑問を問いかける視線。

それをお互いに向け合って、言外に多数決。

……結局、中央に座っていた女の子が、俺に向かって小さく頷いた。


「――それじゃあ。始めるね」


それを受けて、俺は2歩踏み出して机に近づいた。

ずずっと椅子が引かれて、俺が入る隙間が生み出される。

近づかれたくなかっただけかも知れないが、俺にとってもありがたい。

よく知らない人に近づきたいとは、俺も思わないから。

……それは、女の子に限らない話で。


――切り替える。今の俺は家庭教師だ。

この一ヶ月で、何度も何度も、俺は問題の解説をしてきた。

全くわからない西岡くんに、理屈を一からの説明を繰り返した。

最低限の感覚はある森くんたちで、教え方に工夫を積み上げてきた。

俺自身に対しても、何度も何度も問題演習を通して学んできたのだ。


相手が誰であろうと、やること自体は変わらない。

会話を盗み聞きしていたことで、何が判らないのかも理解している。

そして、この一瞬にかけている俺の思いも、決してそれまでと劣らない。

ならば何を失敗することがある。出来て当然を正しく為すまでだ。

……これまでで、一番洗練されている解説を俺はした。


公式の意味を説明、それによって求められるものの意味を説明。

問題の意図を説明、解答に至るまでの道を明確化。

問題分から読み取れる条件の把握。解答に必要な情報の把握。

ほら、この問題は初期条件が違っているだけだ。さっきの問題と同じこと。

何が足りていないのか、何をどうやって求めればいいのか。

――――そんなのは、これまでに何度も説明してきたことだった。


繰り返し、同じことを説明してきた。

違う理解度の人に、何度も何度も説明してきた。

それぞれで判らないところは違った。

同じ問題で、躓いた場所が違うということだってあった。


――それだけの経験は、俺を決して裏切ることはなかった。

説明の判りやすさも、理論の応用性も、何より説明自体のスピードも。

インプットとアウトプットを繰り返してきたのだ。

いくら俺が口下手でもそれなりに慣れて、口篭ることもない。

……盛りだくさんの説明も、10分と掛からなかった。


「――こんな感じ。後は全部、これの応用。

 理屈をきっちり押さえてないと、ちょっと難しい範囲だよね」

「…………」


何で判らなかったのかも、最後に改めて伝え直して、終わった。

短くない時間を喋り通して、少し喉が痛かった。

というか、それ以前から熱かった頭がおかしいぐらいの熱量である。

所謂知恵熱という奴であろうか、頭を酷使すると時々なるのだが。


熱い頬と頭にクラクラしながら、4人の顔を見回す。

フンフン、と話を聞いていたのは教わっていた3人で。

もう一人、教えていた女の子は、真剣な顔をして言葉を噛み締めていた。

理解を確かめながら説明を進めたつもりだが、大丈夫だったろうか。

心配になって順番に顔色を確認していくが、4人とも大体同じ。


すごく真剣な顔をしたまま、無言。

無反応ではない。チラチラとお互いの顔を確かめ合っている。

アイコンタクトだろう、時折頷き合っているが、その意図までは読めない。

……少し不安になっていると、教え手がごそごそと膝に手をやっている。

もぞもぞとしてから机の上に取り出したのは、携帯。スマホ。

メールでも来たのかと思った俺に、向き直した彼女は、言った。


「――ごめん、もう一回説明お願い。録音させてください。

 今のが一度切りなのは、流石に勿体無い」

「……………………はぁ?」


思わず聞きなおす。つい、感じの悪い聞き返し方になった。

しかし、どうも彼女の顔は本気である。目がマジである。

いやだけど録音って。形に残すのはちょっとどうかと思うのだが。

……まあ別に、脳内妄想垂れ流しの録音とかではないし。

その場合は流石に形に残すのは……っていうか口に出したくはない。


……俺を見つめる視線は、お願いという形こそとってはいるが。

どちらかというと、普通に逃げ場のない感じ。有無を言わせぬ圧迫感。

なんだこいつ、と頭の中で考えて。……あることに気がついた。

