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「――おぉ?西岡と……吉野か」

「ですです」

「……ですです」


……間はあったけど、名前が出た分だけセーフである。

問題集が終了し、俺は引っ張られるように連れ出された。

教官室に向かうのかと思えば、数学準備室。普段はこちらにいるらしい。

目的は、数学IIの担当をしている天野先生である。独身30代。


俺としては、西岡くんをカンニングしたと看做した時点でちょっと苦手。

だけど西岡くんはそれ以前から、仲良くしていたらしい。

先生と授業以外で喋らない俺にはよくわからない世界である。

だからか、俺を置いてけぼりにして二人は会話を始めてしまっていた。


「――いやしかし。思っても見ない組み合わせだな、おい。

 お前、吉野に迷惑かけてんじゃねーのか」

「か、かけてないとは言えないっすけど!

 そんなことよりも、用事あるんです」

「……なんだ?質問、じゃねーよな。吉野いるし」


吉野いるしって、どういうことなんだろう。

いや確かに、俺は先生に質問しに行ったことなんて一度もないけれど。

俺の名前を理由にあげるのは、意図が掴めないときはちょっと怖い。

先生のちらりと俺を見る視線に怖気づくが、西岡くんは気付きもせずに続ける。


「実は、プリントか、問題集か欲しいんすよ。今回の範囲の」

「――――なんでだ?理由がわからんと、流石に渡せんぞ」

「理由は……その。ごめん、吉野くん」


立ち位置に困っていた俺に、振り向いた西岡くん。

それに従って、天野先生の訝しむような瞳も俺を見る。

……まさか、俺に説明しろと。見ると西岡くんの目はそうだと言っている。

どうやら、目的だけしか頭に入っていなかったらしい。スポンジか。

唐突に振られたので、少し躊躇いながら、二つの視線に答えた。


「――西岡くんに。問題集の問題は、解き方を教えたのですが。

 応用問題や、初めて見た問題への対応を、練習してもらいたいと思って」

「そうそうそうっすよ先生」

「ちゃんと解き方を思い浮かぶか、どうか。

 演習してみたいけど、手元に問題がもうなくて……」


話している間に、段々と重力に耐え切れずに頭が落ちる。

ダメでしょうかと、若干俯きがちに首を傾げる。

先生の反応を見ると、腕を組んだまま、眉を上下させている。

値踏みされている気色悪さに、少しだけ身をよじった。


「――驚いた。本当にちゃんと教えてるんだな」

「ちゃんと、とは」


教えるのに、ちゃんともなにもあるのだろうか。

自分の中で答えを探しながら、声に出して直接聞いてみる。

……思い当たることがないわけではないが。

「いや、なに」と表情を緩めた先生が、手をパタパタと振る。


「解き方じゃなくて、対応までやってるとは思わなかった。

 理論建てて、しっかりと教えてるんだな」

「そうっすよ!俺でも解けるようにしてくれましたもん」


……どうやら、先生は俺の教え方を褒めてくれているらしい。

それに賛同する西岡くんは、いつもとあまり変わらないけれど。

むず痒く感じて、何か言おうとして、やっぱり口ごもる。

こんな時に、感情を言葉にできないのは、すごく悔しい。


「吉野が教えるから、どれぐらいかと思ったんだが……

 これは本当に平均ぐらいは取ってきそうだな」

「……取れますよ。それぐらいの問題は解けますから」

「…………へえ。いうじゃないか」


平均前後なら、数学に限れば今の実力でも難しくはないはずだ。

俺の予測では、ギリギリ平均下ぐらいになる気はするけれど。

これから努力すれば、十分に平均は超えられる。

そう思った言葉に、先生はまるで面白い言葉を聞いたかのように、笑った。


なんと返せばいいのか判らずに、その視線に目をそらす。

すると、制服の袖口を軽く引っ張る者がいる。西岡くんだ。

顔を向けると、不思議そうな顔をして、俺を見ている。


「……なあなあ。それぐらいの問題って?」

「お。それは俺も聞きたいなぁ。吉野の平均の認識」


――いや、そんなことを言われても。感覚的な話であるのだが。

大体これぐらいの問題が解ければ平均点ぐらい、という目安。

テスト問題を見れば、全体の難易度からそれぐらいは予想がつくだろう。

そう言おうとして、少しだけ思いとどまった。


ついこの間、自分の感性がずれているのではないかと疑ったばかり。

それに、勉強を教えている中で、感覚に頼り切るのは良くないと学んだはずだ。

ならば俺に判る範囲で、それを言葉に変えてみようか。

順番に視線をやると、2人とも俺の言葉を待っている。

先生は楽しそうに、西岡くんは不安そうに。……どこにも逃げ場はなさそうだ。


「――――その。定期テストって、平均は60点ぐらいじゃないですか。

 これってやっぱり、先生たちもその前後に収まるように作ってますよね」


一般的に、大体どの学校でも定期テストの平均は60点から70点の間だろう。

実力テストという名義に変わればまた別の話だが、普通はその中で収まる。

それは何故かと聞かれたら、先生たちがそこに収めようとするからだ。

どれだけ勉強したかを点数で図るために、上にも下にも余地を残す。


「それは、努力の量を点数に反映させるためだと思うのですが。

 そうなれば、問題……というか。点数配分も、そのようにするはずです」


ちゃんと授業を聞いて、それなりに勉強した生徒が平均になるよう。

そして、それ以上がそれ以上の点を。それ以下がそれ以下の点を取るように。

そんなテストを作るには、100点を問題の難易度で大別する必要がある。


「……たいして勉強していなくても判る、記号や計算問題で30点。

 範囲をきちんと理解していれば大体解ける、基本的な問題で30点。

 ここまでを落とさなければ、平均点」


