第四回最終回(後編)
「もういいのか?」
職場に戻った編集長は比較的、穏やかに言った。
「ハイ、走るのはちょっと難しいですが、歩く程度には杖なしで問題ありません。」
「よし、じゃさっそく双子の作家の推敲と神保先生の進行状況確認と、神林先生の資料集めに行け。」
「はぁ。……あの、春男……先生の件ですが。」
と、言いかけたが、編集長はセリフにかぶせるように言った。
「あのバカ作家の担当は絶対に、変えないからな!」
穏やかな編集長の顔が豹変した。なにかあったのだろう。オレは素直に頷いた。
「ハイ。」
すぐに春男先生に、メールをすると、四日後くらいには出来上がる、とのことだ。そのときに行きますと、オレは返信して、その日が今日なのである。
ようやくオレは春男のアパートの玄関の前に立った。ふと下を見るとドアにサンダルが挟まっている。
オレはドアを開けた。パンプスが見えた。誰か来ているのだろうか?
「やだぁ。」
オレのドアの中に入ろうとした動きがぴたりと止まった。
「はぁはぁはぁ、む、無理。」
苦しそうな春男の声が聞こえる。
「ほらぁ。もっとー。足上げて!」
オレは、ドアをそっと閉めようとした。すると。
「あ、佐々木さん!」
ひょいと廊下に顔を出した女の子は、以前、春男の家の横の部屋に住んでいた子だった。そして、彼女は普通に服を着ている。
「あ、あれ?」
「よ、洋介ーーーか、変わってくれ。シャワー浴びる!」
そういうと、奥から走ってきた春男はリモコンをほおり投げた。
「おい!」
受け取ったときに春男はすでに風呂に消えていた。オレは反射的に受け取ったリモコンを見ながら、部屋に入った。
「これ、うぃー?」
「そー。うぃー。はるちゃんとやろうと思って。ダイエットかねての運動よ!最近ホントに丸いんだもん。」
「先生と?」
「先生?いつから佐々木さん、はるちゃんのこと、先生って呼んでるの?」
彩ちゃんは目を丸くした。
「退院してから。」
オレは、テレビの画面を見て、春男があんなに息を切らしえている理由がわかったような気がした。どうやら、二人で対戦スポーツをしていたようだ。彼女のほうは、汗をかいても少しだ。ざばざばとシャワーの音が聞こえる。
「退院?入院してたの?」
「そ。先生のアパートから転げ落ちて、捻挫。その間に先生は編集長と話をして、雑誌に連載させるエンディングは二つに落ちついた。書籍にするファン投票は主人公死亡の話で決着がついた。オレは、反対してたんだけどね。で、反省の意味もこめて、あいつを先生って呼んでるわけ。」
オレはあいかわらず、一つしかないソファに座りこんだ。
「へぇ。」
「テレビのほうも、そんなに原作は気にしないみたいだし、オレの見る目がなかったってことで。だけど、なんで彩ちゃんがここに?」
「だって、私、はるちゃんとメル友だもん。暇だって言うから。」
「……そう。」
春男の奴、オレにはそんなこと一言も言わなかったらしい。なんとなく、面白くない。
「あ!」
急に声がした。振り向くと、カラスの行水なみに早いシャワーから上がった春男がいる。
「なんだよ、急に!」
びくっとしたオレが声を上げる。
「忘れてた!」
ドスドスと、足音を立てて、慌てて机の引き出しの中を探しだした。
「なにが?」
「あ、あった、これ!彩ちゃんのメルアド!はい。君の分。」
なにやら名刺を差し出された。
「渡してなかったのー?」
彼女は頬を膨らませた。
「ごめん、こいつ、捻挫で実家に帰ってて、うちに来ないんだもん。」
オレは名刺を受け取った。たしかにメルアドも携帯番号も載っている。
「これ、おもいっきり個人情報だけど、いいの?」
「いいの、いいの。10枚しか作ってないんだ。」
「へぇ。」
「名刺・・・・・・個人情報・・・・・・3D・・・・・・」
春男はなにやら、ぶつぶつ言い出した。新しい話のイメージでも浮かんだのだろうか。しかし。
「おい、じゃなかった、先生、今回の原稿ください。」
オレはソファに座ったままではあるが、頭を下げた。
「ん?君、踏んでる。」
「え?」
足元を見たが、ない。慌てて、立ち、引いてあった座布団をどかすと封筒に入った原稿があった。
「なんで、こんなとこ、置くかなぁ!」
「机にゲーム機の箱を置くときに、ついでにどかしたんだ。」
「はぁ。じゃ、今日はこれで。」
「えー、試合していこうよー。うぃー。」
彩ちゃんが口をとがらす。
「いや、まだ仕事が。」
「今日は、君がくるって言うから、生肉買ってきてもらったのにー。」
春男が眉をひそめる。ついでに、同じように口をとがらせた。
「生肉?」
「今日は、あたしのリクエスト、酢豚ー。パイナップル入り。」
「こっちは、母さんからの玉ねぎたちの処分に困ってたしね。」
春男が指をさすほうを見ると、きれいな色の野菜が光っているなかに、大量の玉ねぎがある。土がついているのと、すでに皮をむかれて透明なビニールに入ったものとが置いてある。
「どうした、これ。」
「母さんが、玉ねぎ畑のオーナーになったらしいよ。」
結局、オレは食卓に付くことになった。春男が作っている間、オレは彩ちゃんとうぃーをした。
「結構汗かくねぇ。」
「そう?」
オレは結構疲れているのに、彼女は額に汗が少々。これが年齢の差だと思い知らされた。
「できたよー。」
食卓には、サラダだけで3品、マリネにスープに酢豚。そして、米。
「うまいねぇ。」
「おいしー。」
「うん、うまい。」
完全にはなくならなかったが、そこそこ食べて、オレは彩ちゃんを送りがてら、帰ることにした。
「じゃ、先生、また。」
「ハイハイ。」
春男が手を振った。
「まったねー。」
「またね。はい、これお土産。お母さんに渡してね。」
春男は残った酢豚をプラスチックの容器に入れたのを、袋に入れて、彼女に渡した。オレはドアが閉まらないようにしていたサンダルを外した。
「こっちが君の分。」
オレにも差し出された。
「ん。さんきゅ。」
外を歩き出すと、オレはまたマフラーを巻いた。日が暮れるとまだ寒い。
「さみぃねぇ。」
「ねぇ、はるちゃんと佐々木さん、同級生なんでしょ。」
彩ちゃんも、自分のマフラーをカバンの中から取り出した。
「ああ、結構長いこと同じ学校だったけど、学生時代はほとんど話をしなかったよ。」
「そうなの?」
「ああ。当時は顔見知り程度。社会人になってから、偶然会った。」
「へぇ。……はるちゃんと、まだ喧嘩してるの?」
「喧嘩?いや?」
オレは目を丸くした。さっきの食事の風景のどこに喧嘩要素があったのだ?
