10
「――おぉ?西岡と……吉野か」
「ですです」
「……ですです」
……間はあったけど、名前が出た分だけセーフである。
問題集が終了し、俺は引っ張られるように連れ出された。
教官室に向かうのかと思えば、数学準備室。普段はこちらにいるらしい。
目的は、数学IIの担当をしている天野先生である。独身30代。
俺としては、西岡くんをカンニングしたと看做した時点でちょっと苦手。
だけど西岡くんはそれ以前から、仲良くしていたらしい。
先生と授業以外で喋らない俺にはよくわからない世界である。
だからか、俺を置いてけぼりにして二人は会話を始めてしまっていた。
「――いやしかし。思っても見ない組み合わせだな、おい。
お前、吉野に迷惑かけてんじゃねーのか」
「か、かけてないとは言えないっすけど!
そんなことよりも、用事あるんです」
「……なんだ?質問、じゃねーよな。吉野いるし」
吉野いるしって、どういうことなんだろう。
いや確かに、俺は先生に質問しに行ったことなんて一度もないけれど。
俺の名前を理由にあげるのは、意図が掴めないときはちょっと怖い。
先生のちらりと俺を見る視線に怖気づくが、西岡くんは気付きもせずに続ける。
「実は、プリントか、問題集か欲しいんすよ。今回の範囲の」
「――――なんでだ?理由がわからんと、流石に渡せんぞ」
「理由は……その。ごめん、吉野くん」
立ち位置に困っていた俺に、振り向いた西岡くん。
それに従って、天野先生の訝しむような瞳も俺を見る。
……まさか、俺に説明しろと。見ると西岡くんの目はそうだと言っている。
どうやら、目的だけしか頭に入っていなかったらしい。スポンジか。
唐突に振られたので、少し躊躇いながら、二つの視線に答えた。
「――西岡くんに。問題集の問題は、解き方を教えたのですが。
応用問題や、初めて見た問題への対応を、練習してもらいたいと思って」
「そうそうそうっすよ先生」
「ちゃんと解き方を思い浮かぶか、どうか。
演習してみたいけど、手元に問題がもうなくて……」
話している間に、段々と重力に耐え切れずに頭が落ちる。
ダメでしょうかと、若干俯きがちに首を傾げる。
先生の反応を見ると、腕を組んだまま、眉を上下させている。
値踏みされている気色悪さに、少しだけ身をよじった。
「――驚いた。本当にちゃんと教えてるんだな」
「ちゃんと、とは」
教えるのに、ちゃんともなにもあるのだろうか。
自分の中で答えを探しながら、声に出して直接聞いてみる。
……思い当たることがないわけではないが。
「いや、なに」と表情を緩めた先生が、手をパタパタと振る。
「解き方じゃなくて、対応までやってるとは思わなかった。
理論建てて、しっかりと教えてるんだな」
「そうっすよ!俺でも解けるようにしてくれましたもん」
……どうやら、先生は俺の教え方を褒めてくれているらしい。
それに賛同する西岡くんは、いつもとあまり変わらないけれど。
むず痒く感じて、何か言おうとして、やっぱり口ごもる。
こんな時に、感情を言葉にできないのは、すごく悔しい。
「吉野が教えるから、どれぐらいかと思ったんだが……
これは本当に平均ぐらいは取ってきそうだな」
「……取れますよ。それぐらいの問題は解けますから」
「…………へえ。いうじゃないか」
平均前後なら、数学に限れば今の実力でも難しくはないはずだ。
俺の予測では、ギリギリ平均下ぐらいになる気はするけれど。
これから努力すれば、十分に平均は超えられる。
そう思った言葉に、先生はまるで面白い言葉を聞いたかのように、笑った。
なんと返せばいいのか判らずに、その視線に目をそらす。
すると、制服の袖口を軽く引っ張る者がいる。西岡くんだ。
顔を向けると、不思議そうな顔をして、俺を見ている。
「……なあなあ。それぐらいの問題って?」
「お。それは俺も聞きたいなぁ。吉野の平均の認識」
――いや、そんなことを言われても。感覚的な話であるのだが。
大体これぐらいの問題が解ければ平均点ぐらい、という目安。
テスト問題を見れば、全体の難易度からそれぐらいは予想がつくだろう。
そう言おうとして、少しだけ思いとどまった。
ついこの間、自分の感性がずれているのではないかと疑ったばかり。
それに、勉強を教えている中で、感覚に頼り切るのは良くないと学んだはずだ。
ならば俺に判る範囲で、それを言葉に変えてみようか。
順番に視線をやると、2人とも俺の言葉を待っている。
先生は楽しそうに、西岡くんは不安そうに。……どこにも逃げ場はなさそうだ。
「――――その。定期テストって、平均は60点ぐらいじゃないですか。
これってやっぱり、先生たちもその前後に収まるように作ってますよね」
一般的に、大体どの学校でも定期テストの平均は60点から70点の間だろう。
実力テストという名義に変わればまた別の話だが、普通はその中で収まる。
それは何故かと聞かれたら、先生たちがそこに収めようとするからだ。
どれだけ勉強したかを点数で図るために、上にも下にも余地を残す。
「それは、努力の量を点数に反映させるためだと思うのですが。
そうなれば、問題……というか。点数配分も、そのようにするはずです」
ちゃんと授業を聞いて、それなりに勉強した生徒が平均になるよう。
そして、それ以上がそれ以上の点を。それ以下がそれ以下の点を取るように。
そんなテストを作るには、100点を問題の難易度で大別する必要がある。
「……たいして勉強していなくても判る、記号や計算問題で30点。
範囲をきちんと理解していれば大体解ける、基本的な問題で30点。
ここまでを落とさなければ、平均点」
平均点を取っていれば、授業についてきている事が判る。