年齢こそ違えど母親と同種族。その瞬間に、薄かった逆らう意思が無くなった。

諦めた俺は、頷いて了承を示した。






録音されながらの再度の説明を終え。

「ありがとう」の四重奏に送られて、元の席に戻った。

幸いながら、勢いでの行動もちゃんと上手くいったらしい。

……時間もらっといて、成果を出せなかったら最悪だし。


――何よりもよかったのは、ウザがられも、キモがられもしなかったこと。

内心がどうかは知れないが、少なくとも表面上にそれは現れなかった。

急に話しかけられて割り込まれた不快感よりも、俺のしたことは上回った。

それだけでも。間違ってなかったと思えて、嬉しかった。


いつの間にか引いた熱。残ったのは、多少の疲れ。

体力を熱量に変えて単純に放出しきったような、そんな感じ。

そんな体を引き下げて、静かに戻った俺を迎えたのはなんとも言えない視線。

……驚き、というか。触れにくい何かに触れようとするとき。

躊躇いを主成分に、色々なものを混ぜた感情が、俺に向けられていた。

いうまでもなく、森くんたちである。


「――なに?」

「…………よっしーマジイケメン」

「…………はぁ?」


怪訝に思って向けた言葉に、一番最初に反応したのは森くんだった。

呆然とした顔で、さらりと言われた言葉に俺は思考が止まった。

先ほどとは違って、半分意図的に、感じ悪く聞き返す。

何言ってんだこいつ。そんな視線を向けても、森くんは怯まない。

向けられたことのない感情を向けられて、俺は助けを求めた。


「――イケメンぱねぇ」

「なんかキラキラしてる。目が潰れそう」


……けれど。その相手が不味かったらしい。

鈴木くんも、奥山くんも。乗ったのは森くんの方だった。

からかっているような声音ではないが、いかんともしがたい。

というか、疲れているのに、面倒くさい人たちの相手をしたくない。

悪い人じゃないけど、絡み方が時々面倒くさい。


そう思って、3人の言葉を聞き流す。

そして、長い間距離を感じている西岡くんに、話しかけようとした。

……俺との間に一線を引いた君となら、まだ話になるかと思って。

だけど西岡くんは、森くんたち以上に、なんとも言えない表情だった。


驚きと、躊躇い。それだけだったら3人と同じ。

けれど、西岡くんの顔は。……言葉にならないような、そんな感じ。

言いたいことがきっとあるのだと思う。だけど、言葉が出てこない。

それは多分、俺に対して言えないことなんじゃないかなって。

……結局、逸らされた視線は手元の教科書に向かってしまった。

お疲れ様も、頑張ったねも、それ以外の何かも何もなく。


埋まらなかった心のどこか。満たされなかった感情。

穴がぽっかり空いたように、先ほどまでの自己満足が消えていく。

周りで騒ぐ鈴木くんや奥山くんの言葉も、耳から耳に抜けていく。

――いや聞こえてるけど。とりあえず黙っていて欲しい。

俺に似合う言葉は陰気か辛気臭いだけだ。それ以外は似合わない。


熱が抜けただけでなく、他の物まで無くなってしまった。

残ったのは胃のあたりに残ったモヤモヤ感。とてもじゃないが堪らない。

――それから少しして。また勉強会を始めた。

それまでと何も変わらない。やり方も、教えることも。相手も同じ。

何も変わらないと言うのに。同じことを繰り返してだけなのに、それでも。

…………西岡くんとの間に、今まで以上の距離を感じた気がした。






木曜日27日。金曜日28日。

来週月曜日から始まる定期テストまで、あとわずか。

流石の俺も、この土日まで西岡くんに教えに行くことは出来ない。

……いや、してもいいし母さんも特に文句は言わないだろうけど。

それでも西岡くん当人から、ものすごく遠慮されては仕方がなかった。

いっそ拒絶とも言えるぐらいで、なんだか心が傷んだ。


残された2日間も、それこそ今までと同じだ。

西岡くん。森くん。鈴木くん。奥山くん。

彼らの質問に答えながら、自分の勉強をちょろっとするぐらい。

……敢えて変わったと言えば、そこに女の子が入ったぐらいだ。

水曜日に、俺が割り込みに行ったあの人たちである。


とは言っても、大したことがあったわけでもない。

