13
次の日。23日日曜日。前期末テストまであと一週間。
残された時間を有効活用しなければならないのに、今日は雨だった。
「――雨、か」
それほど強いわけではないが、小雨とは言い難い。
この程度なら、いつもは傘だけで自転車にも乗ってしまうぐらい。
だというのに俺が憂鬱になっていたのは、昨日のことがあったから。
……昨日のことが、どうしても忘れられなかったから。
ネット小説が知られてしまったことは、仕方がない。
明らかに自分の不注意のせいであり、西岡くんを責める余地はない。
それどころか、俺の小説を面白いと言ってくれ、思い上がりを正してくれた。
生の感想を、友達だと勝手に思っている人から貰えたことは、嬉しい。
主人公が自分であると気がつかれたことにも、それほど問題はない。
これで他の人に言いふらしてしまうような人であれば困るけれど。
そう言う人ではないし、しないとも約束してくれた。俺はそれを信じたい。
……あれほど真剣な顔をしていたのだ。俺は西岡くんを信じたかった。
「……続きを書けない」
問題はもっと違うところ。俺自身にあった。
家に帰って、色々なことを済ませた俺は、小説の続きを書こうとした。
けれど、パソコンの前に座ってみると、頭の中がノイズで埋まる。
いつもなら素直に出てくる言葉が、出てこない。
理由は判っていた。というか、他になかった。
いつものように、画面の向こう側の、誰かが見ているだけじゃない。
これからは、知らない誰かじゃなくて、知っている誰かもこれを見る。
そう思うと、手が止まった。進まなくなってしまった。
別に展開が思い浮かばないわけではない。
プロットというほど明確ではないけれど、どうするかは考えている。
終演までたどり着いた物語、エンディングまではすぐそこだった。
勿論、表現に困っているわけではない。
元々美文に拘る質ではないし、素直な言葉がいいという感想もある。
見たことを、思ったことを真面目に書けばいい。
それなのに手が止まる。続きを書けない。
続きを楽しみにしている人がいることへの、プレッシャーもある。
最後までワクワクさせたいという願いと、それへの責任感もある。
……モデルとなっているキャラが、登場しているということもある。
だけどそれ以上に思ったのが、これで納得させられるか、ということ。
「――帰る理由。帰らない理由」
たどり着く結末が、それまで読んでくれていた人を納得させられるものか。
竜頭蛇尾にならないか。最後に白けさすことはないだろうか。
主人公は色々な人にあって、真剣であることと努力することを学んだ。
辛い思いもして、それでも逃げないことを決めて、ここまで進んできた。
――だから、何もないと思っている元の世界に戻る。戻って、生きていく。
……欲しかったものは、全て手を伸ばせば届くところにある。
だから、負けない。だから、努力をするんだ。
だから、真剣になるんだと決めて。
積み重ねてきた伏線もエピソードも、そこに行き着くためのもの。
“帰らない”終わり方も考えては見たけれど、やはり納得が行かなかった。
これじゃないと思ったものを書く事は、俺には難しそうだ。
既に選択肢は選び終えていて、後は最後まで完走するだけ。
それなのにできない。これで読者が納得するか判らない。
……違う。西岡くんが。誰よりも真剣な西岡くんに認められるか、判らない。
今の俺には、続きが書けそうにはなかった。
時計の針が10時を回った頃にも、雨は止まない。
天気予報では一日中の雨。携帯電話を見ると、メールが一件。
西岡くんからだ。少しだけ躊躇ってから、携帯を開いた。
From.西岡浩太
Title.今日の予定
おはよう! 雨降ってるけど、大丈夫??