「なんで?」
「先生って呼んでる。」
「いや、これは、オレが喧嘩で言い過ぎたなと反省してるの。」
「親の七光り作家?」
「へ?な、なんで?」
「はるちゃんが、言ってた。洋介が気にしてるなら、これだろうって。」
「まぁ、まぁね。別に多くの人が言ってるわけじゃないし、それに春男だけが親の七光りってわけでもないしさ。そんなにオレは気にしてないんだけど、春、いや先生に対しては失礼だったかなぁと思ってさ。」
「でも、はるちゃんのほうはまったく気にしてなかったよ。七光りどころか、全ぺっかりって感じだけどねーって笑ってたよ。」
「あ、あそ。」
「うん。待ってても、入院の知らせも来なかったし、実家に帰ってからも連絡がなかなかなかったって、ヘコんでたよ。」
「いやいや!だって、編集長が、連絡しなくていいって。病院携帯禁止だし。」
「だけど、担当でしょ。」
「う。……まぁね。なんせなぁ、ものすごい怒鳴りあったからなぁ。しかも、オレのほうが負けたし。担当、向いてないのかもとか、考えていたんだ。けど、編集長はやめさせてくれないだろうしな。」
こんな会話をしていると、駅が見えてくる。
「今日だって、原稿ができたよってお知らせがなかったら来なかったでしょ。前は毎日来てたのに、ってぶつぶつ言ってたよ。食料が減らないって。」
「オレは、食料処理用か?いや、実家とこっちと逆方向に歩くからな。」
「実家?そういえば、実家に帰ってるって言ってたね。」
「ああ。もうすぐ自分のアパートに戻る予定ではあるんだけどね。」
駅に着くと、彩はうぃーを受け取ると、言った。
「あたしね、もうすぐはるちゃんのところにお嫁さんに行くの。旦那様が友達と喧嘩なんてやだな。だから早く仲直りをしてね。じゃねー。」
彼女は手をひらひらさせて改札口の向こうへと消えていった。
オレは走っていた。捻挫をしたことを思い出しもしなかった。自分の家にではない。春男のアパートへだ。もうこけないように、階段を上って、がちゃと、ノブを回すと開いた。あれだけ、鍵をかけるようにいつも言っているのに。
「春男!」
「へ?」
春男がリビングから顔を出した。
「忘れ物?」
「じゃなくて!お前、いつ彩ちゃんと婚約したんだ!?いや、いつ結婚するんだ!?旦那ってなんだ!?」
オレは肩で息をしながら聞いた。
「へ?だんな?誰が!?」
春男が目を丸くした。
「お前がだろ!」
「なんで、旦那さ!結婚なんか、してないし。」
「だって、彼女もうすぐ、お前のところに嫁に行くって言ってたぞ?」
春男はしばらくオレを見ていたが、ぽつっと言った。
「……お前、大丈夫か?彩ちゃん、いくつかわかってるのか?」
オレは少し考えた。
「……いくつだっけ?」
「14か、15かだぞ。」
「……そんなだっけ?あれ?」
「僕達はいくつだっけ?三十過ぎたね?」
「……過ぎたな。」
だんだん、息が整ってきた。
「洋介、あのね一般常識的に考えてごらん。自分の半分の年齢の子が嫁に来るか?こんなメタボなおっさんのところに。」
「……オレはメタボじゃないぞ。」
「お前、自分の倍の年齢の人を嫁に欲しいか?」
「いや。」
オレはしゃがみこんだ。どうやら、だまさらたらしい。いや、もて遊ばれたというべきか。
「ばーかっ。」
春男が言う。
「誰が!」
「そうそう、ちょうどよかった。今日は実家のほうに戻るんだよね?」
春男はさっき、オレに渡した明日の朝用の酢豚のタッパーの上に、もう一つタッパーを置こうとするが、どうみてもそっちのほうが大きい。
「なんだ、これは?」
「オニオンリング。昨日作ったんだ。大量に作っておすそ分けしたあまり。どうにかして、食ってくれ。家族全員でならいけるだろう。」
「オレは、食料処理班かよ!」
オレは言った。まだ冷たい風が笑った。