短い間なのに“いつも通り”となってしまった勉強会の途中。

ブラウスとプリーツスカートの1セットがしずしずと近づいてきた。

明らかに俺か、あるいは俺たちに用事がありそうなその素振り。

誰かの知り合いだろうかと口出しをしない俺に、その子は話しかけてきた。


「――吉野くん。教えて欲しい場所があるんだけど、いいかな」


そうして漸く、その子が俺に用事があったんだと気がついた。

驚きながらその子の顔を見てみると、どこかで見たことのある感じ。

欠片も言葉を選ばずに言えば、取り立ててぱっとしない十把一絡げ系女子。

それなのに、クラスメートであることを除いたとしても、見覚えがある。

……まあ、そうなれば昨日の女子の一人だと判るのもあっという間で。


あの4人組の中の、教えていた女の子。

名前は、なんだっけかな。多分神田さんとかその辺だったような。

体育なりでよく関わる男子に比べて、女子は本当に名前を覚えられない。

中学の時のように、名札でも付けていてくれたらいいのに。


どうせ昨日一度教えた人だ。相手から来たのだから、緊張することもない。

既に西岡くんと森くんたちの4人を教えていたのも大きかった。

後一人、例え女の子が増えたところでなんら変わることもない。気がする。

……意識しないこともないが。意識して意味あることでもない。

そんなことを思いながら、俺は了承のつもりで頷いた。


「――――おっしゃあ!よろしく!

 おいこら吉野様の了解でたぞコラァ!」

「…………は?」


――すると。なんだかとっても男前な感じの、何か。

大人しそうな文化部系女子が、目の前で急に別の何かに変わった。

見た目はそのままなのに、声が妙に荒々しくなって、口調もアレな感じ。

彼女……彼女?は振り向いて、見たことのある集団に手招きをする。


そのまま近づいてきた3人組を足して、昨日の4人組。

それぞれで「よろしく~」だの「ごめんね?」だの「助かるよぉ」だの。

……誰も全員なんて聞いてないんですけど。言ってないよね。

当然のように、森くんたちの周りの席を引っ張って座る。

その勢いとか、色んなものに押された俺以外の4人と違って、俺は冷静だった。

――――冷静というか。なんか母さんのノリと被るものがあったから。


すごくデジャビュ。ものすごく慣れた感じのノリ。

「あ、これ真面目に対応すると疲れる系の人たちだ」って感じのアレ。

裏表、というか。いつもはネコ科の着ぐるみを着てる人達なんだなと。

……今更拒否しても、多分遅かった。気づくのが遅すぎたんだ。


――そんな感じで、増えた。普通に増えた。

けれどどちらかというと親しみのあるノリで、対応も楽。

西岡くんや森くんたちが、妙に反応をしているのが笑えた。

いや、笑いこそはしないけれど、なんというか、取り繕っている。

そんな言葉遣いだっけと思う振る舞いに変わって、遠い目をしたくなった。


最初こそアレだったが、神田さんたちはそれなりに礼儀正しい。

クラスメートに礼儀正しいという言葉も変だが、距離の取り方が上手い。

諦観の念でいっぱいの俺が、メリハリのある言動で対応される。

……ところどころ、擬音らしきものを口で言ってたり。反応が大きかったり。

…………心の底から遠い目をしたくなったが、なんとか耐えた。


森くんたちも、あっという間に慣れた。というか、諦めた。

大人しそうなはずの女の子が、さらりと下ネタをいったりするのだ。

爽やか増量中の彼らの瞳が、時間ごとに輝きを失っていった。

……うん。俺よりも何かに期待していた分、失うものは大きいよね。

俺はホンの少し。いや、結構な割合で彼らに同情した。


いつの間にか、広がった輪。

気づけば、俺を含めて9人。クラスの4分の1弱。

こんな人数が一箇所に詰めると、流石に苦しい。

質問を多くする人だけ俺の近くに。それ以外は少し離れて。

そんな感じで、残る2日は過ぎていった。

……西岡くんは、俺から少し離れた場所。会話はなかった。






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