16
次の日、9月24日月曜日。テストまでの最終週開始。
校内も流石に焦燥感で溢れ出す。電車の中で参考書を読む人も増えた。
授業でもテスト前の自習や、質問用の時間に変わるものもあって進まない。
そう言う時には、真っ先に西岡くんは俺のところへ来るようになってきた。
……先週の数学のこともあって、どうやらクラスに周知されたようである。
普段は一切気にも留めようとしないのに、時々視線がこちらを向く。
それは、西岡くんの友達であったり、はたまた特に関係が思いつかない人。
決して人馴れはしていないので、その視線の意図もわからず居心地が悪い。
その視線に気付いているのかどうか、西岡くんが調子を変える様子はなかった。
「…………」
「――何かあった?」
「……いや、何も」
そんな会話を時々繰り返しながら、時間は過ぎた。
途中、内心既に2週間を掛けてきたテスト勉強の範囲にも飽きてきて。
失礼だなとは思いながらも、周りに耳を傾けてみた。
よく聞こえるのは数学を教える声で。折角だからと俺も聞いてみる。
……もう機会はないかもしれないが、何かの参考になればいい。
だけど、どうも参考にはなりそうに無かった。
教える側から「うーん」という言葉が繰り返されて、進んでいない。
話が伝わっていないわけではない。俺よりもずっとうまい話し方。
言っちゃなんだが、最初の頃の西岡くんよりも聞く側は賢いだろう。
それでも上手くいっていないのは、傍で聞いている俺には理由が判った。
……なんで判っていないのかを、どちらも判っていない。
似たような問題でその度に躓いている。その度に教えている。
けれども教えているのは“その問題の解法”であって、それ以上ではない。
“なんでそうなるのか”という段階から教えなければ、伝えられないこと。
そこで躓いているのが判って、口出しをしたくなった。
――けれど。ちらりと向けた視線の先は、女の子たち。
当然話したことなんて……あったかもしれないけど、覚えてない。
あったとしても、事務的なことだけだろう。話しかけになどいけない。
結局俺は動かなかった。彼女たちは同じやりとりを続けていた。
……後悔するのは判っていても、それでも体は動かなかった。
授業後、すぐに教室を出て図書室に向かう。
掃除をする人や、そのまま帰る人。いつもと違って部活をする人はいない。
教官室に近い図書室に、近づくにつれて人が多くなってきた。
焦燥感に飲まれるように、廊下を早足。……だけど。
図書室における、俺と西岡くんの定位置は既に埋まっていた。
1年生だと思われる集団が、そこでテスト勉強をしている。
……いつもなら西岡くんがそこで待っているというのに。
少しぼんやりして、図書室の入り口付近で立ち竦んでいると、肩が叩かれた。
「――ごめん。掃除があって」
「…………当番だったんだ」
聞きなれた声に振り向くと、申し訳なさそうな西岡くんの顔。
先に西岡くんが来ているのが、毎回のことだったから。
当番があることどころか、先に他の人が座ることなんて意識もしていなかった。
……とはいえ。西岡くんが来たなら構わないだろう。
そう思って座る場所を探してみるが、ない。どこも埋まってしまっている。
「……これは」
「座る場所、なさそうだな」
どうしようかと西岡くんを見るが、同じように困っている。
……どう考えても、俺が急いで席を取りに来るべきだったような。
謝るべきか悩んでいると、気づけば西岡くんは俺を見ていた。
取り敢えず教室に戻ろうと促され、その後をついて図書室を出る。
謝る機会を逃し、ひたすら西岡くんの後をついて行った。
いつもの場所でないということにも、少し動揺していたけれど。
教室で勉強をするとしたら、周りに人が多そうで、それが気になった。
西岡くんには慣れたけれど、やっぱり俺が内気で陰気なのは変わっていない。
俺のせいで西岡くんまで変に見られていたら、凄く嫌だなと思う。
「――あれ、浩太だ」
「図書室空いてなかったんだよ」
教室には、疎らに人が残っていた。
入ってきた俺と西岡くんに、一瞬その視線が向けられる。
そのうちの殆どは次の瞬間には離れて、残ったのは数人分。
片隅に集まっていた、西岡くんの友達である。
そのまま話しかけに行く西岡くんに、ついて行っていいものか迷って。
