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数学のプリントは、その日の内に解き終わった。
難易度的に妥当なものを、まるでテストのように点数配分。
コピーして、並べ替えて、そして更にそれをコピーする。
やっている途中で段々と楽しくなってきて、思わずやりすぎた。
数IIがテスト3回分。数Bも3回分。合わせて6枚分が出来上がる。
実際にやってもらうのは、来週の頭ぐらいだろうか。
それまでに教えたことを忘れていなければいいのだが、きっと杞憂だ。
次の日からは、宣言していた通り2教科ずつ。
何を教えるかは大体授業中に纏めて、準備と対策。
ここまで来ると、俺も流石にものを教えるのにそれなりに慣れてくる。
少なくとも、相手が西岡くんである限りは緊張することもない。
余裕過ぎて、テスト期間なのに小説の続きを書く時間なんてものもある。
……こんなことをしていても、まだ普段のテストより勉強している。
どれだけ俺が適当に生きてきたのか、自分でも測り知れなくなってきた。
もしもこれで西岡くんに点数を抜かされたら、俺はどうなるんだろうか。
多分、どうにもならないなと思って考えるのをやめた。
――――ついに主人公は、夜の領域の最深部に着いた。
それまで辛かった旅は、振り返れば案外悪い思い出ではない。
隣りを歩く旅の仲間とも、これで共に行く理由がなくなる。
……寂しい。淋しい。だけど、夜は閉じ込めなければならない。
それが“僕”にかけられた真剣な期待に答える、たった一つの方法だから。
この宝石を塔の上に置けば、元の世界に帰ることが出来るようになる。
……だけど。“僕”の中に、小さなざわつく声が聞こえるのだ。
帰らなくてもいいよ。ずっとこの世界にいなよ。優しくて、甘い声。
ここには友達がいる。ここには“僕”を望んでくれる人がいる。
あっちには何がある。あっちにはお前の居場所なんかどこにもない。
そんな感じで途中まで書いて、力尽きた。
あと少し、主人公が帰ると決めればエンディング。
けれど書いている間に、同行人の存在が予定以上に大きくなってしまった。
まあこれだけモデルの人と長くいれば仕方がないのかもしれない。
……恥ずかしながら、自己投影もかなりしてしまっているし。
いっそ帰らないという選択肢も考えとかなければいけないな、なんて。
そんなことを考えながら、投稿予定分を少しずつ修正。
週2回更新の現状だと、テスト中か直後に終わるのが、現実味を増して来た。
……いや、テスト中も更新するという前提なら、だけれど。
「――明日って……」
「……前と同じで、午後一時でいいなら」
「――――ッ!お願いします!」
水曜日に、古典と現社。木曜日に英語と生物。
今日金曜日は、現国と日本史をおさらいした。
流石に理屈の説明が終わっていて、どう勉強するかの説明に失敗はしない。
淀みなくなどという言葉には縁がないけれど、自己評価ではそこそこだ。
このまま、来週に数学を回してとことんまで追求してもいい。
けれど、折角西岡くんがやる気を出しているのなら、無駄にはしたくない。
帰り際に躊躇いながら明日はどうするかと聞いてきたので、今度は俺から。
もしも聞いてこなかったら、俺から言い出そうとは思っていたけど。
どちらにしても、自然に言えるように言葉を準備してるあたりちょっと駄目だ。
「――あ。明日会うなら、お願いなんだけど」
「なに?」
「今日一日でいいから、古典のノート貸してもらえないかな。
間違ってるところがないか、確認したいんだ」
「……字、汚いけど」
人に見せるためのものでもないから、雑にしか書いてない。
ノートを定期的に集めてチェックする先生ならともかく、今の先生は違うからだ。
鞄から取り出して、チラリとパラ読み。
筆圧の高い、若干丸い文字が並んでいる。少し躊躇して、そのまま差し出した。
受け取ったノートを同じように開いて、西岡くんは見始めた。
「いや、これで汚い字とかないよ」
「……なら、どうぞ」
「うん、借りる。ありがとう」
「うん」
ノートの貸し借りとか、なんだかすごく新鮮である。
高校は勿論、中学でも勉強は自分だけで完結していたので、そんな経験はない。
内心、すこしだけ高揚しながら何気ない振りを装う。
……きっと。こんなのは、西岡くんにとっては日常のことだから。
俺には憧れの“普通”でも、それで喜んでたら不思議に思われても仕方ない。
なんというか、小さな小さな俺の見栄である。
次の日、22日土曜日。
流石の母さんも、俺がいない休日に慣れたようである。
「私寂しいなぁ!兎さんみたいに死んじゃうなぁ!」と騒いではいるが。
……残念ながらその目は既にテレビを見ていて、真剣さは感じられなかった。
テレビを流し見しながら作られた昼食をさっさと食べて、家を出た。
天気予報は晴れとなっていたが、薄く雲がかっている。