平均点を取っていれば、授業についてきている事が判る。

逆にここまでで落とすのは、判らない場所を放置しているか、やる気の問題。

先生たちから見れば、ほぼサービスの確認問題である。

そしてここから上が、どれだけ追加の努力をしているかを調べるもの。


「次の20点が、問題集や教科書に載っている応用問題。

 大体がアレンジしていて、理解していることを当てはめられるかを確かめる。

 ここまでが、丁寧に勉強していれば取れる範囲」


それまでの内容を理解し、解き方が判っているかどうか。

ただ見た問題に対して、考えずに反射で答えていると難しいかもしれない。

問題の解き方を、“何故そのやり方で解けるのか”を理解してるかを問う。

問題集の問題を漏れがなく理解しているのなら、複雑に考えなくても解ける。


「残りが実力問題。内容の理解が前提。

 初めて見る問題に解答の手順を見出して、時間内に出来るかどうか」


ここからが、先生の趣味に入ってくる問題だ。

先生が手加減しているならば、5人6人と満点が出てくる。

逆に先生が本気を出してきたならば、最高点が90点台前半で終わる。

……希に、他ができずにここだけできる人がいるらしいが。

それは大抵が問題の意図を把握できた結果、答えを推測できただけだろう。


「……西岡くんは、平均点は取れます。

 応用力は、まだまだですけど。真面目ですから」


結局は、これが言いたいがための長い演説。

そう。応用力がまだまだだからこそ、もっと演習をさせたいのだ。

言葉の中で、自分の目的を見つけ出す。強い意志を瞳に込める。

腕を組み目を閉じて聞いていた先生は、組んだ腕を解いて頭を掻いた。


「――――おい。西岡。

 お前、いい先生見つけたなぁ」

「……言葉にならないっす」


顔が火照る。体が熱い。とにかく、体力を使い果たした感じ。

それでも言いたいことは全部言い切れたので、満足である。

考えながらの事だったから、頭が処理落ちしそうなほど。

深呼吸しながら、静かに、褒められるのを聞いていた。


「……それで、先生?」

「ああ。確か、3年の選択授業用に作ったのがあるから。

 ちょっと待ってろ。すぐ探す」


俺が熱を冷ましている間に、西岡くんが目的を果たしてくれた。

先生は壁の棚からいくつかのファイルをパラパラと捲って、数組取り出す。

ホッチキスで止められた、B4サイズの紙が折りたたまれている。

……地味に、結構な問題数がありそうな。


「それなら大体今回の範囲と被ってるだろ。回答付きだ。

 ……吉野ならどれが範囲外かぐらい見りゃ判るだろ?」

「……はい。これで大丈夫です。ありがとうございます」


チラチラと中を見ると、手持ちの問題集と同じか少し上ぐらいの問題。

問題のばらつき様にも問題も異論もない。流石先生のプリントである。

少し手を加えれば、十分に使えるものになるだろう。

……どっちにしても、やらせる前に俺が一度解かなければなるまいし。


「おおー流石先生。やっぱり優しいなぁ!」

「うるせー。お前はもっと勉強頑張りやがれ。

 ……吉野も、大変かもだが、困ったら頼ってこいよー」

「……はい。ありがとうございます」


認められたことも、受け入れられたことも、嬉しい。

頼って来いなんて言われたのは、もしかしたら初めてかもしれない。

……最初は、無理だと思っていたというのに。

先生からプリントか問題集を貰うなんて、できっこないと思っていたのに。

数学準備室を離れてからも、胸の暖かさは続いていた。


応援されること。人との関わり。

頑張れと。頼ってこいと、言ってもらえることの嬉しさ。

あんなに簡単に、人に一歩近寄れることが、すごく羨ましい。

小器用に勉強が出来ることなんかより、ずっと強い力だ。


「――――西岡くんは、すごいね」

「……すごいのはそっちだろー」


漏らした言葉が拾われて、そして返ってくる時には真逆。

褒めたはずの俺が、何故か逆に褒められてしまった。

まだ熱っぽさが残る体で、隣を歩く西岡くんの顔を覗きこむ。

穏やかに、自然な感じの微笑み。俺には浮かべられそうにもないそれ。

そりゃ誰だって、こんないい顔してれば仲良くなれるだろう。


「……やっぱり、凄いよ」

「まだ言うか」


今みたいに、時々どうにも噛み合わないけれど。

真面目で、真剣で、優しくて。……すごいな。羨ましいな、と。

届かないものだと諦めかけて、でも少しだけやっぱり未練が残って。

――――俺も、君みたいになれたら、なんて。思ったりした。



図書室に戻ると、大体いつも帰る時間。

荷物を片付け、いつもと同じように駅まで一緒に歩く。

その間に、授業中に考えていたこれからの予定について伝えておく。


これからは一日に2教科ずつ勉強をする。

宿題は特に無しで、家では西岡くんが必要だと思った勉強をしてもらう。

俺が教えていくのは“どこを覚えればいいのか”で、後は自習である。

全体の確認を通して、絶対に必要なところを漏れのないように。

日本史の資料集のような細かいところも、一度は目を通すように伝える。


今日もらった数学は、俺が一度目を通して、再編集。

教えられるように把握して、テストのように形式を整えてから。

その上で本番のように集中してやってもらう。

落ち着いて、時間の管理も演習を通して学んでもらえれば一番いい。

……西岡くんがどれだけできるようになったか。すごく楽しみである。


西岡くんは“これからが本編だ”というと、少し緊張をしていた。

思わず引きつった顔を見て笑って、いじけさせてしまって。

下手な慰めをしていると、なんだか2人とも可笑しくて笑ってしまった。

……さよならの後。今日は、真逆に向かうだろう背中を見ずに、階段を登った。






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