正直、あまり得意ではない人たちというか。少し気後れをしてしまう。
運動部をしているらしく、大柄な体と大きな声と。
そして何よりも、いつも集団で騒いでいるのが少し怖い。
同い年で、クラスメートであると判っていても、近寄ったことはなかった。
「んで、吉野くんと戻ってきたのか」
「そう。教室で勉強しようかと思って」
少し離れたところで立ち止まる俺に、視線が向けられる。
何の反応もしないのもおかしいかなと思って、軽く頭を下げて会釈だけ。
つられるように、西岡くん以外の3人の頭も下げられる。
……これだけで、ちょっと苦手意識が薄まる俺。ちょろい。
「お前らは……勉強か」
西岡くんは、3人が囲んでいた机を見ながらそう言った。
その視線を追うと、数学の教科書と問題集が開かれている。
……確か。文系国公立の人たちだったはずだ。授業が被っていた。
部活があって、西岡くんに教えることが出来なかった人たち。
俺の中では、苗字とそれぐらいの印象しかなかった。
「――おう。お前ほどじゃないが、俺たちも馬鹿だからな」
「…………まあ、俺が馬鹿なのは認めるけどさ」
それに関しては、ちょっと俺もコメントを差し控えたい。
肯定するわけにも、だからといって否定するのもなんだかあれである。
馬鹿ではないと思う。思うが、要領は悪い。一般的にはそれも馬鹿の内だ。
コメントにも、そして所在にも困り、西岡くんの背中を見る。
二三言、そのまま会話を続けてから、西岡くんは俺の視線に気づいてくれた。
「……それじゃ、俺も勉強するから」
「吉野くんに手間かけさせんじゃねーぞ」
「うっせーっつーの」
そんな軽口を叩き合う西岡くんと一緒に、俺は近くの椅子に座った。
3人の会話が聞こえる距離なのが少し気になったが、離れるのも変である。
出来るだけ気にしないようにと心に決めながら、いつもどおりを装った。
――とはいえ。大体俺も教えることなんて、終わっている。
昨日の後半からと同じように、何を勉強すればいいのかを管理するぐらい。
本当だったら西岡くん自身でやるべきだろうけど、今は仕方ない。
テストが終われば、点数という結果で自信をつけることもできるだろう。
それまでの間は、俺が見ていてあげるのも最初の約束のうちだ。
そんな感じで西岡くんが勉強し始めるのを見届けて、俺も勉強する。
教えるために問題集を複数回やり直した数学は、これ以上の必要性を感じない。
現国も古典も英語も、指示をするために前もって勉強をしていた。
日本史、現社、生物も、後は少し目を通せば大丈夫な程度。
……まあ折角であるし、程々ではなく高得点を目指すのもいいかもしれない。
そう思って、高校受験以来に自分のための勉強を始めた。
――――のは、いいのだが。
自分の勉強をしながらも、周りへの注意は忘れない。
優先すべきは西岡くんの勉強だから、困っているなら手を差し出す。
そのために時折視線をやっていたのだが、問題は西岡くんではなかった。
すぐ近くに座る3人の騒がしさが、どうしても気が散って仕方がない。
うるさいだけなら、別に集中には困らないのだけれど。
その内容が「わかんねぇ」だの、「どうなってんだこれ」だの。
その挙句に、俺たちじゃ無理などと言って問題を投げ出している。
騒がしいとかそういう問題ではなくて、ただひたすらに気が散った。
……慣れているのか、西岡くんは平気そうに勉強していたが。
西岡くんが平気そうであるなら、俺から何かをいうこともあるまい。
これで気にしていたら、勉強場所を変えるなりはするけど。
そうでもないのなら、わざわざ口出しをすることもないだろうと思った。
……チョロられても、やっぱり苦手なのは変わらないから。
「…………でもよ」
「……だし…………じゃね」
あまり、耳を傾けているのも失礼な話だろう。
西岡君にも問題がなさそうであるのなら、俺は俺で集中しよう。
そう思った俺の耳には、彼らの会話も小さくしか聞こえない。
――聞こえないはずであるのに。
何故か、代わりに見られているような感覚にとりつかれた。
その視線を確認するべく振り向くと、すぐに顔を背けられる。
……3人が見ているのは、どうやら俺のようだった。
意味のわからない視線を向けられる、居心地の悪さと不気味さ。
この場から、逃げ出したいなと少しだけ思った。