逆にここまでで落とすのは、判らない場所を放置しているか、やる気の問題。
先生たちから見れば、ほぼサービスの確認問題である。
そしてここから上が、どれだけ追加の努力をしているかを調べるもの。
「次の20点が、問題集や教科書に載っている応用問題。
大体がアレンジしていて、理解していることを当てはめられるかを確かめる。
ここまでが、丁寧に勉強していれば取れる範囲」
それまでの内容を理解し、解き方が判っているかどうか。
ただ見た問題に対して、考えずに反射で答えていると難しいかもしれない。
問題の解き方を、“何故そのやり方で解けるのか”を理解してるかを問う。
問題集の問題を漏れがなく理解しているのなら、複雑に考えなくても解ける。
「残りが実力問題。内容の理解が前提。
初めて見る問題に解答の手順を見出して、時間内に出来るかどうか」
ここからが、先生の趣味に入ってくる問題だ。
先生が手加減しているならば、5人6人と満点が出てくる。
逆に先生が本気を出してきたならば、最高点が90点台前半で終わる。
……希に、他ができずにここだけできる人がいるらしいが。
それは大抵が問題の意図を把握できた結果、答えを推測できただけだろう。
「……西岡くんは、平均点は取れます。
応用力は、まだまだですけど。真面目ですから」
結局は、これが言いたいがための長い演説。
そう。応用力がまだまだだからこそ、もっと演習をさせたいのだ。
言葉の中で、自分の目的を見つけ出す。強い意志を瞳に込める。
腕を組み目を閉じて聞いていた先生は、組んだ腕を解いて頭を掻いた。
「――――おい。西岡。
お前、いい先生見つけたなぁ」
「……言葉にならないっす」
顔が火照る。体が熱い。とにかく、体力を使い果たした感じ。
それでも言いたいことは全部言い切れたので、満足である。
考えながらの事だったから、頭が処理落ちしそうなほど。
深呼吸しながら、静かに、褒められるのを聞いていた。
「……それで、先生?」
「ああ。確か、3年の選択授業用に作ったのがあるから。
ちょっと待ってろ。すぐ探す」
俺が熱を冷ましている間に、西岡くんが目的を果たしてくれた。
先生は壁の棚からいくつかのファイルをパラパラと捲って、数組取り出す。
ホッチキスで止められた、B4サイズの紙が折りたたまれている。
……地味に、結構な問題数がありそうな。
「それなら大体今回の範囲と被ってるだろ。回答付きだ。
……吉野ならどれが範囲外かぐらい見りゃ判るだろ?」
「……はい。これで大丈夫です。ありがとうございます」
チラチラと中を見ると、手持ちの問題集と同じか少し上ぐらいの問題。
問題のばらつき様にも問題も異論もない。流石先生のプリントである。
少し手を加えれば、十分に使えるものになるだろう。
……どっちにしても、やらせる前に俺が一度解かなければなるまいし。
「おおー流石先生。やっぱり優しいなぁ!」
「うるせー。お前はもっと勉強頑張りやがれ。
……吉野も、大変かもだが、困ったら頼ってこいよー」
「……はい。ありがとうございます」
認められたことも、受け入れられたことも、嬉しい。
頼って来いなんて言われたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
……最初は、無理だと思っていたというのに。
先生からプリントか問題集を貰うなんて、できっこないと思っていたのに。
数学準備室を離れてからも、胸の暖かさは続いていた。
応援されること。人との関わり。
頑張れと。頼ってこいと、言ってもらえることの嬉しさ。
あんなに簡単に、人に一歩近寄れることが、すごく羨ましい。
小器用に勉強が出来ることなんかより、ずっと強い力だ。
「――――西岡くんは、すごいね」
「……すごいのはそっちだろー」
漏らした言葉が拾われて、そして返ってくる時には真逆。
褒めたはずの俺が、何故か逆に褒められてしまった。
まだ熱っぽさが残る体で、隣を歩く西岡くんの顔を覗きこむ。
穏やかに、自然な感じの微笑み。俺には浮かべられそうにもないそれ。
そりゃ誰だって、こんないい顔してれば仲良くなれるだろう。
「……やっぱり、凄いよ」
「まだ言うか」
今みたいに、時々どうにも噛み合わないけれど。
真面目で、真剣で、優しくて。……すごいな。羨ましいな、と。
届かないものだと諦めかけて、でも少しだけやっぱり未練が残って。
――――俺も、君みたいになれたら、なんて。思ったりした。
図書室に戻ると、大体いつも帰る時間。
荷物を片付け、いつもと同じように駅まで一緒に歩く。
その間に、授業中に考えていたこれからの予定について伝えておく。
これからは一日に2教科ずつ勉強をする。
宿題は特に無しで、家では西岡くんが必要だと思った勉強をしてもらう。
俺が教えていくのは“どこを覚えればいいのか”で、後は自習である。
全体の確認を通して、絶対に必要なところを漏れのないように。
日本史の資料集のような細かいところも、一度は目を通すように伝える。
今日もらった数学は、俺が一度目を通して、再編集。
教えられるように把握して、テストのように形式を整えてから。
その上で本番のように集中してやってもらう。
落ち着いて、時間の管理も演習を通して学んでもらえれば一番いい。
……西岡くんがどれだけできるようになったか。すごく楽しみである。
西岡くんは“これからが本編だ”というと、少し緊張をしていた。
思わず引きつった顔を見て笑って、いじけさせてしまって。
下手な慰めをしていると、なんだか2人とも可笑しくて笑ってしまった。
……さよならの後。今日は、真逆に向かうだろう背中を見ずに、階段を登った。