大変だったら、無理はしないでね。どうするか連絡ください。
……無理ではない。この程度なら普通に行ける。
だけど、行きたいかと言われると、今日の俺はそうでもないかもしれない。
行きたくないわけではないが、少しだけ気が進まないのだ。
行かなくてもいいという理由があるのならと、逃げ場所を探してしまう。
それがなくても、雨の中自転車で20分は、それなりに嫌だ。
もう対策の仕方は教え終わっているから、後は殆ど西岡くんの努力次第。
今日行こうとしているのも、数学を万全にするためというだけ。
一度は演習をしたので、本当はもうやらなくてもいいと言える。
それこそ、残りは自分でやってもらって、判らない場所だけを教えればいいのだ。
今日行く必要なんて、どこにもない。
「――――」
だからといって、本当に行かないのか。
判らない。なぜ自分がこんなに悩んでいるのかが判らない。
嫌なら行かない。行けるなら行く。それでいいはずなのに。
自分の心が自分でも判らない。だから、小説もかけないのかもしれない。
なんだか悔しくて、唇を噛み締めていると、足音が聞こえた。
「――HeyBoy。今日もお昼は早めでいいの?」
「……雨が降ってるから、こなくてもいいよって」
自分から、ではない。西岡くんに言われたのだと言外に。
閉じずに開けたままの扉を覗き込んだ母さんに、詳細を隠して答える。
いや、答えてはない。どうしようか悩んでいると伝えただけだ。
外は雨が降り続く。それはきっと夕方までずっと変わらない。
母さんなら、どう答えるだろうかと。止めてくれることを期待して。
母さんは、そのまま部屋の中に入ってきた。
いつもどおりのエプロン姿は、何も変化が見られない。
白いフリル付きエプロンも、年齢にあわせて変えたほうがいい位である。
入り口で立ち止まり、机から視線だけを向けている俺に、不敵に笑う。
「……行くなら駅まで車出すよ」
「……」
エプロンのポケットから車の鍵を出して、くるくる回す。
即答できなかったのは、唐突だからではなかった。
母さんが車を出してくれることなんて、珍しいことでもない。
だから、提案自体には驚くことはなかった。ただ、悩んだ。
行かない理由は、無くなってしまった。
雨が降っていても、困るのは自転車に乗ることだけ。
数学の演習も、最低限は済ませただけ。やれるなら、やったほうがいい。
それでも、行くと言えずに口ごもる俺に、母さんは笑った。
「行きたくないの?」
「……そうじゃないけど」
「けど?」
聞き返す母さんに、俺はなんと答えればいいのか判らなかった。
なぜ、俺が行きたくないのか。自分でも判らない。
家に居たところでやることなんてない。精々がテスト勉強。
そのテスト勉強も、西岡くんのための勉強のせいでもうすることもない。
直前に見直すだけでも、いつもよりも余程いい点数が取れるだろう。
じゃあ、どうして。……こんなにも、顔を合わせたくないのだ。
――――考えるまでもない、ただ会いたくないだけである。
会いたくないというと、言葉が正しくない。顔を合わせたくないだけ。
言葉がしっくりと腑に落ちる。ああそうか、と自分の感情を理解する。
……向き合えない、と思ったから。
今の俺では、西岡くんに向き合うことができないと感じたから。
恥ずかしいとか照れくさいとか、そういう感情はもちろんあるけれど。
それだけでなく、今日もまた真剣であるだろう西岡くんに、向き合えない。
自分の中での“真剣であること”が、間違っているかもしれない。
薄っぺらな俺の真剣が、西岡くんに否定されるかもしれない。
ただそれだけで、続きを書けなかったのである。
自分がちっぽけで、臆病であることを、認めたくないから。
自分に向き合えない今の俺には、真剣な西岡くんに向き合えるとは思えなかった。
「……ちょっと顔を合わせづらくて」
「お友達と喧嘩でもしたの?」
「してないよ。俺の勝手な事情で、悩んでるだけ」
そうだ。俺の勝手な、個人的な感情で悩んでいるだけだ。
馬鹿馬鹿しいぐらいの、今更すぎることに気がついただけなのだ。
……内心的にはすっきりしても、何も解決はしていないけど。
結局、行くか行かないかはまだ決まっていない。
どうしよう、と視線で母さんに問いかけ、言葉を待つことにした。
「……うーん。事情は聞かないと判らないけどね?」
「…………」
「いうつもりは、ないか。それはそれで構わないけど。
悩んでなんとかなるならともかく、そうでないなら面倒なだけだよ」
「……だとすれば?」
説明する気はない、とばかりに黙る俺にも、母さんは怒らない。
呆れることもなく、ただ当然のことのように、面倒だという。
……なんとかなることなら既に答えは出ている。これは母さんの言う面倒なことだ。
だから。それなら、どうすればいいのと続きを待ってみる。
すると母さんは「行く行かないの二択なら」と、前置きをしてから。
「――行かなかった場合、ずっとうだうだするよね。
行った方が、同じ悩むにしても建設的に悩めるんじゃないかな」
「……悩むことには変わらないと」
「うん。いいじゃない。色んなことを悩むのも、青春ってやつよ」
そういった母さんは、俺の返事も待たずに部屋を出て行った。
……くそ、忌々しい。俺の答えなんか判りきっているとでも言うのか。
悔しい思いをしながら、俺は握ったままの携帯で、メールをした。
西岡くんに送ったのは、要約すると「行く」というメール。
――ああ言われては、他の選択肢を取りようもない。
恐らく既に昼食を作り始めているだろう母さんに、行くと伝えに部屋を出た。