自転車。電車。そして徒歩。一時間をかけて、西岡くんの家につく。
もう家の場所は判っているのだが、西岡くんは何故か毎回迎えに来る。
なんというか……なに、この。なんなんだろう。嫌でこそないが。
俺たちの到着と共に、入れ替わり出ていく智之くんと直紀くんにも慣れた。
初めて会ったときと同じように、礼儀正しく挨拶してくれる智之くん。
「おにーさん!」と舌っ足らずの勢いに満ちた声で、俺を呼ぶ直紀くん。
西岡くんによく似てはいるけれど、個性豊かで、すごく面白い。
用意しておいた加工済みの数学のプリントを見ると、西岡くんはすごく驚いた。
「まるでテストそのまんまだな!」というその顔は、枚数を見てすごく曇った。
さあやってみて、と時間を測ってやらせ、俺もその間は自分の勉強をする。
流石に少しぐらいはしなければ、西岡くんにも負けてしまうかと思って。
そんな感じの、ゆっくりとした俺の時間と、必死にペンを動かす西岡くんの時間。
母さんが構ってほしがるのが、なんとなくわかった気がした。
「……うん。期待した分は間違いなく出来てる」
「よかった……」
数IIを一枚、数Bを一枚。連続してやってもらった。
パパっと採点をして、部分点も考えながら、点数計算。
ここまでは解けて欲しいという期待は、ちゃんと答えてくれている。
応用にもそれなりに手を出せているし、実力問題にも取り掛かりはしている。
もっとも実力は不足しているらしく、解答方針は若干的外れ。惜しいは惜しい。
「大体、72点と65点ぐらい、かな。
数IIはともかく、数Bはもう少し頑張って」
「……おおお。久しぶりだそんな点数」
回答内容を見る限り、決して理解ができてないわけではない。
最初の頃に比べると間違いなく成長しているのが判る。
平均点の60点分の問題は、殆ど出来ており、計算ミスが多少。
応用問題は……時間配分のミスだろうか。もう落ち着いて考えればできる。
実力問題は、理屈は理解しているが、この方法だとすごく時間がかかる。
迂遠すぎてこれでは現実的な解答とは言えない。
問題は解けるようになったが、予想通り回答技術が追いついてない。
テスト本番までもっと時間があるのなら、そこらへんもどうにかしたいが。
流石に手が回りそうにないので、時間を意識することだけを伝える。
それこそ時間がかかる問題や、できない問題は飛ばしていいのだ。
満点を目指すための勉強ではないので、それぐらいの積もりで構わない。
「……これの平均点って、60点ぐらい?」
「そう、だね。若干難しくしたけど、その前後だと思う」
「……おおおおお」
難しくしたのは意図的ではなく、仕方がなかったことだ。
もらったプリント自体が、問題集よりも難易度が多少上がっている。
先生は3年生向けと言っていたし、恐らく受験勉強用なのだろう。
一応難易度調節はしたつもりだが、まあきつめの問題ではあったはずだ。
それで、60点を超えてきているのは、俺としては嬉しいことである。
……感情は。思っていることは、ちゃんと伝えるべきだろう。
「――よく出来ました。頑張ってくれて、嬉しいです」
「……………………!」
目をキラキラさせて西岡くんは俺を見る。
……やっぱり、褒められると嬉しいのだろう。今度からはちゃんと褒めよう。
西岡くん自身は、自分からやる気になってくれる人ではあるが。
それでも教える側に、やる気を続けさせる役割があるのは当然のことである。
まだまだ至らないが、もっといい教え手でありたいと思う。
「……テスト二回分、お疲れ様。少し休憩しようか」
「うん……」
全力を使い果たしたとまでは行かないが、すぐにもう一枚は苦行だろう。
解説をするにしたって、どう教えるかを考える時間が欲しい。
準備をしてきてはいたが、彼の回答を見なければその誤りは正せない。
飲み物入れてくる、と立ち上がった西岡くんを横目に、思考を纏めた。
プラスチックのコップに注がれた麦茶。
一口飲むと、喉が渇いていたことに気がついた。案外集中していたらしい。
……うん。計算間違いを除けば、教える問題は多くない。
ちょっと前までの、問題集の半分を教えなければいけないのとは大違いだ。
点数だけじゃなくて、こんなところでも成長しているのが判る。
嬉しくなって、つい小さく笑ってしまった。
「――――俺そんな面白い間違いしてるの?」
「……そんなことないよ。むしろ計算間違いが多いくらい。
勉強頑張ってるんだなって判って、嬉しかっただけ」
「…………そんなに普通に褒められると、恥ずかしいんですけど」
照れて、顔を赤くしてそっぽを向く。
ぶーたれているように見えるが、嫌がってはなさそうだ。
その姿もおかしくなって、また笑う。面白い。
でもあんまり面白がるのも可哀想だから、ここまでにしておこう。
「そろそろ再開しようか」というと、顔を背けたまま、俺に近づいた。
……一体どうやって、それで勉強するのだろうか。ちょっと面白かった。




